第3話  幕が開く


 あれから20年……。


 高層ビルが並ぶオフィス街をスーツ姿の白石雅人は駆け抜けていった。


 人の群れを避けながら、街路樹にぶつかりそうになる体を器用に傾け、進んでいく。

 手に持ったカフェラテが歩調に合わせ揺れる。それをこぼさないようにうまくバランスを取り、上手に人の群れをすり抜けていった。


 もう、こういうことにも慣れた。


「おい、雅人、早くしろ!」


 俊介が呼ぶと、雅人は急いで駆けつける。


「は、はい」


 息を切らした雅人がカフェラテを俊介に差し出した。

 それを当たり前のように受け取ると、俊介は何も言わずさっさと歩き出す。

 一息つくと、少し遅れて雅人も彼のあとを追っていく。


 現在、森谷俊介は政治家となり、若手のホープとして活躍していた。


 俊介は父親のコネを使い、見事政治の世界に足を踏み入れた。

 34歳という若さで政治の中枢にいる彼はかなり有望視され、マスコミなどにもよく取り上げられるほどだった。


 雅人はそんな俊介の手足となるべく彼の秘書になった。


 あの事件以来、お互い切っても切れない鎖で結ばれ、逃れたくても逃れられない関係になってしまった。

 運命共同体といえばいいのか、一方が破滅すればもう一方も破滅する。

 二人ともあの事件のことは口が裂けても誰にも言えなかった。


 昔からずっと足で使われ続け、今では秘書としてまたこき使われる生活を続けている。

 この負のループから逃れられる日は来るのだろうか。今ではそんな淡い期待を望むことさえ無くなり、日々の雑務やスケジュール管理などに明け暮れる毎日を送っている。


 この世界は本当に恐ろしい世界だ。金と権力さえあればのし上がっていけるのだから。

 俊介にはある意味合っていたようで、順調に我が道を突っ走り今の地位を築き上げていった。


 しかし、雅人は俊介のような人間が政治家になれてしまうこんな世の中が心底嫌だった。軽蔑し吐き気がするほどに。


 本当に政治家にふさわしい人物は他にいた……。


 とある人物を思い出してしまい、雅人は首を横に振った。

 彼を思い出すと、同時に恐ろしい過去まで思い出してしまう。


 もう消し去ろう、そう決めたんだ。


「あれ、雅人?」


 名前を呼ばれ、振り返る。


 そこには、たった今頭に思い浮かんだ人物。

 そして今、この世で一番会いたくなかった人物がいた。


 蒼井空良。


 あの事件の日から忘れたくても忘れられない。

 僕が彼を見間違うことなんて絶対にありえない。


 雅人は空良を凝視して固まってしまう。


「やあ、ひさしぶり」


 空良は昔のままの爽やかな笑顔で雅人に近寄ってくる。


 なぜ今、僕の前に現れる? どうしてここにいる?


「そ、空良なのか? 驚いた」


 雅人は空良の目をうまく見られなかった。


 あの事件以来、ろくに会話もしたことがなかった。

 彼を見かけても決して話しかけることはせず、彼も一切僕に近寄ってくることはなかった。

 そうこうしているうちに空良は引っ越してしまい、気づけば彼は僕の前から消息を絶っていた。


 僕は正直ほっとした。もう彼と向き合わなくていいことに。

 このまま永遠に会わなければいいとさえ思っていた。


 もし彼に本当のことがバレたらと思うと、恐くてたまらない。


「仕事の関係でこっちへ来たんだ。雅人、元気そうでよかった」


 優しく微笑む空良を見て、雅人の良心は激しく痛んだ。


 なんで僕のことなんか心配してくれるんだよ、そんな優しい目で見ないでくれ。


「君も元気そうでよかった。じゃ、僕忙しいから」


 雅人は結局一度も空良の目を見ることなく、彼に背を向けると急いでその場をあとにした。






「おい、あいつ……空良じゃねえか?」


 要件を済ませて戻ってきた俊介は、少し離れた場所にいる空良を見つけると目を凝らし訝しげに見つめた。


「うん、仕事の関係でこっちに来たらしいよ。さっきちょっと話した」


 ここからさっさと立ち去りたい雅人は早口で話す。


「ふーん、あれ以来じゃねえか。

 まさか、あいつ、俺達のことに気づいて復讐に来たわけじゃないだろうな」


 俊介は珍しく少し動揺している様子だ。

 さすがにあの事件は俊介でさえ、心がざわつくのだろう。


「大丈夫だと思うよ、僕に対する態度普通だったし」


 雅人がそう言うと、俊介はそれ以上追求しようとはせず、空良を冷めた目で見つめ興味なさそうに背を向ける。


 雅人も空良を気にしつつ、俊介のあとを追うようにその場を去っていく。





 遠くから二人の背中をじっと見つめ続ける空良がぽつりとつぶやいた。


「さあ、……ショーの始まりだ」


 彼の口の端が上がった。

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