第9話 展開
署員の半分は聞き込みに回っていた。
もう半分はジェイミーに協力して、さらに一般カードのリストに取り掛かっていた。
「CE!」ミシマが急に大声を出したので、全員驚いて振り返った。
「これは……」
何事かとCEはミシマの席に近づいてきて、ミシマが見ているデスクトップの画像を見た。
「ああ……」CEも溜め息のような声を漏らした。
誰もが集まって、同じ画面を覗いた。
壁に埋まった、何か、細長い円柱の中に、三人の子供たちが立っていた。
水中に閉じ込められたらしいその子供たちは、生気のない目をこちらに向けながら静かな表情で立っている。もう、苦しんでいない。
三人とも何も身に着けていない。
一人はティーンになるかならないかに見える女の子。少し膨らみかけた乳房、陰毛もなく、幼さが見える体に、妙に大人びた顔をしていた。その前に二人の幼い男の子。
――ジョシュとラニーだった。
「何なのこれ……」CEの問いかけに
「ジョシュの情報提供用に父親が開設しているHPです」ミシマが答えながら、画像の全画面表示を閉じて、HPの表示に戻した。
『この世はあまりに汚れに満ちている
この無垢な魂は、いずれ汚され、この世と同化する
この子たちは、あまりに美しい
大人になることは残酷だ
このまま、時が止まれば、この子たちは美しいままでいられる
私の妖精たちよ
君たちは、もう、その門を開けた
君たちは、もう、それを約束された
永遠の無垢を手に入れた私の妖精たちを見よ』
三人の画像にはポエムが添えてあった。
「すぐにジョシュパパ……ベアリー氏に連絡して。HPの権限をこちらに渡してもらって。ミシマは送信者の特定に全力を挙げて。本部にも協力を仰いで。それから、このHPはすぐに閲覧できないようにして。こなんもの、世間に広めるわけにはいかないわ。これがUPされたのはいつ?」
「ほんの十分ほど前です」
「いいわ。よくチェックしてたミシマ。送信元を特定して」CEがそう言い終わらないうちに、署の外で物凄いブレーキ音がした。
窓からのぞいたジェシカが
「ジョシュパパが、あちらから出向いてくれたみたいです」と憂鬱そうに呟いた。
「頼む! 教えてくれ! あれは、合成写真だって、警察はもうわかってるんだろ? 誰かのタチの悪い悪戯だとか、つなぎ合わせのミスを確認したとか、もうわかってるんだろ? 頼む、言ってくれ、あれは本当の写真じゃないって……私のジョシュは……まだ、生きているって……」
ジョシュパパは、いつもの魅力的な紳士の面影を封印して、鬼のような形相で飛び込んで来た。
警察は何をしていたんだ! お前たちはみんな無能だ! といったたぐいの罵りをいくつか繰り返した後、今は、泣きながら懇願していた。
「ベアリーさん、時間がありません。送信者の特定を急がなければならないので、協力をお願いします」CEは少しも動揺することなく、まさに淡々と業務を進めた。
もう、抜け殻のようになったジョシュパパは「ああ」とため息を吐きながら、ミシマに管理者権限を渡して帰って行った。
「何をやっていた……か。そう言われても仕方がないわね。ジョシュは、おそらく、ラニーが誘拐されるまでの間、犯人の下で、生きていたんだから……」
ジェシカがモニターに映る、どんよりとした目のジョシュを見ながら、呟いた。
そのとおりだ。
ジョシュとラニーの神隠しには四〇日以上の開きがある。
その間、ジョシュはこの犯人のもとで、生きていたんだ――。
犯人に手が届きそうに思えていた署内の雰囲気は、一気に暗く沈んだ。
「ショックを受けている暇はないわ。ジェシカは本部の家出人捜索係に応援を頼んで、この女の子の身元を調べて。彼女を見つけるのよ。まだ、誰も知らない彼女を」
(ジョシュの画像は、ジョシュパパが世界中に拡散させている。でも、ラニーのことは、神隠し自体、あまり知られていない。そのラニーの画像まで偽造した悪戯だとは考えにくいだろう――おそらくこれは、犯人本人からのメッセージなんだ……)僕はそう考えながら、閉鎖される前にHPのコメントや画像を自分のデスクトップに保存した。
(この子たちは美しいだろうか――)
まだ、生きているように開かれた目と、ふっくらした頬。
その瞳はどんよりと曇り、その頬がばら色に色づくことは、もうない。
その肌の色は、まるで自分のようだとミッチェルは思っていた。
美しかった子供たち……
救えなかった。きっとまたジェイミーは痛いような顔をしているのだろう。
「CE」ジェシカが本部から送られたメールのプリントアウトを持って、CEのデスクに向かったのは翌日の夕方だった。
「家出人捜索係をせっついて、検索結果を問い合わせたところ、顔画像鑑定の検索範囲を間違ったらしくて……過去一年の捜索願・家出人届の出ているもので検索してもらうよう依頼していたものを、過去一〇年で検索していたようで」
「何やっているのよ」
「それが……おかげでヒットしたんです。五年前に家出人として届け出られていた少女に」
「五年? じゃあ、誘拐された時は、ジョシュやラニー同様、幼い子供だったものを、今まで育ててきたってこと?」
「いえ」データを手渡しながら、ジェシカは言った。
「その家出人の少女、カレーナ・ロイドハットは、顔画像鑑定の結果、かなりの高確率で水槽の少女と同一人物だそうです。届け出が出た五年前に十一歳でした」
一瞬署内が静まった。水槽のカレーナは十六歳には見えない……
「時を止めた……」ベンのつぶやきに、ジェイミーの視界が少し震えた。きっと背筋がぞくっとしたのだろう。
「そんな美しい物じゃないわ」
おそらく、CEの考えは僕と同じだ。
「この三人は、ホルマリンか、その類の物に漬けられているのよ――時を止めたのでも、妖精になったのでもないわ。腐敗しない死体にされただけよ」
五年前のカレーナに関する資料では、十一歳の少女は、穢れを知らない妖精ではなかった。
家出の常習犯で、夜の町で、いかがわしいサービスをしては、大人の男相手に小金を稼いで、遊ぶような子供だった。
母親はもう、いちいち捜索願など出さないようになっていたが、学校の担任が警察に相談していた。
地元の警察からは、捜索したとの報告が来たが、資料を見る限り、当時、小さな娼婦として名が通っていたカレーナのことは、見つけたら連絡する程度に処理されていたようだ。
「CE……」ミシマがCEに声を掛けた時、他の署員は円柱の水槽の販売業者を当たっているところだった。
「そろそろいい話?」流石のCEも、疲れているようだった。
「この、白のA200dなんですが」ミシマがラニーの時の車載カメラ映像から取った、白い車の写真を指しながら言っていた。
「持ち主が分かったの?」
「いえ、この地域のA200dの所有者と、この時間帯近隣の店舗でカード決済した者にヒットはなかったんです。情報量は膨大になりますが、検索条件をあいまいにして続けてたところ、さっき、ちょっとしたヒットがあって……」CEが興味を持ったように、ミシマのデスクに寄って来る。
「この車種の所有者の中に、アンジェラ・ロイスという女性がいるんですが、息子がデイビット・ロイス」
その名前が出たとたん、署内がミシマに注目した。
「デイビットがこの時間、ラニーが見惚れてた看板のあるハンバーガーショップでカード決済をしています。おそらく母親名義の車で、この息子が使用しているものと見て、路上駐車してたのはこの息子で間違いないと思うんですが、デイビット・ロイスで調べたところ、つい最近、この署で事情聴取されたリストに名前があるんです」
今度はCEがこちらを見た。
「デイビット・ロイスの事情聴取をしたのは、私です」ジェシカが申し出た。
「どんな事件?」
「事件にはなりませんでした。被害者が被害届を出さなかったので」
「……レイプ事件?」
「はい」
「凶悪犯罪よ」
「私も、そう思います」
「いいわ。このデイビットに、任意で事情聴取を行う」
「前回は、父親が弁護士を手配して自ら出頭してきています」
「ふん。金持ちの坊ちゃん? 任意で引っ張るのは無理そうってことね?」
「そう思います」
「歳は?」
「大学生ですが、年齢は二十四歳になっています。大学はあまり熱心に通っていないようで、現在は休学中です。」
「カレーナの時は、十九歳だった――大学生になっている……でも、今現在は休学中」
CEは少し考えて
「いかがわしいローティーンを標本にした男とレイプ犯ね……そのレイプ事件は、立件できない状態だったの?」
「条件は十分でした。被害者の意思です」
CEはまた少し考えると
「そのレイプ被害者に会いに行くわ」とジェシカを目で促した。
「カレンに触るな!」ジェイミーが大きな声を出した。
「あら、びっくり。私に言ったのかしら?」
「CE、私も、カレンの件を掘り起こすのは……」ジェシカの言葉をかき消すように
「カレンはやっと立ち直ろうとしてるんだ。彼女のことは放っておいてやってくれ」とジェイミーはCEに頼んだ。
「ブラウン刑事、事件はあったのよ。無かったことにはできないわ。犯罪が行われたことを知っていたら、通報するのは市民の義務よ」
「自分の精神をズタズタにしてまで、負わなければならない義務じゃない」
ジェイミーの口調が荒くなっている。
「彼女がちゃんと戦っていれば、デイビットは今頃檻の中にいて、ラニーは無事だったかもしれないのよ」
「カレンは被害者だ! 加害者のように言うな!」
「上官に対しての口の利き方に気を付けなさい、坊や。その女性は、これから先、たまたま飲んでいたバーでデイビットと鉢合わせすることがあるかもしれない。ニヤニヤ笑ったデイビットが近づいてきて、『やぁ、君。あの時は楽しかったね。これからまた、どう?』なんて言うのを、恐怖と恥辱で吐きそうになりながらも、その顔に平手を食らわせてやることもできないのよ。あの時、逃げたから――その可能性については教えてやったの?」
「その時は、俺がデイビットを殴ってやるさ」ジェイミーは完全に頭に血が上っている。
「あら、かっこいい」呆れたようにCEが笑った。
「ジェイミー落ち着きなさい」ジェシカの制止も聞かずに、ジェイミーはブチ切れて
「カレンの事件は立件できない。俺がカレンと寝てるから」と言い放った。
「は?」CEの顔に張り付いた嘲りの表情が一気に落ちた。
「は?」ジェシカも不思議な話を聞いたような顔をしている。
「は?」署内全員が耳を疑った。
「俺は、あの時、あのレイプ事件の担当刑事だった。その俺と、寝てるんだ。検察はいい顔しないと思うよ。カレンの事件は使えない」
ジェシカが頭を抱えている。ジェイミーが無い頭で考えたハッタリだと思っている。
「レイプ被害者と寝てるなんて、悪趣味なハッタリよ……」CEもそう思っていたらしい。
「ハッタリじゃない。九月十五日、俺の非番の日だ。彼女の泊まってるウィングホテルに夕方二人で入った。翌朝早く俺だけで出ている。彼女に確認しなくても、ホテルの防犯カメラはまだ残っていると思うよ。夜通しカードゲームをしていたわけじゃないさ」
CEが怒りに顔を歪ませている。
ジェシカも同じ顔をしている。
「事件の被害者に欲情するなんて、どんなアホ刑事なの! あなたの処分について、署長と話してくるから、首を洗って待ってなさい!」CEは烈火のごとく怒ってツカツカと部屋を出て行った。
「ジェイミー、あなた何てこと……」まだ、ジェシカが残っていた。
さすがに頭が冷えてきたジェイミーも、「分かってる」と小さく返事をした。
「分かってないわ。あんた自分が……」続けようとするジェシカに
「それはさっきCEが言った。お前まで言う必要があるのか? だいたい、カレンの事件はもう済んだことだ。今は被害者と刑事じゃないんだから、付き合ったって問題ないだろ。そのおかげで、あの子を引っ張り出さずに済んだんだ。ジェイミーのお手柄みたいなもんだ。それとも何か? お前まで、あの女の子を引っ張り出してデイビットを押さえるって考えに賛成なのか? どんだけCEに毒された」
「はあ? 何言ってんの、ベンジャミン」ますます怒りが増すジェシカが言い返すと
「ベンジャミン? なんで、いつものようにベンと呼ばない」
「別にたまたま……」
「まるでCEみたいだな。お前はすっかりあっちの組か」
「何が言いたいのよ」
「お前こそ、どっちの味方なんだ」
まさに二人が掴み合いになりそうなところで、ドアが開き、CEがもとの冷たい表情で
「うるさいわよ――ブラウン刑事、しばらくあなたは自宅謹慎になったわ。帰りなさい。ジェシカ、これからデイビット・ロイスを訪ねるから、一緒にきなさい」と言った。
「来いってよ。行けよ」ベンがジェシカを追っ払うように言った。
まだ怒りが収まらない顔で、ジェシカは出口に向かうと、振り返って皆を見た。
皆が同じ顔をしていた。
ジェイミーとベンと俺たちはチームだ。お前は? と。
「はぁ」ベンが大きく溜め息をついた。
「ごめん、みんな、俺のせいで。空気悪くしちゃって」ジェイミーもすっかり肩を落としていた。
「気にすることないさ。ま、謹慎処分は気にした方がいいけど」
「だな」
「でもよ、ベンの言う通り、もう事件じゃないんだから、謹慎処分って必要か? CEにまた、署長、丸め込まれちゃったんじゃないの?」
「減給かなぁ」情けない声を出すジェイミーに、
「かもなぁ」
「かもなぁ」
「かもなぁ」
「かもなぁ」とみんなの返答が合わさった。
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