船路
大槻アコ
船路
船は進む。
山城島の港までおよそ二時間の航路を進んでいる。共同船室の小上がりでくつろぐ者たちは本土から渡る旅の客か、あるいは島へ戻る島民か、みなそのどちらかに分類することができた。小上がりの隅でしなやかに膝を抱える佳織は本土から渡る者として出港の汽笛を聞いたが、入港までに島へ戻る島民としての意識を拾い戻さねばならないことも承知していた。
佳織は甲板へ出た。風に当たろうと思ったのだ。陽の暖かさと海の豊かさを含んだ厚い風が、たちまち佳織を包囲した。それでいて、頭の中で吹いているのは東京の無機質なビル風であった。稽古場も、オーディションの行われる事務所の本社も、そのすぐそばのドラッグストアも、扉の外はいつもビル風が吹き荒んでいた。今日も私は、役者でなかった。そう省みながら風の中へ身を投じたものだった。
甲板の突端に、男がひとり、みぞおちを手すりへ乗せるようにして項垂れていた。そのうち身でも投げるかと思って見ていたら、ゴぼぇぇぇという音とともに男の身体が海面のほうへ伸びた。下を覗き込むと、船が割った水の起こす波が白く泡立っていた。
佳織は、なるほどと思った。そして、男と同じ体勢をとり、指で喉の奥を突いた。佳織は未来を諦めた。事務所を辞めるとき、郵便を止めるとき、部屋を引き払うとき、きちんと 段階を踏んで、しっかり全部捨ててしまった。島には脚の悪い母がひとり、いる。船尾の泡沫が簡単に消えていく。私は、決して、逃げ帰るのではない。佳織は、喉だか舌だかざらつ く柔らかいところを、指の腹でぐいぐい押した。こういうとき無理やりにでも戻せないから いけなかったのだと思う自分と、もう喉を痛めても何の問題もないのだと意識する自分とがいた。
船は、同じ体勢の男と女をひとりずつ、飾りのようにぶら下げて進んでいる。確実に、島の港は近づいている。
(了)
船路 大槻アコ @otukiako
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