第7話 幼少期

幼い頃。


柾人は聞き分けの良い子供だった。


逆に、桐人は乳児の頃から育てにくい子供で、両親は桐人に掛かりっきりになる事も多かった。


その環境の中、聞き分けが良く要領の良い長男の柾人が両親の気を引く事が出来る手段というのは、必然的に『弟の見本となる兄』になる事だった。


現に両親は、事ある毎に『お兄ちゃんを見てごらん』と桐人を宥めすかす事が多かった。


そうして育てば、次は柾人自身も『桐人を庇い』『桐人の見本』となるべく行動するようになった。


桐人や両親によく見られるようにするには、どのように行動すべきか。


それは、柾人の生き方そのままになった。


対象が家族から周りの人間に広がり、社長に就任した今となっては、世間に対してもだ。


弱みは見せない。

己の感情も、表には出さない。


習慣化したソレは、己の胸の端にあるドロドロした感情すら気付かない程当たり前に覆い隠す。


寧ろ己の感情ほど、鈍く気付かない。


己の感情よりも、目の前の『桐人』や『両親』。ひいては『他人』に対して鋭敏にいなくてはいけなかったから。


その対象者に己がどれ程『よく見られるか』が、柾人にとって全てだ。




秘書の三上は、柾人の5歳年上だ。


三上の父が有島家具の重役だったこともあり、幼少期より付き合いがある。


年上だった分、柾人のクセや行動パターンはよく知っていた。


だからこそ、有島家具からアリシマ・ファニチャーへと代わった改革期に、柾人の秘書として大いに活躍した。


他人に対して大きな評価を得る為には、その対象となる人の情報が必要だ。そして分析。


その人間の行動パターンや好みなどを考慮して、さらに様々なパターンを想定して動けば、自ずと良い結果に結び付く事が多い。


仕事においては特にだ。


だからこそ、柾人はデータや情報収集に余念が無い。

もう良いのではないかと言いたくなるほどのシュミレーションを重ね、想定と違う結果に少しでもなれば、直ぐに改善策を実行しする。


三上は、そんな柾人に合わせて仕事の補佐をすれば良いだけだ。





「要領が良いと『擬態』する能力が突起してるだけだ」


「…は?何それ?」


出張先のホテルで桐人に捕まった三上は、そのホテルのBARに二人で来ていた。


疲れて直ぐに寝ようと企んでいた三上は、少し機嫌が悪かった。


しかし基本、面倒見の良い側面も持っている為、桐人に付き合って酒を飲みながら話をする。


桐人は、兄である柾人を崇拝している。


人当たりがよく、要領がよい。優秀で自慢の兄だ。


「要領が良い…のは確かに。だから『擬態』が上手になったんだ。だけど『不器用』なんだよ。」


桐人には、三上が言いたい事が理解出来なかった。


柾人は幼い頃から自分に優しく、そして周りにも優しい。

穏やかで、ゆとりがあって、誰よりも頼りがいがあった。


「要領が良かったせいで、本当の自分を誰にも見せれない。それが『不器用』な証拠。もっと失敗して、素の自分を見せる事、相手と分かり合うという経験が皆無なんだよ。」


三上は手にしていたウィスキーを飲み干し、少し物足りなそうな顔をする。

しかしこれ以上の深酒は、明日の自分が後悔することが現時点で予測出来る。


小さくため息をついて、グラスの中の氷を回す。


僅かに残ったウィスキーの量を増やすべく、アイスをグラスの中で回して最後に飲もうとしている事が分かり、桐人は何とも情けない三上の姿を憐れむかのように見た。


「言ってる事はカッコイイ感じなのに、行動が…。もう一杯飲めば?」


「…ん〜…、いや、明日は自宅に帰らなきゃいけないしな。久美に怒られるの嫌だし。節制する。」


三上の愛妻でもある久美はなかなかの強者で、既に尻に敷かれている。


さらに桐人は憐れむ表情を深めた。


「…ま、周りがワーワー言っても本人が自覚しない事にはなぁ。ほっとけ、ほっとけ。いい大人同士なんだし。拗れてもそれはソレ。」


そう言うと、三上は席を立つ。


「…じゃ、デザイナー様。ご馳走さん」


三上は振り返って桐人を見る事無く、軽く手を振りその場を後にした。


ホテルの部屋に戻りながら、今話していた事を振り返る。


そして独りごちる。


「…大体、お前らも悪いんだよ。『兄さんカッコイイ』って持ち上げるから…。」


少し粗めにフンっと息が吐き出される。


「…本当の柾人は…。小心者で、本当は何か不安なことがある度に『どうしよう、どうしよう』ってテンパるタイプなのに、無駄に対応スキルだけ上達して、スッカリ『擬態』している事が当たり前になってしまった。」


柾人に憧れて、未だに尊敬している桐人には分からない。


どれ程までに、柾人は桐人に本当の自分を見せないように努力しているか。

寧ろ他人に本当の自分を如何に見せないようにするかを努力してきたのだ。


それをずっとやってきたから、本音で人にぶつかることを知らない。



そんな柾人が、どうやら己を律する事も出来ない程の『激情』に駆られる相手と出会ってしまった。


いい大人同士の事だ。

基本的には当人に任せるつもりではある。


「…ただなぁ。…拗れそうなんだよなぁ…。」


この先を考え、三上はため息をついた。

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