第2話  残酷な真実


 家族が寝静まったのを見計らい、雅人は静かに家を出た。


 辺りに注意を向けながら、空良の家へ向かう。

 灯油が入ったタンクを重そうに持ちながら歩くそのポケットにはライターが入っていた。


 ほんとうにやれるのか……。


 俊介に脅されてから雅人はずっと苦悩していた。

 家族を人質に取られたからといって、空良を裏切れるのか、しかも放火なんて。

 とんでもないことをしようとしている、それはわかる、でも。


 雅人は俊介が心底恐かった。

 あいつは人を虫けらのようにしか思っていない、何をするかわからない。


 僕が家族を守らないと。



 空良の家に着くと、人目につかない場所を探した。


 家の奥の方に、道路から死角になっているちょうどいい場所があったのでそこに決めた。

 回りにあった枯れ木や枯草を一か所に集める。


 雅人はタンクの灯油を全てばら撒くと、ライターを手に取り火を灯す。


「僕は悪くない、悪いのは俊介だ」


 灯油を撒いたところにライターを放り投げる。

 あっという間に火は広がっていく。


 雅人は近くにあった石を掴むとそれを窓に投げようとする。

 きっとガラスの割れる音で誰かが起きてくれるだろうと願いを込めて。


 そのとき、誰かがその腕を掴んだ。

 振り返るとそこには俊介が恐ろしい顔で雅人を睨みつけていた。


「おまえ何やってんだ」


 雅人は俊介に引きずられていく。

 その間にもどんどん火の勢いは増している。

 早く知らせてあげないと、手遅れになる。


「本気で人を殺す気じゃないだろ?」


 雅人が尋ねると俊介は鼻で笑った。


「……死ぬかどうかなんてわからないだろ。それに、あいつにはこれぐらいしないとな」


 本気なんだ、本気でこいつ……。

 雅人の顔は真っ青になる。


 俊介は念を押すため雅人の耳元で囁いた。


「このことを誰かに言ったら、おまえは終わりだから」


 俊介は声を上げて笑った。


 雅人は恐ろしくて、ただその場から逃げることしか考えられなかった。


 俊介の手を振りほどくと、雅人は必死で走った。

 とにかくここから離れたかった、ここから遠くへ行きたかった。


 走っている途中で、偶然なのか必然なのか自宅に戻ろうとしていた空良に会ってしまう。

 空良は顔色の悪い雅人を心配して声をかけてきた。


「どうした? 血相変えて。大丈夫か?」


 雅人は空良に目も合わせられず、狼狽うろたえた。

 顔は真っ青で体は震えている。

 ただならぬ様子の雅人を空良は心配したが、空良も今は急いでいてそれどころではなかった。


「すまない、雅人、急いでるんだ。気をつけて帰れよ」


 空良はまた走り出す。

 彼の顔は今までに見たこともないほど焦っていた。


 空良の後ろ姿を見つめながら雅人はその場に崩れ落ちた。


「ごめん、そらあ、ごめ、ん……」


 雅人は空良の後ろ姿に何度も何度も謝るしかなかった。






 空良が到着した頃には、もう既に家は炎に包まれていた。


 燃え盛る炎に野次馬たちが群がっている、その人並をかき分け進んでいく。

 消防隊員がせわしなく動き消化活動を開始していた。


 空良が家に向かって走り出すと、止められた。


「君、危ないからさがって」

「家族が! 家族がいるんです」


 消防隊員の手を振りほどき走っていくが、次もまた止められる。

 空良は足掻あがきながら叫んだ。


「父さん、母さん、真衣!」


 そのとき、家の一部が崩れ落ちる。空良は叫び続けていた。

 消火活動を見守ることしかできない空良は、野次馬の中に知り合いを見つける。


 俊介だ。


 なぜ彼がここにいる?

 彼の自宅はここから遠い。

 夜遅く、こんなところの火事を聞きつけていること自体おかしな話だ。


 空良は目を疑った。


 彼は、笑った。


 空良の家が燃えているのを見て笑ったのだ、嬉しそうに。


 空良の頭の中で、パズルのピースが繋がっていく。

 さっき、雅人は様子が変だった。視線が泳ぎ、落ち着きがなかった。

 雅人はどっちから来た? 俺の自宅の方から走ってきた。


 そして、現場には俊介がいて、空良の家が燃えているのを見て笑っている。


 それが意味するものは……。

 空良はとんでもない想像に辿り着いてしまった。


 空良は愕然とした。

 力が抜けて地面に倒れそうな体を、なんとかつんいになって支える。


 まさか、俊介がここまで非道な人間だとは思わなかった。

 いや、思いたくなかった。


 それに、雅人まで俺を裏切ったのか? 

 彼のことだ、きっと脅されたのだろう。

 それにしても、こんなことをするなんて。


 俺をどれだけ嫌おうが恨もうが構わない、嫌がらせだって耐える。

 しかし、大切な人を傷つけることだけは許せない。

 ましてや、こんな。


 俺の家族が何かしたか、何の罪もない家族を、俺の大切な家族を。

 

 よくも……。


 許さない、絶対。





 灰となった家の残骸ざんがいの中を空良がゆっくりと歩いていく。


 空良がふと歩みを止めた。


 そこには生前母が大切にしていたネックレスがあった。

 焦げてはいたが原型は綺麗に残っている。


 空良は大切そうにそれを握り締めた。


「父さん、母さん、真衣……安らかに眠って」


 空良は手を合わせると、静かにその場を去っていった。

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