第2話 真夏の昼間

その日は、手にしたA3サイズの封書を抱え、人混みをすり抜けながら走っていた。


手にしていたのは、イタリアの家具デザインコンテストに応募するデザイン画が入った封筒だ。


ギリギリまで微調整を重ねたデザイン画を封緘し、郵便局へと走っている。


邪魔だと思って、長く少しクセのある髪は、高く括って一つ輪っかを作って纏めた。

しかし必死に走っているうちに輪っかは外れ、緩めのポニーテールになってしまった。



真夏の昼間で、少し走るだけでも汗だくになってきた。


あと少しで郵便局。

その少し手前で、新しい社屋になった『アリシマ・ファニチャー』が見えた。



インテリアデザインが好きだった。


だから、大学もデザイン科に進んだ。

ただ早々に、自分にはオリジナリティが無いと気付いた。


そしてもう、自分は『デザイナー』の道は諦めた。


だからこのコンテストに応募するのは、『コレで最後』という踏ん切りの為だ。

だからこそ、最後は己の力を出し切りたかった。


コレを出してしまえば、後は就職活動に集中する。


幾つか受けているが、このご時世。中々難しい。


そんな状況の私。


『アリシマ・ファニチャー』も知っている。


デザイナーのキリト・アリシマは、憧れのデザイナーだ。


彼は1年前、私が出そうとしているイタリアの家具デザインコンテストで賞を取り、今はアリシマ・ファニチャーで自分のデザインしたチェアを中心に活躍している。


新進気鋭という言葉は、きっと彼のような人に使うのだろう。


デザイナーを諦めたとはいえ、だからこそ、最前線で活躍出来る彼を素晴らしいと感じる。


出来れば、アリシマ・ファニチャーのような会社で働けたらな。


そう思いながら、社屋を見上げたまま走る。


だからだろう。


「うわっ!!」


目の前を横切る人に気付かずに、派手にぶつかってしまった。


「す…っ、すみません!!大丈夫ですか?」


体当たりをしてしまい、押し倒してしまった人を見る。


「あぁ、大丈夫。此方ももう少し注意すれば良かった。申し訳ない。」


此方が圧倒的に悪いのに、優しげな声で謝罪する人を目にする。


スーツ姿の長身の男性。

サイドの髪は短めにカットされ、前髪は自然に流している。

身体に合ったスーツを纏う男性は、思わず見蕩れる程に整った顔立ちだ。


立ち上がった彼は、スーツの汚れを気にすることも無く、私に手を伸ばした。


「慌てていたんだろうが、気をつけた方が良い。怪我をして、良い事は何も無いからね」


そう言うと、私の手を取り立ち上がるように促される。

惚けたまま、促された手を取り立ち上がる。


その時、踏み込んだ足の下から『バリッ』と何かが壊れる音がした。


明らかに何かを壊した感触に、恐る恐る足を見る。


そこには、踏み潰したメガネがあった。


私はメガネをかけていない。という事は…。


「…あっ」


「あぁぁっ!!」


同時に、私の足元を見下ろしていた彼も小さな声を上げた。


この状況。どう見てもこの踏み潰したメガネは、目の前の彼の物だろう。


「すみませんっ!!すみませんっっ!!本当に重ね重ねっ!!」


平謝りと言うのは、正にこういうことだろう。

その見本のように何度も頭を下げ、必死に謝る。


その様子の私に、彼はポンッと肩を叩く。

そして私は、彼の顔を見る。


少し困ったように微笑んだ彼は、とても優しげだった。


「大丈夫。もう1本メガネあるし、今はコンタクトだから。実はこのメガネ、ネジを締めても締めてもすぐ緩んで困ってたんだ。もう限界だったんだろうね。だから気にしないで」


「でも!!」


だからといって『良かった』と安心する訳にもいかない。


「大丈夫。それより…」


彼は私の言葉を遮り、足元に落ちていた封筒を手にした。


「これはイタリアに発送する大事なモノだよね?」


そう言って、彼は手にした封筒の宛先が見えるように私に見せた。


「はい。コンテストに応募するモノです」


「…ウチの桐人も、去年コレに応募していた。」


少し懐かしむような笑顔になり、そして彼は裏書を見た。


「“庭木 彩葉“さん?…ふふっ、庭の木の葉が彩る…。素敵な名前だね。そんな庭をお持ちの家に相応しい家具をウチも造らないとな。…頑張って。じゃあ。」


笑いながら、彼は封筒を私に手渡した。


「…ありがとうございます。」


そう言って、彩葉も笑顔を見せた。


“彼“の傍で仕事をして、役立ちたい。



有島柾人と出会ったその日に、そう思った。

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