8 顔洗った


 朝食が出来上がるのを待っているうちに、俺は部屋で着替えを済ます。


 リビングに向かうと、既に朝食は出来上がっており、パンの香ばしい匂いが部屋全体に広がっていた。すごく美味しそうだ。


 ――なのに、肝心の彼女がいない。


 洗面所で着替えでもしているのだろうか。それともトイレ?


 取り敢えず、洗面所の扉を二回ノックする。


 すると、「いいですよ」と玲愛の凛とした声が返ってきた。


 良かった。居た。一安心。


 洗面所の扉をゆっくりと開けると、中には化粧をしている玲愛の姿が――。


 化粧に時間を掛けたいのは分かるが、このままだと遅刻してしまう。


「おい、遅刻する。どうしてそんなに、化粧に時間掛けるんだ?」

「カナメ君に可愛いと思われたいからに決まっているじゃないですか。カナメ君に可愛いって言われるなら、化粧なんて二時間は余裕です」


 愛が深い……。


「いや、でも遅刻……それに今の玲愛も充分可愛いって」

「ホントですか?」

「ああ、可愛い」

「ホントに?」

「――可愛いよ」

「うふふっ」


 ぴょんぴょん、と飛び跳ねる玲愛。

 幸せ絶頂のようだ。


 ……言われたいだけだろ。


「ですが、もう少しだけ時間を下さい。中途半端じゃ良くありません」


 確かに。玲愛を少しだけ待つ。


「カナメくんの方こそ顔洗いは済みましたか?」

「まだ歯磨きも洗顔もしていない」

「朝食後、纏めてする派なんですね……」


 コクリ、と頷く。


「顔洗いが済んだら、わしゃわしゃしてあげます」

「わしゃわしゃ?」

「はい、タオルでわしゃわしゃ」


 何という甘い展開……。

 早く朝飯、食べ終わらせたくなってきた。


 時間的には緊迫しているが、時間など気にせず、能天気に食パンを頬張る玲愛。


 そんな彼女は語りだした。


「作戦会議しましょう」

「作戦会議……?」

「はい、今日恐らく五城さんに会うでしょう?」


 そうだった。忘れたいのに、同じクラスだから、エンカする運命からは逃れられないんだった。


「ああ、会うが」

「そこで、提案があるのです! 私と恋人繋ぎ、しませんか?」

「恋人繋ぎ? まあ、いいけど」

「もう少し恥ずかしがって下さい……」


 俺はごめん、と会釈する。


「でも何でだ?」

「それは五城さんにダメージを負わせる為です。彼女を嫉妬させるのです」


 ダメージを負わせるって……。

 でも、そんな恋人繋ぎだけで五城は嫉妬するか?


「五城さんには恋人はいないでしょう? でしたら、イチャイチャしている所を見ただけで、羨ましいと思うかもしれません。それについ昨日告白してきて振った相手が翌日、新たな彼女を連れて仲良くしてたら、自分なんて取るに足らない、ちっぽけな存在だったんだ、と思い、へこむはずです。もしかすると、カナメくんが気移り早い、と思われてしまうかもしれませんが。どうでしょう?」

「良いかもな」


 やはり玲愛は頭が良い。良案すぎる。


「あと、絶対カナメくんから攻撃するような事はしてはいけませんよ? かえって逆効果です」

「攻撃……?」

「はい。カナメくんは過度に彼女出来ましたアピールとかしなくていいのです。五城さんに聞かれたことだけ、答えればいいのです」

「なるほど」

「執拗に向こうが聞いてきたら、私が仲裁に入ります」


 玲愛に礼を言う。


「カナメくんも怖かったら、避けたり距離取ったりしていいんですからね? 無理して五城さんと関わる必要はありません」

「ああ」


 朝食を食べ終えると時間は、出発時刻五分前、とすぐそこまで迫っていた。


 彼女にわしゃわしゃしてもらう為に洗面所まで行き、顔を洗う。歯磨きも済ませる。


 鏡を見ると後ろには、白いふわふわなタオルを両手で持った、玲愛がいた。


「玲愛……! びっくりした」

「ずっと待ってましたよ?」

「ああ、悪い――」


 謝罪の途中で俺の顔はもふもふに包まれた。すごくふわふわしていて、気持ちいい。


「謝らないで下さい」


 玲愛に顔をタオルでわしゃわしゃ、と拭かれる。少し強めに。だけど、皮膚が傷つかない程度に優しく。


「どうですか」

「凄くあったかくて、気持ちいい」

「それは良かったです」


 最後に仕上げをして、わしゃわしゃタイム終了。


「お疲れ様でした」


 彼女はそう言うが、何故かタオルと俺の頭を離そうとしない。


「……?」

「キス、したくなっちゃいました」


 そっか。

 俺も変な気持ちになりつつあった。


「しても、いいですか?」

「いいよ。玲愛にならいくらでも」


 白く、ふわふわなタオルに包まれながら、彼女とキスをする。

 俺は華奢な彼女の身体をそっと抱きしめた。


「カナメくん……」

「玲愛……」


 じっと見つめ合う二人。


 ――しばらくして、冷静になった玲愛はこう告げた。


「カナメくんは私がいるから大丈夫です」

「……!」


 そしてまた、玲愛にキスされるのだった。



「もう行く時間だな」

「ですね」


 靴を履き替えたところで、彼女が「忘れ物した!」と急いでキッチンに忘れ物を取りに行った。


 戻ってきた彼女は風呂敷に包まれたモノを俺に渡しながら――


「これ、今日のお弁当です。美味しく召し上がれ」

「あ、ありがとう……」


 女子に手作りの弁当を作ってもらえるなんて、初めてのことだ。

 何ていうか、緊張するな。いつもコンビニのおにぎりで昼飯は済ませているから、友達にはどう思われるんだろ……。


「もしよろしければ、昼ご飯一緒に食べませんか? 屋上で」

「いいな!」


 というわけで、今日の昼は玲愛と一緒に食べることになった。お弁当の感想とか直接聞きたいらしい。


 でも、俺にとって屋上はトラウマな場所だった――。まだ昨日の今日だから仕方ない。


 暗い顔を察してか、玲愛は心配そうに聞いてくる。


「屋上、ダメでした? カナメくんの希望する場所でいいですよ」

「否、屋上でいい」

「分かりました」


 玄関から出る。


 外は見事なまでの快晴だった。

 朝の澄んだ空気が美味しい。


「それでは」


 玲愛の合図で指を絡ませる。


 ひんやりとした、玲愛の指。俺が少し力を入れただけでも折れてしまいそうだ。


 マンションを抜け、通学路を歩く。

 玲愛が美少女過ぎるから、大勢の視線を浴びせられる。時折、ちっ、とかいう舌打ちの音も聞こえてくるが、気にしないことにしよう。


「まったく。カナメくんがイケメンで私とは不釣り合いだからって舌打ちはダメです。私ってそんなにブスでしょうか……?」

「逆だと思うが」


 俺にそう言われ、彼女はきょとん、としていた。そんな仕草も可愛らしい。


「ところで、玲愛は五城さんと話したことあるのか?」

「少しだけなら」


 そうなんだ。

 どんな会話をしたのか、気になる。


「その時って敬語だったか?」

「ええ」

「告白の時、いきなりタメ口になったけどあれは一体……?」

「裏の顔って奴ですよ」

「裏の顔……」

「彼女は男子を振る時、木っ端微塵に振ると有名ですが、『好きな人がいるから』と言ったのはカナメくんが初めてらしいですけどね」


 何でだろうな。


 木っ端微塵に沢山の人を振っても、五城の好感度は保たれている。振られてもまた、アタックする人もいるらしい。


 でも俺は傷ついた。他にも被害者がいるなら、尚更許せない。学校一の美少女だからといっても、言っていい事と悪いことくらいある。


「学校に着きましたよ」


 下を向いて歩いていたら、いつの間にか学校に。


 学校の校舎を見た瞬間、激しい動悸どうきが始まった。


 廊下を歩いていると、前方を見慣れた人物が歩いていた。


「おはようございます、五城さんっ」


 声を掛けたのは玲愛だった。


「おはよう、ござ、……え?」


 目を丸くして、口をぽっかり開ける五城。

 彼女の視線の先は俺たちの手。手と交互に顔も何度も見られた。


「五城さんの予想は外れたようですね。俺、彼女出来ました」


「はああああ!?」


 何とも間抜けな声。


 五城は現実が理解出来ないのか、頭を抱え始めた。



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