第5話 神隠し

「えー、本部より、ジョシュくん誘拐事件の捜査の助っ人として派遣された、

セクター刑事と……」

「私はセクター警部補、どこへ行ってもCEと呼ばれているので、CEで結構。こちらのミシマ刑事はサイバー課の所属です。ちなみに、私が誘拐事件専門といわれているからと言って、本部が誘拐事件と断定したわけではありません。引き続き、事件と事故、両面から捜査を継続します。現在までの進捗状況の説明は誰がしてくれるの?」

 署長のことは、まるで相手にしていないように、CEはその場を乗っ取った。

「えー、ジェシカ……かな?」人が良いことのみが取り柄の署長は、助けを求めるようにジェシカを見た。

「私が」ジェシカが名乗り出て、事件の概要を説明した。

 ジョシュ・ベアリーは五歳の少年で、比較的裕福な世帯の多い、グリーンタウンに両親と住んでいた。

 家の前で、母親が隣の奥さんとおしゃべりしている間、周りで遊んでいたが、母親が気づいたときには、姿が見えなくなっていた。家に入ったのかと思い、家の中を探し、周りの家にも聞いて回ったが、姿がない。父親のトーマス・ベアリーが仕事から帰宅し、警察に通報し、捜査が始まって、もう一カ月になる。

 当初から行方不明の五歳の男の子のことは、テレビで報道されていたが、ジョシュの父親がメディアで息子の無事を祈り、涙しながら情報提供を呼び掛けるようになると、その魅力的な人柄が話題になり「ジョシュパパ」は一躍有名人となった。

 ネットでは、ジョシュパパの私設ファンクラブができ、ジョシュパパが情報提供を呼び掛けるHPは、アイドル並みのアクセス数を誇った。

 同時に誹謗中傷も増え、ジョシュパパによる狂言説や、ジョシュパパの過去の女性遍歴の暴露、しまいにはジョシュという男の子は、もともとこの世に存在していない説まで飛び出した。

 事件の捜査に進展がない一方で、事件の話題性だけが大きくなり、放っておけなくなった本部が、CE達を派遣したというわけだ。

「ジョシュの行動範囲は、この年頃の子にしても狭く、母親がついていないのに遠くへいくことはまずないと言います。一方で、好奇心が強く、自動車に興味があったと父親は証言しています。このあたりの、治安は良く、地域住民への聞き込みでも、その日に不審な出来事が起こった形跡はないんです」

「それで、神隠しってわけ。この近隣の住民で、前科のあるものはいないの?」

「比較的、上流階級の住民が多くて……」

「いますね。マシュリー・コマー、器物破損で二度、逮捕されています。ジョシュの家の二区画先に住んでいますが、他の邸とは異なり、あばら屋……。この地域が区画分譲される前から住んでいたようです。原住民ですね……」ミシマが署のサーバーに繋がったばかりのPCを操作しながら言った。

「いえ、マシュリーは、確かに、ちょっと困ったお爺さんですが、悪人ではありません」ジェイミーは説明しようとしたが「前科者なのに悪人ではない? では、二度の誤認逮捕?」とCEが遮った。

「違います。自分の家の前に停まっていた車をパンクさせたのは本当です。

マシュリーの家は、大通りとの境の角地で、マシュリー自体は車を持たないので、家の前は、鬱蒼と茂った庭になっています。このあたりに用事のある車が、よく、マシュリーの家の前に路上駐車してしまうんです。他の邸は美しく整備されてますが、マシュリーの家は、まるでお化け屋敷みたいなんでね。でも、そこに路上駐車されたために、大通りから曲がって入ってきた車が、マシュリーの家の前から道路を渡ろうとした子供を見つけられずに、はねてしまったことかあったらしいんです。マシュリーのお孫さんの友達でした。それ以来、マシュリーは、家の前に停まっている車に再三、停めないよう注意していたようなんですが、一向に聞かないので、タイヤをパンクさせたんです。ここに停めたら酷い目に合うと分からせるため」

「理由はどうあれ、犯罪は犯罪よ」

「もちろんです。マシュリーは間違った方法をとりましたが、でも、誘拐事件を起こすような人物ではありません。本来、温厚な老人なんです」

「温厚な老人は、二度も逮捕されないわ。その老人宅に、もう一度聞き込みに行って」

「いや……」ジェイミーが反論しかけると

「坊や、ブロークン・ウィンドウ理論ってご存知?」とCEは蔑むような目でジェイミーを見た。

 ジェイミーは「坊や」と呼ばれて、むっとしながら「理論と名の付くものは全て苦手です」と返した。

「ここの警察はチョロいと思われてるんじゃないの? そうなら、マシュリーは誘拐事件を起こすかもしれないわ」CEの高圧的な言い方に、ジェイミーだけではなく、署内の全員の目が鋭くなった。

「現在までの捜査の状況を、まだ説明途中ですが、よろしいですか?」ジェシカは、その雰囲気に風穴を開けるように説明しだした。

「――なぜ、近くのコンビニエンスストアの防犯カメラは消去されてしまっていたの?」

「ハードディスクの容量が、さほど大きくないようで、すぐに上書きされてしまうとのことでした。我々が聞き込みした時には、もうジョシュが居なくなった時刻の映像は消えてしまっていました」

 CEが呆れたように首を振った。

「現場が分かっているのに、近隣の防犯カメラをすぐに押さえないなんて、どうなってるの?」

「それに関しては、ミスだったと思っています。近隣の聞き込みをしながら、コンビニエンスストアにたどり着いた時には、もう、消去済でした」

「でも、あのコンビニは、ジョシュの家から離れてるし、手掛かりが映ってた可能性は薄いぜ」ベンがジェシカに加勢した。大体、ジェシカが説明してるからと言って、弁明までしなければならないのは、何だか変だと全員が思い始めていた。

 責められるなら、われわれ全員だ。チームなのだから。

「誘拐事件において、初動捜査の遅れは、被害者の生命にかかわるのよ。あなたたちの判断ミスが、救えたかもしれない命を失わせたかもしれないの。二度と、そんな気楽なことを言わないで」CEはベンに向かって言っているようだった。

「私とミシマはもう一度、ジョシュの家を訪ねて、ご両親から話を聞きます。そのコンビニにも行って、当時の映像が復元できるかやってみて、ミシマ」

「可能性は薄いですけどね。時間が経ちすぎている」

「残りは、もう一度この界隈の住人に聞き込みをして。いい? 全員が犯人だと思って捜査しなさい。市民に愛されようなんて思わないことねー我々は憎まれてナンボなのよ。普段は、誰と誰が組んでるの?」CEがジェシカに聞いていた。

「えー、特に決めているというよりは……」ジェシカが言いかけると、普段、

パトロールがコンビの二、三人ずつが、示すように塊を作った。

「ええ、こんな感じで、あとは、私とジェイミーとベンです」とジェシカが示した。

「ふーん、一番できる人間と、一番無能な人間が組んでるの? 効率悪いわね」とCEが言った時、署内の全員が牙をむきそうになった。

「新人教育です」ジェイミーがさらっとかわした。本当は、署内で柔道の試合をして、一、二、三位の三人が意気投合して一緒にいるだけだった。一位はジェイミー、二位がジェシカ、三位がベンジャミンだった。ジェシカは同僚に負けたのは初めてだった。それまでも、ジェイミーの世話を焼く先輩だったが、その試合以降、同じシフトで勤務するようになっていた。

 CEは少しの間、ジェイミーを冷たい目で見ていたが、何かを思いついたように頷くと、「そう。今は、新人を教育している暇はないわ。みんながジョシュの聞き込みに出ている間、日常業務は坊やが担当して。それで、少しは役に立てるでしょ。さ、みんな動いて。ジェシカ、ミシマ、ジョシュの家に行くわよ」と部屋を出た。

 勝手に決められたジェシカが、少し心配そうな顔をしてこっちを振り返ったので、「いってらっしゃ~い」とジェイミーは手を振った。


「ブロークン・ウィンドウ理論ってご存知? だとよ」ベンが変なしなを作ってジェイミーに話しかけた。

「CEはそんなに色っぽくなかったよ」ジェイミーはそう言って、ベンたちを少し笑わせた。

「気にすんなよ、ジェイミー」二年先輩のクリッツ刑事がそう言って、ジェイミーの肩を軽くたたいた。

「大丈夫だよ。気にするほど、脳みそねーし」

「確かに!」

 ジェイミーの返答に、みんな笑って、出かけて行った。

 ジェイミーはデスクに座り、交番からの報告メールを開け始めた。




「ただいま」

「お帰りジェイミー。遅かったわね」

「うん」なんとなくみんなが帰れないのに帰りづらいだけだった。大した仕事はさせてもらえていない。

「もつ煮の匂いがする。ママが作ったの?」

「うん。だいぶ腰もよくなったし。シンシアがコルセット改良してくれて。すごくいいの」

「シンシアは?」

「明日は、地方で仕事があるからって、午後から帰っちゃったの。明日も来れないって。シンシアが居ないと、こんなにこの家の中って、寂しかったかしらって思っちゃったわよ。ミッチェルも部屋から出てこないし」ケイトがもつ煮をボウルに装いながら、やっと得た話し相手に絶え間なく話しかけていた。

(そういえば、最近、家に帰ると、シンシアがいて、ミッチェルも食卓にいるのが普通になってたよな。シンシアが家に来るようになる前は、ミッチェルがいるのは珍しかったのに)

「ああ、もつ煮、旨い。ビール飲むわ」

「私は、もう寝る。久しぶりに家事をしたら疲れた」

「ああ、遅くまでごめんね」

「ミッチェルをベッドに入れてくれる?」

「ああ」

 ママが出て行ったので、ジェイミーはビールの缶ともつ煮のボールを持って、ミッチェルの部屋をノックした。

「ミシェ、起きてる?」

「ああ、お帰り――いや、もつ煮持ってくるなよ。部屋に匂いがつくよ」

「いい匂いじゃん。よだれ出るよ」

「僕は出ない。部屋に食事持って入ったら、ママが怒るよ」

「うん、もう、ママ、寝た」ジェイミーはビールを傾けて、二回喉を鳴らした。

「なぁ、ミシェ、『ブロークン・ウィンドウ理論』って何?」

 実は、そのくだりは知っていた。

 ジェイミーが捜査を外されたことも知っていた。見てしまった。

「ああ、重犯罪の源は軽犯罪を見過ごすことだって理論」

「なん?」

「ふー……割れ窓……窓が一枚割れていた。それをそのまま放置すると、その建物の全ての窓が割られた。そのまま窓が割られているのを放置すると、周りに落書きが増えた。それもそのまま放置すると、その界隈でスリやカツアゲが横行して、ひいては暴行事件、殺人事件がおこるようになる――っていう理論だよ」

「ああ、そういう意味。そう言われれば、わかるのに」

「いや、わかれよ。習ったよ。アカデミーで」

「まじ?ってか、ミシェって、なんでそんなことまで知ってるんだよ」

「はあ? お前、誰が、お前の警察官試験の問題、ヤマはってやったと思ってんの? 刑事の昇進試験の時だって、模擬問題まで、誰が作ってやったと思ってるの? あんなもん、ネットで出てくるわけじゃないんだぜ! 人間行動学も犯罪心理学も、お前はタイトル見ただけで寝ちゃうから、僕が替わりに全部学んで、それこそシンシアが作る僕の食事並みに噛み砕いて、お前に投げてやったんじゃないか。忘れるなよ、恩知らず」

「そうでした、そうでした。ミッチェル様、お世話になっています」ジェイミーが大笑いしながら、もつ煮を掬って口に入れた。もう勝手にベッドに座っている。

「こぼすなよ」仕方がないので、今は車椅子の前に持ってきている可動式のテーブルをジェイミーの方に回した。ジェイミーはボウルとビールの缶をテーブルの上に置くと、バタリとベッドに倒れこんだ。

「おい! 勝手に寝るなよ! 僕だってまだ寝てないのに」

「なにが? あ、なんかいい匂いする」

「今日、シンシアがいい天気だからってシーツ洗ってくれたんだよ」

「えー、シンシア、明日、出張だから早く帰ったんじゃねーの?」

「そう。で、午前中にセンター行くよって早くに起こされて、珍しく早く起きたからって、シーツ洗濯してくれたんだよ」

「何でだよー! 何で、お前の方が、シンシアと会えるんだよー!」

 それは、本当にそうだ。ちょっと僕の方が得をしている。

 ジェイミーは起き上がって、ビールを一口飲んだ。

「いいなぁ、お前は。頭良くてさ」ジェイミーにしみじみ言われて、僕は返事を返せなかった。

 今、ジェイミーが落ち込んでいるのは分かる。でも、ジェイミーだぞ? 僕じゃなくたって、誰もが羨む、ジェイミーが、なんだってできるジェイミーが、僕を羨んでどうする。

「初動捜査がまずかったんだと……コンビニの防犯カメラが上書きされちゃったから。頭悪いって、俺たち」

「……ジョシュが居なくなったのって、どのへんだっけ」

 ジェイミーの言う住所をグーグルマップで開く。

「おおー、立派な家が多いね」

「そー割と最近建った家が多くて、昔からある家は、数件」

「でも、区画自体は古いな。この、無駄に広い歩道、この感じ、古い町並みって感じでしょ。僕、この手の歩道、大嫌いなんだ」

「なんで? 広くていいじゃん」

「広いからだよ。自転車も通るし、スケボーやる奴はいるし。子供が平気で座り込んで遊んでるし」

「ああ、ジョシュもそんな感じ。お母さんがおしゃべりしてる間、一人よーいドンとかしてたみたい」

「お母さんが側にいたんだ」

「うん、でも、母親も、一緒にしゃべってた近所の奥さんも、妖しい人物や、車は見なかったんだ。まるで神隠しにあったように、ジョシュはいなくなったんだ。んで、ここの角を曲がったところにあるコンビニ、ここの防犯カメラが前の通りを映してるんだけど、これが、俺たちがたどり着いた時には、上書きされちゃって、当時の映像は無かった」

「ここじゃあ、映ってても、ジョシュの家の前の通りは見えないね。こっちの通りまで出てきて、なおかつ、こっちへ曲がっていれば、映っている可能性はあるけど。お母さんの周りで遊んでいた子供が、くるかなぁ」

「それ、ベンが言って、CEに怒られたヤツ。あ、CEってのは、本部から来た人なんだけど、めっちゃ怖いの」

 知ってる――

「なぁ、ジェイミー、不審な人物や車を探してもダメだよ。そんなのが通ったら、おしゃべりしてたお母さんだって、『あら? あの人、なに? ジョシュ、お母さんの側にもどって』てなってるよ。人間の脳って、注目すべき事柄を選別するんだ――例えば、隣の奥さんとおしゃべりしているとき、家の近くにパトカーが停まったら、『何事?』と意識する。でも、ゴミ収集車が来ても、いつもの光景だから意識に引っかからない。かなりの音を立てて、ゴミを収集していった後でさえ、ゴミ収集車が来たことにも気づいていなかったりする。あとから来た奥さんに『あら、ゴミ、もう行っちゃった?』って聞かれて、初めて、『あら、今日、もうゴミ収集来たのね』って気づくくらい脳は注目していない。でも、子供は違う。目に入るものすべてが大発見だ。ゴミ収集車がきたら、『凄いのが来た!』って、見惚れる。彼らにとっては、ゴミ収集車なんて、UFO並みだ。次のポイントでまたゴミを回収するところを見たいと、走って追いかけるかもしれない」

「ゴミ収集車か?」

「いや、例え話だよ……ああ、ここにレストランがあるじゃない。ジョシュの家のすぐ隣の区画だ。ここの防犯カメラは?」

「そこは、すぐに行ったから、上書きされてなかったけど、店内しか映してなかった。ジョシュが店に入った形跡はないってことが確認できただけ」

「ふーん、車載カメラは?」

「シャサイカメラ?」

「うん、この店、前にズラッと駐車場があるじゃない。この界隈の家は、みんな立派なガレージがあるから期待できないけど、このレストランに停まってた車に車載カメラがついてて駐車中録画をしてるい車があれば、ジョシュの家の近辺が映ってたと思うんだ」

「でも、警察に通報があった時点じゃ、もう、当時いた客は帰ってるじゃない」

「それは、決裁したクレジットカードでわかるんじゃない? ま、言ってもしょうがないんだけどさ。車載カメラも容量が小さいから、定期的に上書きされちゃうんだ」

「やっばり、初動捜査か……」

「そうだな。なるべく確立の高いところから効率的に攻める……そういうのが必要なんだな」

「うん」

「例えば、この店に停車していた車を探すとしたら、ジョシュが遊んでいた時間から、いなくなったと思われる時間の二時間後くらいまでに絞って、ゴールドカード以上のランクのカードで決済をした人間にまずあたる」

「なんで?」

「所得水準が高いことが予想される。所得が高ければ、高級車に乗ってる可能性が高い。高級車に乗っている人の方が、車載カメラをつけて、駐車中にも悪戯されたりぶつけられたりしないか気にする可能性が高い」

「そっか……時間はなんで?」

「レストランだから、決裁したらすぐに車に乗って出るだろ? 食事だから、三〇分とか一時間くらい? これは、僕にはあんまり分からないけど――昼間だから、あんまりだらだらしないんじゃない? だから、ジョシュが遊んでいた時間、いなくなったと思われる時間にそこに駐車していたとしたら、来たばかりの客を勘定に入れても後ろ二時間くらいまで見ておけばいい」

「そうか」

「今からじゃ、希望は薄いけど」

「そうか……」ジェイミーはまた少し落ち込んでしまったようだった。

「――君は、大丈夫だよ、ジェイミー。今は、ルールを覚えているだけ。飲み込んでしまえば、誰にも負けない。あれこれ考えない方が上手くいくよ。君の場合は」

 ジェイミーは少し笑って、ビールの缶とボウルを持って立ち上がった。

「サンキュー、もう寝るわ。あ、ミシェ、ベッドに移すよ」

「ああ、頼む」

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