小話

彼女と出会った日

 彼女と出会って最初に抱いた第一印象は「随分と達観した奴なんだな」だった。

 身長はそこまで高い訳でもなく顔も童顔。

 しかしながら漂わせている雰囲気は年長そのものである。

 話し方も落ち着いていて頭がおかしくなりそうだったが、その後に彼女が「長命種」――つまり長い時を生きる種族である事を知って「なるほど」と合点がいった。

 彼女は「真祖」。

 エナジードレインを得意とする吸血種の原種とも言える存在であり、怪物的な力と賢者のような叡智、そして何より長い年月を生きる事を可能とする生命力を有している。

 とはいえその当時の彼女はまだ140歳と長命種にしてはまだまだ若い方だったが、それでも人間にしてみれば十分長生きな部類である。

 100余年という年月は人間である俺からしてみれば随分と長く、そしてそれはきっと彼女にとっても同じだったのだろう。

 事実、彼女は若々しい外見をしていながらもまるで物語に登場する仙女のように飄々としていて、そして何より世の中の無常を嘆いているようでもあった。

 あるいは、自らを残して去っていく友達の事を思っているのか。

 なんにせよ……その時出会った彼女はあまりにも、孤独だった。


 その時の彼女はテレサという名前を名乗っていた。

 亜麻色の髪、青蒼色の瞳。

 服装は清潔なローブ、しかし丈があっていないのかややブカブカだった。

 しかしながらそれでも彼女にはその格好が似合っていて、結局最期の時まで彼女はそのように一回り大きいサイズの衣服を身に着けていた。


 その理由について一度尋ねた事がある。


「いや……大きめの服を着ていたら、もしかしたら私も成長してそれを着こなせるようになるかもしれない、でしょ?」


 彼女はからからと笑いながらそう答えた。

 彼女が大きめの服を着ていたのはそんな小さな願望を抱いていたからであり、そしてそれは彼女のお茶目で子供っぽいところの一つでもあった。

 当たり前だが長命種の成長は緩やかであり、ていうかそもそもとして長命種がどれほどの年月を経て成長をするのかは文献に残っていないので、だから彼女が今後成長するかについては俺も分からなかった。

 ただ、それでも彼女がそのような夢を見ているのならば、俺がそれに水を差すというのは無粋というものだろう。

 だから俺も彼女の大き目な服について言及する事はそれで最後にした。

 ただ――やはりサイズが合っていない事が原因で服の裾を引っ掛けたり、あるいは転びそうになったりする時は儘あったので、やっぱり彼女にはサイズの合った服を着て欲しいなとはずっと思っていた。


 さて、彼女との出会いではそんな感じであり、そして俺は当時パン屋を営んでいた。

 パン屋、それも街で一番のパン屋だった。

 俺が住んでいた街で購入する事の出来る小麦ではなかなかふっくらとしたパンを作る事は出来なかったが、その分パリッとした表面に仕上がる。

 もちもちしたパンはあまり人気がなかったので、だから敢えて薄めにしてパンを作ったらそれが爆発的な人気となり、最終的に「この街に来たらまずはパンを食え」とまで言われるようになった。

 パン屋「ハニースープ」。

 平べったいパンに蜂蜜を塗って食べるのが流行り。

 そしてテレサは――それを食べにやって来た旅人だった。


「もし、店長さん。こちらのパンはまだ残っていますか?」


 黄昏時に現れた彼女に俺は空っぽになったバスケットを見せながら頭を下げる。


「ごめん、もうパンは全部売り切れてしまったんだ。絶対に欲しいなら明日の早朝に来てくれ、出来立てのパンがあるだろうから」

「なる、ほど……」


 話し方は大人びていたが、しかしあからさまにがっかりしていたテレサ。

 なんだか罪悪感が湧いてきたが、とはいえないものはないので売る事は出来ない。


「まあ、明日来てくれたら優先して売るから」

「それは……はい、分かりました。折角この街に来たんですし、一日くらいはパンの為に待つ事があっても良いでしょう」


 その時はまだ彼女が長命種だとは知らなかったので、やはり随分と達観的な女の子だなと思った。

 ……それから翌日。

 テレサは宣言通り早朝にやって来て、何なら店が開く前からやって来てパンを売り始めるのを待っていた。

 そんなにパンが食べたかったのかと苦笑しつつ、俺は彼女に出来立てのパンを差し出す。


「はいよ。そのままがぶっとかぶりつくのが一番美味しいと思うけど、固くて歯が立たないならばミルクに浸して食べるのも美味しいぜ」

「いえ、大丈夫です――では」


 と、彼女は控えめに口を開く。

 ……きらりと尖った犬歯が覗き、背筋に冷たいモノが走る。

 あるいはそれは捕食者を目の当たりにした非捕食者の気持ちだったのかもしれない。

 事実、彼女にとって人間は捕食する対象であり、こうしてパンを大人しく食べていたとしても本来は人間の首筋に歯を立て血を啜る方が正しい姿なのだろうから。


「美味しいです……!」


 とはいえ、破顔し頬を緩ませる少女の姿に俺は先ほど感じた悪寒などすぐに忘れ、自らの作ったパンを美味しいと言ってくれた彼女に「ありがとな」と感謝を告げる。


「こうしてパンを作り始めてから10年ほど経ったけど、やはり君みたいに純粋な感謝を口にしてくれる人は結構少ないからな」

「とても美味しいです。しばらくこの街には滞在するつもりですが、その間は可能な限りこのパンを主としていきたいですね」


 何でも彼女はこの街に1か月滞在するつもりらしく、そして今は近くにある宿屋を拠点として街の観光をしているらしかった。

 旅の目的、その果てにある場所に関しては――


「……自分探しみたいなものなので。目的も果てもありません」

「そう、なのか?」

「強いて言うならば、死地を探していると言うべきなのかもしれませんね。私はまあ、きっと長い時を生きると思いますので」


 寂しそうに語る彼女は、140年と長命種にしてはやはり短い年月しか生きていないけど、それでも数多くの別れを経験してきたのだろう。

 そんな彼女からは怯えと諦め、そして悲しみを感じ取る事が出来、しかし「だから」と言う訳ではないが俺はいつの間にかテレサの事が頭の中から離れないようになり、彼女がパン屋へと訪れる時を待ち望むようになっていた。 


「街の外にはどんな世界が広がっているんだ?」

「大したものはありませんよ、貴方が期待しているようなものはありません。あり触れたものが点々と転がっていて、きっととどまり続けていたら飽きてしまうでしょうね」

「それじゃあ、やっぱりテレサはすぐにこの街を離れるのか?」

「いえ、どうでしょう。私、この街の貴方が作るパンが好きなので。逆に言うと、このパンに飽きない内は、多分街に居続けるかもしれません」


 それならば、と俺は彼女に味見役を頼み込んでみる事にした。

 彼女の好みの味。

 そしてテレサは驚いたような表情を浮かべた後、面白そうに頷いてくれた。

 その時の喜びを、今でも俺は覚えている。 


「どうして貴方は私にこのような大役を任せたのです?」

「……君のようないろいろな事を知っている人間に美味しいって言われるようなパンは、きっとみんなからも認められるだろうからな」

「私、そこまで舌に自信がある訳ではないんですけどね」


 いつしか彼女は宿屋から俺のパン屋で寝泊まりするようになり、一緒に食事をし、同じ時を過ごす様になった。

 それがとても居心地が良くて、彼女が笑っているのが愛おしくて。

 彼女が俺から距離を置いている事が、何よリ辛くて。

 だけどそれはきっと、彼女にとって必要な事だから。

 ――そしてそんな風に言い訳を続けていられるほど、俺は賢い人間ではなかった。


「君にはずっと俺のパンを食べて貰いたいよ」

「それはまるで、ははっ。プロポーズみたいな言葉ですね」

「プロポーズって言ったら、どうする?」

「そうですね……」


 彼女は笑ってこう言った。


「私の事を好きになるなんて、1000年早いっ!」


 


 


 そして。


 ……


 彼女はまるで今までの事すべてに対して唐突に飽きてしまったかのようにこの街から不意にいなくなった。


 


 まるで心がなくなってしまったかのように、俺は何も出来なくなってしまった。


 彼女のいないパン屋はとても広く感じ、しかしそこにはパンを作る義務だけが残されていた。


 1年。


 何もする事が出来なかった。


 2年。


 彼女を諦めようかと思った。


 3年。


 彼女を待つ事を決めた。


 5年。


 彼女がいた事が夢だったかもしれないと思い始めた。


 10年。


 ……それでも彼女が好きであると心に誓った。


 


 長い年月。


 長命種にとって50年と言う月日はあまりにも短いかもしれないが、しかしただの人間である俺にとってはあまりにも長かった。


 パンをこねる事すら出来なくなり、パン屋はやめざるを得なくなった。


 それでも窯はそのままにしていつでも使えるようにしておき、そして店だった建物の外でぼーっと空を見上げる日々。


 街には子供達の笑い声が響き渡り、どこからか足音が聞こえてくる。


 


 50年。


 俺は――それでも彼女の事が好きだった。


 


 そして51年目になるよりも前に、俺は大病を患い部屋から出る事が出来なくなった。


 目を開けられる時間が少なくなり、ベッドから起き上がる事も出来ない。


 睡魔に負けたらそのままこの世からいなくなってしまう気がして、眠るのが怖くなった。


 そのように生にしがみついているのは、やはり彼女の事が気がかりだったからだろう。


 


 結局、俺の人生ってなんだったんだろうな?


 


 そんな時――遠くで扉が開く音を聞く。


 駆け足気味に廊下を移動し、そして風通しを良くするために半開きにしていた扉の隙間から、一人の少女が現れた。


 


 ……彼女は今も若々しく、しかし今まで見なかったような辛そうな表情をしていた。


 その事に申し訳なく思いつつ、それでも俺と言う存在が彼女にとって「そのような表情を浮かべる」に値するものであるという事に喜びを感じる。


 


「貴方は……もう、長くないんですね」


「いや、俺はまだまだだよ」


 


 俺はそれでも――笑って彼女に答えた。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


「1000年後、俺はまた君に恋をするのだから」


 


 


  ▽


 


 


 風が鳴る音が聞こえる。



 世界は何時だって俺の意思なんて関係ないと言わんばかりに進み続ける。

 時は光陰矢の如しとはよく言ったもので、俺は何時しかこの世界に馴染むまでになっていた。

 大人とは言えない、しかし子供とも言えないそんな微妙な次期の人間。

 高校生――青春とは言うものの、しかし俺にとって重要なのは、ただ……


 


 食べ飽きた食パンを口に無理やり突っ込み家を出る。

 高校生の日常、しかし今日は不思議と「予感」があった。

 まっすぐな道を走り、そして目の前に一人の少女が歩いているのが見えた。

 表情は見えない、しかし俺は彼女と「ここ」で出会う事を――そう。


 1000年前から知っていたような気がした。


 俺はドキドキと高鳴る胸を押さえつつ、出来るだけ平常心である事を心掛けながら彼女に問う。


 


「君は……」


 


 サラサラ、さらさら。

 風に吹かれて髪が揺れる。

 

 少女は言う。


 


「人を」

「うん」

「人を、待っていて」

「うん」

「私の事を好きになってくれた人……1000年経ったから、きっとここに来てくれると思って」


 浮世離れした言の葉。

 しかしだからこそ彼女が「彼女」である事はすぐに分かった。


 


 だからこそ、俺は彼女に告げる事が出来たのである。


 


 


 


 


 


 


 


「俺の、恋人になってくれませんか?」

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