第4話 指先が辿る

アリシマ・ファニチャーの入社当日は入社式を行われ、その後全体のオリエンテーションが行われた。


そして翌日、配属された部署にて直属の上司より業務の指導員の紹介が行われ、そのまま指導員について業務を開始する。



リクルートスーツを身に付け、首からネームプレートを下げた彩葉は、1階の受付横に設置されたショールームにいた。


そこは外を歩く人からも見える、デパートで言うならショーウィンドウの様な造りをしている。


入口を挟んで2箇所あり、現在は片方はアリシマ・ファニチャーの『Oggiシリーズ』が展示されている。


そして反対側は『Semper(センプレ)シリーズ』が展示されている。


『Oggiシリーズ』は、“今日“という意味だそうだ。

キリト・アリシマのデザインを使ったシリーズで、正にキリト・アリシマの感覚や才能だけで持ったシリーズでもある。


その日のインスピレーションを、そのままの感性で描き上げる。

勿論企業が販売するものだから、多少のテコ入れはあるが、基本的にはそのままを採用する。


だからこそ、デザイン好きやファニチャー好きには好まれる。

デザイン重視で、利便性などはあまり考慮されないとも言えた。


キリト・アリシマの尖った感覚で制作されるファニチャー。


それとは相対するシリーズが『Semper《センプレ》シリーズ』だ。


“常に“と意味するSemper《センプレ》は、音楽用語らしい。


日常的に使いやすい、木目調の家具。少し丸みを帯びたチェア。日常を過ごす人に寄り添う温かみのあるデザインが多い。


彩葉は、最初にSemper《センプレ》シリーズを展示しているショールームに入った。


椅子の角が面取りされた、子供やお年寄りにも優しいデザインにほっとする。


デザイン性を考えれば『尖ったモノ』は魅力的だ。


しかし自宅に置くなら、優しげな『Semper《センプレ》シリーズ』の方が落ち着く。


だからこそ彩葉は『デザイナー』の道を諦めた。

向かないと考えた。


『Semper《センプレ》シリーズ』のショールームから出ると、次は『Oggi《オッジ》シリーズ』のショールームに入る。


ショールームに入りながら、腕時計で時刻を確認する。


実はこの場で、社長である有島柾人と秘書の三上健二と待ち合わせているのだ。


何でも、急遽取引先と打ち合わせが入ったとの事で、ショールームで商品を見ながら待機して欲しいとの事だった。


入口で待ち合わせて、そこから役員室が造られたフロアに向かう。そこの説明等もしつつ向かうらしいので、1階での待ち合わせが良いだろうとの事だった。


始業開始時間が8時30分。今はもうすぐ9時になろうとしている。


30分程、ここで時間を潰しながら商品を見ていて欲しいと言われていた。


そろそろかもしれない。


そう思うと、彩葉は顔を赤らめ、動悸と戦うことになった。



◇◇◇◇◇◇



去年の夏。

社長である有島柾人に体当たりしてしまうという出会いを経て、アリシマ・ファニチャーで働きたいと強く思った。


正直、大人の色香に惑わされ、一目惚れだ。


下心が機動力となり、猛烈な勢いで資格の取得や大学での教授へのアピール、アリシマ・ファニチャーの職員へのアピールをしてきた。


と言うのも、懇意にしていた大学の教授とアリシマ・ファニチャーの人事部長が懇意にしているという、彩葉にとってはミラクルな出会いがあった。


これは活かさ無い手はないと、教授には、自分が『キリト・アリシマ』のデザインをどれ程崇拝しているか、アリシマ・ファニチャーで、社長である有島柾人氏の側で役立ちたいかを毎日のように訴えた。


少しゲンナリした表情の教授は、苦笑いも合わせながらアリシマ・ファニチャーの人事部長でもある鈴原部長と会わせてくれた。


そして同様のアピールを面接でもないのに、浴びせかけるかのように鈴原部長に行った。


『Semper《センプレ》シリーズという商品が発売されたばかりなんだが…』


鈴原部長はセンプレシリーズのカタログをテーブル越しに彩葉に渡してきた。


渡されたカタログを捲ると、そこにはOggiシリーズとは真逆とも言える一般的な家に合う温もりを感じるような木目調の家具デザインが映し出されていた。


『…コレ…好きです。…角は全て丸みを帯びていて、使っていく度に“味“が出るような…』


思わず笑みを浮かべながら商品カタログを捲る。


『…コレを商品検討する時の会議でね、社長が珍しく商品のイメージから創った事を語ったんだ』


『社長』と言われた言葉に、彩葉は顔を上げ、鈴原部長を見た。


『社長…基本はデータとか確実な情報を語る事が多いんだよ。この壁紙が人気なら、家具はこのカラーが良い…みたいな。』


その言葉に、会社を大きくした彼の手腕の一部を見た気がした。


『でもこのシリーズだけは…』


鈴原部長が嬉しそうに笑顔になった。


『庭があって…住人が好んだ四季の樹木が植わってて…四季が移ろう時にはその樹木が表情を変える。…それを家の中で寛ぎながら見る。…そんなイメージの家具を作りたいと思った…と。』


そんなことを語る社長は珍しいので、言った内容を鮮明に覚えていると鈴原部長は口にした。


『…君の話を聞いて確信した。キッカケは君だね。…面白い。…オッチャンに任せとけ。』



それ以降、鈴原部長と会う事は無かったが、面接が全て終わり、採用され、配属先を見て心臓が止まるほど驚いた。


何せ『社長付き秘書』だ。


どう考えても、鈴原部長の力が発揮されている。

彩葉の下心がモロバレの部長が捻くり回して、配属が決まったのではないかとすら思った。むしろそれしか無いのでは。


社長付き秘書は猛烈に嬉しい。


動機の最初は下心でも、社長の仕事の役に立ちたいと思ったことも本当だ。


ただ。お節介を人の形にすれば鈴原部長になるのではないかとという程の人が社長の近くにいた事。


入職一日目を迎える前から、彩葉の恋心は社長に伝わっているのではないか。そんな疑問が消えてくれない。


そう思うと、ひたすら動悸がして緊張が高まった。



◇◇◇◇◇



早朝から打ち合わせに駆り出された柾人と秘書の三上は、予定していた帰社予定の10分後に社屋の前に到着した。


「では私は車を置いて直ぐに戻りますので、社長は庭木さんと合流していて下さいね」


車の窓を全開にして柾人にそう告げると、三上は柾人の返事を待たずに車を発車した。


社屋の入口で取り残された柾人は、三上の慌ただしさに小さくため息をついた。


今日も慌ただしい日々の始まりだ。


そうして顔を上げると、入口横に設置されたショールームの中にいる彩葉が目に入った。


朝日が射し込むショールーム。


Oggiシリーズが展示されている。メインである『カラー』をイメージとして使ったチェアの横に彩葉が立っていた。


鋭角な背もたれを、伸ばした指先で辿る。


見慣れたリクルートスーツは、このシーズンではよく目にするものだ。


しかしそのリクルートスーツを身に着け、優しげな微笑みで『キリト・アリシマ』のデザインした物を触れる彩葉の姿が目に焼き付くほどに印象に残った。


柾人は歩き出すことも少し忘れ、目を離せずにその姿を見た。


その時の焼け付く気持ちは何だったのだろうか。

ひりつく感覚を振り払えずにいた。


そうしていると、ショールームの中でチェアに触れていた彩葉が顔を上げた。


どうやら柾人に気が付いたようで、勢いよく頭を下げた。


そこで柾人も正気に戻った。


よく分からない感情に振り回されている暇は無い。


軽く頭を振ると、気を取り直して、柾人は社屋内へと足を進めた。

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