年上の美少女が1000年生きるタイプの人外だったんだが

カラスバ

年上の美少女に告白したけど、フラれた


 彼女と出会って最初に抱いた第一印象は「随分と達観した奴なんだな」だった。

 身長はそこまで高い訳でもなく顔も童顔。

 しかしながら漂わせている雰囲気は年長そのものである。

 話し方も落ち着いていて頭がおかしくなりそうだったが、その後に彼女が「長命種」――つまり長い時を生きる種族である事を知って「なるほど」と合点がいった。

 彼女は「真祖」。

 エナジードレインを得意とする吸血種の原種とも言える存在であり、怪物的な力と賢者のような叡智、そして何より長い年月を生きる事を可能とする生命力を有している。

 とはいえその当時の彼女はまだ140歳と長命種にしてはまだまだ若い方だったが、それでも人間にしてみれば十分長生きな部類である。

 100余年という年月は人間である俺からしてみれば随分と長く、そしてそれはきっと彼女にとっても同じだったのだろう。

 事実、彼女は若々しい外見をしていながらもまるで物語に登場する仙女のように飄々としていて、そして何より世の中の無常を嘆いているようでもあった。

 あるいは、自らを残して去っていく友達の事を思っているのか。

 なんにせよ……その時出会った彼女はあまりにも、孤独だった。


 その時の彼女はテレサという名前を名乗っていた。

 亜麻色の髪、青蒼色の瞳。

 服装は清潔なローブ、しかし丈があっていないのかややブカブカだった。

 しかしながらそれでも彼女にはその格好が似合っていて、結局最期の時まで彼女はそのように一回り大きいサイズの衣服を身に着けていた。


 その理由について一度尋ねた事がある。


「いや……大きめの服を着ていたら、もしかしたら私も成長してそれを着こなせるようになるかもしれない、でしょ?」


 彼女はからからと笑いながらそう答えた。

 彼女が大きめの服を着ていたのはそんな小さな願望を抱いていたからであり、そしてそれは彼女のお茶目で子供っぽいところの一つでもあった。

 当たり前だが長命種の成長は緩やかであり、ていうかそもそもとして長命種がどれほどの年月を経て成長をするのかは文献に残っていないので、だから彼女が今後成長するかについては俺も分からなかった。

 ただ、それでも彼女がそのような夢を見ているのならば、俺がそれに水を差すというのは無粋というものだろう。

 だから俺も彼女の大き目な服について言及する事はそれで最後にした。

 ただ――やはりサイズが合っていない事が原因で服の裾を引っ掛けたり、あるいは転びそうになったりする時は儘あったので、やっぱり彼女にはサイズの合った服を着て欲しいなとはずっと思っていた。


 さて、彼女との出会いではそんな感じであり、そして俺は当時パン屋を営んでいた。

 パン屋、それも街で一番のパン屋だった。

 俺が住んでいた街で購入する事の出来る小麦ではなかなかふっくらとしたパンを作る事は出来なかったが、その分パリッとした表面に仕上がる。

 もちもちしたパンはあまり人気がなかったので、だから敢えて薄めにしてパンを作ったらそれが爆発的な人気となり、最終的に「この街に来たらまずはパンを食え」とまで言われるようになった。

 パン屋「ハニースープ」。

 平べったいパンに蜂蜜を塗って食べるのが流行り。

 そしてテレサは――それを食べにやって来た旅人だった。


「もし、店長さん。こちらのパンはまだ残っていますか?」


 黄昏時に現れた彼女に俺は空っぽになったバスケットを見せながら頭を下げる。


「ごめん、もうパンは全部売り切れてしまったんだ。絶対に欲しいなら明日の早朝に来てくれ、出来立てのパンがあるだろうから」

「なる、ほど……」


 話し方は大人びていたが、しかしあからさまにがっかりしていたテレサ。

 なんだか罪悪感が湧いてきたが、とはいえないものはないので売る事は出来ない。


「まあ、明日来てくれたら優先して売るから」

「それは……はい、分かりました。折角この街に来たんですし、一日くらいはパンの為に待つ事があっても良いでしょう」


 その時はまだ彼女が長命種だとは知らなかったので、やはり随分と達観的な女の子だなと思った。

 ……それから翌日。

 テレサは宣言通り早朝にやって来て、何なら店が開く前からやって来てパンを売り始めるのを待っていた。

 そんなにパンが食べたかったのかと苦笑しつつ、俺は彼女に出来立てのパンを差し出す。


「はいよ。そのままがぶっとかぶりつくのが一番美味しいと思うけど、固くて歯が立たないならばミルクに浸して食べるのも美味しいぜ」

「いえ、大丈夫です――では」


 と、彼女は控えめに口を開く。

 ……きらりと尖った犬歯が覗き、背筋に冷たいモノが走る。

 あるいはそれは捕食者を目の当たりにした非捕食者の気持ちだったのかもしれない。

 事実、彼女にとって人間は捕食する対象であり、こうしてパンを大人しく食べていたとしても本来は人間の首筋に歯を立て血を啜る方が正しい姿なのだろうから。


「美味しいです……!」


 とはいえ、破顔し頬を緩ませる少女の姿に俺は先ほど感じた悪寒などすぐに忘れ、自らの作ったパンを美味しいと言ってくれた彼女に「ありがとな」と感謝を告げる。


「こうしてパンを作り始めてから10年ほど経ったけど、やはり君みたいに純粋な感謝を口にしてくれる人は結構少ないからな」

「とても美味しいです。しばらくこの街には滞在するつもりですが、その間は可能な限りこのパンを主としていきたいですね」


 何でも彼女はこの街に1か月滞在するつもりらしく、そして今は近くにある宿屋を拠点として街の観光をしているらしかった。

 旅の目的、その果てにある場所に関しては――


「……自分探しみたいなものなので。目的も果てもありません」

「そう、なのか?」

「強いて言うならば、死地を探していると言うべきなのかもしれませんね。私はまあ、きっと長い時を生きると思いますので」


 寂しそうに語る彼女は、140年と長命種にしてはやはり短い年月しか生きていないけど、それでも数多くの別れを経験してきたのだろう。

 そんな彼女からは怯えと諦め、そして悲しみを感じ取る事が出来、しかし「だから」と言う訳ではないが俺はいつの間にかテレサの事が頭の中から離れないようになり、彼女がパン屋へと訪れる時を待ち望むようになっていた。 


「街の外にはどんな世界が広がっているんだ?」

「大したものはありませんよ、貴方が期待しているようなものはありません。あり触れたものが点々と転がっていて、きっととどまり続けていたら飽きてしまうでしょうね」

「それじゃあ、やっぱりテレサはすぐにこの街を離れるのか?」

「いえ、どうでしょう。私、この街の貴方が作るパンが好きなので。逆に言うと、このパンに飽きない内は、多分街に居続けるかもしれません」


 それならば、と俺は彼女に味見役を頼み込んでみる事にした。

 彼女の好みの味。

 そしてテレサは驚いたような表情を浮かべた後、面白そうに頷いてくれた。

 その時の喜びを、今でも俺は覚えている。 


「どうして貴方は私にこのような大役を任せたのです?」

「……君のようないろいろな事を知っている人間に美味しいって言われるようなパンは、きっとみんなからも認められるだろうからな」

「私、そこまで舌に自信がある訳ではないんですけどね」


 いつしか彼女は宿屋から俺のパン屋で寝泊まりするようになり、一緒に食事をし、同じ時を過ごす様になった。

 それがとても居心地が良くて、彼女が笑っているのが愛おしくて。

 彼女が俺から距離を置いている事が、何よリ辛くて。

 だけどそれはきっと、彼女にとって必要な事だから。

 ――そしてそんな風に言い訳を続けていられるほど、俺は賢い人間ではなかった。


「君にはずっと俺のパンを食べて貰いたいよ」

「それはまるで、ははっ。プロポーズみたいな言葉ですね」

「プロポーズって言ったら、どうする?」

「そうですね……」


 彼女は笑ってこう言った。


「私の事を好きになるなんて、1000年早いっ!」


 


 


 そして。


 ……


 彼女はまるで今までの事すべてに対して唐突に飽きてしまったかのようにこの街から不意にいなくなった。


 


 まるで心がなくなってしまったかのように、俺は何も出来なくなってしまった。


 彼女のいないパン屋はとても広く感じ、しかしそこにはパンを作る義務だけが残されていた。


 1年。


 何もする事が出来なかった。


 2年。


 彼女を諦めようかと思った。


 3年。


 彼女を待つ事を決めた。


 5年。


 彼女がいた事が夢だったかもしれないと思い始めた。


 10年。


 ……それでも彼女が好きであると心に誓った。


 


 長い年月。


 長命種にとって50年と言う月日はあまりにも短いかもしれないが、しかしただの人間である俺にとってはあまりにも長かった。


 パンをこねる事すら出来なくなり、パン屋はやめざるを得なくなった。


 それでも窯はそのままにしていつでも使えるようにしておき、そして店だった建物の外でぼーっと空を見上げる日々。


 街には子供達の笑い声が響き渡り、どこからか足音が聞こえてくる。


 


 50年。


 俺は――それでも彼女の事が好きだった。


 


 そして51年目になるよりも前に、俺は大病を患い部屋から出る事が出来なくなった。


 目を開けられる時間が少なくなり、ベッドから起き上がる事も出来ない。


 睡魔に負けたらそのままこの世からいなくなってしまう気がして、眠るのが怖くなった。


 そのように生にしがみついているのは、やはり彼女の事が気がかりだったからだろう。


 


 結局、俺の人生ってなんだったんだろうな?


 


 そんな時――遠くで扉が開く音を聞く。


 駆け足気味に廊下を移動し、そして風通しを良くするために半開きにしていた扉の隙間から、一人の少女が現れた。


 


 ……彼女は今も若々しく、しかし今まで見なかったような辛そうな表情をしていた。


 その事に申し訳なく思いつつ、それでも俺と言う存在が彼女にとって「そのような表情を浮かべる」に値するものであるという事に喜びを感じる。


 


「貴方は……もう、長くないんですね」


「いや、俺はまだまだだよ」


 


 俺はそれでも――笑って彼女に答えた。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


「1000年後、俺はまた君に恋をするのだから」


 


 


  ▽


 


 


 風が鳴る音が聞こえる。



 世界は何時だって俺の意思なんて関係ないと言わんばかりに進み続ける。

 時は光陰矢の如しとはよく言ったもので、俺は何時しかこの世界に馴染むまでになっていた。

 大人とは言えない、しかし子供とも言えないそんな微妙な次期の人間。

 高校生――青春とは言うものの、しかし俺にとって重要なのは、ただ……


 


 食べ飽きた食パンを口に無理やり突っ込み家を出る。

 高校生の日常、しかし今日は不思議と「予感」があった。

 まっすぐな道を走り、そして目の前に一人の少女が歩いているのが見えた。

 表情は見えない、しかし俺は彼女と「ここ」で出会う事を――そう。


 1000年前から知っていたような気がした。


 俺はドキドキと高鳴る胸を押さえつつ、出来るだけ平常心である事を心掛けながら彼女に問う。


 


「君は……」


 


 サラサラ、さらさら。

 風に吹かれて髪が揺れる。

 

 少女は言う。


 


「人を」

「うん」

「人を、待っていて」

「うん」

「私の事を好きになってくれた人……1000年経ったから、きっとここに来てくれると思って」


 浮世離れした言の葉。

 しかしだからこそ彼女が「彼女」である事はすぐに分かった。


 


 だからこそ、俺は彼女に告げる事が出来たのである。


 


 


 


 


 


 


 


「俺の、恋人になってくれませんか?」


 


 


  ▼


 


 


 テレサと言う名前は偽名だ。

 昔はテレジアと言う名前を使っていた時もあるし、おちゃらけてテリテリと名乗った事もある。

 名前に対して特に思い入れはなく、だからテレサと言う名前に関してもあと数年もすれば飽きて違う名前を使っていると思っていた。

 ただ、人間の社会に混ざる為には定期的に同じ名前を使わなくてはならないし、少なくともその街にいる間はテレサと言う名前を使い続ける必要があった。


 ……私にとって誤算だったのは、ちょっとした好奇心でその街にしばらく留まる事を選んだ事。


 そして、すべての始まりはたった一つのパンであった事を、私は今でも覚えている。


 ただ――しかしながら当時の私にとってそのパンというものはあくまで興味を引いたもののひとつでしかなく、そもそも「真祖」である私にとってそう言った食事は不要だ。

 ただの娯楽であり、久遠に等しい死へと続く道のりで見つけた輝かしい石ころの一つ、その程度の認識でしかなかったのだ。


 だから――多分。

 私にとって重要なのは、それがパンである事ではなく。


 ――それが、彼の手によって作られた作品である事、なのだろう。 


 彼と出会ったのはある晴れた日の午後だった。

 昨日、雨が降ったから路地の所々に水たまりがあってそれがキラキラと輝いていた。

 たまたまその街に訪れた私はその時利用していた宿屋の主人にその店のパンを勧められ、仕方なしにその場所まで向かってみたのである。

 しかしながら、そのパンは主人の言葉通り人気の商品だったらしく既に品切れ。

 ただ――私にとって重要なのは手に入れるつもりだったパンが既にない事ではなく、目の前で申し訳なさそうに頭を下げる彼の事だった。


 黒髪、長身、痩躯。

 特に珍しい見た目はしていない平々凡々とした青年。

 例によって宿屋の主人らしく「生真面目で優しい、最近では珍しい好青年」。

 ただ、その人柄が私の好奇心を引いたのかどうかは正直分からない。

 なにせ私はそもそもとして人を食らう「真祖」。

 人々から見れば上位存在であり、そしてその「上位」というのは捕食者という側面を持っている。

 だから私にとって彼はただの都合のいい、美味しそうな「餌」だったのか。

 あるいはそう――


 月並な言葉を使うのならば、一目惚れだったのか。


 なんにしても、私には沢山の時間が有り余るほどある。

 だからこそその気持ちの正体については特に考えずに、しばらく彼と付き合ってみる事にしたのである。

 ……まあ、パンはパンで美味しかったし、それを食べる為というのもあるにはあるのだろう。


「パンにとって重要なのはやはり熱、そして発酵の手間だ。使っている小麦や水はこの街の人間ならばみんな同じものを使っているからな」

「そうなんですか? その割に結構味が違う気がするのですが」

「まあ、隠し味も入れてはいるけど。俺は特に食感を重視しているからな、兎に角カリッとした表面にしてがりっと噛みしめる事が出来るパンに仕上げたい」

「ふぅん……」


 あまり、興味はなかった。

 私の好奇心はあくまで目の前の彼にしかなく、彼の口から発せられる言葉に相槌を打つのはあくまでそうすると彼が喜ぶからだった。

 パンは美味しいけどそれだけだし、ただ、食べると胸がポカポカするのは確か。

 不可解な現象だ。

 彼と同じ工程を踏み私が作ったものを食べたとしてもそういった事はあまり起きないのに。


 同時に。

 もし仮に私がここで彼を襲ったらどうなるのだろうとも考える。

「真祖」として彼を捕食する。

 喉笛を引き裂き血潮を飲み干す。

 きっとそれは、素晴らしい事だろう。

 しかしそれに意味はない。

 食事をとる事と同じくらいにそういう吸血行為も私にはあまり必要のない行為であり、だから彼の命を奪う事に意味はない。

 彼がここで死ぬ事に意味はなく、そして彼がここで生きている事も……


 


「……」

「どうかしたか、テレサ」

「い、え……その、ところで。貴方はいろいろな人から好かれていますよね」

「唐突だな。別に好かれているって程ではないよ、ただみんなに美味しいパンを食べて貰いたいってだけだ。嫌いな奴からパンを貰ったところでそれを美味しいとは思えないだろうからな」

「貴方って本当に」

「なんだ?」

「パンばっかりなんですね」


 少し、イラっとする。

 パンが嫌いになりそうだった。

 彼にこんなにも思われている、パンが嫌だ。

 目の前で粉々にしてやりたいけど、食べ物を粗末にする事は出来ないし……


「いた」


 だから私は、仕方がないので彼の足を優しく蹴ってやることにした。

 えいえい。

 それでも彼は困った顔をして「どうかしたのか?」とか言ってきて、だから私の気持ちは猶更ざわつく。

 本当に、この気持ちの正体は何なのだろう?

 その答えを知る為の時間は、そう。


 


 残念ながら、あまり残ってはいなかったのだろう。


「私の事を好きになるなんて、1000年早いっ!」


 結論から言うのならば、私はどうしようもない程に弱虫だった。

 彼の言葉の真意、それを知りたくなかった。

 恐かった。

 何故彼は私にプロポーズして来たのか。

 その理由が分からなかった。

 なんで、こんな女に対してそんな事をしたのか。

 悪戯だったのか。

 それに――どうせそんな行為に意味はないんだ。


 


 だって、どうせ彼は死ぬのだから。


 時間は残酷で、私がみんなからどんどん置いて行かれる事は産まれた時から決まっていた。


 安らかな眠り、生命の終焉。


 その意味は分からない、ただ私にとってそれらはただの別れでしかなかった。


 だから、有体に言うのならば。


 私は、彼と別れたりしたくなかったから、一方的に彼の事を忘れる事にした。


 忘却、白紙。


 時間は優しく、嫌な事でも放置しておけばどんどん過去のものとして記憶から抜け落ちていく。


 だからこそ私は彼から離れ、そして時間が私の心を癒してくれる事を待ったのである。


 


 1年。


 彼が隣にいない事が辛かった。


 2年。


 彼の声が恋しくなった。


 3年。


 彼の元に戻りたくなった。


 5年。


 彼と出会う資格がない事を悟った。


 10年


 ……それでも彼を忘れられなかった。


 


 長い年月だった。


 140歳を超える私が190歳になり、その年月の意味がどんどんと希薄なものになっていく。


 しかしながら彼と一緒にいない時間はどうしようもない程に重たく、長く、まるで永遠のようにずしりと身体に圧し掛かって来た。


 彼は今、どこで何をしているのだろう?


 今もパンを作っているのだろう?


 


 彼にも、好きな人が出来たのだろうか?


 


 そうだとしたら――泣いちゃいそうだ。


 


 


 ああ、そうだ。


 いつからなのだろう。


 


 彼の事がどうしようもない程に好きになっていた。


 彼の事が愛おしく思える様になってしまっていた。


 あまりにも、あまりにも長命種として致命的な間違い。


 だって彼は私を置いていなくなる事は分かっていたのに、だから彼から離れたのに。


 


 50年。


 今でも私は、彼の事が好きだ。


 


 それでも、嗚呼。


 この心の衝動を身体は押さえてくれない。


 だから、51年目。


 


 私は彼の場所へと戻る事を決めた。


 


 


 50年と言う年月は世界を万化させ、そして彼のモノだった筈の店は看板を下ろしボロボロになった建造物と化していた。


 まるで人の気配のないその場所に、しかしパンの匂いが今でも残っている事にほっとする。


 私は恐る恐る店の中に入り、そしてどこかで人の気配が動いた事を察する。


 まるで、今にも風が吹けば崩れ落ちそうなほどの頼りないそれ。


 私は、気づけば走るように建物の中を移動していた。


 


 


 


 


 彼は――朽ち果てる過程にいた。


 ベッドから唯一出ている顔は痩せこけまるで枯れ木の様。


 その身体からは一切の生命力が感じられず、病に侵されている事を理解する。


 しかし私が現れた事の彼は、どうしようもない程に喜んでくれた。


 その事に私は――意味もなく心をときめかせてしまう。


 


「貴方は、もう長くないんですね」


「いや、俺はまだまだだよ」


 


 彼は笑って答えてくれた。


 


 


「1000年後、俺はまた君に恋をするのだから」


 


 


 そして――


 その答えを言って満足したかのように、彼はこの世を去った。


 


 墓は、彼の遺言通り作らずに遺骸は棺桶ごと海に放流した。


 遠のいていく彼だったもの。


 しかし私はそれがどこかへと流れていくのを最期まで見守る事はせず、すぐにこの場から立ち去る事にする。


 あれは彼だったもの。


 成れの果て。


 あそこに彼は残っていない。


 


 彼は、1000年後にまた、私に恋をしてくれると約束してくれたのだから。


 


 


 だから待とう。


 


 1000年先の未来、その時に何が待っているのか分からないけど。


 長い年月だ。


 私はそれほどの長い年月、一人で過ごさなくてはならない。


 年月は私の隣人達をどんどん過去の人としていく。


 この手をずっと握り返してくれる人はおらず、それでも。


 


 遠い未来、近い先。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 私はいずれ、彼と再会する。


 


 だから――


 


 


  ▽


 


 


 予感がした。


 


 世界の歴史は煉瓦のように積み上げられていって壁となり、その先にある風景一切を隠して見せないようにする。

 現実はなにで事実はどこにあるのか、それを知らずに伝聞のみで世界を知った気でいる人々は多くいる。

 今では掌に収まるサイズのデバイスで世界と繋がる事が出来るが、しかし人々は過去よりもずっとずっと盲目的になった気がする。

 ただ、それでも私にとってはそれらは些事な事である。

 人々がどうなろうと私にとってはどうでも良い事であり、明日世界が滅んだとしても別に問題がなかった。

 ただまあ――彼が暮らすべきなのは人々の中であり、だからそれだけの理由で残ってはいて欲しかった。


「もう、1000年経ちましたよ」


 私の呟きは春の風に呑まれて消える。

 桜吹雪。

 薄桃色の花弁が宙を舞って私の髪に張り付く。

 それを手で取りつつ空を見上げる。


 


 嗚呼、空の色は昔と――あの時彼と出会い過ごした日々、あの時に見上げた時と全く変わらない。


 結局――私は彼の事しか見ていなかったので、当時は空を見上げる余裕なんてなかったけど。


「君は……」


 胸が。

 ずきんと痛んだ。


  

 振り返り、そこにいたのは一人の男子高校生。

 黒髪、長身、痩躯。

 そんな、あり触れた外見の少年。


 私は、言う。


「人を」

「うん」

「人を、待っていて」

「うん」

「私の事を好きになってくれた人……1000年経ったから、きっとここに来てくれると思って」


 


 何を期待しているのだろう。

 彼は違う。

 彼とは違う。

 それでも、彼ととてもよく似た雰囲気を纏う少年。


 


 


「俺の、恋人になってくれませんか?」


 


 その告白もまたまるで予定調和のようで、まるで1000年前からその言葉を待っているかのようだった。

 そして私の回答もまた1000年前から決まっているかのようで――


 


 


 


 


 


「ごめんなさい」


「私、好きな人が、いるの」


 


 


 私の答えを、しかし彼は特に驚いた様子もなく受け入れた。


「その人は、どんな人なんだ?」

「そう、ですね……私よりも大きくて、私の事を大切にしてくれて、私の事が大好きだった、そんな人です。ずっとずっと私の事を好きでいてくれた、そんな素敵な人です」 


 だから、ごめんなさいと私は答える。


「その人が私の運命の相手。その人の想いに応える為に、私は今、ここで待っているんです」

「そっか……」


 少年は、しかし大して驚いた様子はなくむしろ嬉しそうに頷いて見せた。


「貴方は、今もその人が好きなんだな」

「ええ」


 


 私は。


 胸を張って答えられた。


 


 


「今も、彼の事が大好きです」


 


 


  ▽


 


 


 

 不思議な話ではあるが、予感はしていた。

 このような結末に至る事はまるで1000年前から知っていたかのようで、だから何故か俺はその答えを聞いてもなお心の中は凪いだ湖面のように静かだった。

 それでも、その事実は間違いなく現実であり受け入れなくてはならないだろう。

 俺は、彼女に対して告白をしてそれからフラれた――拒絶された。

 それは、間違いなく事実なのだろう。


 つまるところ、俺は過去の自分に負けたって事だった。

 それはとても嬉しい事であり、同時に嫉妬してしまう。

 自分相手だとしても、テレサの心の中に一人の男がいて。

 だから俺は今、フラれてしまった。

 彼女に思われて好かれている男がいるという事実がとても悔しい。

 いやまあ、それは過去の俺なのだけど、だけど彼女は俺が「俺」だと気づいた上で、過去の「俺」がいるからと俺の思いには答えられないと言う答えを口にした。

 つまるところそれは、俺は「俺」の思い出に勝てなかったという事であり、逆に言うと今世の俺の事を全く知らないのだから付き合うもクソもないと言う事だ。


 それはそうで当たり前だし、納得出来る理由である。

 悔しい事には変わりないけれど。

 1000年という月日、彼女は俺の事を変わらず思ってくれたという事が、とても嬉しいけれども。


 とはいえ今の俺は過去の「俺」とは違う。

 パン屋を経営していないし、将来的になろうとも思っていない。

 将来については漠然な事しか考えていない、そんなどこにでもいるような普通の高校生。

 ただ、彼女との再会を夢見て今まで生きてきただけの男だ。

 これからどのような未来が待っているかは想像も出来ないけれど、だけどそこに彼女がいてくれればとても幸せだった。


 その上で、俺はフラれた訳だが。

 実は結構傷ついているが、それでも笑顔のままでいる。


「貴方は、高校生――なんですよね」

「うん、そうだよ」

「ならば、私は良いですから。もっと有意義な事に時間を費やすべきです。学校に行って、授業で無意味かもしれない知識を頭に詰め込み、ご飯を食べ、帰宅する。学友と恋愛話に花を咲かせるのも良いかもしれません……貴方は、未来ある若者なんですから」

「俺は、君の事を忘れられないよ」

「だとしても。私は過去の人間ですから、今を生きる貴方の隣を歩む資格はありません。だから、貴方は――幸せに、なってください」


 


 私は。

 貴方が幸せである事を夢見ていたのですから。

 ……確かに彼女とこうして再会出来ただけで俺は今、とても幸せだけれども。

 過去の想いを、過去の気持ちを、彼女に伝えて共に生きていきたい。

 だけど、それは結局フラれてしまったのだけれども。


「だから、貴方は。1000年の先に会えた貴方。私には好きな人がいます。私の心の中に住まう大切な人。それを大切にしてこれからも歩んでいきますから。私と貴方は異なる道を歩む事になるけど、私は貴方が幸せになる事を祈っていますよ?」


 そう言い。


 彼女は一度ふわりと笑い、それから踵を返して去ろうとする。

 風が吹き、目を開けられなくなりそうになる。

 そこで目を離せば、きっと彼女はこの場から消えてしまうだろう。

 そのように思った俺は咄嗟に彼女の手を、掴む。

 それが震えている事はすぐにわかった。


「は、離してください」

「君に心に決めた人がいるとしても。俺は君の事が好きなんだ――だから、例えまた1000年の月日を要する事になるとしても、君にこの想いを伝えるよ」

「わた、しは……」

「好きだ、テレサ。どうしようもないほど、君の事が、大好きなんだ」


 身体を震わせた彼女。


 ゆっくりと振り返った彼女は――涙をボロボロと溢していた。

 ワナワナと震える唇は笑みを作ろうとして、失敗する。


「ずるいです。私は過去の人間になろうとしているのに、貴方は私に今を生きろというのですね」

「ああ、俺と一緒に生きて欲しい」

「全く――」 


 彼女は。


「――」


 その言葉に俺は「分かった」と頷く。


 


 それから彼女とは長く長く語り合いたい事が多くあったが、しかし悲しい事に俺には学校という日常がある。

 テレサ曰く「無駄になるかもしれない知識を詰め込む場所」。

 そうしてそのようなどうでも良い日常を過ごす事を彼女が求めている事を、俺は知っている。

 少なくとも、自らの所為でそれらを送れなくなってしまう事を彼女は求めていないだろう。


「大丈夫ですよ」


 彼女は言う。


「私は知っての通り長命種。今はこの近くのアパートで生活をしています。便宜上は大学院に所属していますが、毎日のほとんどが日曜日状態です。貴方が帰宅するまで待つくらいの事は、流石の私も出来ますよ」

「大学院、って?」

「お給料も出るし住居も提供してくれるし、長命種にとっては利用し得なんですよ。定期的に人文学の研究室で当時の文化を聴取される仕事――仕事と言って良いかは分かりませんけど。ですけどその程度の負担で安定した衣食住を得られるので助かっています」

「確かにそれは長命種にしか出来ないし、それに貴重な情報サンプルを得られる手段だから大切にされるだろうな」

「とはいえ、女性しか所属していないとはいえみんな変人なのであまり仲良くは――いえ、それよりも。早く学校に向かった方が良いのでは?」

「ん、ああそうだな……それじゃあ、テレサ」

「ええ、待ってます――1000年待ったんですもの、今から数時間待つ事くらい楽勝です」

「……早めに戻るよ」


 胸を張って答える彼女があまりにも愛おしくて、だから学校が終わったら早く帰ってこようと心に誓う。


 


 幸い、今日は五時間授業だったので学校が終わり彼女の元へと戻れたのは3時頃だった。

 再開した場所で、しかしどうやらその場でただぼーっと突っ立っていた訳ではないらしく、その手には現代人らしくコーヒーショップで買って来たらしい飲み物があった。

 両手に一つずつ持っており、そしてその片方をこちらに差し出してくる。


「チョコレートフラペチーノ、いちごフレーバーシロップチョコレートチップココアパウダー、アイス少な目、濃い目、甘めです」

「……なんて?」

「ふふ、今度一緒に行った時に教えてあげます」


 なんか、彼女も彼女で現代人らしくなっているなーと感慨深く思った。

 そして彼女から貰った飲み物はメタクソ甘ったるくて一口目は驚きの余り吹き出しそうになった。

 これを平気な顔をして飲める彼女とは一体……

 とはいえ二口目からは(脳がバグったのか)普通に飲めるようになった。

 彼女が口にした呪文の一部に「アイス少な目」という言葉があった事からも分かっていたが、この飲み物には氷があまり入っておらず、だからキンキンに冷え切っている訳ではなかったので結構飲みやすい。


 それから俺達はひとまずその飲み物をその場で飲み干し、それを片付けた後に見つめ合った。



「それじゃあ」

「えっと、その」

「……こういう言葉は割とありきたりだからあまり言いたくないけど、さ」


 俺は、だけど言わなくてはならないからと告げる。


「ちょっとだけ、テレサ。俺に時間をくれないかな?」

「……もう、今更そんな事を私に聞かないでくださいよ」


 少しだけ拗ねたように唇を尖らせ、彼女は言う。


「それで、王子様は私をどのようなところに連れて行ってくれるんですか?」

「ああ、お姫様。昔から貴方と再会したら行きたいと思っていたところがあったんだ」


 この街、俺が住んでいるこの土地には魅力的なものが――まあ、ないと言えば嘘になるけど、とはいえ都会と比べれば遊べるような場所も少ないし、観光地としても微妙である。

 都会というのは中途半端、しかし田舎とも言い難い。

 そんな微妙な街である。

 良い感じに言うのならば、両方の良いところ取りをしている。

 そして、そんな土地に何か魅力的なところがあるのかというと、やはりその「良いとこ取り」をしているところなのだろう。


 都会程ではないけどいろいろと便利なお店が沢山あるし、駅前とかは人も多く歩いているだけで面白いものを見つけられる。

 そしてそこから離れれば数分で自然豊かな景色を眺める事が出来た。

 

「なんていうか、懐かしい感じがしますよね」


 彼女は言う。

 

「この街を歩いていると、不思議と貴方と初めて出会ったあの街の事を思い出します」

「そうか?」

「ええ、建物とか自然とかは全然違うのですけど、だけど雰囲気がこう、似ている感じがします」


 そのように言いつつ、彼女の方を見てみると何故か手と腕が宙ぶらりんになっていた。

 前に出たかと思ったら後ろに引っ込んだり。

 そしてその意図を理解した俺はいじらしくて、そして同時に嬉しいなと思いつつ――


「――っ」


 彼女と腕を組んでみる事にした。

 それに対し彼女はまず驚いたように目を丸くし、それからこちらの方をじっと見つめ、それから「ふふ」と眼を細めながらはにかんだ。

 

「腕、組みたかったんですか?」

「ああ。悪かったかな」

「別に、大丈夫ですよ。私も、えと、腕を組みたかった気分でしたから」

「なんだよそれ」


 俺は彼女の不思議な言い方に少しだけおかしくなって笑ってしまい、彼女はそれを見て「なんですか?」と今度は拗ねたような顔をする。


「す、素直になって気持ちを言ってみただけですよ、笑わなくても良いじゃないですか……」

「バカにした訳じゃないよ、嬉しかったんだ。俺としては、そんな風に気持ちを言ってくれた方が、嬉しい」

「そうですか。じゃあ――」


 彼女はじっと前の方を見て言う。


「ちょっとだけ、私に付き合ってくれませんか?」

「勿論」


 そう言って彼女が俺を連れて来たのは、驚いた事に駅前にあるゲームセンターだった。

 正直テレサとゲームセンターとの間にどのような縁があるのかまるで想像がつかず、最初そこに足を踏み入れた時は頭の中が「はてな」でいっぱいになった。

 しかしそこで彼女が懐から小銭を取り出してクレーンゲームをプレイし始めると、本当に彼女はこのゲームセンターに用があったんだと理解するに至った。


「意外、だな」

「確かに私らしくないとは思いますよ。ゲームセンターだって私、足を踏み入れるの初めてですし」

「そうなんだ。えっと、じゃあどうして今日はここに来たんだ?」

「そんなの……言わせないでくださいよ」


 じっとこちらを見つめた後、「そうですね」と言葉を付け足す。


「それじゃあ、このクレーンゲームでぬいぐるみを取れたら教えてあげます」

「良いのか?」

「あっ、お金大丈夫ですか? 1000円くらいならば私が出します」

「いや、大丈夫だよ。ワンコインで獲るから」

「え」


 俺はじっとクレーンゲームを見つめ、少しだけにやりと笑う。

 笑いながらも、頭の中は真剣にフル回転させた。


「ああ、ワンコインで獲ってみせる」


 が、まあ。

 俺もゲームセンターに入る事は初めてだったし、だからクレーンゲームをプレイするのは初めてだった。

 そんな奴がいきなりクレーンゲームでぬいぐるみを取れるなんてミラクルが送り筈もなく、気づけば俺の1000円札を両替えする事によって手に入れた100円玉10枚は手の中から消え去っていたのだった。


「いやその」

「悪い、テレサ。後もう少しで取れると思うんだ」

「……いえ、教えるんで諦めてください。おこづかいも有限でしょう?」


 彼女は呆れたように言う。


「ちょっと、憧れてたんですよ私。こういうようなありきたりで子供みたいなお店に行って、それで遊ぶ事を」

「確かに、言われてみると俺もテレサに連れてこられなかったらゲームセンターに足を踏み入れるなんて事はしなかったな」


 その横を通り過ぎる事は何度もあった。

 その上で俺とは無縁の世界だと思っていた。

 ゲームセンターというのは近くて遠い、そんな不思議な場所だったし、だからきっと今後も俺はそこに入る事はないんだろうなーと何となく考えていたが、まさかここに来て足を踏み入れ、そして遊ぶ事になるとは。

 そういう意味でも、テレサに感謝しなくてはならないかもしれない。


「ありがとうな」

「なんですか、それ?」


 くすくすと笑うテレサ。


「別に、私は貴方に付き合って貰っただけですよ? クレーンゲームにしても、本当はただこのぬいぐるみが気になってたから取れたら良いなーって思っただけですし」

「実は凄く欲しかったりしないのか?」

「大丈夫ですよ、このぬいぐるみが流行りのゲームのキャラクターって事は知ってますけど、私実はそのゲームについて詳しい訳ではないんです」

「それじゃあ、これから俺と一緒に知っていこう」

「そう、ですね」


 目を閉じ、それから目を開けてからじっとこちらを見つめて来たテレサは少し甘えたような口調で言う。


「これから、貴方にいろいろな事を教えてもらいたいです。一緒に……いろいろな事をしてみたい、な?」

「ああ、いろいろな事をしていこう――早速、このゲームセンターでいろいろな事を体験してみよう」


 それから俺達は有言実行と言わんばかりにそのゲームセンターで遊んだ。

 勿論お金は有限だから遊ぶのには限りがあった。

 でも、なんだかんだ気づけば一時間が経過していて、その頃には俺達は身を寄せ合ってけらけら笑うようになっていた。

 

「見てください! レースゲームで1位を取りました!」

「あのお菓子の山、どうやって崩せば良いんでしょう……?」

「ああっ、コインが全部なくなっちゃいました!」


 彼女のそのような生き生きとした表情は見た事がなかった。

 そして俺もまた、今までないくらいまでにはしゃぎ、笑い、彼女と一緒に遊んだ。

 

 最後。


「写真、取りません?」


 写真機。

 スマホの時代にこれを利用する人間がいるかどうかは微妙だが、しかしこうして機械が残っているという事は需要があるって事だろう。

 


『まずは、普通に笑って~』


「……普通に笑ってってどういう、わわっ」


『一緒に、ピース!』


「い、いえーい!」


『はーとまーく♡』


「ええっ!?」


『最後に、一杯甘えちゃおうっ』


「あ、甘える? えっと――」


 ちゅっ。


「え」

「こ、こっち見ないでください」


 そんな事、言われても……

 俺とテレサは顔を真っ赤にして写真機から出て、それから外でペンを手に取り加工をしてみる事にした。


「……なんか、別人みたいですね。目がデカすぎる」

「そういうもんじゃないのか?」

「いや、流石にやり過ぎですのでデフォルトで行きます」

「文字とか書くか?」

「え、えー? そ、それじゃあ」


 ハートマークを描いて、印刷する事にした。

 そして出て来た写真をにこにこと笑いながらじっと見つめているテレサ。

 その姿を見て、この場所に連れてきてくれたのはテレサだったけど、それでもやっぱり来てみて良かったなと改めて思った。

 

 それから俺達はまず近くにあるハンバーガーショップに立ち入り、そこで小さなハンバーガーと、アイスシェイクを購入する。

 ハンバーガーはまず店内で食べ、そしてそれを食べ終えた後アイスシェイク片手に店を出て、その時に俺は彼女に言う。


「それじゃあ、これから――俺の家に来てくれないか?」

「え……」


 少し驚いたように目を見開き、それから頬を赤らめて「うん」と頷いてくれた。


「きっと、そうなるんだろうなーとは思ってましたから」

「時間、大丈夫か?」

「時間の事は、大丈夫です。今日はそうなるって、思ってましたから」


 そうなるって、どこまでの事を考えているのかとは思ったが、とはいえそれはデリカシーのない質問だと思ったのでここでは聞かないでおく事にした。

 それからアイスシェイクを一緒に飲みながら歩くこと数分、飲み物がちょうどなくなりそうになった頃に俺達はその場所に辿り着く。


「ここが、俺の今の家だよ」

「ここが……」


 と、家の屋根から玄関までをじっと観察するテレサ。

 とはいえ、よくあるようなあり触れたモダン風の家だ。

 大きさに関してはそこそこ大きいとは思うけど、だけど特別豪邸って訳でもない。

 とりあえずポストの中を見て何も入っていない事を確認し、玄関の鍵をスマホで解除する。

 開いた扉を片手で押し開き、しかしその前に背後から「あら、帰って来たのね」と声を掛けられる事となった。

 振り返ると、そこにいたのは俺の母親。

 ……母さんは俺を見、そして隣にいるテレサを見て首を傾げる。


「可愛らしい女の子だけど、その子って……?」

「……ああ」


 俺は頷き、答える。 


「俺の、妻になってくれると思う人だよ」

「ちょ、ちょっ!」


 慌てふためくテレサ、その姿を「ふむ」とじっくり観察する母さん。


「まあ、とりあえず家に入ってから話をしましょう。立ち話で済ませられるほど短い話では、ないのでしょう?」


 


 


  ▽


 


 


「――なる、ほど」


 俺の話、そしてテレサの話を聞いたのちに母さんは改めて頷いて見せた。

 その様子を見、テレサは「その、お母様」と恐る恐る尋ねて見せたが、それに対して母さんは「お?」とどこか期待通りの反応を貰ったと言わんばかりに目をきらりと輝かせた。


「それはつまり、このセリフを言うべきなのかしら」

「え、その」

「貴方にお母様と呼ばれる筋合いはないわ!」

「ええっ!」


 がーん。

 ショックを受けたテレサが涙目になりこちらを見てくる。


「ど、どうしよ……!」

「いや、ただのテンプレートというか、ジョークだから安心して良いよ」

「私としては貴方が昔から言っていた子がこんなにもカワイイ女の子だなんて知らなかったから、割とショックよ」

「む、昔から?」


 首を傾げるテレサに対し、母さんは「子供の時からずっと言ってたのよ」と言う。


「自分は転生者で、俺には好きな女の子がいるんだーって、昔から言ってたの。惚気てたとも言うわね」

「お、お母様はそれを、信じたのですか?」

「私の息子は冗談は言うけど嘘はあまり言わない子だもの。それに、自分の好悪については絶対に嘘は吐かない。だからきっといずれその女の子を連れてこの家にやって来るって事は、それこそこの子が産まれた時から覚悟をしていたわ」

「そ、そうなんですね……」

「そんな事より!」


 母さんはにやりと笑い、それから如何にも芝居じみた感じに「あら~、そう言えば買い物し損ねたものがあったわ~」と言って席を立つ。

 それから荷物をぱっぱと纏めて部屋から出て行こうとし、その前に「にやり」と笑った母さんは俺に向かって言う。


「3時間は帰ってこないわ。その間に決めなさい」


 いらない気遣いだと思った。

 とはいえ有難かった。


「え、ええ……!?」


 そしてテレサは案の定あわあわしていた。

 ていうか彼女にも聞こえる清涼で言うなよと思った。


「そ、そんな! え、えとお母様。私は――」

「良いの良いの、貴方の具体的な人柄とかはまだ分からないけど、少なくとも悪い子じゃないってのは分かったし、それに知っていたから」

「で、でも」

「だから、テレサさん。これは私の、その子の母としてのお願いであり。そして一人の女としてのお願いよ」


 母さんはそれから少しだけ真面目そうな表情をし、一度こちらに戻って来る。

 テレサの方に顔を近づけ、何かを言う。

 それに対し、顔を真っ赤にしたテレサは「は、はい!」とがくがく頷いて見せた。

 一体何を言い聞かせていたんだろう?

 気になるけど、藪蛇そうだったのでこれもまた聞かないでおく事にした。

 

「じゃ、行ってくるわねー」


 元気に家を出ていく母さん、本当にエネルギッシュだなと思うと同時にこれからきっとテレサの事で話す事が山積みだろうなとも思った。

 とはいえ、大丈夫だきっと。

 その時にはきっと、俺の隣には――


「それじゃあ」

「え、えと」


 二人きりになり、モジモジとするテレサに俺は告げる。


「……とりあえず、俺の部屋に行こうか」

「う、ぅん」


 小さく頷いた彼女は、何かを期待しているかのようだった。

 その期待の正体が俺の想像通りだったならば嬉しいな、そのようにも思った。


 そわそわとしながら俺の部屋に入った彼女は物珍しげに部屋の中を観察する。

 きっと緊張を和らげるためなのだろうが、しかしあるところでピクリと体を強ばらせる。

 彼女の視線の先にあるものを確認し、そして首を傾げた。

 そこにあったものは俺と幼馴染との記念写真であり特別なものが写っているわけではなかったが、しかし彼女は何が気になったのだろう。

 少し考え、合点がいった俺は彼女に先手を打って説明をする事にした。


「それは、幼馴染との記念写真だよ。お隣さんで、夢道桜子って言うんだけど」

「なる、ほ、ど……仲が良いのですか?」

「君が想像しているような関係ではないよ。確かに俺と彼女は幼馴染として仲は良いとは思う。よく昔は一緒に遊んでいたし、彼女が俺の事を好きだった時もあったかもしれない」


 ぎくりと身を震わせる彼女に「でも」と続ける。


「俺はずっと君の事が好きだったし、それは彼女にも伝えていた……まあ、転生云々の事は信じていなかったかもだけど」

「そう、ですか」


 少しホッとした様子を見せ、それから慌てて「べ、別に私は貴方に好きな人がいても別に良いんですけどねっ」と手を振ってみせた。


「わ、私は所詮過去の人間ですし、だから貴方に好きな人が出来ていたとしても、うう、おかしくはないですから……」

「ごめん、心配させるつもりはなかった。俺も、1000年の間に君に好きな人が出来ていたらと思った事は何度もあるし、だから気持ちは理解できるよ」

「私の気持ちを舐めないでください、これでも身持ちは固いつもりです。ずっとずっと、ずーっと貴方の事が、好きですから」

「そ、そうか」

「……な、なんか恥ずかしい事言ってますね私━━と、とにかく私は貴方一筋って事です! わ、分かったかっ」


 顔を真っ赤にして言う彼女に俺も頬が赤くなっていくのを感じつつ「お、おお」と頷いた。

 同時に、1000年と言う月日の間、彼女を一人にさせてしまっていた事がとても申し訳なく感じてくる。

 輪廻転生と言うのは、死に生まれ変わるものだという認識をしている。

 それならばなぜ俺はあの時に死に、そしてすぐに生まれ変わらなかったのだろうか?

 それとも輪廻転生というのは時間という概念に囚われない現象だという事なのか、どちらにせよ世界と、そしてそれを作った神様は意外と鬼畜だなという感想を抱いてしまう。

 それでも、彼女と再会させてくれた事だけは感謝するべきだろう。


 そして彼女は「本当に、怖かったんです」と俯いて白状してくる。


「貴方が転生したとして、私と再び会う時には既に好きな人が出来ていたらって。私の事なんて忘れて、忘れたい過去の思い出にされていたらと思うと」


 そんな事はない。

 俺はずっと昔から、君の事が好きだったのだから。

 その思いを捨てた事も、裏切った事も一度としてない。


「……べ、別にそれでも貴方が幸せなら良いのですが」

「俺は、テレサ。君とこうして再会出来なかったら、何もかもがどうでも良くなってしまうくらいだったよ」


 俺は、君の事が好きだから。


「どれだけ言葉を重ねても足りないくらいに。きっと積み重ねてきた時間は君の方が多いだろう、だから想いの重みもきっと君の方が重いのも当然だと思う」

「わ、私を重い人間みたいに言わないでくださいっ」

「だけど、俺だって君の事が好きなんだ━━もう、君を一人にしたくない。これからずっと君と生きていきたいんだ」

「ま、まるでプロポーズですね」

「プロポーズって言ったら、どうする?」

「そうですね……」


 


 彼女は。


 


 まるで答えは1000年前から決めていたかのように。


 


 にこりとはにかみながら、答えた。


 


 


 


 


 


 


 


 


「鈴谷真人くん、貴方の人生を私にください」


 そしてその答えもまた、16年前から既に決めてあった。


「俺の人生を、貴方に捧げたい」


 テレサは微笑み、涙を浮かべる。

 俺はゆっくりと彼女の身体に近づいて、それから遠慮がちにその身を抱きしめた。

 びくりと身体を硬直させ、抱きしめ返してくれる彼女。

 ――そうやって、俺の事を拒絶してくれない事実。 


 ただそれだけで俺は、この人生がとても幸福なものであったと、そのように信じる事が出来たのだった。


 


 


  ▼


 


 


 それからの話をしよう。


 


 ……とはいっても、これから話すのはとても取り留めのないどこにでもあるようなお話。


 そうだな、例えば俺の両親だって経験してきたであろうようなそんなあり触れた日常を、俺達は歩んできたのだから。


 それが、俺にとっては幸せだった。


 彼女もまた、そう思ってくれていたら嬉しかった。


 勿論、俺達は何度も語り合ってお互いがお互いにどのような考えを持ち、どのような思いを秘めているのかをちゃんと確かめ合ってきた。


 それで些細な事で怒鳴り合いになり、喧嘩して、泣き合って、そして仲直りした。


 ああ、本当に。


 


 俺達は長い年月の先にある二人組であるというのに、どうしようもない程に普通であった。


 


 ……その事が、とても俺にとっては嬉しかった。


 


 10年。


 俺は大人になり仕事をするようになった。


 20年。


 俺と彼女との間に子供が出来た。


 30年。


 卒業式の歌で彼女と一緒に涙を流した。


 40年。


 子供が彼氏を家に連れて来た。


 50年。


 ……


 


「流石に、うん。私は幸せでしたよ?」


 


 彼女のような長命種であろうとも、1000年という年月は長かった。


 長すぎたと言っても良い。


 彼女ほどの年月を生きて来た生物は恐らく他にいないだろうし、それでも生物として時間には勝つ事が出来ない。


 病院で、まるで眠るようにして息を引き取った彼女の手を、俺はずっと握りしめる事しか出来なかった。


 ああ、本当に。


 俺は、これからどうやって生きていけば……


 


 60年。


 子供達の家で生活をするようになった。


 70年。


 杖を突きながらでも、歩く事が出来なくなった。


 最近、忘れる事が多い。


 そういえば、俺が愛していたあの子の名前はなんだったっけ……


 


 恐ろしい。


 時間の流れが恐ろしい。


 大好きな、大切だった君の事。


 その声、その姿、君の笑顔がどんどん色あせて行ってしまう。


 神様は残酷だ。


 それでも貴方が天国というものを作ってくれているのならば、俺はそこで再び君と出会えるのだろうか?


 最近は、君の事を夢で見る事も減って来た。


 


 ……夢を見てきた。


 その時、君は今も生きていて、一緒に年を重ねていて、玄関でぽつんと腰を掛けて空を見上げていた。


 俺は、そんな彼女の事をじっと見つめていて、いつ話しかけて良いものかと悩み、そしてそうしているうちに目が覚める。


 ああ、どうしてあの時話しかけられないのだろう。


 君は、君は――


 


 俺と一緒に生きて、幸せだったかい?


 


 それから、10年の月日が経過した。


 俺はあの時、彼女が眠っていた病室で横になっていた。


 寂しくはない。


 時折孫を連れて子供達がやってきてくれる。


 それに、後もう少しすればきっと、彼女と一緒の場所に行く事が出来るのだ。


 


「テレサ」


 


 1000年の恋。


 1000年の想い。


 俺は、君の気持ちに応えられただろうか?


 ちゃんと、君を幸せに出来たのだろうか?


 それでも、ああ。


 孫達の笑顔を見ると少し思う。


 彼女の意思、彼女の面影は今もこの世界に残っている。


 これからも代々受け継がれ、薄れていき、それでも残っていく。


 そうだと嬉しい。


 


 彼女と俺の思い出は、きっとこの世に残り続ける。


 


 そして――


 


 


  ▽


 

 


 


 


 



 ねえ、君。


 


「君は、誰?」


 


 あは、そっか。君は忘れちゃったんだね。


 


「いや、その」


 


 ううん、何でもない。私は誰でもない、貴方とは初対面の筈だよ。


 


 だけどね……うん、強いて言うのならば。


 


 


 


 



 ずっと昔から、貴方の事を愛していました。


 


 


  ◆


 


 


 少女は戸惑う少年の手を引いて走り出す。


 時折振り返っては花のような笑顔を浮かべる。


 そんな彼女の笑顔を見て、「俺」は、きっと――


 


 


 



 


 


 魂の「幸い」を、得たのだ。

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