第8話   新たな神隠し


ママとシンシアの話声で目が覚めた。

 なんとなく、シンシアの顔を見るのが気まずい。僕が悪い訳じゃないのに……

「あら、ミッチェル起きてる?」ママが部屋を覗いて言っていた。

「うん……」首だけを少し上げて、もう起きる意思をつたえると、ママが腕をマッ

サージしてくれた。

「椅子に移るなら、私がやるわ」シンシアも入って来て、車椅子を寄せた。

 今日も素敵だよシンシア。絶対、君がこの世で最高のジェイミーの恋人なんだ。

 声にはできないけど。

「ねぇ、ミッチェル。昨日、ジェイミーって、当直だったっけ?」

 ママ、なんで、今、そんなこと僕に聞くんだよ。

「今朝、早く帰って、着替えて、また出て行ったの。一昨日、当直だったのにね」

「今、なんか本部からジョシュ事件の関係で、怖い人が派遣されて、大変だって言ってたから」

「ああ、ジョシュ君ね。あの子、どうなっちゃったのかしら――この町で、こんな事件が起きるなんてね。ごめんね、シンシア。昨日もバスで帰ることになっちゃったし……もう少し、勘弁してやって」

 ママも、毎日来てくれているのに、全然ジェイミーに会えずに、家事ばかり手伝わせてしまっていることを申し訳なく思ってるんだ。

「うん――仕事なら……」

「何? 浮気でも疑ってる?」ママが可笑しそうに言った。

「……」

「……」

「……」 

 やめてー、皆で黙り込むの。耐えられない……

「も、もう大丈夫。椅子に移してくれる?」

 ママのマッサージを止めながら、僕が言うと、

「シンシアお願いできる? 私、トイレに行ってくる。ミッチェル、【ココア】向こうに出すからね」と言いながら、ママは部屋を出て行った。

 ずるいよママ……

「――さっき、洗濯しようとしてたら、ジェイミーのシャツに、口紅みたいな汚れがついてて」

 僕の腕を自分の肩にかけて、僕を車椅子に移動させながら、シンシアが言った。

 どひゃー、馬鹿ジェイミー、何やってんの。

「そりゃ、刑事だから。女の人を取り押さえることだってあるだろうさ。酔っ払いとか、夫婦ゲンカとか……」何で、僕が言い訳しなきゃならないんだよ。

「シャツの……裏側についてたの――それって、ジェイミーの体についてたんじゃない?」

 ひぇー、洞察力が鋭いですね、シンシアさん。顔を覆ってしまいたくなるのを僕は必死に堪えた。

「いや――ジェイミーだよ?」僕は訳の分からない答えの出し方をした。

 シンシアが無言のまま目に疑問符を浮かべている。

「あいつ、多分、四割くらいの確率で、シャツ、裏返しに着てるよ」

「えー?」やっと、シンシアが少し笑ってくれた。

「そうかな……なんか、ジェイミー……もしかしたら、私との……じゃ満足できてないのかなって、ちょっと思ってて……」

「ちょっとぉ、僕にセックスの相談なんかしないでよ」

「ああ、ごめん! また、女子トークしちゃった」

「女子にカウントしないでよ……って、女子同士って、お互いのセックスの報告しあうの?」

「いや――うん、結構するかも」

「マジー!」これは、びっくり。

「若い時よ、若い時。ほら、男の人にはなんとなく、知識を得るチャンス、いっぱいあるじゃない。でも、女子は、自分のが、ちゃんとできてるのか、不安なのよ。だから、初めての頃は、友達と、どうだった? みたいな話を、結構したりして」

「ひえー」想像もできない。女の子達がお茶しながら、セックスの報告をしあうなんて。

「女子は、『ああ、みんなも一緒なんだ』ってわかると安心するの。例えば、『今日の生物のテスト、全然できなかったー』って言った時、相手が『私もー』って言ってくれたら、安心するみたいな」

「それ、何の解決にもなってないけど?」

「そう。でも、同調してもらうことで、気持ちが楽になるの」

「……」

「あー、馬鹿にしてるでしょ」

「だって……」僕には経験のないことだから。

 友達とテストの点数を心配しあったことも無い。いつも別室や配信受験だったし……そもそもテストの点数が悪い想定をしたことが無い……

 それよりなにより、友達がいたことが無い……

シンシアが車椅子を押してドアに向かったので、つい、僕は止まるように合図して

「僕には、分からない世界のことだけどさ……ま、女子トークに加担するとして――多分、ジェイミーは――何度も求められるのが好きなんじゃないかな……」

 シンシアが驚いたような顔で、こっちを見ている。僕は目が合わせられない。

「いや……双子の勘だけど」わざとらしく付け足した。

「うわぁ、今度試してみよう」とシンシアが内緒話のように答えた。

 僕は片手で自分の目を覆いながら、「これで正しいですか? 女子トーク」と絞り出すように言った・

「もう、サイコー。ミッチェルとの女子トーク止められないわ」とシンシアが返したので思わず、二人とも笑った。




 その日、署にはジェイミーと数名の刑事が残っていた。

 前の晩に、酔っぱらって隣家の庭の池で泳いだ大学生と、夫婦げんかがエスカレートして夫を拳でボコボコにした主婦ファイターが留置されていた。

 ジェイミーは定例通り、交番からのメールをプリントアウトした後、ジョシュパパの開設しているホームページを見ていた。

 昨日より増えた書き込みは、

【私の娘も神隠しにあいました。

 娘が十五才の若さでこの世を去ったの三年前です。私の娘は、葬儀の翌日、まるで生き返ってどこかへ行ってしまったかのように、棺からいなくなっていました。

 私は娘が帰ってくるのではないかと思って常に家の鍵をかけずにいました。

 でも、娘が我が家に帰ってくることはありませんでした。

 警察は、遺体を盗む悪質な犯行だと言っていましたが、ジョシュくんのことを聞いてから、私も娘は神隠しにあったのだとわかりました。

 あの子は、きっと、まだ死ぬには早すぎたんです。だから、神様が連れて行って、きっと、今頃、ジョシュくんと幸せにしていると信じています】

【昨日、ジョシュが私の夢枕に立ちました。

 残念ですが、ジョシュはもうこの世にはいません。

 私にはジョシュに何が起こったのか、分かっています。

 でも、ここに書きこむことは憚れますので、ぜひ、ご連絡を下さい。

 あなたの家の郵便受けに、私のメールアドレスを投函しました】

【ベアリー様、あなたを一目見た時から、もう、私の運命の人だとわかりました。

 ほんとうに可愛らしいジョシュ。

 でも、もう、ジョシュは帰ってこない。

 奥様は、もうすでに、家を出られたと聞きました。

 ああ、トーマス、私は、あなたの子を産むために、ここにいるの。

 私がもう一度ジョシュを生んで見せる。

 あなたは、私と、もう一度人生をやり直すのよ】

 まだまだ書き込みは沢山あった。

 ジェイミーは嫌になってHPを閉じた。

 ジョシュパパはこれを全部見ているだろうか……

 見ているのだろう。ほんのわずかでも、ジョシュの手掛かりを見つけるためなら……

 ジェイミーは重たい気持ちで、別の業務にかかった。

 正気に戻った大学生を放免するための書類を作っていた時、受付の制服警官に通されて、不安な顔をした女性が入って来た。

「あの……息子が、六歳の息子が、帰ってこなくて。近所の本屋に行ったんですが、昼食の時間になっても戻らないので、探しているんですけど、主人に連絡したら、ジョシュくんのことがあるので、警察に行った方がいいって言われて……」

「息子さんが出掛けたのは何時頃ですか?」年かさのホランド刑事が応対した。

「いつも、本屋さんが開くのを待って、出かけるんです。本が好きで。本当はいけないんですけど、本屋さんで読んでいるんです」

「それは何時頃?」

「九時です。ランチには戻るように言ってあるんですけど。今日は、帰ってこなくて」

「本屋には?」

「もちろん、行ってみました。いつものように来ていたけれど、出て行った時間は知らないって。私が行った時には、いませんでした」

「あなたが本屋に行ったのは、何時頃?」

「十二時半くらいだったと思います」

 全員で時計を見た。今、午後三時を過ぎている。

「ジェイミー、CEに連絡しろ」

「はい」


 僕がアプリを立ち上げた時には、捜査会議が行われている最中だった。

 何か、あったんだ。

「行方が分からなくなっているのは、ラニー・クラーク六歳。

 服装は、ブルーデニムのオーバーオールに赤いパーカー。

 母親が探してる段階で、ラニーが通っていた本屋では、防犯カメラを確認してくれているそうよ。ラニーは間違いなく九時過ぎに入店して、十一時少し前に店を出ている。これから、私とミシマは本屋へ行って、カメラのデータを入手する。他のものは、近隣の店のカメラの画像を押さえて。今度は商業地域よ。防犯カメラだらけ。ラニーを見つけて。

 ただし、これがジョシュとの連続誘拐であるかどうかは、いまのところ不確定のため、捜査の際は、連続誘拐を匂わせるような発言を避けること。以上、とっととかかって」

「あの……」ジェイミーが手を挙げると、CEはイラついたような目でこっちを見た。

 ジェイミーにこれだけ嫌な態度をとれる女性は珍しい。CEって女性だよね?

「何? 日常業務の指示を出す暇なんてないんだけど」CEの向こうで、ミシマが少し笑ったようだった。

「あの、車載カメラも押さえてください」

「車載カメラ?」

「はい。ジョシュの時も思いましだが、店舗のカメラは、店内と入り口付近しか網羅していないことが多くて、ここのように歩道幅の広い通りでは、フレームアウトしている可能性が高いです。でも、この通りは、両側とも商業施設が多く、道路脇はどちらも一日中、路上駐車だらけです。車載カメラの映像が押さえられれば、歩道を歩くラニーをとらえている確率が高いです」

「馬鹿言うな。ラニーが居なくなってから、ゆうに四時間以上経過してるんだ。そんなに長い間、路上駐車してるヤツがいるかよ」ミシマが馬鹿にしたように言った。

「あのあたりに路上駐車してるってことは、あのあたりの店で金を払ったものが多いはずです。ラニーが本屋を出た時間帯前後に、近隣の店でカード決済をしている人に協力の確認を……」ジェイミーが説明している途中で

「膨大な人数になるわよ」とジェシカが止めた。

「そう、時間がない。急がないと、車載カメラの映像も上書きされてしまう。カード決済したもののうち、ゴールドカード以上の者から当たるんです」ジェイミーは自分の中で確認するように言った。

「……高所得の可能性が高い。高級車に乗っている可能性が高い。車載カメラをつけている可能性が高い」CEがジェイミーを直視しながら言っていた。

(すげー、ミシェと同じこと言った)ジェイミーは思わず、鳥肌が立った。

「そうです。CE――頭いいんですね」

 ジェイミーの言葉に、CEは目を見開いたまま、口を開けた。

 ミシマは大きく息を吸った。

 署の人間は、噴き出すのを堪えていた。

「いい着眼よ。その線は、坊や……ブラウン刑事、あなたが主導で調べて。誰かブラウン刑事を手伝って……」CEが言いかけると、

「俺が」

「俺が」

「私が」

 署内のほとんどの人間が手を挙げていた。

「――馬鹿言いなさい。二人で十分。あとは基本通り、聞き込みに向かいなさい。ジェシカと私たちは。書店でデータを押さえたら、ラニーの家へ向かう。情報は逐一入れること。以上、取り掛かって」

 つかつかと部屋を出て行くCEの後ろに付きながら、ジェシカがジェイミーに

「よくやったわ。アタリを引いてきて!」と親指を立てた。

 CEたちが出て行ってしまうと、皆がジェイミーを囲んで、子供にするように頭をくしゃくしゃに撫でながら

「やったな! ジェイミー! さっきのCEの顔、無かったよなぁ」

「お前、あのインテリ野郎に向かって、『頭いいんですね』とか、もうサイコー」と笑った。

 きっと、この時初めて、ジェイミーは自分がCEに失礼なことを言ったと認識したのだろう。

「よし、車載カメラの方は、ジェイミーと俺と、えー、コーチで行くか。コーチ、機械得意だよね」ベンは上機嫌だった。

「俺が? いつ?」

「アタリが出るぞ。ジェシカがそう言ってるんだ。あいつの勘は当たるから」

「聞いてないだろ」コーチはそれでも笑いながら、ベンの肩を叩いた。

 重く沈んでいた部屋の中に陽が差したように活気づくのを、ぼくは小さくガッツ

ポーズを作りながら見ていた。

 そう、いつだって、ジェイミーの試験の準備をしたのは僕だ。

 でも、ジェミーが僕のはったヤマで、試験にパスするのは、言いようのない快感だった。



 最近、帰りが遅かったジェイミーがたまに早く帰宅した日に限って、明日、朝の早いシンシアはもう帰ってしまっていた。

 君たち、本当に最近噛み合わないね。

 ジェイミーは三人前くらい食べたんじゃない?ってくらい夕食をがっつき、今は、すっかり筋肉から力を無くしたように椅子にもたれて、コーヒーを飲んでいる。

 昨日、当直だったので、本当なら今日は昼上がりのはずなのに、この時間までいたのだ。やはり、忙しいのだろう――それでも、目が生き生きしている。自信を取り戻している。手ごたえを感じてるんだ。

 シンシアに会わせてやりたかった。

「二人目の神隠しの子のことは、あまりニュースにならないね」

 二人目が出たことは、この家族は知っている。でも、世間では知られていない。

「ああ、ラニー・クラークの両親は、ジョシュのところと違って、ラニーの神隠しを世間に知られたくないんだ。ジョシュの時の騒ぎがあるからって、ああはなりたくないって言っているけど、なんとなく、ニュアンス的には、母親がラニーを放置していたと思われることを気にしてるみたいだ。ラニーは好奇心旺盛な子で、いつも本屋に行ったり、一人で遊びに行っていた。来年から学校だし、母親も、それでいいと思っていたようなんだけど、ここへ来て、子供を一人で出歩かせていたから……てなことを、事情を知る人たちが言ったみたいで、気にしてるんだ」

「六歳の頃のジェイミーが、今、どこにいるかなんて、私も知らなかったわ」ママがラニーの母親に味方するように言った。

 そう、事件が起こらなければ、何でもない日常も、事件が起こった後では、批判の的になったりする。世間なんて勝手なものだ。

「君の担当はどうなったの」ホントは、見てたから知ってたけど、僕は聞いた。

「うん。ミシェのアドバイスのおかげだよ。最初は、カード会社に照会かけるのにちょっと手間取ったけど、車載カメラの映像を提供してくれた人が七件、そのうち、ラニーが映っていると思われる映像が三件。この三件の映像から、絶対次はここに映ってるはずなのに映っていない車載カメラの映像が一件」

「大ヒットじゃん。その間に何があったのか」

「そう、それを今、目下捜索中。空白の一〇〇メートルって今、署内の流行り言葉。実際には八〇メートルくらいかな。その間に、ラニーは居なくなったと考えて、捜査中。ま、小さい子供だから、何かに興味が引かれて、ただ立ち止まっていただけかもしれないんだけど。その間に路上駐車中の車が立ち去っただけかもしれないんだけど。可能性として考えられるのはこの間に駐車されていた四台の車、このどれかに引き込まれて連れ去られたんじゃないかって。いま、この四台の割り出し中」

「そうなんだ」知ってるけど、そう答えた。

「その四台が映っているのも、道路の向かい側に停まってた車の車載カメラ。車種と色は大体特定できてるけど、ナンバーが映ってないから、膨大な数のリストから、俺たちが調べたカードの名義との照合をミシマが、ああ、本部から来たコンピューターオタクね、そいつが調べてるよ――どっちにしても、カードのリストが役に立ったって、ジェシカに褒められた」

「それで、夕飯が上手い訳だ」

「夕飯はいつでも上手い。さ、もう、寝よう。クタクタだ」

 でも、疲れてはいない。

 ジェイミーは試合の後のような顔をしている。

 きっと勝った試合だ。

 予選通過ってとこかな?

 リーグ優勝までは、まだまだ勝ち進まなきゃならない。

 でも、何の試合に参加しているのかも分からなかったようなジェイミーが、手ごたえを感じ始めている。

 ウルフが攻め落とすのは時間の問題だ。

 この犯人は、きっと捕まる――

 僕にはそう思えた。

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