第4話 女子トーク

「シンシアって、よく飲むの?」

 寝不足だから、今日はセンターには行かないと断ったのに、休みだったシンシアに、散歩に連れ出された。一日一度はお日様に当たらなきゃ……

というシンシア医学――

 先日、ミッチェルとお酒が飲めるようになるかどうか……とアルコールのパッチテストをされた。

「うん、お酒は大好き。楽しくなるし。いつか、一緒に飲もうね、ミッチェル」

「死ぬ気で飲めば飲めるかもね」

「ははは、死なないでよ。じゃあ、私がベロンベロンになったら、うちまで送って」

「出来るわけないじゃない。一人でセンターにも行けないのに……」

「だから、リハビリ頑張って出来るようになってよ! ほら、もっと筋肉つけて!」

 シンシアは車椅子の前に回り込むと、向かい合うように僕の膝をまたいで車椅子に乗った。

「ほら、これで、車椅子進めてー!」

「ちょっと、何してんの! 無理だよ、前見えないし。重すぎるよ」

「女子に重いって言っちゃだめなのよ! ミッチェル!」

「知らないよ。そんな知識、僕、必要ないから。降りてよ! 恥ずかしいよ!」

「何よ。まだ一ミリも進んでないじゃない。大丈夫、誰もいないよ」シンシアは本気で面白そうに笑った。

 違うよ。僕が恥ずかしいんだよ……シンシアが近すぎる――

「もー、降りてよー! 明日はセンターに行きますから、降りてください! シンシアさん!」

「よし!」シンシアは笑って車椅子を降りてくれた。

「ただの散歩も、楽しいじゃん。また来ようね、ミッチェル」

「――君だって、忙しいだろうに……」

「いいのー。フレックスだし、私は優秀だから」

 いつか、ジェイミーと不良たちがバスケットをしていた公園を通り過ぎた。なんとなく二人とも、目でジェイミーを探してしまった。

「ジェイミーと飲みにでも行けば?」

「うん。そうね……最近、なんか、ジェイミー、元気ないんだよね」

 早漏の上に元気がなかったら、もう、ダメだろ……

「なんか、仕事の悩みかなぁ」

「悩むような頭、持ってないよジェイミーは」

「酷くない?」

「酷くない。あいつは、ホント、後先考えなさすぎるんだ。子供の頃、僕がやめろって言ったのに、絶対楽しいからって、車椅子と自分の自転車を紐でつないで走って、案の定横転して、僕をまた入院させたり、警察のアカデミー時代に、夜中、寮を抜け出して遊びに行こうとして、二階の窓から飛び降りて――いや、あいつは無傷だったけど、一緒に飛び降りた仲間が足を骨折して大問題になったり、ああ、池で見つけたカメを持って帰って、うちのバスタブで飼おうとしたこともあった――あれなんか、もう十三、四歳になってた頃だよ。あいつは、高校も大学もスポーツ推薦で入ったから、進級も、卒業も、常に危なかったし」

 シンシアがコロコロと笑っていた。

「あいつは――でも、スポーツは天才的で、どんなに頭を使うスポーツだって言われてるものでも、あっという間に習得して、いつだって、一番だった。

負けるジェイミーなんて、聞いたことない。部活には入ってたみたいだけど、他のスポーツだって、負けないんだ。高校の時は、サッカー部だったはずだけど、授業の時は、バスケットでバスケ部に勝っちゃう……みたいな」

「素敵……」

「はいはい」

「同じ高校?」

「――いや。ジェイミーと同じ学校に通ったことはないんだ」

「小学校も?」

「――うん。入院してたから」

「そっか」

 目の前には比較的広くて車通りの少ない道が真っすぐに伸びていた。向こうに小さな丘が見える。子供の頃から何度も通った道。染めたように赤い太陽が丘に近づいているのが、嘘みたいに綺麗だった。初めて見る景色のようだ。

「どのくらい入院してたの?」

「ここへ引っ越してくる前は、ずっと病院にいた気がする。ホントに、たまに、外出許可が出て、家に帰る感じ。でも、透析をしなきゃいけなかったから、1泊とか2泊とか、遊びに来るだけで、住んでたのは病院って感じだったな」

「ここへ引っ越してからは?」

「子供の頃は、病院にいる方が多かったかな。今でも総合病院の入院病棟は、天井のシミだけで、何号室か当てられるよ」

「えー?」シンシアは笑った。

「だって、一日の大半を天井を見て過ごすんだから。人嫌いだったから、同室の人とかと話したくもないし、本を読むか、天井を見るか……」

 シンシアには想像できない。

 何もかもが不思議で、目新しくて、わくわくの連続だった子供時代に、天井のシミを見つめて過ごすのがどんなものか……

「寒い?」

「ううん、大丈夫」

 夕方は少し、秋らしい風が吹くようになってきた。

 シンシアは、歩くスピードを上げた。

「物心ついてから、ジェイミーと一緒に小学校に行くのが、目標だったんだ」

 シンシアは黙って聞いていた。

「手術も嫌い、検査も嫌い、投薬も、透析も、着替えるのも、体を拭くのも、寝るのも、起きるのも嫌いだった。でも、これが出来たら、ジェイミーと小学校にいけるようになるよって――もう、それは、魔法の言葉だった。先生や、看護師にとってのね。

 パパやママも、本当に、そんな日が来ると思ってたんだ――僕は頑張ったんだ。

 全部――まだ、素直だったから

――でも、ジェイミーと同じ学校には通えなかった――

 もう、全部嫌になって、絶対、もう先生の言うことは聞かないって、強情な子になった。

 院内学級の先生が、バイトみたいな先生だったけど、熱心な人でさ。一生懸命僕に勉強を教えてくれた。勉強は、嫌いじゃなかった。知識が増えるのは嬉しかった。病院の先生はみんな嫌いだったけど、あの先生だけは好きだった。フリックっていうんだ。今でも、メールのやりとりをしてる。

 フリックがこの町のことを調べてきて、福祉が充実してて、ここなら、高校でも、大学でも、肢体不自由のある僕でも、通信とか、訪問とかいろいろな手段で就学することができるって教えてくれて――

 きっとこの子は、勉強ができる。人よりも数倍できるって言ってくれたんだ。人より出来ることなんて、僕にはそれまで無かったから、すごく嬉しかった。

 パパもママも、僕が大学生になるなんて、思ってもいなかったから、ものすごく喜んでくれて――でも、病院を出るためには、手術をしなきゃダメだって医者に言われて。

 ママの腎臓を一つもらう手術だった。

 僕は絶対嫌だって言ったんだ。今まで、医者の言うことを聞いて、良かったことなんてないと思った。まして、ママまで手術するなんて、絶対ダメだって。

 泣いて暴れたはず、確か――

 でも、僕はまだ小さな子供で、何の決定権も無くて、結局パパとママが決めて、手術はすることになったんだ。

 ママのお腹には、僕たちを生んだ時の傷と、僕に腎臓をくれた時の二つ、傷があるんだ」

「きっと、ケイトは、どっちの傷も、誇らしく思っているはずよ……」

「うん――」それは、きっとそうだと思える。

「おかげで僕は、病院から出ることができるようになって、九歳の時、この町に引っ越してきたんだ」

「univer city」

「ふん。ダジャレみたいだ」

「大学がいっぱいあるから――よね」

「シンシアもここの出身じゃないの?」

「私は……装具技師になってから、引っ越してきたの」

「そうなんだ。この町、昔は寂れて過疎の一歩手前だったらしいんだけど、時の市長が、

熱心に大学を誘致して、福祉を充実させて、若者が増えて、雇用が増えて……今じゃ、都市再生の成功見本」

「でも、ミッチェルにとっては、いい街だった?」

「そうだね」

「大学、三つも出るなんて、そういないもんね」

「しかも、福祉プログラムで、全部、ダダだしね」

「そうなんだ」

「この町に引っ越すために、パパは転職したし、ママは僕を生んで仕事辞めたし……うちは、あまり余裕ないから、タダじゃなきゃ大学なんて行かないよ。僕が大学出たって、何の役にも立ちはしないんだから」

「そんなことない」シンシアは咎めるように言った。

「ま、ジェイミーが大学に行くよりは、有意義かもしれないけど」

「えー?」

「あいつ、スポーツ推薦で入って、奨学金貰ってたのに、一年目で留年したから、奨学金減らされて、あとの三年、留年させないように、家族で物凄く苦労したんだから」

「やだ、かわいいー!」

「バカップル……」

 シンシアが笑ったところで、ちょうど、家に着いた。

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