第9話 バースデーケーキ

彩葉が柾人の秘書として勤め始め、初めての冬がやって来た。


あと少しで年越しを迎えるという日。


彩葉と柾人は変わらず、必要最低限の会話のみで日常を過ごしていた。


彩葉は『ブサイク』だと言われた日から、これ以上嫌われない為に、出来るだけ柾人の前で感情を出さないように努力した。


感情が出なければ、表情が顔に出ることもない。つまり引き攣った笑顔になる事もないという訳だ。


相変わらず、社長である柾人はカッコイイ。

社内でも人気のイケメンだ。


仕事も悠々とこなし、会社の業績も上がっている。


それを証拠に、新卒採用のみならず中途採用も積極的に行われ、アリシマ・ファニチャーの店舗も急速に数を増やしている。


初心を忘れないよう、社長の柾人の役に立つ人間であろう。

少なくとも『恋愛』的に好かれる事はもう無いのだろう。

ならば、せめて仕事では認められたかった。


なので必死に仕事を頑張った。


柾人の行動を注意深く見て、出来るだけ先回りして業務に滞りがないようにする。


仲良くなれないのは残念だ。


しかし自分がしてしまった失敗が原因なのだ。長く勤めていれば多少は砕けてくるかもしれないと、気の長い望みを持って、それを支えに業務にあたっている。


そんな12月23日。


その日の業務の最後のミッション。


彩葉の仕事は、柾人を自宅に送迎する所で終わる。


車は柾人のマンションの駐車場に停め、歩いて5分という徒歩圏内にあるアパートに自転車で帰るのだ。


自転車は良い。あっという間に自宅に到着するのだ。


そして柾人のマンションとアパートの間にはスーパーがある。

だからそこに寄って帰るのがいつものルーティンだ。


しかし今日は少し違う予定を組んでいた。


少し逆走して、ケーキ屋さんに寄ってから帰ろうと考えていた。

実は今日、彩葉は23歳になる。誕生日なのに、一人暮らしで彼氏もいないので、ぼっちバースデーだ。


仕事終わりも不規則な為、友達と誕生日を祝う事も避けた。

友達とは後日、予定が合った時に会おうと話した。


ケーキを買おうと決めていたので、逆にスーパーの買い物は昨日済ませた。


ただ、現時点で時刻は19時45分になっていた。


夕方から雨が降り始め、交通量も何時もより多い。

間に合わないかもしれないな。


心の中で思いながらも、柾人とは会話が無いまま車を走らせた。


そうして帰りに寄ろうと考えていたケーキ屋さんが反対車線の向こうに見えてきた。

店員が外に出していたボードを店内に持ち込み、見たからに閉店支度をしていた。


雨が降っている中、急いで店員は店内へ入っていった。


「…あっ!!」


思わず彩葉は声を出した。


その声に、俯いていた柾人は顔を上げた。


「…どうした?」


「…いえ、何も…」


彩葉が目をやっていた店の方を柾人も見た。

いつもと変わらない、トラブルなども起こっていない街の風景だ。


「…何かあったか?」


「…特別何も無いです。申し訳ありません。」


謝る彩葉の言葉を聞き、ミラー越しの柾人は怪訝そうな顔をしている。


しまったと思った。

業務には関係ないのに、思わず声が出てしまった。


「…言ってみろよ。気になるだろ?」


そう言う柾人の言葉に、彩葉は少し身が縮こまる。

何にも疚しいことは無いのに、何かを疑われているかのようだ。


そして躊躇いながらも彩葉は話す。


「…いえ、実は…今日、私の誕生日だったのでケーキでも買って帰ろうかと思ってたんですが…お店…閉店だろうな…と。申し訳ありません。業務中に…。」


「…は?…誕生日?」


柾人の声は、彩葉には呆れられたように聞こえた。


失敗しないように気を配っていたのに。なんでこんな事考えちゃったんだろう。


自分を責めながら、ミラー越しの柾人の視線から逃げるように目を逸らした。


「…停めろ」


「…え?」


「…路肩に車を寄せてくれ」


彩葉は柾人に言われ、慌てて車を路肩に寄せ停車する。

ハザードランプを点灯させ、振り返る。


「…社長、どうかされ…」


後部座席を見ると、柾人が車道側から車の外に出ようとしていた所だった。


「社長!?」


追いかけようと慌ててシートベルトを外し、彩葉は運転席から下りようとしたが、足早に車道の向こうに行ってしまった柾人のすぐ後に、後続車が来た為運転席に戻る羽目になった。


雨足が強く、傘もささずに車道の向こうに行ってしまった柾人は、戻ってきた時にはジャケットの色が変わるくらいには濡れてしまっていた。


「…悪かったな。早目に言ってくれれば、仕事の終わりの調整くらいしたんだが…」


そう言う柾人の手にはケーキの箱があった。


しかもその箱の形は、小さいながらも『ホールケーキ』仕様だ。


後部座席からケーキの箱を渡され、彩葉は驚く。


まさか嫌われている自分が、社長からケーキを頂くことになるとは想像すらしなかった。


柾人は濡れてしまったジャケットを脱ぐと、濡れた前髪を掻き上げる。


水も滴る良い男。


つい見蕩れて、彩葉はお礼を言い損ねそうになったが、目線が合い正気を取り戻す。


「…ありがとうございます。申し訳ありません、わざわざ…」


「…何時も遅くまで付き合わせてるからな。今日は週末だし、ゆっくり…友達…とでも…」


柾人は、彩葉から視線を外しながら言う。


「…いえ、今日は一人なので…」


「…一人…?」


そう言うと、二人の視線はケーキの箱に向いた。


「…4号サイズのホールケーキなんだが…」


小さめではあるが、ケーキは基本的にその日のうちに食べてしまう物だ。

一人で食べるには、4号サイズは少々大きいサイズだ。


「…3日程かければ…」


「…味が落ちるだろ?…今日は一人だと言ったな?」


箱を見つめて呟く彩葉に柾人は言った。


「…今日は…俺が付き合ってやる。」


予想外の展開に、彩葉の目が大きく見開いた。

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