カインドネス・リベンジ ~彼の想いが届くその日まで~

桜 こころ

第1話  はじまり 


 その日はなぜか、なかなか寝むることができなかった。


 気分転換に外へ出ると、空には星が綺麗に輝いていた。

 なんとなく散歩がてらコンビニへ足を運ぶことにする。


 するとコンビニで気になっていた雑誌の新刊が出ていたので、その雑誌を手に取る。

 もう夜中ということもあり、コンビニの客は自分だけだった。


 急に閑静な住宅街にサイレンの音が鳴り響いた。

 コンビニのガラス越しに、次々と消防車が走っていくのが見える。


 なんだか妙な胸騒ぎを感じ、読みかけの雑誌を棚に戻すと急いでコンビニを出た。


 辺りを見回すが、何も変わったことはない。来たときと同じ風景だ。

 しかし、胸のざわつきが収まらず、来た道を走って戻る。


 息があがって苦しくなってくる。しかし、逸る心がそれを帳消しにしてくれた。

 走っている途中で親友がこちらへ歩いてくるのが見えた。


 こんな真夜中に一人でどうしたのかと思い声をかける。

 ひどく驚いた様子で親友の目は泳いでいた。

 様子がどうもおかしかったが、今は一刻も早く家に帰りたい。話もそこそこで切り上げ、また走り出した。


 家に近づくにつれ、自分の家の方から火が上がっていることがわかった。

 まさか、という思いとどうか違ってくれという思いが混ざり合い、その気持ちを振り切るように走り続けた。


 しかし、現実は残酷だ。


 燃えていたのは自分の家だった。


 到着したとき、家は既に炎に包まれ激しく燃えていた。

 消防車が何台も到着し、隊員たちが忙しなく動いている。野次馬たちも徐々に集りはじめていた。


 人をかきわけ進んでいくと、消防隊員に止められた。


「家族が、まだ中にいるんです!」


 家を出たときはみんな寝静まっていた。きっと火事にも気づいていないはず。

 燃え盛る炎めがけて突っ込んでいこうとするが、それも周りの人たちに止められる。


「父さん、母さん、真衣!」


 炎は勢いを増し、全てを飲み込んでいく。

 家屋の一部が崩れ落ちた、もう中へ入れる状態ではない。


「そんな……、なんで、なんでだよ!」


 全身の力が抜け、その場に崩れ落ちる。


 そのとき、大勢の野次馬の中に知った顔が目に入った。


 一人の少年が燃え盛る炎を見つめ、微笑んでいた。




 ♢   ♢   ♢




 街路樹のざわめきが心地よい音を耳に運んでくる。暖かい木漏れ日と共にそよ風が頬を撫でていった。


 爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込み、深呼吸する。

 周りからは登校していく生徒たちの声が聞こえてきた。


雅人まさと、おはよう」


 ふいに後ろから声をかけられた白石しらいし雅人は振り返った。

 するとそこには笑顔を向ける蒼井あおい空良そらの姿があった。


「空良、おはよう」


 二人は肩を並べると、登校する学生たちの群れの中へと紛れていった。




 雅人は隣にいる空良をそっと横目で見つめる。

 雅人にとって空良は親友であり憧れの象徴だった。


 大人しい性格で引っ込み思案、人に流されやすく、主張ができないタイプの雅人はいじめられることが多かった。


 そんな雅人をいつも庇い、守ってくれたのが空良だった。


 からかわれていたらすぐに飛んできて庇ってくれた。物を隠されたら見つかるまで一緒に探してくれた。悪口を言われて落ち込んでいたらいつも優しく励ましてくれた。


 空良は誰よりも強くて優しい心の持ち主だった。

 自分の意思をしっかり持ち、誰にでも主張ができる。

 面倒見もよく、おもいやりがあり、弱い者を放っておけない性格。


 だから、雅人のことも放っておけなかったのかもしれない。


「雅人、もっと自分に自信を持て。君は君が思っている以上に本当は強いんだ」


 いつも励ましてくれる空良。

 

 とても眩しくて、憧れた。


 でも、君のようにはなれない自分を目の当たりにすると、苦しかった。


 空良はなぜか僕の優しさが好きだと言ってくれた。

 その優しさはとても貴重だと。

 いつかきっと君の強さに変わるからと。


 彼の言っていることが僕にはよくわからなかった。


 周りから見たら僕たちはきっと親友に見えていたんだと思う。

 彼もきっとそう思っていたし、僕もそう思ってた。


 それだけで僕は幸せだった。





 そんなある日、突然それはやってきた。


 市長が新しく就任したのと同時に、空良と雅人のクラスに市長の息子である、森谷もりたに俊介しゅんすけが転校してくる。


 それがすべてのはじまりになるなんて、この時は思いもしなかった。


 俊介は父の権力を盾にクラスを仕切るようになっていった。

 俊介の性格やリーダー的素質もあったのかもしれない、誰も彼には逆らえない空気を感じていた。


 そんな中、雅人が目をつけられた。


 雅人はいじめるのに適していると思われたのだろう。

 いじめればいじめるほど、快楽をえられるような態度を雅人は示してくれる。

 いじめる側からしたら、こんな格好の餌食えじきはいなかった。


 そんな状況に目をつむる空良ではない。


 ある日、雅人が俊介の手下たちにボコボコにされているところへ空良が現れる。

 数人の生徒の中心で怯えたように座り込み頭を抱える雅人。

 空良は周りの連中など目に入っていないかのように、雅人の側へ行くと優しく寄り添った。


 そして、高みの見物をしている俊介を睨んで、力強く告げた。


「雅人に手を出すな」


 はじめて自分に逆らってきた人物に興味津々な俊介は空良を上から見下ろした。

 格上の者が格下の者を見るような、いや、虫けらを見るような目つきで、俊介は二人を見つめる。


「こいつがいじめて欲しそうにしてるからだろ」


 俊介はその切れ長の目で空良を睨むと長く伸びた前髪をかきあげる。

 自分に絶対的な自信を感じさせる笑みを空良に向けながら。


 しかし、空良は俊介を馬鹿にするように鼻で笑った。


「おまえ、弱いんだな」


 俊介は眉を寄せ、険しい顔つきになった。


「どういう意味だ」

「自分より弱そうだと思う者をいじめて楽しんでるからさ」


 空良が攻撃的に微笑む。


 俊介の眉が片方ピクリと上がったあと、表情の変化は起きなかった。

 ただ睨むだけで何も言い返してこない俊介。


 空良は雅人の手を取り、俊介に背を向け去っていく。


「面白い……思い知らせてやる」


 空良の後ろ姿を見つめながら、不敵な笑みを浮かべた俊介は小さく笑った。






 次の日から、いじめのターゲットは空良に変わった。

 ドラマの中でしか見ないような酷いいじめが繰り返される。


 集団無視からはじまり、様々な嫌がらせ行為、ネットの誹謗中傷、そして暴力。考えられるいじめはすべて行われていたように思う。

 クラス全体が俊介の指示に従い、空良をいじめ抜く。


 それでも空良は決して挫けることはなかった。

 それが俊介のいじめに拍車をかけていくことになる。

 

 雅人は見ていられなくて声をかけようとしたが、空良は「しばらくは俺に近づかない方がいい」と雅人を遠ざけた。


 空良はそれから毎日、俊介からの嫌がらせを耐え続けた。




「なぜ、あいつは平然としていられるんだ」


 俊介はどうしても空良の泣きっ面が見たかった。

 自分に逆らい平然としていられるのがどうしても許せない、俊介にとって耐えがたいことだった。

 自分のこの手で空良を絶望させてみたかった。


 俊介は考えた。


 そして、恐ろしい考えが頭に浮かぶと、俊介は喜びに震えた。





 ある日、俊介は雅人を呼び出した。


 正直行きたくなかったが、逆らえば何をされるのかわからない。

 その恐怖に抗うことができず、しかたなく雅人は俊介のもとへ向かう。


 久しぶりに二人きりで対峙するこの状況に、恐怖を覚えた雅人の身体は震えていた。

 俊介の目は氷のように冷たく、雅人を見下ろしてくる。

 雅人は不安と緊張から、ごくりと唾を飲み込んだ。


「雅人、おまえ空良の家に火をつけろ」


 耳を疑うその言葉に雅人は目をしばたたかせる。

 俊介は雅人に近付きそっと耳打ちした。


「嫌だと言ったらおまえの家族が路頭ろとうに迷うぞ」


 一瞬頭の中が真っ白になった雅人は横目で俊介の顔をうかがった。

 雅人の目に映る俊介はおぞましい表情をしていた。


 俊介の父は市長で、雅人の両親は市役所勤務だった。

 俊介の言っている意味が雅人にも理解できた。


 でも、それでも、空良を裏切ることなんてできない。

 ましてや放火なんてできるわけがない。


「嫌だ、……そんなことできないよ」


 震えながら弱々しく言う雅人に、俊介が詰め寄り微笑む。


「おまえ……確か弟いたよな」


 雅人は驚いて俊介を見た。確かに雅人には年の離れた幼い弟がいる。


「あの子が、どうなってもいいのか?」


 俊介が不気味に笑う。


 まさか、そんな非道なことができるわけ……。いや、こいつならやりかねない。

 俊介はそういう人間だ。


「やめてくれ……、あの子には何もしないでくれ!」


 雅人は涙を浮かべながら俊介にすがりついた。

 泣きながら土下座するが、俊介の態度は何一つ変わらない。


 俊介は大きなため息を吐くと、雅人を真正面から見つめ諭すように告げた。


「……だったら、わかるな?」


 俊介は満足そうに微笑み、雅人の肩を叩いた。




 雅人は俊介が居なくなってからもそこを動けず、ただ泣き続けた。


「ごめん、ごめん、空良……ごめん」


 雅人は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を歪ませ、いつまでも嗚咽おえつをもらし続けていた。

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