第3話 走りたい

「ジェイミー、直轄病院へ行って、カレン・モーガンの供述をとって」朝一でジェシカにそういわれて、ジェイミーは戸惑った。

 今まで、取り調べも、供述取りも、あまりやらせてもらっていない。

 直感的で、考慮が足りないから――というのを、もっとわかりやすく伝えられていた。


『お前、頭悪いから』


「でも、レイプ被害者は、女性警官ーがあたるもんじゃ――」

「それについては、担当の医師もあなたが担当する方がいいって言っているわ。何より、カレン本人があなたを指名してるの。多分ね――供述を取って来て。合意だなんて言わせないわ」ジェシカが怒っているのがわかった。

「今朝早く、犯人が出頭してきたのよ。父親と弁護士に付き添われて――カレンがアルバイトをしてるコンビニエンスストアによく来る学生だったわ。彼女の部屋を訪ねて、セックスをした。多少手荒くなって、彼女に怪我をさせたことは認めてる。謝罪の意思を示している。でも、セックスは合意だった。部屋に彼を入れたのは、彼女だったと供述しているわ」

「あの部屋――そんなわけない」ジェイミーが拳を強く握った。

「わかってる。私も、あなたも、部屋に入った時のカレンを見ている。絶対、そんなわけないわ。カレンには、昨夜のことを話してもらわなければならない。辛いと思うけど――合意だなんて、絶対言わせない」



「鎮静剤を投与しています。ひどくパニックを起こしていましたから。今朝は少しぼうっとしている感じでしょう。看護師たちとの会話は、普通に受け答えできています。供述は取れると思いますが、あまり興奮したり、動揺するようであれば、こちらで止めます」

 病室の前に、女性の制服警官が立っていた。

「リード巡査が立ち会います。病院付きの巡査です」

 女性巡査を見て、ジェイミーは少しほっとした。

「本当は、女性警官の方が良かったのでは?」確認するように、ジェイミーは担当医に尋ねた。

「レイプ被害者が、男性を怖がるのは、心理的にもっともです。ですが、男性の警官に担当してもらいたいと言うのは、割と多いです。自分は弱い女だったから、男に襲われた。同じ女の警官では、自分を守れない。犯人よりも強い男の警官に守ってもらいたい――という心理です。自分を襲う悪魔も男なら、自分を守る勇者も男というわけ」

「はあ――」

「彼女、昨夜、自分を助けた『男』の刑事さんに来て欲しいと言っているの。なぜか、『ダビデ』って呼んでるけど。頭が混乱して、自分を救けに来た勇者がダビデに見えたのかも」

 ジェイミーはカレン・モーガンのデータを見た。現在は、トーマス経大の二年生。高校はセント・ヨゼフ女子学園。

(だと思った……)

 

 昨夜、ジェイミーとジェシカが部屋に入った時、カレンは自分の着ていた衣服で拘束され、口と鼻からの出血と、涙でベタベタになった顔を電話機に擦りつけるようにして、繰り返し『救けて』と唱え続けていた。舌でダイヤルしたのだろう。受話器から聞こえる声は、聞こえていなかったのかもしれない。

「警察です。もう大丈夫です。私はビアンコ刑事。今、救急車を呼びます。

ジェイミー、救護班を呼んで。この服を解きます。動かすと痛いところはありますか」ジェシカがカレンの両腕を縛り上げているブラウスらしきものを解いていた。

 ジェイミーは無線で救護を要請しながら、部屋にあった毛布でカレンの肌を隠してやった。

 拘束が解かれ、ジェシカが毛布でカレンを包みながら、ベッドに腰かけさせようとしていた時、ジェイミーの顔を見た、カレンが「ダビデ……」と小さく言った。

 ジェイミーはなるべく触れないようにして離れていた。レイプ被害者だから。

 カレンの小さなつぶやきに、ジェイミーは思わず目を合わせた。カレンは弾けるようにジェイミーに飛びつくと、「ダビデ! 救けて! 救けて!」と叫んだ。


 病室に入ると、来ることを知らされていたカレンは、静かに座っていた。

「カレン・モーガンさん、私は、ジェイミー・ブラウン刑事、あなたの担当刑事です」

「ありがとう」まだ腫れの引かない顔を引きつらせながら、カレンは健気に笑って見せた。

「お辛いと思いますが、犯人を逮捕するため、ご協力をお願いしますー昨夜、何があったか、話していただけますか?」

「――はい」


 カレンは目を閉じて、話し始めた。

「私は、部屋で、大学のレポートを書いていました。チャイムが鳴って――」

 少し話しただけで、カレンの呼吸が早くなってきた。

「ゆっくり、カレン」ジェイミーが言い含めると、

「手を……握ってもらってもいい?」とカレンがジェイミーの方へ手を伸ばした。

 細くて、白くて、薬指は包帯が巻かれていた。確か、爪が剥がれているはずだ。

 ジェイミーはそっと、その手を握った。

(守ってやれなかった――)



 カレンの供述は、アパートの共用玄関の防犯カメラの映像と、部屋の状態を調べた鑑識、彼女の体を診察した警察医の意見と一致した。

 合意の上の行為だったとする加害者側と、間違いなく対決できるだけのものを検察に渡せる状況だった。

 ただ――カレンは、それを望まなかった。

 傷が治ったら、また、大学に通いたい、今まで通りの生活に戻りたい、家族にも知られたくない……

 カレンは、被害届を出さなかった。

 ジェイミーはカレンの意見を尊重するしかなかった。レイプ被害者が、加害者を告訴するということは、また、多くの人の目の前に、傷を晒すことになる――警察官の永遠の葛藤だ……

(守ってやれなかった――戦えとは言えない)



 あまりにいい天気。

 行方不明のジョシュ坊や捜索の班は、もう、半ばあきらめていた。

 誘拐事件の可能性があると、ジョシュの自宅に逆探知機を仕掛け、犯人の接触を待ってもう三週間近く経つ。

 犯人からの要求は無い。

 事故に巻き込まれて、どこかに連れていかれたのか、もう生きていないのか……という説が濃くなっていた。

 できることがなくなって、署内は煮詰まっていた。

 パトロールに出たジェイミーは、あまりに、いい天気に車を降りた。

 いつもの公園前、今日は、学校をサボっている不良たちもいない。

『こんな日はサボれよ……』思わずそう思ってしまった。

 あの不良どもに――せいぜい不良の成りをかましているのに、絶対まだ落ちていないと思われるあの少年たちに、俺に勝ちたかったら、学校へ行けと言うのは気持ちが良かった。

 正しい大人になった気がした。

 正しい大人ってなんだろう……

 もっと単純なことだと思っていた。

 警察官になったら、悪い奴を捕まえて、市民を守る。

 きっと、自分の得意なことだと思えた。

(頭悪いな……俺)

 なんだか悶々とした気分を吹っ切るように、ジェイミーは走り出した。

 目的も、理由も、標的も、勝敗も無く、ただ、全速力で走りだした。


 僕は、結局、アプリを起動した。

 罪悪感自体は、シンシアの裸を見た時よりも薄かった。

 これが、どの程度の罪になるのか、よく分からなかったけれど、警察官の行動を盗聴、盗視する可能性のあるアプリを……

――景色が飛んでいた。

――ヘッドフォンから風の音が聞こえていた。

 思い出せる……グラウンドを疾走する黒い狼……その周りに渦巻く空気……

 飛ぶように、踊るように走るジェイミー

 僕は、惹かれて、身を乗り出したんだ――あの日、ひざ掛けが落ちたのも気づかなかった。

 今、僕は、オオカミの背中に乗り、いや、オオカミに同化して、風を切り、公園を駆け抜けていた。

 画面が揺れる……目の前の一点めがけて他の色がワープするようだ。

 ジェイミーの呼吸が聞こえる

 スピードが上がれば上がる程、リズムが安定する呼吸音

 何かを飛び越えた。あくまで軽い、靴の音……

 躍動する鼓動まで聞こえる気がした――

――ああ、走りたい……

  僕がPCの画面に向かって両手を伸ばしかけた時、公園の端についたジェイミーは、トライを決めるラガーマンのように転がった。景色が回って、酔いそうなくらい……

――見上げてた空は、どこまでも広く、嘘みたいに青かった。


これがジェイミーの世界なんだ

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