第10話 シンシアとミッチェル
人混みは嫌いだ。
人混みも僕が嫌いだ。
車椅子を邪魔そうに避けて通り過ぎながら、僕に気味の悪いものを見た時の、あの目を向けていく。
別に、慣れっこだけど、いい気分はしないから、僕はニット帽を目深に被る。
電動車椅子があった頃は、自分で出かけたこともあった。
大学も、何度か自力で通った。
長い時間はいられないけど、ラボに入れる日は、嬉しかった。だから、多少の嫌な思いはクリアできた。
繁華街はもってのほか。
僕が来るところではない。
人混みの中を、縫うように車椅子を進めながら、シンシアだって進みにくいだろうに、いやに楽しそうに、話しかけてくる。
どこに行く? 何が見たい? 何がしたい? ここ入る?
シンシア――君が欲しいものを探しに来てるんだから、僕に聞かないでよ……
結局、シンシアがちょっと寄りたいと言った唯一の店はクラフトショップだった。
目玉商品のコーナーで、「あ、これ安い」「うわ、これ綺麗」と棒に巻き取られた布地の山から、宝探しでもするように一本、また一本と抜き取っていく。
これのどこがいいのか僕にはさっぱりわからないけれど、シンシアは作る人なんだ。それは評価したい。
少し離れた、比較的すいているコーナーへ車椅子を寄せると、シルバークレイが売っていた。
僕がネットで買ったものより、随分安い。
「あ、これ安い」僕は、シンシアと同じことを言っていた。
側に、いろろいなパーツや、制作用のキット、補助材料が並んでいた。
「うわ、こんなのあるんだ。これがあれば、あんなに苦労しなかったのに――」
やっぱり、ネットって便利だけど、見て選ぶに勝るものではないな……などと考えながら、僕は不本意にも夢中になってしまって、シンシアがそんな僕を見て、満足そうにほほ笑みながら、自分の会計を済ませたことにも気が付かなかった。
「結局、僕、なんにも君に奢ってないけど」
帰り道、そういう僕に、
「高い口止め料だからね。また今度、じっくり考えて強請るわ」とシンシアは笑った。
なんとなくわかる。
君は、きっと、こうやって、何度も僕を連れ出しては、結局なにも奢らせないんだ。
勢いで買ってしまったシルバークレイの入った紙袋を見ながら、(何か作ろうかな?)と思った。
「君は、何を買ったの?」
「柄物のジョーゼットと、毛糸と、あと、このレース、すごく奇麗なのに、ハンパ物だったみたいで、嘘みたいに安かった」
「何作るの?」
「うーん、ぜんぜんまだ決めてない。いつもそうなの。作りたいものがあって買いに行くんじゃなく、生地に惚れて、買ってから、さぁて、何作ろうかなぁって。だからまだ、使ってない生地が家にけっこーあるの。これって浪費だよねー。でも、やめられらないのよねー」
その気持ち、少しわかる。僕も、ついさっき、同じことをした。
凝った模様の繊細な生地を見て、何となく思ったことを、口にしてしまった。
「浪費じゃないさ。僕も綺麗だと思うよ。そのレース――花嫁のベールみたいだね」
シンシアが複雑そうな表情をしたのを見て、言ってしまったセリフを後悔した。
まずかった?
「今年はもう涼しくなってきたから、来年の夏用に、ちょっとしたカーディガンでも作ろうかなって」
まるで聞こえていなかったみたいなシンシアの返事に、ちょっと気持ちがモヤモヤした。
「バスに乗る?」
「ううん。まだ時間早いし、歩いて帰りたい。天気もいいし。お散歩兼ねて」
きっと、ジェイミーが出掛けてしまったことに、シンシアもモヤモヤしてるんだろう。
「僕はいいけど。ずっと押してたら、シンシア、疲れるでしょ」
「楽しいことは疲れないの!」
明るくて、優しくて、聡明なシンシア――
だから、こんな僕でも惹かれるんだ。
でも、ちょっとわかるんだ。今のジェイミーの気持ちも。
何もかもうまくいってなくて……輝かしい人生を送ってきたジェイミーが、毎日ため息をついている。
きっと、情けない自分が嫌なんだ。
謹慎処分になったのは、知っている。
原因は分からないけど、みんなに慰められていたのは見てしまった。
失敗なんて、ジェイミーは数限りなくしてきた。無茶は日常茶飯事だ。
でも、今までのジェイミーは、失敗だって楽しんでいた。
苦しんでいるのは初めてみる――
こんな時、こんな自分をシンシアに見せたくない。そう思ってるんだよな。
――それ、すごいわかるんだ。
そして、今、自信の無い自分を、憧れの目で見てくる、まるで崇めるように求めてくるあの女の子。
あの子の存在は、今のジェイミーには魅力的な逃げ道だ。
うまくいってないから、ジェイミーは迷い込んでいるだけなんだ。絶対、シンシア、君を嫌いになったとかじゃないんだ。
僕の心の叫びを知ってか知らずか、シンシアは独り言のように話し出した。
「子供の頃から、何か作るのが大好きだったの――夢は、自分のウェディングドレスを作ることだった」
いいじゃない。なんで過去形? まだ若いのに。僕らより二つ年上だから、二十七歳でしょ?
「今は、夢じゃないの?」
何でもないと思ってる素振りのために、敢えて際どいことを聞いてしまっている自分にドキドキしなが、そう返すと、シンシアは、少し、歩く速度を速めて
「うーん、今の夢は、元気で長生き!」と言った。
「なんだよ、それ。年寄みたいな……」
「あー、分かってないわね。若いうちから、意識してないと、健康で長生きはできないのよ。体にいいことして、精神を健やかに保って――だから、ミッチェルも、毎日リハビリちゃんと行って、体力と筋力をつけて、美味しいものを食べて、天気のいい日は外に出て、健全な精神を育てなきゃ」
「僕の話になってるし……」
「みんなで長生き!」
「――僕には、長生きは必ずしも幸せじゃないな……」
いつものシンシアに戻ったようで、嬉しかったのに、なんとなくこの話題は、正面から賛同できない。いつも、みんなそうだから……
「何てこと言うのよ。バチあたるわよ。みんなミッチェルが、幸せに、元気で長生きすることを願ってるんだから」
「だからだよ――」
「ん?」
「十日も生きられないって言われた僕が、二十五歳まで生きた。これは、もう、長生き。みんなのおかげ。みんなも喜んでくれてる
――でも、普通の人並みに長生きしたら? 七十歳や八十歳まで生きたら? 考えただけでゾッとするだろ? パパもママも、これからどんどん歳をとる。今だって、ママが腰を痛めたのは、長年の僕の介護のせいだよ、きっと――ジェイミーだって、あいつにはあいつの人生がある。でも、僕は一人で生きて行くことができるようにはならない。誰かの手を煩わせないと生活できない――近い将来、福祉施設に入るしかないんだ。それって、幸せ?」
「そんな、ケイトだってジャックだって、絶対ミッチェルが幸せだと思わない道なんて選ばないよ。ジェイミーだって」焦ったようにシンシアが僕の顔を覗き込んで抗議する。
「そうだよ。そうなんだ。家族はみんな、どんな犠牲を払ったって、僕が幸せに過ごせる道を選ぶんだ――この町が、僕が生きて行くための制度が充実してるって思ったから、パパは前の仕事を辞めて、この町で再就職した。ママだって、本当なら、子供が少し大きくなったら、また働くつもりだったと思うんだ。外に出て、人と関わることが好きな人なんだから。でも、僕がいるからできなかった。しなかった。
ジェイミーだって、あいつは、何のスポーツだって、プロとか、目指せたと思うんだ。実際、スカウトがあったのも知ってる。高校の時も、大学の時も。パパもママも、行っていいって言ったけど、ジェイミーは、ここで警官になるってけっこう小さい頃から決めてた。家族の側にいることを選んだんだ。きっと、自分ではもう無意識に……そう、みんなもう当たり前みたいに僕のことを想ってる。どれだけ自分の時間を、チャンスを犠牲にしてるか知れないのに。僕が施設に入るって言ったら、きっと家族は、そんなことをしないで暮らせる方法を一生懸命探すだろ? それって、みんなにとって幸せだと思う? ジェイミーが僕の面倒を看るって言ったら?
ジェイミーと伴に人生を歩もうと決める女性は、僕まで背負いこむことになる。そんなことさせられないだろ? 家族が犠牲になるの、僕だって幸せじゃないんだ」
「ミッチェル……」
私は犠牲だなんて思わないと言いたかった。
でも、ジェイミーと伴に人生を歩むのが自分だとは、思えなかった……
他の誰か……美しい誰か……魅力的な誰かが、ジェイミーに愛されて、ジェイミーをうっとりさせる……その誰かがミッチェルの介護も喜んでしますと言うかと問われたら……シンシアには返す言葉が無かった。
「君だってそうだよシンシア。毎日毎日やって来て、僕の介護をしてる。肝心のジェイミーには会えない日ばかりなのに……怒っていいはずなのに、君ときたら僕よりも僕のためを考えて、乗り気じゃない僕をリハビリに通わせたり、家の中ばかりに居る僕をこうして街に連れ出してみたり、毎日の食事だって――僕は胃瘻から必要な栄養は取ってるのに、胃瘻の方が安全なのに、食べる楽しみを知らないのは人生損してるって、何とか口から、少しでも食べれるようにって、手間暇かけて……ほんとにみんな……鬱陶しいくらいお節介で……」
「……迷惑だった?」後ろから聞こえるシンシアの声は、少し震えていた。
「ホントに……」こんなこと言っちゃいけないのに、止まらない……
僕はニット帽を口元まで引っ張った。でも、顔に付かないように浮かせた。濡らしたくないから。
シンシアは歩みを止めたまま黙った。
どうしていいか分からないんだろ?
だからって、僕を放って帰るわけにもいかないし、こんなに努力したのに、迷惑だって言われた虚しさで――撃沈されてるんだ。
もう、僕は幾度となく、こんなふうに家族を傷つけてきた。
でも、仕方がないんだ。本当のことだから。
愛情だけでは――どうにもならないこともある……
でも、シンシアは、家族じゃない。
こんなふうにしちゃいけなかったんだ。もっと、距離感をもっていなければならなかった。
なのに、踏み込み過ぎた――女子トークだから……
「ホントに、迷惑だよ。僕は頼んでもいないのに――そんなことされるとさ……僕だって思っちゃうだろ――」僕の声も震えていた。
「――幸せだなって……」
「ミッチェル!」シンシアが後ろから車椅子ごと僕を抱きしめた。
喉がしゃくってしまっているのが、きっとばれてる。せっかく顔を隠してるのに、これじゃ、何の意味もない。
シンシアが、少し笑っているのが伝わる。
シンシアの腕は、暖かい。
「――ミッチェル……これから先、ずっと先も、私がジェイミーと一緒にいるかどうかは、正直分からない――でも、もし、ジェイミーと私が上手くいかなくなる日が来ても、ミッチェルは私の大切な友達よ――困った時には頼ってほしい。寂しい時は呼んで欲しい――いつでも――女子トークしようよ」
僕は少し噴き出して「泣かせるね……」と返した。
シンシアが僕を放して、車椅子を押しながら「家に帰ろう」と言った。
すごく暖かい言葉に聞こえた。
「あ、ジェ……ジェイミーに言わないでよ、こんなこと。僕が泣いたなんて絶対」
「うーん、どうしようかなぁ。ジェイミーの気を引くためなら、話しちゃうかも」
「でたよ。好きな男が絡むと、女子の友情なんてあっけないもんだね」
「そうなの。よく分かってるじゃない」
シンシアがいつもの調子に持って行ってくれたので、喉のしゃくりが止まった。
やっぱり君は聡明な人だよ。
何か作ろう――
シンシアに、いつものお礼に……今日の嬉しい言葉のお礼に……
綺麗ごとだと、少し前の僕なら思ったかもしれない。
でも、シンシアの言ってくれたことは、例えホントにならなくても、僕の胸の中を、すごく暖かくしてくれた。
久しぶりのクレイアートに、試行錯誤を繰り返す。
この作業は、結構好きな時間だ。
何をつくる? どうつくる? どう飾る?
頭の中にイメージがいっぱい沸いて、ちょっと渋滞気味。
白い油粘土で造形を練習する。時間が経つのを忘れる。
シンシアは、帰った。
今日、ジェイミー遅いのかな? とも言わなかった。
何か感じてるのかな?
ジェイミーは今朝、シンシアが来た途端に、支度をして出かけた。
勤務でないことは、僕だけが知ってる。
「あれ? 仕事これから?」と聞くシンシアに
「まぁ」とそっけなく答えてジェイミーは出て行った。
謹慎中だから……
謹慎処分になったこと、シンシアには知られたくないんだろう。家族も知らないことになっている。僕は知ってしまったけど。
シンシアが買ったレースを思い出した。
繊細な造形を作りたいと思った、
PCを立ち上げて、レース模様を検索する。
クレイの銀は強度が弱い。しっかり焼きを入れても、あまり細い造形だと脆くなる。
ジェイミーのピアスも医療用樹脂でコーティングした。それも、少しは傷を防ぐ効果がある。繊細で、あまり華奢じゃない造形……
思いつくままに文様を検索して、眺めていたが、ふと、ジェイミー遅いな……と思った。
イメージを落ち着かせるため――と自分に言い訳しながら、アプリを開いた。
ジェイミーは、暗くなった街を歩いていた。
人通りはまだ多い。
暫くして、ラニーが居なくなった通りだと気づいた。
何か、思いつきたいんだ。
何とか、手掛かりをつかみたいんだ。
何度も通りを行ったり来たりして、離れて、また近づいて、手に入れようとしていた。
現場に落ちている、些細な、チャンスを……
僕も同じ目線で、周りを見渡す。
多分、通ったことは無い。でも、この通りは嫌い……
わかる……ジョシュの家の周りもそうだった。こういう通りは僕は嫌い……
僕が嫌いなものは世界中に無数にある。僕は、綺麗なものに移ることにして、アプリを閉じた。
ちょうどその頃、ジェイミーはラニーのいた本屋の前から、ラニーの家まで歩き終わって、ため息をついたところだった。
こんなことをしていても、何にもならない。
署の連中は、今、何をしてるいのだろう……
捜査はどこまで進展したのだろう……
スマホが震えたので、反射的にジェイミーはジーンズのポケットに手をやった。
着信メールが一件。
【明日、新しいマンションに引っ越しします。
ダビデ
ありがとう。もう、私、大丈夫です】
カレンからのメールだった。
冷え切ったジェイミーの心臓が、少し熱くなるような気がした。
カレン……
ジェイミーはカレンの登録をタップしていた。
『もしもし?』驚いたような、それでも嬉しそうなカレンの声が返ってきた。
わかってる。ダメなんだって。
でも、カレンに会いたかった。
「明日……俺、非番なんだ――引っ越しなら、手伝おうか?」
『……ホント? いいの?』カレンの言う「いい」の意味は、引っ越しのことではないかもしれないと、感じながら、ジェイミーは答えていた。
「ほら、引っ越し業者って、男だろ? 心配だから」
カレンが、もう大丈夫と言ったのに、わざわざ不安を煽るようなことを言っていた。自分でも、心配なんて言い訳だと感じていた。
ただ、カレンに会いたいだけだった。
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