続・切り裂きジャック~闇に消えた殺人鬼の新事実~

天川裕司

続・切り裂きジャック~闇に消えた殺人鬼の新事実~

「続・切り裂きジャック~闇に消えた殺人鬼の新事実~」

 「八月も末になると、ロンドンはもう秋で、朝晩はかなり涼しかった。夜の明けるのが早いとはいえ、午前三時はまだ暗い。このイースト・エンドでも、ジンに酔ったホームレスは軒端や空き地でねむり、労働者たちも簡易宿泊所(ロッジング・ハウス)や、貸間長屋(テネメント・ハウス)に引き揚げている。もう少したつと早出の労働者たちが出勤してくる。ちょうどひとけの絶えた時間で、あたりはひっそりと静まり返っていた。

 ここはホワイトチャペル。十七世紀中期、清教徒革命(ピューリタン)の指導者オリヴァー・クロムウェルがユダヤ人のゲットーとして認めた場所で、セイント・メアリ・マトフェロンの教会区である。名建築家クリストファー・レンの愛弟子ニコラス・ホークスムーアが造りあげた美しい「白い礼拝堂」からこの名前が付いた。ロンドン郊外の静かな住宅地にはじまり、産業革命後は綿糸工場や女工の寄宿舎が多かったが、それも近代化で廃れてしまい、この十九世紀末にはすっかりスラム街化してしまった。先年開通したばかりの地下鉄ホワイトチャペル駅裏に、バックス・ロウと呼ばれる通りがある。六メートルほどの幅の石畳みの路地で、左右の北側がエセックス埠頭倉庫、南側にニュー・コテイジと呼ばれる煉瓦作りのテラス・ハウスが並んでいた。住宅のはずれには厩舎があり、その先は寄宿学校になっている。ふだんはスラム街とは一線を画した静かな通りである。」

      *

 このように書き出し、「切り裂きジャック」の犯行について、又、正体について、それ等を暴こうとしたのは、日本のリッパロロジストと称される仁賀克雄氏である。「ドラキュラ誕生」(講談社現代新書)、「新・ロンドンの恐怖/切り裂きジャックの犯行と新事実」(原書房)、「図説切り裂きジャック」(河出書房新社)、「(ドラキュラ)殺人事件」(ともに講談社)、「暗黒の秘儀」(創土社、ソノラマ文庫)、等の奇怪事件を扱った著書がわんさかと在り、私の蔵書としても幾冊かある。彼のこれ等の書物に於いて念頭とするものとは、やはり、現在を以て知られていない「ジャックの正体を暴く」事にあり、その為の資料の検索、考察(又は憶測づくめの真実を究明する為の要素の創作手段)については労を厭わず、あらゆる観点から、真実の手前に在る暗雲とした「霧」の中で「意図する直線」を模索し、それでも着実に、真実に向けての一歩を踏んでいる。私が「切り裂きジャック事件」を知ったのは、幾年か以前の事であり、その内容を知った瞬間に瞼を閉じられ、見た事もないような斬新なスリルと洋画の華やかな光景が溢れるシーンを思わせるスピリッツに魅せられて、虜になったものである。先ず、ジャック・ザ・リッパー・イン・マーダーこと「切り裂きジャック事件」について説明する。

 切り裂きジャック(きりさきジャック、英:Jack the Ripper、ジャック・ザ・リッパー)は、一八八八年にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件の犯人の通称。この事件は未解決事件である。

 一八八八年八月三一日から一一月九日の約二ヶ月間にロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで少なくとも売春婦五人をバラバラにしたが、犯人の逮捕には至らなかった。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。神経症患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、一世紀以上経った現在も犯人は不明。

 切り裂きジャックは売春婦を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者はメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。そのような事実から解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。

 ただ、このような事件が起きていた間に、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人を迎え入れている形跡がある事から、実は女性による犯行とする説もあり、「切り裂きジル」と呼ばれた時期もあった。また、犯行は一年以上続いたという説もある。

 「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、日本でいう「名無しの権兵衛」のように英語圏で呼び方の定まっていない男性を指す名前である。

 切り裂きジャックの被害者については、八人や一三人、二〇人とする説もあるが、確実に彼の犯行とされているのは以下の五名。

・一八八八年八月三一日(金):メアリ・アン・ニコルズ(四二歳)

・一八八八年九月八日(土):アーニー・チャップマン(四七歳)子宮と膀胱を犯人により持ち去られる。

・一八八八年九月三〇日(日):エリザベス・ストライド(四四歳)犯人が目撃されている唯一の事件。

・一八八八年九月三〇日(日):キャサリン・エドウッズ(四三歳)左の腎臓と子宮を犯人に持ち去られる。

・一八八八年一一月九日(金):メアリー・ジェイン・ケリー(二五歳)皮膚や内臓を含めほぼ完全にバラバラという最も残忍な殺され方をした。

 犯行は夜、人目に付かない隔離されたような場所で行われ、週末・月末・もしくはそのすぐ後に実行されている点が共通しているが、相違点もある。キャサリン・エドウッズはただ一人、シティ・オブ・ロンドンで殺害された。メアリ・アン・ニコルズはただ一人、開けた通りで発見された。アーニー・チャップマンは他の被害者とは違い、夜明け後に殺害されたと見られている。

 他に被害者として考えられている人物は以下の通り。

・フェアリー・フェイ:一八八七年一二月二六日に殺害。腹部を杭で一突きされていた。

・アニー・ミルウッド:一八八八年二月二五日に下腹部・足を何度も刺された。彼女は一命を取り留めたが、退院後の三月に死亡した。

・エイダ・ウィルソン:一八八八年三月二八日に首を二度刺されるが一命を取り留めた。

・エマ・エリザベス・スミス:一八八八年四月三日に襲われる。局部に鈍器を入れられて重傷を負うが、家まで歩いて帰った。警察には二、三人のギャング(一人はティーンエイジャー)に襲われたと話したという。二日後に病院で死亡。

・マーサ・タブラム:一八八八年八月七日に殺害。三九箇所を刺されていた。動機の欠如、犯行の残忍さ、地理的・時期的な点からも切り裂きジャックの被害者である可能性が高いと見られている。ただ、喉を掻き切るのではなく刺されている点が他の被害者と違う。

・〝ホワイトホール・ミステリー〟:一八八八年一〇月二日、頭部のない女性の胴体がホワイトホールで発見された。片方の腕はピムリコの近くのテムズ川から発見された。片方の足は遺体が見つかった近くに埋められていたが、他の部分は発見されなかった。

・アニー・ファーマー:一八八八年一一月二一日に首を切られるも、傷は深くなく命に別状はなかった。警察は自傷行為を疑い、捜査は中断された。

・ローズ・ミレット:一八八八年一二月二二日に死亡。首に絞められた跡があり窒息死であったが、彼女が酔って人事不省の時に、自分のドレスの襟で誤って窒息したのではないかという説もある。

・エリザベス・ジャクソン:一八八九年五月三一日から六月二五日までの間に、遺体の各部がテムズ川で見つかった。

・アリス・マッケンジー:一八八九年七月一七日に殺害。頚動脈を切断されていた。

・〝ピンチン通りの殺人〟:一八八九年九月一〇日、〝ホワイトホール・ミステリー〟とよく似た状況で女性の胴体(腕は切断されていなかった)が発見された。この遺体はリディア・ハートという売春婦ではないかと見られている。〝ホワイトホール・ミステリー〟とこのケースは連続殺人と見なされ、犯人には〝トルソ・キラー〟や〝トルソ・マーダー〟というニックネームが付けられた。切り裂きジャックが〝トルソ・キラー〟なのか、他の人物なのかは分かっていない。前述のエリザベス・ジャクソンも〝トルソ・キラー〟の被害者ではないかという説がある。

・フランシス・コールズ:一八九一年一月三一日に喉を掻き切られて殺害された。

・キャリー・ブラウン:一八九一年四月二四日に殺害。しかし、彼女が殺害されたのはニューヨークのマンハッタンである。彼女は最初に首を絞められ、次にナイフによって切断されていた。鼠径部に大きな傷があり、足や背中も刺されていた。彼女の卵巣がベッドの上で見つかったものの、持ち去られた部分はなかった。このケースは切り裂きジャックのケースとよく似ているものの、ロンドン警察は二つの事件の間につながりはないと結論づけた。

(壁の落書きについて)

 二件の殺人が犯された九月三〇日の早朝、アルフレッド・ロング巡査が犯行現場を捜索中、ゴールストン通りで血の付いた布を発見した。後にこの布はキャサリン・エドウッズのエプロンの一部という事が分かった。

 その近くの壁には白いチョークで書かれた文書があった。その文書は「The Jews are the men That Will not be Blamed for nothing.」もしくは「The Jews are not The men That Will be Blamed for nothing.(ユダヤ人は理由もなく責められる人たちなのではない)」というものであった。

 この文を見たトーマス・アーノルド警視は、夜が明けて人々がそれを目にする事を恐れた。彼はその文章が一般大衆の反ユダヤ主義的感情を煽るのではないかと思ったのである。事実、メアリ・アン・ニコルズの殺害以降、ユダヤ人の犯行ではないかという噂がイースト・エンドで流れていた。そのため、アーノルド警視はこの文書を消すように指示した。

 この文章はスコットランドヤードの区域で見つかり、犯行場所はロンドン市警察の管轄内であったため、二つの異なった警察部隊に分かたれる事になった。

 特にロンドン市警察の警察官達はアーノルドに反対であった。この文章は証拠かもしれず、せめてその前に写真を撮るべきだと主張したがアーノルドは賛成せず、結局明け方に消されてしまう。

(ジャックからの手紙)

 一八八八年九月二五日、切り裂きジャックを名乗る手紙が、新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシーに届いた。〝Dear Boss〟の書き出しで始まるこの手紙の内容は、切り裂きジャックは売春婦を毛嫌いしており、警察には決して捕まらない、犯行はまだまだ続くと予告する挑発的なものであった。

 この件が新聞で伝えられると、一日平均二〇通の同様の手紙が届いた。ただ、この手紙が切り裂きジャック本人のものであるかどうか確証はなく、単なるいたずらなのか犯行声明なのかは謎である。

(被疑者として挙げられた人物)

 切り裂きジャックと思われる被疑者については多数いるが、その中でも特に有名なのは以下。

・モンタギュー・ジャン・ドゥルイト(Montague John Druitt、一八五七年八月一五日―一八八八年一二月一日)

 弁護士、教師。風貌が当時の目撃証言と似ているとされた。最後の事件の後、一二月一日にテムズ川に飛び込み自殺。第一と第二の事件の時に所在不明。メルヴィル・マクノートン(事件当時の英国捜査当局の責任者)のメモにより二〇世紀半ばになってから有力な被疑者と呼ばれるようになった。メモによると精神病の持病があったらしいことが分かる。ただし、マクノートンのメモにも間違いが多く(たとえば職業を医師としている)、どこまで信用できるか不明。

・マイケル・オストゥログ(Michael Ostrog、一八三三年―一九〇四年頃?)

 ロシア人医師。殺人を含む複数の前科があった。ロシア海軍付きの外科医の経歴を持つ。詐欺や窃盗の常習犯で、警察に逮捕された末に精神医療施設に隔離された経験がある。ホワイトチャペルでの事件時に所在不明だったことから、捜査当局で疑わしい人物として名前が挙がっていた。

・トマス・ニール・クリーム(Thomas Neill Cream、一八五〇年五月二七日―一八九二年一一月一五日)

 アメリカ人医師。危険な薬物(ストリキニーネ)を用いて売春婦を毒殺、「ランベスの毒殺魔」と呼ばれていた。一八九二年に死刑執行。その際に絞首台で「自分が切り裂きジャックだ」と言い残したとされる。しかし一連の事件が起こった一八八八年当時、トマスはアメリカのイリノイ州にある刑務所に投獄されていたため犯行は不可能である。

・アーロン(エアラン)・コスミンスキー(Aaron Kosminski、一八六五年九月一一日―一九一九年三月二四日)

 殺人があったイースト・エンドの近辺に住み、売春婦を憎んでいた。目撃者の証言により当局に逮捕されたが、重い精神の錯乱が見られ、筆跡に関しても切り裂きジャックが書いたとされる手紙のそれと一致しなかった。証言も後に撤回されている。

・ジェイムズ・メイブリク(James Maybrick、一八三八年一〇月二四日―一八八九年五月一一日)

 一八八九年に妻であるフローレンス・チャンドラーに殺害された木綿商人。事件の三週間前、現場近くのミドルセクス・ストリートに部屋を借りた。一九九一年に発見された切り裂きジャックの物と思われる日記は、メイブリクのものとされている。又、現場で何度か目撃された、金色の口髭を生やしたジャックの特徴も彼に当てはまる。日記には、被害者の体の一部を持ち去り、食したとの記述もある。しかし一〇〇年以上経過しての発見である上に、その経緯が不明確であり、信用性には疑問を持たれている。

・ジェイコブ・リービー(Jacob Levy、一八五六年―一八九一年)

 ユダヤ人の精肉業者。犯人は「ユダヤ人」で「死体の解体に慣れていて、血まみれの格好をしていても怪しまれない精肉業者」というプロファイリングにより浮かび上がった被疑者。「ユダヤ人」説の根拠として、二件の殺人が発生した九月三〇日当日、一人目の殺害現場であるバーナー街の国際労働者会館前ではユダヤ教社会主義の会合が開かれており、二人目が殺害された犯行現場には被害者のエプロンが落ちていた場所の壁に「ユダヤ人は理由もなく責められる人たちではない」と落書きがされていたことが挙げられている。リービーは梅毒に罹患しており、梅毒から来る精神障害をわずらい「不道徳な行いをしろ」という幻聴を聞いていたという記録がある。リービーの妻は、「夫はノイローゼにかかっていたようで、一晩中街を徘徊していることがあった」と証言している。事件当時、リービーはフィールドゲート街からミドルセエックス街に引っ越したが、そのどちらも犯行現場を結んだ円内にあるため地理的プロファイリングとも一致する。犯行が四件で終わった理由としては、梅毒の症状が進んだ事とキャサリン・エドウッズの殺害現場を近所に住む同じユダヤ人の精肉業者ジョゼフ・リービーに見られたからだとしている。ジョゼフは犯人がリービーであることを知っていたが、事件発覚によるユダヤ人への迫害を恐れて、捜査陣に犯人像を詳しく語らなかったのだとしている。それでも、ジョゼフの「犯人は被害者より八㎝高かった」と言う身体的特徴はリービーに当てはまる。なお、メアリー・ジェイン・ケリー殺害に関しては、解剖の手口が違うこと、唯一屋内で殺害されていることから模倣犯によるものであるとしている。

(仮説について)

・一般に、性的暴行を伴う快楽殺人の犯罪者は、自身の性的嗜好に適った被害者を選ぶ傾向があり(老若男女を問わず暴行を加えて殺害したアンドレイ・チカチーロのような例外もある)、切り裂きジャックについてもメアリーからキャサリンまでの被害者を考慮した場合、中年の女性にそうした志向を抱いていたと考えられる。しかし、メアリーは年若の女性であることから、便乗犯もしくは別人の犯行の可能性が指摘されている。実際に「ピンチン通りの殺人」など、切り裂きジャックとされる犯行または切り裂きジャックに類似した犯行を行った人物は、複数存在した可能性が指摘されている。

・五人目の被害者メアリーは、道徳的に見た際「最も残忍な殺され方」をしているが、医学的な見地に立てば「最も高度に外科的な殺され方」即ち最も精確な技術の臓器摘出が行われており、医者を中心に別人の犯行の可能性が指摘されている。

・〝犯人が夜間、警察官に怪しまれずに徘徊し被害者の女性達に近づける〟という点などから警官による犯行も疑われ、事件後内部調査が行われたが有力な容疑者は出なかった。

・同時代の推理作家コナン・ドイルは切り裂きジャックの正体は「女装した男性」であると推理し、更にやがて「切り裂きジャックは女性ではないか」という説も主張されるようになった。当時は女性による猟奇殺人や大量殺人事件が横行しており、捜査当局も女性犯人説を疑った時期がある。ただし、犯罪学の見地から女性は同性を連続して殺害しにくいとされており、実際当時の女性の猟奇殺人・大量殺人犯は殺害対象のほとんどが男性であったため矛盾しており、この説に関しても懐疑的な意見がある。

・また当時の英女王ヴィクトリアの孫、クラレンス公アルバート・ヴィクターも一時期容疑者の一人とされていた。

・作家のパトリシア・コーンウェルが二〇〇二年に出版した「切り裂きジャック 」(原題:Portrait of A Killer; Jack The Ripper Case Closed)では自身で大金を投じてDNA鑑定や筆跡鑑定を行い画家のウォルター・シッカートを犯人であるとして名指ししたが、現存している捜査資料や物的証拠に乏しかったため反論も多かった。

(現在に於いて「切り裂きジャック」を扱った・関連作品)

 切り裂きジャックは又、現在まで正体の知れない神秘性などから、多くのフィクション作家の創作意欲を刺激してきた。特に、同時代・同じロンドンという設定の名探偵シャーロック・ホームズとの対決はそれ自体一つのジャンルともなっている(原作者コナン・ドイル自身は何も触れていない)。

〈小説〉

・『下宿人』―(ベロック・ローンズ、一九八七年出版、早川書房)

 ジャックをモデルとした作品としては最も早いものの一つで、アルフレッド・ヒッチコックによる映画化で名高い。

・『オッターモール氏の手』―(トマス・バーク、江戸川乱歩編『世界短篇傑作集4』所収、一九六一年出版、東京創元社)

 ジャックをモデルとした、短篇ミステリの古典的名作。

・『恐怖の研究 』―(エラリイ・クイーン、一九七六年出版、早川書房)

 エラリイの許に届けられのは、ジャックとホームズの戦いを綴ったワトスン博士の未公開原稿だった。ジャックの正体を一九、二〇世紀の名探偵が解き明かす。シャーロック・ホームズとジャックとの対決を描いた映画「A Study in Terror」(一九六五)のノベライゼーション。なお、映画にはエラリイは登場していない。

・『切り裂きジャックはあなたの友 』―(ロバート・ブロック短編集『切り裂きジャックはあなたの友』所収、一九七九年出版、早川書房)

 黒魔術を操る不老不死の存在として描かれている。

・『霧の国』―(山田正紀短編集『地球軍独立戦闘隊』所収、一九八二年出版、集英社)

 次々と人間に憑依する思念生命体として登場。

・『ドラキュラ紀元』―(キム・ニューマン、一九九二年/一九九五年、創元推理文庫(F2-1-1)ISBN 978-4-488-57601-1)

 『吸血鬼ドラキュラ』と一九世紀の虚実の人・吸血鬼キャラクター満載の小説。ジャックの捜索逮捕がドラキュラとイギリス帝国に深く関わっていく。

・『ルチフェロ』―(篠田真由美、一九九五年出版、学習研究社)

 菫色の瞳を持つパレルモ生まれのシチリア人が怯えるジャックの正体とは。

・『ホワイトチャペルの恐怖 シャーロック・ホームズ最大の事件』―(エドワード・B・ハナ、一九九二年/一九九六年、扶桑社ミステリー)

 ホームズもののパスティーシュ。

・『シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック』―(マイケル・ディブディン、二〇〇一年出版、河出書房新書)

 ホームズもののパスティーシュ。

・『血文字GJ―猫子爵冒険譚』―(赤城毅、二〇〇五年出版、ノン・ノベル)

 一九二〇年代のベルリンで起きた殺人事件。奇怪な連続殺人の犯人の一人として、切り裂きジャックが登場。

・『BLACK BLOOD BROTHERS』

 凶行に及んだ吸血鬼が切り裂きジャックの正体として登場する。

・『司書とハサミと短い鉛筆』

 本に姿を変えた切り裂きジャックが敵として登場する。

・『きらめく刃の輝き』―(ベイジル・コッパー、アンソロジー『ゴーサム・カフェで朝食を』所収、扶桑社ミステリー)

・『一八八八切り裂きジャック』―(服部まゆみ、角川書店、二〇〇二年三月)ISBN 9784041785058

・『時の地図』―(フェリクス・j・パルマ、宮崎真紀、二〇一〇年、ハヤカワ文庫NV)

 物語の導入部分に切り裂きジャック事件が引用され、被害者達が実名で登場する。

〈映画・ドラマ〉

・「霧の夜の戦慄」―(一九六〇年製作のイギリス映画、ロバート・ベイカー監督)

・「名探偵ホームズ/黒馬車の影」―(一九七九年制作のイギリス・カナダ映画、クリストファー・プラマー主演)

・「切り裂きジャック」―(一九八八年製作のイギリスのTV映画、マイケル・ケイン主演)

・「フロム・ヘル」―アラン・ムーアの漫画を元にした映画。

・「タイム・アフター・タイム」―切り裂きジャックがタイムマシンで未来に逃走する映画。

・「宇宙大作戦(スタートレック)」―「惑星アルギリウスの殺人鬼」に切り裂きジャックの正体とされる異星人が登場。

・「事件記者コルチャック」―「恐怖の切り裂きジャック(THE RIPPER)」脚本は上記のスタートレックの回と同じくロバート・ブロック。

〈漫画・アニメ〉

・『FROM HELL』―アラン・ムーア原作によるグラフィック・ノベル。後に映画化(→「フロム・ヘル」)

 コリン・ウィルソンが紹介した新説を元としており、切り裂きジャックの正体はヴィクトリア女王の侍医のウィリアム・ガル博士。しかしガル医師は脳溢血の発作で一八八七年から体の自由が利かない状態であり、犯行が可能とは考えにくい。また、ウィルソン自身も、犯人についてはガル博士のようなひとかどの人物ではなく、現代の連続殺人犯にありがちな取るに足らない人間であろうとしている。

・『ジョジョの奇妙な冒険 Part1 ファントムブラッド』―ゾンビになったという設定で登場。

・『パタリロ!』―タイムマシンの誤作動で現代に連れてきてしまった青年が切り裂きジャックだった。

・『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』―仮想ゲームにおいて、ホームズと共にジャック・ザ・リッパーを捕まえる。なお、この作品ではジャック・ザ・リッパーの正体は「不治の病に侵された貴族」という解釈がなされたが、物語中でコンピューターによって内容が書き換えられ、女装した男性として登場した。

・『少年魔法士』―第一部の題名がジャック・ザ・リッパーから採られている。

・『上海妖魔鬼怪』―主人公のジャックがジャック・ザ・リッパーその人(妖怪)であるとされている。

・『風のシモン』(坂口いく、集英社、一九九一年)―魔物に魅入られ超能力を持った少年として登場。

・『黒鷺死体宅配便』―外伝『松岡國男妖怪退治』に悪霊となったジャック・ザ・リッパーが登場する。

・『呪法解禁!!ハイド&クローサー』―切り裂きジャックの正体が呪術人形となっている。

・『エンバーミング』―登場する人造人間の一人が切り裂きジャックと名乗っている。

・『GS美神 極楽大作戦!!』―斬りつけた相手の精神を乗っ取るという剃刀(霊刀)が登場し、これが切り裂きジャックの「本体」であったかのようなエピソードがある。

・『ミキストリ』―一〇〇年以上前から病院の地下に冷凍保存されていた切り裂きジャックの遺体がブードゥーの秘術によりバラバラに切断された状態で復活し、再び犯行を繰り返そうとする。ジャックの正体は警官の息子で、父親が犯行に気がついて殺害し、なぜ息子が切り裂きジャックになったのかを調べてもらうために、自分と息子の遺体を後世の研究者のために冷凍保存するよう遺言していた。

・『ぬらりひょんの孫』―切り裂きジャックの説明が描かれている。

―「切り裂きジャック」をモチーフとした作品・キャラクターを以下―

〈小説〉

・『切り裂きジャック・百年の孤独』―(島田荘司、1988年出版、集英社)百年前のロンドンの事件が甦ったような、現代のベルリンで起きた娼婦連続猟奇殺人。

・『切り裂き街のジャック』―(菊地秀行、一九八五年出版、早川書房)二一〇五年に一八八八年のロンドンを再現したイーストエンドにジャックが現れる。

・『EME (小説)』―切り裂きジャックをモチーフにしたジャックを名乗る二人の亜人が敵として登場する。

〈映画・ドラマ〉

・「ザ・リッパー」―(一九八二年制作のイタリア映画、ルチオ・フルチ監督)現代のニューヨークを舞台にしたサスペンスホラー映画。

・「相棒」―「平成の切り裂きジャック」の異名を持つ連続殺人犯が登場する。

・『ホワイトチャペル 終わりなき殺意』―(二〇〇九年二月に全英TVで放映されたサスペンス・ミニシリーズ、全三話)現代のロンドンで切り裂きジャックの犯行をそっくりまねた連続殺人事件が発生。模倣犯と断定した警察は一二〇年前の事件を参考に犯人を追うが、それをあざ笑うかのように犯行は繰り返されてゆく。日本では同年一一月にWOWOWにて放映。

・『クリミナル・マインド FBI行動分析課』―第二シーズンの第一八話「ニューオーリンズの切り裂きジャック」で、レイプ事件の被害に遭った女性が、逆に警察上層部と犯人の男たちの癒着によりふしだらな女の汚名を着せられてしまう。ただ一人だけ親身に捜査をしてくれた当時の担当刑事に詫びつつも、このレイプ被害者の女性は男たちに復讐すべく殺人に手を染める事件が発生した。

・『フロム・ヘル』―アラン・ムーア原作、エディ・キャンベル作画のグラフィックノベル。及びそれを原作とした二〇〇一年製作の映画。主演ジョニー・デップ

《漫画・アニメ》

・『シャーマンキング』―切り裂きジャックとジャックランタンを掛けたキャラクターが登場。

・『探偵学園Q』―切り裂きジャックを名乗る犯人による殺人事件が起こる。

・『黒執事』―フィクションの中のイギリスで切り裂きジャック同様の事件が起き、女王の命により切り裂きジャックの件を暴く。女医と死神の二人が切り裂きジャックの正体。死神の鎌(デスサイズ)はチェーンソーに酷似したもの。なお、アニメ版の舞台は現実の19世紀末のイギリスとなっており、#切り裂きジャックを扱った作品になる。

〈ゲーム〉

・「パワーストーンシリーズ」―カプコン製三D対戦アクションゲーム。光り物と斬殺を好む包帯姿の殺人鬼のキャラクターのモデルとなっている。

・「アニマムンディ~終わりなき闇の舞踏~」―PCのゴシックホラーアドベンチャーゲーム。切り裂きジャックをモデルにした「ウィスラー・ザ・リッパー」が登場する。

・「メタルギアソリッド2」―プラント編の主人公、雷電の本名だが「ジャック」という名前のみで、「ジャック・ザ・リッパー」は、少年兵時代の戦果から付けられたニックネームであり本当の姓は不明である。

・「トキメキファンタジー ラテール」―一九世紀末イギリスに似た「ミステリーゾーン」と呼ばれる世界で、同様の事件が発生している。ボスキャラとして登場するジャックは片目・首の辺りに黒い包帯のようなものを巻いている女性で、片腕が伸びる。

・「女神転生シリーズ」―「真・女神転生Ⅱ」に初登場。外道という種族に所属するが、ジャックフロストやジャックランタンとともにチームを組む作品もある。

・「オペレーション・ダークネス」―第二次世界大戦を舞台にしたシミュレーションRPG。人狼や超能力者で編成された英国特殊部隊「ブラッド・パック」の一員として「ジャック・ザ・リッパー」という隊員が登場する。公称二八歳。銃剣等を用いた戦闘に優れる。劇中のセリフから彼が本物の切り裂きジャックであることが示唆されるが、第二次大戦時になぜ二八歳前後の若者の姿なのかは不明。

〈音楽〉

・ジューダス・プリースト:「THE RIPPER」(2ndアルバム『運命の翼』収録)

・聖飢魔Ⅱ:「JACK THE RIPPER」(2ndアルバム『THE END OF THE CENTURY』収録)

・B'z:「JAP THE RIPPER」(7thアルバム『The 7th Blues』収録)「JACK」と「JAP」をもじったもの。

・BUCK-TICK:「〝J〟」(3rdアルバム『TABOO』収録)

・アルバン・ベルク:歌劇「ルル」(ロンドンで娼婦となった主人公を殺害する)

・Mo'some Tonebender:「Jack The Tripper」(7thアルバム『Super Nice』収録)

・THE BLUE HEARTS:「皆殺しのメロディ」(5thアルバム『HIGH KICKS』収録)

・The White Stripes:「Jack The Ripper」

・The Horrors:「Jack The Ripper」

・アンド(ヴィジュアル系バンド):「Jack the Ripper」

 上記のように、様々な仮説と共に現在も色褪せる事なく事件性とその正体は異彩を放ち、その影響とは、小説、映画、ドラマ、漫画、音楽、芸術作品、等に様々な個人的観念によって象られ、現実に表現されている。これ等の影響がどのようにして後世の表現者の個人的主観を左右しているかはわからないが、もしかすると彼等の表現により何等かの「切り裂きジャック」の正体を暴く為の糸口が見付かるかも知れない、という期待を込める心境も事実として在る。これ程の影響力を持つ事件と犯人が、当時のイギリス・イーストエンド地区に存在したのだ。私は又、その被疑者について、事例的根拠と憶測とを半々に織り交ぜた形を採って記した一文を以前に記した。以下である。

      *

「一八八八年、イギリスに於いて一連の猟奇的犯罪を犯した切り裂きジャックが『実在した』と仮定して、以下を述べる」

 「自然研究の歴史を見て終始気付くことは、観察者が現象からあまり早く理論に急ぐため、不完全になり仮説的になるということである。」(ゲーテ「科学、自然、二元性について」)

 (反論)人間の一生の時間で、それをするに足りるのか。それも「自然」だというのか。恰も、懸け橋に成れ、と。

 切り裂きジャックの犯罪行為とされる言動の内に潜む意図的背景として、恐らく、世直しがあるように思える。殺人を犯すという道徳を無視した方法ではあるが、その状況に於いて女性が生むと思われる堕落、又、その状況に於ける男性の性的衝動を、少なくともその町から排除して、それ等に関連がある行為が生むとされる梅毒や性病等の問題を、無くそうとする世直しであったように思える。それ等を達成する事を目的として個人が殺人を犯し、必要以上の行為を働いたとする言動(殺害後に死体から臓器を取り出して並べて置く等)は、云わば、個人的な世直し、又は、怨恨による言動・犯行、と呼ばれても仕方がない事であるかも知れない。しかし例えば、戦争等に見られるように、勝利を得る為の犠牲として国民が危険に晒され、負傷者、戦死者を多数出したとされる例を考えれば、その事件に於ける犠牲者に対する追想は同様に考えられるものではなかろうか。戦争を景気回復を図る観点から見ると、国をかけての「世直し」と採る事が出来るとする為このように述べる。この「勝利を得る」とはここで言う結果的な世直しの為の目的の達成であり、伴い、イギリス王国の風紀の改善にあり、「犠牲」とは殺害された娼婦達の事である。現存されている当時の捜査資料によれば「恐らく確実に切り裂きジャックにより殺害された娼婦は五人であった」と記されている。戦争による被害者と比べれば比較にならない程少数である。戦争による被害を思えば「軽いものだ」と考える者もいるのでなかろうか。実際、数値的には少数であり、最小限の被害者だけで世直しが進められていた、としておかしくない。戦時下の一国の情勢を考えれば、戦争である故に、戦争を進める上での一般的には犯罪と見做されるそれ等の言動は、自国では「戦時下であるが故の仕方の無い言動」と見做され、裁判等に於ける裁きは免れ得るのである(史料を俯瞰すれば頷ける)。一人一人が犯罪を為していても「戦争の為である」と見做された場合、その犯罪は裁かれないのだ。引き換え、個人的行為である場合は、個人的行為であるが故に、云わば、個人の世界の内に於ける主張は「個人の世界の領分を越えた世間という他の世界」では通用しない場合があり、その「他の世界」が「それは犯罪だ」と決定すればそれは犯罪となり、刑に問われるのである。「一人を殺せば殺人犯、多数を殺せば英雄」という、どこかの国の人が言った(イギリスの「喜劇王」と称されているチャーリー・チャップリンも言っていた)言葉の影響も生きて来るような可能性が、この現象の内にはみて採れる。詰り、世界として考えてみれば解り易い。「個人」「一国」を一つの世界としてみれば、個人的世界の内に於ける正義・義務としてそれ等に従事する行為をした場合に、個人的世界以外の(云わば)現実の世界に於いては、その個人的世界の内にある正義・義務とは違う夫々がある場合が考えられ、個人が唱する正義・義務は通用しないものとして裁かれる事があり、「他の正義に個人的正義が敗れてしまうという結末を辿る可能性」がある。国を一つの世界としてみれば、それ等の正義・義務が通用する(云わば)許容範囲は、個人的世界の場合とは違って広くなり、その国に於いてそれ等の正義・義務に纏わる言動を為す個人が居た場合に、それ等の言動が(所謂)犯罪にあったとしても、その国内に於いては国がここで言う個人となる訳であり、「国民が一致団結してその勝利の為に邁進していた(又邁進させていた)という国の指導者の責任がある」という事情にまで配慮をすれば、尚、その自国に於いて裁かれることはない、又、裁きようがない、という事実に拍車が掛かる訳である。

 第二次世界大戦後に日本で開かれた東京裁判に於いて、それ等と同様の現象が起きていた。当時、軍国主義であった日本は、実際にA級戦犯となった東条英機を裁かず、リーダーとして置いて、結果的にポツダム宣言撤廃にまで日本を追い込んだ。その結果、広島と長崎に原爆が投下され、それまでの世界を担って来た日本の軍国主義は敗戦を唱し、他の世界―アメリカの民主主義という世界を受け入れ、その世界の情勢と内容は変わってしまった。それ故、日本の戦争指導者達は犯罪者として裁かれることになった。個人的世界であった「軍国主義」という日本独特の世界に於ける正義と義務は、日本にとって「他の世界」である「アメリカの世界」では通用せずに、事実、敗戦というきっかけを機会に、他国であるアメリカの主張を否応なしに受け入れる破目となり、「それが自然であると」やがては頷いていた。史実として、その個人的とも言える一国の「世界に於いて主張した正義と義務」を掲げた日本国民の代表の一人として東条英機は極刑にされている。現代の日常に於いて、殺人等の犯罪を為した個人が死刑を宣告される例と全く同様である。一人の人間の世界(一つの国の世界)の内容、又、その内容に纏わる上記のようなエピソードは規模の大小だけの差異を持ち、その他は違わない。個人の正義と義務から生れる言動が他人に理解されない場合にも同様の事が言えると思う。個人的世界の内で通用するその思惑は、他人の世界の内では情勢が違う場合に通用しない。個性の違いというものであり、「神は一人としてこの世に同じ人間を創られてはいない」というその言葉の活性もこの場合に窺える。切り裂きジャックはこのような理由を背景にして、「個人的言動であった故に他人からは個人的犯行と見做され、その思惑は通用しなかった―他人の見解や法律の下では裁かれることになった」として「裁かれた」と出来る。しかし、もしもこの事件で為された「娼婦を殺害してまわる」という行為がイギリス国家を挙げての行為であったとしたならば、先述した「個人的世界による正義と義務」がイギリス国内で効力を発揮してくる結果と成り、「軍国主義の日本が東条英機を裁かなかった事実」と同様に「切り裂きジャックはイギリス国家に裁かれなかったという事実」も浮上する。これは、当時のイギリスでは梅毒による患者が急増しながら娼婦になる女性の数が増えていた為、「拡散防止に伴い国の治安を正す」というイギリスによる陰謀の急成を期した上での見解でもある。又現代に「イギリス史上、より華やかであった」とされている当時のイギリス国内の情勢であるが、その国民の貧富の差には大きな差があり、失業者が急増し、決してその時代全てに於いて「華やか」とは言えない状況にあった。このような当時のイギリスに於ける情勢を見ると、少しでも治安を改善しようと図られた「苦肉の策」として、愚かにもみえる娼婦殺しが採択されたのではないかという思惑さえ浮かぶのである。実際に、切り裂きジャックは警察に捕まって居らず、事件は迷宮入りとなっており、それ等の根拠を確立する為の一片となる事実は考えられる。又、当時の捜査資料によれば、切り裂きジャックであるとする容疑者には、当時の英国皇太子であったクラレンス公(又は通称エディ)ことアルバート・ビクターにまで辿り着き、又、王室お抱えの医師でもあったウィリアム・ガルも挙がっていた。となれば、王室関係者がその事件に関与していた事実が一般人に疑われるのも当然であり、一国のスキャンダルさえ招く程の捜査見解を露呈した事実を思えば、事の真実性ははっきりしたものとなり、益々上記の根拠を確立することへの助長として窺える。国の行く末を先ず第一に案じているのは、一般的に、国のリーダーを担うその王室関係者であるとするのが妥当であり、その王室関係者をその国のリーダーとし、その国のブレインとして考えるならば、先ず個人的世界の内に於ける個人の脳(ブレイン)となり、軍国主義国に於いては、戦争を続けるよう指導した、結果的にA級戦犯の罪をきせられた、戦争指導者となる。それ等の脳の下で働いている言動はその許容範囲により守られ、犯罪を犯しても罪に問われず、一致団結する力さえ有し、常識に於ける人の感覚を麻痺させるものとも成り得るのである。切り裂きジャックはそういった背景の下で恐らく、独壇場の怨恨を元にはしているが、個人的行為を為し、娼婦を街から減少させてゆくという、結果的に見た上での世直しを図った、とも考えられるのだ。二〇〇六年に公開された「フロム・ヘル」という映画の中で、登場する切り裂きジャックに、「二〇世紀を切り開いたのは私だ」という台詞を言わせているシーンがある。確かに、上記の根拠を元にして思えば、一種の革命であったのかも知れない。(追記)しかし、現在(現代)に於いて、キャバクラや、ソープランド等、そういったいかがわしい店は全国的にみても多数健在しており、当時に於ける娼婦達の言動、又、それ等から生れる影響は今なお継続して在り、切り裂きジャックが目論んだ革命は失敗に終わった、と言えるだろう。

 これは、その事件性が如何に斬新なものであり、且、イギリス国家の存亡を左右し兼ねない危険性を孕んだ出来事であるか、という事を背景に置き、私的に「切り裂きジャック事件」という事件そのものの存在の有無を問うた内容であるが、仁賀克雄氏が描く「切り裂きジャック~闇に消えた殺人鬼の新事実~」に於ける内容についてもやはりその事件存在の確率を疑問視する結果に終わる訳である。多少の物語性を含めた氏の素描であるが、要所に歴史的根拠を織り交ぜながら、挿絵付きの説明を以て読者に、私的事実の究明に於ける可能性を示唆している。結論から言えば、私は、この「切り裂きジャック事件」という出来事とは、イギリス国家が、世情回復の為に打ち出した苦肉の策として在ると考えている。先ず、「切り裂きジャックによる犯行の被害者」として挙げられている五人の娼婦の惨殺状況から確認・又推測を図りたい。

・メアリ・アン・ニコルズ 四二歳 女 売春婦 一八八八年

 八月三一日 午前二時三〇分にパブ「フライパン」を出た後、ホワイトチャペルロードで殺害された。陰部から腹にかけて二回切り裂かれていた。また喉も二回切り裂かれていた。

・アーニー・チャップマン 四七歳? 女 売春婦 一八八八年

 九月八日 ハンバリー・ストリート二九番地で発見された。喉を切られ、首は胴から離れそうになっていた。下腹はぱっくりと開いており、内臓は切断されて肩のあたりに投げすてられていた。子宮と膀胱は犯人によって持ち去られていた。

・エリザベス・ギュスターフスドッター 四四歳 女 売春婦 一八八八年

 九月三〇日 バーナー・ストリートで発見された。喉を二度切り裂かれて殺害されていた。

・キャサリン・エドウズ 四三歳 女 売春婦 一八八八年

 九月三〇日 イーストエンドのマイター・スクエアで発見された。下腹から首元にかけてタテに大きく切り裂かれ、内臓が引きずり出されていた。また鼻と右の耳朶が切り取られていた。左の腎臓と子宮は犯人に持ち去られていた。

・メアリ・ケリー 二五歳 女 売春婦 一八八八年

 一一月九日 ミラース・コート一三番地の被害者の自宅で発見された。被害者の中で、最も残忍な殺され方をした。又、最も高度な医学的技術による解剖が為されており、当時の医師達は「この解剖作業には二~三時間は掛かる」と言っている。バラバラに解体されており、顔は目鼻の位置も分からないほど破壊されていた。

 上記は、殺害された順を追って表記したものであり、被害者の氏名、年齢、職業、殺害された月日、殺害状況について、概略的に記したものである。多くの「リッパロロジスト」達が記して来たように、被害者の年齢は問わず、しかし対象はすべて女性、月日については或る纏まった期間(上記したが、多くの関連著書では九月~その年の年内と記している)、犯行現場は見るにも堪えない程の惨殺、一説には儀式的な殺人(ブドウの枝を被害者の傍らに置いていた。犯行現場を地図上で結ぶと歪みはあるが五角形を指しており、黄金比を掛けた場合の或る完全性、ユダヤのユダヤの星は六角形だがその類似が問われた、等と関連付けて犯人が意図した何等かの儀式的目的の要素とした。)、愉快犯による犯行、ストレスが溜った労働者階級の犯行(その内にはユダヤ市民層、下級労働層含)等と噂され、その異常振りを或る神秘的作業によるものと確定付けようとした経緯も在った。

 被害者がすべて女性だった事から、実は切り裂きジャックが女性だったのでは?とする「切り裂きジャック女性説」も飛び出している。知らない男が声を掛けて来た時点で大抵の女性とは先ず、少々の警戒をするものであり、ましてやこの事件のニュースが横行していた世間である。いくら娼婦とはいえ、これ程立て続けに惨殺死体が挙がったとなれば、少々身なりが良い紳士が近付いたからといって、ほいほい付いて行く女性の心理とは如何なるものか。この五人の他にもいくらでも当時に於いて似たような殺害は行われていた。もしも犯人が女性で在れば、女性である娼婦の懐に飛び込む事は男性の場合よりも容易であり、殺害に及び易い。この頃、刑事当局はその犯人がすべて男性である、と半ば断定的に捜査をしていたものであるから女性であれば容疑は掛かりにくく、事件の末路が「迷宮入り」と成った事もより頷けるというもの、等がこの説を唱える者達の言い分であったそうだが、これにもやはり無理があるのでは、と異議が唱えられる。女性となれば対女性と成り、その腕力による犯行が先ず男性の場合よりも不可能である事実が浮上し、又、心理学的にも、女性の場合は殺害する際に、これ程の連続した「対女性殺人」は過去に例がなく、相手の女性を庇おうとする連帯感に似たものが発生するらしい。殺害した死体から臓器を取り出した上に警察局に送り届け、添えられた紙面(送り付けた臓器と共に犯人のものと見られる警察への手紙)に尚警察を挑発するような文句を書き込み、一時の猶予も見せずに次の犯行に繰り出す、等という事は、犯人が女性であった場合には考えにくい、と当時の検査官達の間に於いても言われている。これも推測の域を出ない思惑であるが、確率的に言ってそうならば、当時の警察としてもやはり、その捜査方針の内にそれ等の根拠は採り入れる事は妥当であろう。しかし「犯人の懐に飛び込み易い」という利点についてはなかなか捨て難い視点と根拠であり、又、「迷宮入り」(これは後世に於いて考えられる内容だが)という結果に終わった経緯を見ると、その捜査の手が一向に伸びなかった事が、犯人が「女性であった為」とするのは、いささか自然味があるものと見える。

 又「男性説」に話を戻してそれ等の犯行が行われた際の不可解な点(合点が行かない点)について述べてみる。エリザベス・ギュスターフスドッターが殺害された時、その現場にはいつもはない緊張感が走っていた。彼女は、恐らく切り裂きジャックの御者であろう者に誘われて、「ご主人様が待っているから」と細い路地裏に案内された。その奥で犯人であるご主人さま「切り裂きジャック」が待ち伏せており、彼女は辿り着いた瞬間、喉元を二回突かれて殺害された。他の殺害死体とは決定的に違う状況をその死体は見せているのである。最期の被害者とされるメアリ・ケリーの場合は、簡易宿舎に於いて殺害された為に、落ち着いて犯人は彼女を殺害し、その後で臓器を明かりの灯る部屋の中で選び出す事も出来、肢体をばらばらに切り刻む事も可能だった。又、他の場合に於いても、暗黒の路地で人通りが少ない深夜であり、目撃者もない内に犯行を成し遂げた為、又臓器を取り出し、相応の惨殺死体を犯人は残す事が出来た。しかし、この場合は、「喉元を二回突いただけ」という最も簡素な殺害方法を残しており、何等かの犯人による儀式の名残かとも採れないものではないが、それにしてもあまりにも素っ気ない犯行の状況が見て採れ、切り裂きジャックの犯行に於いては、一番被害が少ない死体として当局も挙げているという現状がある。「切り裂きジャックの犯行ではないのではないか?」と噂する者さえ居たという。それ程の「キレイな死体」で在るのだ。何故、犯人である「切り裂きジャック」は喉元二回の傷だけを残して引き揚げて行ったのか。目撃者が居た、何等かの理由により犯行が明け方近くになってしまった、犯行最中の手際が成っていなかった、切り裂きジャック本人が「もう今日はこれ位でいい」と気まぐれに思い面倒臭くなってその日はそれくらいにしておいた、様々な見解も飛び交うが、それでは何故この死体が「切り裂きジャックの犯行による犠牲者」として挙げられているのか、という疑問が多少顔を覗かせる。これ程綺麗な死体ならば、他の犯人の犯行によるものと見做しても良いのでないか、と考えられるが、当局は、彼女はれっきとした「彼」の犯行と決定づけた。その根拠とは極秘秘密と時代の流れと共にどうしてもうやむやになってしまうが、一つには、彼女が連続して殺害されている娼婦達の連れ仲間だった、というものである。

 メアリ・アン・ニコルズ、アーニー・チャップマン、キャサリン・エドウズ、メアリ・ケリー、等と共に、いつも連れだって歩いており、その仲間内で彼女は、本名はエリーサーベット・グスタフスドッターというのだが、いつも大股に歩く癖があり、「ストライド:stride」というあだ名を付けられていた。彼女がそれ以前(娼婦に成る前)に結婚していた男性の名がストライドであり、その由来によるものとも考えられるが、当時に於いては上記が定説とされていた様子である。確かに娼婦仲間となれば、誰が誰とくっついていてもおかしくはないのだろうが、当時の警察当局としては、その仲間内の信頼関係を信用した為か、彼女を上記四人の親交を深めた仲間であると見做しており、次々と娼婦仲間が殺害される展開の矛先を彼女に持っていったのだ。これは事実として在り、当時にしかわからない情景・光景について配慮した場合には、おいそれと疑う訳にはいかない。彼女の生い立ちと殺害までの経過を述べると以下のようになる。

 一八六六年に女中としてイギリスに渡り、ハイド・パークの屋敷に住み込んだ。六九年に船大工ジョン・トマス・ストライドと正式に結婚する。二人は七五年までコーヒー・ショップを経営する仲の良さだった。七八年九月三日、彼女の運命は一転する。これはイギリスでも話題になった大事件だった。テムズ河を航行する蒸気旅客船プリンセス・アリス号が、ウーリッチで石炭船と衝突して沈没、乗客の大多数五百二十七名が河底の藻屑と消えた。エリザベスの夫と二人の子供もその犠牲者となった。彼女だけが近くの船から投げられたロープにつかまり助けられた。そのため彼女は身体を悪くして生活出来ず、ついには身を売るようになった。これ等は、生前彼女が涙ながらに話していた家庭の悲劇である。

 しかし、この話が事件の検死審問で証言として出て来たので、新聞紙上に大きく報道された。警察で調べてみると、これが真っ赤な偽りであるとわかった。彼女には子供等無く、夫のストライドは沈没の六年後の八四年に心臓病の為病死している。当時は夫と不仲に在り、別居していたことも分った。悲しい女の作話だった。彼女は八五年からマイクル・キドニーという港湾労働者と同棲していた。しかしときどきキドニーに暴力を振るわれて喧嘩になり、姿を消しては売春に走っていた。その世界では「ロング・リズ」として知られており、稼いだ金で飲んだくれて、泥酔の為に風俗壊乱罪で八回もテムズ下級裁判所の有罪判決を受けている。しかし素面のときはまじめに掃除婦として働いていた。当時の夫であった(同棲していた相手として)キドニーは十月一日、酔っ払ってレーマン・ストリート署に現れ、エリザベスが殺されたとき、自分がそれを見逃した巡回警官であったなら面目なさで自殺したろう。刑事に会わせろ、とくだを巻き、追い返されている。そのこともあって、検死審問できびしく当夜の行動を追究された。キドニーはたかが痴話喧嘩なのに殺人犯にされてはたまらないとアリバイを申し出て、それが証明されて容疑は晴れた。彼女とは殺害されるまで五日も会っていなかった。

 警察では事件当夜の彼女を目撃した証人探しに躍起となった。二十九日夜十一時頃、セトルズ・ストリートのパブ(煉瓦積み職人の腕)で、客のジョン・ガードナーとその友人達が、にわか雨を避けるように入って来たリズと男を目撃している。その男は背丈は彼女と同じくらい、黒い口髭を生やし、モーニング・スーツを着て、山高帽を被っていた。「レザー・エプロンみたいなやつだな」と彼等は冷やかしたという。

 警察はバーナー・ストリートの青物商主人のマシュウ・パッカーからも話を聞いた。彼の証言は時間が一定しないが、午後十一時過ぎから四十五分までの間に、白い花を持ったエリザベスが男と店を訪れ、男は黒ブドウを半ポンド買っていった。がっちりした体格の事務員風な若い男で、広縁の中折れフェルト帽を被り、黒いフロックコートを着ていた。二人は黒ブドウを食べながら、店の向いで三十分程雨宿りをしていた。

 ホワイトチャペル自警団に雇われた私立探偵グランドとバチェラーは、エリザベスの遺体の左手に血に染まったブドウの蔓と、白い花びらがあったことを付近の主婦から聞き出し、付近の溝からそれを見つけ出した。警察はゴミと思い捨ててしまったらしい。

 パッカーの証言は重要視され、何度も警察から事情聴取を受けた為、頭に来たのかパッカーは、十月四日付イヴニング・ニューズ紙に「殺された女性が喉を切られる前に食べていたブドウがどうだったとか、同じことばかり訊きに来る警察官はもうお断りだ!!」と述べている。しかし同日パッカーは私立探偵に同行してスコットランド・ヤードを訪れ、チャールズ・ウォーレン警視総監に面会している。パッカ―の証言についてはウォーレンも書き残している。しかしパッカーの証言は矛盾が多く、信じられないとして、検死審問には呼ばれなかった。

 ウィリアム・マーシャルは三人目の目撃者だった。バーナー・ストリートに住む、藍染科保管倉庫の労働者である。十一時四十五分頃、自宅の戸口にいるところに、通りの向いの路地でひそひそと立ち話を交わす男女を見た。やがて男は女にキスをし、話し声が漏れて聞えた。「そう虫のよいことばかりいうなよ」男がいうと女は笑った。二人はそこにかれこれ十分くらいいたが、女の肩に手を回した男は、こちらに向ってゆっくりと歩いて来た。マーシャルの前を通り過ぎると、ダトフィールドの方に去って行った。二人とも泥酔している様子はなかった。男は中年で丸い帽子を被り、黒い上着に黒のズボンをはいていた。労働者ではなく事務員風で、教養のある喋り方をしていたという。

 午前零時頃、H管区所属のウィリアム・スミス巡査は巡回中に、エリザベスが男と一緒にダトフィールドの向い側に立っているのを見た。スミス巡査は事件後に、それがエリザベスだったことを遺体で確認している。男は二十八歳くらい、身長五フィート七インチ(百七十センチ)、髭はきれいに当たり、こざっぱりした身形で、黒っぽい服とズボン、黒の鹿撃ち帽を被っていた。手には新聞紙の包みを持っており、これには凶器を入れていた可能性がある。午前一時過ぎ、再びバーナー・ストリートに巡回に戻った時には、既に殺害されており、現場には人だかりが出来ていた。午前零時四十五分頃、ドック労働者のジェイムズ・ブラウンはダトフィールドの向いの寄宿学校のはずれで、立ち話をしている男女を見かけた。女は学校の塀に背を当ててこちらを向き、男は彼女の方に屈み込み、女の頭上に腕を伸ばして塀に寄り掛かっていた。夜だったので顔はよく見えなかった。身長五フィート六インチ(百六十八センチ)くらいで、黒いオーバーを着ていた。ブラウンが通り過ぎるとき、女が「今夜はだめ、別の晩にね」というのが聞えた。二人とも酔っているようだった。

 ユダヤ系ハンガリー人の移民イズラエル・シュワルツがこの直後に二人を目撃した。ダトフィールドの大木戸で立ち話をしていた。男は女を通りに引っ張っていたが、嫌がるので回り込んで押し出し、女は三度悲鳴を上げた。それ程大きな声ではなかった。向い側の交差点でシュワルツは第二の男を見た。その男はパイプに火をつけていた。最初の男が第二の男に「リプスキー」と声をかけた。シュワルツが通り過ぎると、第二の男は彼を追い抜いて走り去った。

 これがエリザベスを目撃した最後の証人である。以上の目撃者は全員が死体安置所でエリザベスの顔立ちや着衣を見て、この女性だったと確認している。彼等の証言を基にして、警察では二通りの容疑者の人相書きを作成し、十月十九日付ポリス・ガゼット紙に掲載している。しかし、どれも暗闇の中でしかも遠い視点のままに見据えた証言であり、信憑性に欠けるところは一様にして同じである。しかし、これ等の手掛かりしか警察としても取る事が出来ず、背格好、時間帯、顔立ちの特徴、服装、等から犯人を割り当てる事は唯一残された捜索手段であり、現在でも同様であろうが、それ等の手掛かりを基に一から犯人探しを行う事しか出来なかったのである。

 巡査が彼女を午前零時半に目撃して以来、十五分間で犯行が行われた訳であり、その四十五分頃には人だかりが出来、人通りがなかった訳ではない。むしろ、いつ犯行を目撃されてもおかしくない状況に「切り裂きジャック」は居た、とするのが妥当であろう。このような状況の中に居たからこそ、ジャックはいつものように犯行を最後まで遂行させる事が出来ず、途中で断念して帰宅した(その場を離れた)と見る事も確かに自然と考えられる。逆に、「切り裂きジャック」が途中でやめる事の理由とは何であったのか、という内容を考えるのも一苦労を要するものであろう。その完遂をやめる理由とは何であったのか。先述の憶測づくめの推考の他には何もない、ジャックにしかわからない、と成るのがオチとなる事も考えられ、結局、状況証拠を基にして推察すると、やはり上記の(当時の警察当局が為した捜査のように)「犯行」を追う手段の画策で手一杯となる。

 壁の落書きの件では、警察の不要な隠蔽工作の可能性が浮んで来る。

〝The Juwes are The men That Will not Be Blamed for Nothing.〟

と綴られており、内容は「ユダヤ人は不必要(理由もなしに)に非難されるものではない。」と成る。字の誤りもあるが(JewsをJuwesと書いたこと)これも犯人がわざと為したものか別の意味が在るのか、単に間違えたのか、推測の域を出ない難問である。又、犯人が書いたものであるかどうかさえわからない。唯、殺害現場付近の壁に犯人が書いたものらしき「落書き」が在ったというだけで、よくいう、状況証拠を片っ端から洗い出す為の警察の網羅に唯引っ掛かっただけの対象、と成るものであろう。この字の誤りには定かではない理由を基にした「フリーメイスン用語」を用いた手記である、とする説もあるという。これは、キャサリン・エドウズが殺害された現場付近にあった壁の落書きであり、九月三十日、午前一時四十四分頃に起きた事件、その殺害に割かれた「九分間」の内に残されたとする物的証拠である。彼女は殺害される直前に酒の飲み過ぎで警察に保護されており、午前一時に独房から出されている。その後、ふらふら歩きながら帰路につくが、その間に三人の男に彼女と或る男が親しげに会話している光景を目撃されている。これが午前一時三十五分頃の事。場所はマイタ―・スクエアに通じるデューク・プレイスで、その五分後にジェイムズ・ハーヴェイ巡査がマイター・スクエアからデューク・プレイスまで巡回しているが、人影も見えなければ物音もしていない「日常の光景だった」と証言している。その四分後にワトキンズ巡査がキャサリンの遺体と遭遇するのである。

 この九分の内に誰にも見られずに犯行を為し、「下腹から首元にかけてタテに大きく切り裂かれ、内臓が引きずり出されていた。また鼻と右の耳朶が切り取られていた。左の腎臓と子宮は犯人に持ち去られていた」等の作業を果たし終えたのだろうか。子宮を選定して取り出す事も腎臓を選定する事に比べれば容易であるとされてはいるが、あの暗闇である。もし暗闇の中の作業ともなればその手腕の出所は医師によるものではないか、という見解は甚だよろしく、一般人にはとても出来る代物ではない、と見るべき姿勢が当然というところではないだろうか。よしんば明かりがあったとしても(懐中電灯等:当時には既に警察が所持するミニライトと称する捜査用の携帯ライトが存在していた。)その明かりは目立つ対象と成る(上記した)人通りのある通りである。見付かってはマズイ、と犯人なら誰もが思う心情に配慮すれば使用する危険性は犯人が最もよく知っている、と考えられ、使用していたとしても、御者等が持つランプの光、詰り蝋燭程度のものだろう。それでも明かりの色めきには違いなく、見付かる可能性が大きくなる事は間違いない。ランプ・蝋燭・懐中電灯の明かりを以てしても人体の中の臓器を取り出す事は至難であり、血しぶきや見付かってはマズイという当人の焦りから敏感による曇りが立ち込め、それ等が犯行の腕を鈍らせる障害になる事は考えられるものである。明かりが在ったにせよ、なかったにせよ、この犯人とは、人体について或る程度精通していた事が窺える証拠と成る。ここで医者説も沸き上がるのだ。

 犯人は目的をもってこの犯行を為している。この先に警察宛に送る手紙と同封した肉片(彼女の「腎臓」)との繋がりがここから始まっているのである。

 切り裂きジャックの手紙が最初に送られて来たのは、ニュー・ブリッジ・ストリート五番地にあるセントラル・ニューズ・エイジェンシーという通信社である。イースト・ロンドン局発信で九月二十五日付の署名があり、二十七日に届いた。宛名はエイジェンシーのボスで赤インクで書かれていた。編集者はよくある悪戯だと思い放っておいたが、二日後にヤードのウィリアムスン巡査部長宛に転送した。それを新聞社がかぎつけ、十月一日付の朝刊各紙にその全文が掲載され、やがては大反響を呼ぶことになる。

「やあ、ボス

 警察はおれをつかまえたようなことをほざいているが、まだ皆目見当もついていないのさ。したり顔して目星つけたなんぞはお笑い草だ。レザー・エプロンが犯人だなんてのは悪い冗談だ。おれは売春婦が大嫌いで、お縄になるまで切り裂くつもりだよ。この前の殺しは大仕事だったぜ。レディにゃ金切り声一つ上げさせなかったからな。捕まえられるものならやってみな。おれはこの仕事に惚れ込んでいるのさ。またやるぜ。おれの面白い遊びを耳にするのももうじきだ。この前の仕事について書こうと、赤い血をジンジャー・ビールの瓶にとっておいたんだが、膠(にかわ)みたいにねばねばして使い物にならない。赤インクも乙なもんだろう、ハッハッハ。お次はレディの耳を切り取って、警察の旦那方のお楽しみに送るからな。この手紙をとっておいて、おれが次の仕事をしたら、世間に知らせてくれ。おれのナイフはキレ味抜群でね、チャンスがあればすぐにでも取りかかたいよ。じゃあな。あんたの親愛なる切り裂きジャック。これがおれのあだ名さ。(その後に赤いクレヨンで横書きした追伸があった)―赤インクの乾かない内に、この手紙をポストに投げ込んだのは悪い事したな。残念ながらまだ捕まらんよ。このおれが医者だとはな、ハッハッハ。」

という内容のものである。この内容には上記した殺害により獲得した臓器に纏わる伏線が感じられる。「手紙をとっておいて」という犯人の心情に耳を傾ければ、その犯行と自分がこれからする「手紙を送る」というメディアを利用した二重戦略とでもいうべきか、自分の主張を世間に公表する為の画策をきちんと土台を図りながら構築するという、云わば、「劇場型犯罪」の模型とも言えるものだろう(実際に、犯罪史上初の「劇場型犯罪」と言われている)。この声明文はストライドやエドウズの二重殺人があった三日前の消印で、公表されたのが事件の翌日だったとされている。次に送られて来た声明にはこう書かれてある。

「おれがオールド・ボスに手の内を明かしたのはかついでいたわけじゃないぜ。明日になれば、この小粋なジャック様の仕事ぶりがいやでも耳に入るさ。今度は二人を殺った。最初のやつにはちと騒がれて、思い通りにはいかなかった。警察に送る耳を切る暇がなかったよ。この仕事を終えるまで、前の手紙を取っておいてくれてありがとさん。 切り裂きジャック」

 ほぼ、前回(一回目)の声明文と同様(続き)にも思えるが、ここでも又、今後の犯罪の伏線を強調している。しかし、この声明には色々な見解が寄せられ、筆跡が似ているが違う、といったものや、前回に魅せられた若者が悪戯に書いたものだ、等の空を切る論議が醸しだされ、それ程の効果を警察側に対して挙げられなかったと見える。実際に、その後、何千通の悪戯手紙が当局に届く事になる。警察は、その悪戯とも採れる手紙の中から「切り裂きジャック」本人の手紙(直筆)を鑑定と共に選出しなければならなくなった。

 事件の翌年に副総監になったメルヴィル・マクノートン卿が、当時ヤードに寄せられた数多い投書の中から任意に選出したものにあった有名なスタンザが以下。

      *

屠畜人ではありません。

ユダヤ人とも違います。

ましてや異国の船乗りとは

私はあなたが心を許す

親愛なる友 切り裂きジャック


I’m not a yid,

Nor yet a foreign skipper,

But I’m your own light-hearted friend,

Yours truly Jack the Ripper.

      *

 これは、例の壁の落書きに纏わる、警察当局がその捜査の内で挙げた見解に対する否定である。当時のヴィクトリア朝に於いて、ユダヤ人の脅威というものは王室の者としても軽視する事は出来なかった。労働者の多くにユダヤ人が混じっており、マイター・スクエア付近はユダヤ人が多く住む地域でもあり、その落書きを消した理由も、こうしたユダヤ人達が団結して暴動を起こす事を避ける為であったとされている。華やかなりしヴィクトリア朝と明記される現在に於いても当時の背景とは見えにくいものであり、光には影が付き纏うという言葉通りにこの時代にもよからぬ暗雲は立ち込めていた。市民層の貧富の格差はこの頃が最も激しかったとされる一説さえある。こうした声明文の繋がりを追って見ると、確かに、二通りの解釈を持つ事が出来るのではないか。一つは切り裂きジャック本人のものであり、事件との連動性を著しく思わせる熟知した内容と捉える事も出来、又次に送られて来る内容についての先読みが出来るという点。詰り、犯人と事件性とに於いて、他人とは考えられないからくりをこの声明文を書いた主は知っている、という感覚によるものである。二つ目は全く赤の他人であり、一意見を流行に乗じて書いたもの。よくある便乗による投書である。この二つの見解の行方も当然推測の域を出ず、唯の真犯人を探す為の「現在の手掛かり」としか成らない。そして次の声明文にはこう書かれてあった。

「地獄より

 ラスクさんへ

 拝啓 ある女から切り取った腎臓の半片を送るぜ。あんたのためにとっておいたやつだ。残りの半片はフライにしておれが喰ってしまったよ。かなり味がよかったぜ。もうすぐそいつを切り取った血まみれのナイフを送るぜ。できるものなら捕まえてごらん。

ラスクさんよ  敬具」

 ラスクとは、ホワイトチャペル自警団委員会会長のジョージ・エイキン・ラスク(一八三九~一九一九)であり、口髭を立派に生やしシルクハットにハーフコート、ステッキにハンケチをいつも胸ポケットからちらつかせている紳士である。この声明文が上記した犯行とメディアとを架け渡しにした決定的な一文と成る。状況証拠と、物的証拠と成る臓器が決め手と成る訳である。この手紙は十月十六日に送られており、中には同封物として「腎臓」と称する(犯人により)肉片があった。はじめ、ラスクはこれを悪戯で犬の肉片だと思い込んでいたらしい。しかし念の為に医師にその肉片の鑑定を依頼したところ、どうもその肉片は人間のものではないかという見解を見る。鑑定を延長し、ロンドン病院の解剖博物館館長トマス・オープンショー博士のもとに持ち込まれ、その鑑定結果により、これはジン浸りのアルコール中毒者の腎臓で、ブライト病というヴィクトリア朝に多かった腎臓病にもかかっているとされた。オープンショー博士は更に、この腎臓は四五歳くらいの女性のもので、切り取られてから三週間は経過していると述べたと報道された。それをワイン漬けにして保存しておいたらしい。これはエドウズの年齢や腎臓を切り取られた事に一致するので、新聞は色めき立って報道した。

 物的証拠と時間経過による状況証拠の下で、この手紙を書いた主が「切り裂きジャック」本人であるという可能性が極めて高くなり、その筆跡鑑定から現在でいうプロファイリングを為し、犯人の外輪郭を描き出す事に当時の警察当局をはじめメディア各病院までもが一団と成って熱を入れ、追跡を開始する。しかし、状況証拠、物的証拠は送られて来た現在に於いてしか確認出来ないものであり、犯人がその肉片を同封用の封筒に入れる場面を「見た」訳ではない警察当局としては、やはり憶測による戯言に終わるかも知れない追跡を(せ去るを得ない状況を)強いられている。詰り、切り裂きジャックが誰かにその肉片を渡して書かせた可能性もあり、その書かせた輩が仲間という可能性もある、等の勝手な推測が、これ等の証拠と同等の価値を持つ事となる訳である。そう、ここでは複数犯の可能性さえ指摘され得る。実際に警察はこの一連の事件の主犯を複数犯による犯行とみて動いている事実もあり、その延長で、フリーメイスンや、王室関係者(王室ならばその一人を守る為に隠蔽工作をする可能性も高いとして)にまで捜査の手を伸ばすという、一見危険とも見られる言動を為している。最近の「切り裂きジャック」を扱う映画等では、この辺りの事情に追究の手を入れて、王室侍医のウィリアム・ガルを犯人に仕立て上げたり、当時のヴィクトリア女王の孫に当たるクラレンス・ビクター公が実は真犯人、等と囃し立てている。

 被害者が殺害された状況をつぶさに見て行くと、余程の奇跡が起こらない限りは犯行不可能に近い現実が見えて来る。犯人は余程のラッキーマンであったというより他なく、全く目撃者がいなかった訳でもなく、三度目の殺人については目撃者が居た、という説も飛び交う中、結局犯人は捕まらずに迷宮入りで締め括られる。確かに偶然が偶然を呼んで、事件がすべて犯人の思うがままに運ぶケースもあるだろう。奇跡ではなく「ラッキー」という方が正確な「運が良かった」犯人による犯行の経緯である。日本で起きた三億円事件にしてもオウム教の平田、菊池、にしても運が良かった為に一方は逃げおおせて一方はそれでも十年以上も捕まらずに逃げおおせている。数え上げればきりがないくらいに世界中にそういった輩は居るだろうが、日本で起きた神戸連続児童殺傷事件について見てみると、上記の内容と共に又新たな側面まで見えて来る。この事件とは当時「劇場型犯罪」と謳われ、この「切り裂きジャック事件」との関連性がなにかしら疑われる処がある(これに就いては改行して書く)。

 被疑者についての問答だが、モンタギュー・ジャン・ドゥルイト(Montague John Druitt、一八五七年八月一五日―一八八八年一二月一日)について言えば、濡れ衣を警察当局から着せられてテムズ河に放り込まれ自殺に見せかけられた、とする説は有名である。これはイギリス王国が「切り裂きジャック」をでっちあげて「娼婦排除」を企てた際の経緯に於いて言える事柄であるとする見方と、捜査の成り行きでよくある冤罪によりそう成ったとする見方の二つである。彼は生来神経質な質で、一寸した事が契機で実際に職場を離れた経験を持っている。冤罪はさておき、先述の「濡れ衣」とは、警察(或いは切り裂きジャック誕生を企てた団体)が彼を「切り裂きジャック」であるように見せかけて、或る程度の犯罪を為した後でその「罪の意識」に苛まれた格好を装わせ、河へその身を投げさせたとする仮説に起因する。彼の母親が発狂し、職場は辞職しており、独身であり、様々な事情によって落胆した男が自殺する等については目下知られるところであり、誰も疑わぬ、とした陰謀であろうと見るのが妥当なところだろう。これについてもその自殺の瞬間の目撃者も物的証拠もない。在るのは彼の上着とズボンの両方のポケットから出て来た大きめの石だけである。これだけでは自殺か他殺か推定するにはまだ欠ける証拠と成る。彼の自殺説に対しても多くの疑問は残る。精神病院に搬送されるのが普通だろう、や事件後すぐに自殺しなかった事の空白についての疑問、又、それまでの連続殺人者で自殺した例はない等の確率に頼った見解から織り成される視点、様々である。又、彼を容疑者として調べ上げる中で、当時この捜査を担当していた(上記した)マクノートンのメモには多数の適当、且、いい加減な手記が目立っている。職業を医師としていたり、年齢を間違えていたり、アリバイについての証拠も類推に頼るものばかりであったりと、有力な手掛かりはこのメモにより粉砕される可能性も考えられる、といった程に曖昧なものであり捜査に於ける充実性を損なう契機ともなろう。

 マイケル・オストゥログ(Michael Ostrog、一八三三年―一九〇四年頃?)とは上記したようにロシア人医師であり、前科者である。しばしば暴力行為により精神病院を出入りしており、その経歴は「最悪のタイプ」とされていた。又、事件当時の所在は不明であるとされている。オックスフォード大学の留学生として在籍していた彼は当時三十歳。教室、礼拝堂、食堂、等に於いて盗難が相次いだ際、彼に容疑が回り、警察に出頭した彼は偽名で尋問に答えている。結局その六日後に学生からオペラグラスとカバンを盗んだところを現行犯逮捕され、裁判により十カ月の重労働処分となった。その後も詐欺・作話により周囲の人々を騙して歩き、金塊や、衣食住に必要なあらゆる財産を手に入れ、ケンブリッジへと舞い戻る。しかし生来の質が祟って、再度、窃盗により裁判に問われ、その際「躁病」として精神病院にも収容されている。このオストログは一八八八年三月一〇日に出所した。(ここでもマクノートンのメモによる、同年三月十日に精神病院に収容されたという間違いが目立つ)。彼が容疑者とされた理由とは二重殺人の後その手口から犯人は「狂気の医者ではないか」という検死医からの説が出されたからである。なるほど彼には犯罪歴があり、暴力行為も目立ち、何よりも悪事を働いた際の人々に対する罪悪の念すらない。又、暴力行為は女性に向けられる事が多く特に娼婦に対する憎悪が顕著であった為に、彼ならやり兼ねないと成り検挙するに至ったのである。しかし確かな証拠は何もなく、彼もまた、ドゥルイトと同様に「仕立て上げられた犯人」と成った事は否めない。

 トマス・ニール・クリーム(Thomas Neill Cream、一八五〇年五月二七日―一八九二年一一月一五日)については、事件当時(又は事件当夜)アメリカにいた為に論外とされる。唯、「おれが切り裂きジャックだ」と死刑直前に叫んだ事を理由に容疑者として挙げられているという、何とも不可思議な事実である。当時に於いても、彼が犯人であるとする者は殆どいなかったという。

 アーロン(エアラン)・コスミンスキー(Aaron Kosminski、一八六五年九月一一日―一九一九年三月二四日)については、上記したように、筆跡鑑定による不一致が決め手となり容疑者からは外されている。唯、所在地がイースト・エンド地区、精神不安定、娼婦を憎んでいた、等の理由から犯人として挙げられた。しかし、これも又上記したように、複数犯であった場合には再度容疑者に挙げられる可能性も残る。

 ジェイムズ・メイブリク(James Maybrick、一八三八年一〇月二四日―一八八九年五月一一日)について言えば、「切り裂きジャックの日記」が彼の物とされた現代に於ける類推と、その身体的特徴から挙げられた容疑者である。勿論、日記の公表については後世のものと成り、根拠とは成らないが、そのように仮説付けられた経緯には相応の信憑性があるのでは、と意識された挙句、容疑者として同様に扱われた当時の背景が窺える。しかし、彼を挙げるにも根拠がない。

 最後に、ジェイコブ・リービー(Jacob Levy、一八五六年―一八九一年)であるが、彼の容疑者仮説には相応の有力な根拠が挙げられている。先ず、身体的特徴がピッタリと当て嵌まる事。壁の落書きがユダヤ人を保護する内容であり彼が又ユダヤ人であった事。アリバイについても所在不明で在り、妻の証言から、事件当夜の前後に彼には街中を徘徊する癖があったという事。そして、梅毒に感染していた事である。直接の目撃証言ではないが、一説として、犯行現場には「梅毒患者が用いる薬の特有の匂い」が漂っていたというものがあり、その場合にも彼の状況はこの現場の条件と重なる。又、梅毒とは主に当時に於いては、性交から感染するものと信じられた感が強く在り、様々な性交を為している娼婦から所謂「梅毒菌」を貰い、その結果として(必然的に)娼婦を逆恨みする形で次々と殺して回った、とする見方も立てられる訳である。この見解は実際に立てられていた。故に、娼婦を恨んでいる男をその条件として警察は引っ張って来たのである。

 しかし、これ等の個人的見解も何の解決もみない憶測づくめの戯言で終わるのである。決定付けられる証拠が欲しかった警察としては、間接的な証拠には飽き飽きしていたのが実情で在り、他の犯人像を模索出来てしまうような証拠は「証拠」として挙げるには物足りないといった表情をみせていた。あくまでも目撃証言と、犯人に直結する物的証拠、現行犯逮捕、等に絞られていた様子が現在に於いてみてもわかるところであろう。その証拠を挙げる為には、先の「目撃者」「巡査による現行犯逮捕」「犯人の居所」を獲得し選定するのが第一であり、その他の証拠はそれ等の為のオプション的存在に回されていた。しかし、結局、一二〇年経過した現在でも知られるようにその「迷宮入り」は覆されることなく居座っており、あれだけの捜査網にも拘わらず犯人は逃げおおせ、目撃者達の証言を横目に颯爽と闇の彼方へと消えているのである。「何故?」という疑問が残るだろう。警察は本気で彼を(犯人を)捕まえる気はあったのか、と疑いたくもなる。メモはランダムだし、壁の落書きは写真も取らないまま(現存しているのは当時の巡査により記憶していたものを書き記されただけのものであり、原物ではない。原物はアーノルド警視の命によりウォーレン卿が巡査に拭き消させた)消しているし、これ等は正に証拠隠滅である。ユダヤの暴動を恐れて、と在るが、未だ目に付かなかった時点で写真を取る事も出来たであろうに。もしかすると、この落書きはそれ程重要ではなかったのではないか、との疑惑さえ生れる。或る程度の人目に触れさせる事だけが目的で警察の人間が書いたものでは、等。これも「切り裂きジャック誕生」を企てるイギリス国家陰謀説と成るが、すべてが国家、警察、医師、等がグルになって企てた問題で在るとするならば、合点が行くところも出て来る。

 先ず、遺体解剖による検死であるが、これは医師がグルになっていればたやすく可能である。カルテ等、別に国家が組まなくても犯罪組織と例えば一医師が組んでいればよくある映画にも見られるシーンのような展開が期待出来る。

 次に目撃証言が曖昧な点である。これも医師がグルになり、既に死んでいる遺体、詰り過去の女性の遺体を安置所から引きずり出して犯行現場にでも置けば事は完了する。その引きずり出す前に医師の手による臓器摘出や、派手に切り刻んで相応の場所に適した「惨殺死体」に見せかければ良い訳であるから簡単である。医師にとっては専門分野でお手の物となる訳であり、同時に、九分間の殺害と臓器摘出、目撃者が短時間の作業であった為に居なかった理由、あれだけ派手な殺害が在った地区に於いていきり立っている市民の衝撃を他所に、確実に一定期間に於ける犯行に及べた事、例え警察がグルになっていなかったとしてもその捜査網に引っ掛かりにくかった事、等について説明がより付く事と成り、自然であるとする事が出来る「強み」から信憑性もわいてくる。警察がグルになっていれば余計に事はたやすくなる訳であり、当時の「ヴィクトリア朝」の気質を見た上で考察すれば、そこに於ける真実も無視出来ないものになってくる。そしてその目撃者の証言については、警察当局で為された尋問によるものである為、例えば証言者に金を掴ませて隠蔽する為の偽証をさせれば事は済む訳であり、これも警察がグルになっていれば可能である。

 次に余りにも杜撰な当時の警察の捜査内容である。先述したようにマクノートンのメモは余りに適当なものばかりで類推だけを掲げた無証拠の記述が目立ち、一見右往左往するだけに止まっている。又、警察当局としても、娼婦を保護する為の具体的な対策すら為しておらず、無防備な世情をそのまま放置している。警察に送られて来た手紙や肉片についてもはじめは乗り気ではなく、次第に熱が入るという尻あがりな姿勢があり、目下解決を急ぐ警察の姿勢・手腕であるとは到底思えない。そして証拠隠滅である。どのような証拠も送られて来た手紙を筆跡鑑定に回し肉片については医師の解剖診断をするのは当たり前の事であり、にも拘らず緻密で念密な捜査を必要とするのに簡単に消してしまうあの姿勢。自然に考えれば、何か「裏」があるとしか思えない状況である事は現在に於いてもより考えられる事だろう。「犯人を捕まえる」という警察が取るべき姿勢が現在と過去で違っていなければの話だが。唯一「違う」と言えば、ヴィクトリア朝という一世紀を創り上げた「古き良き時代」の模範が為せる警察を含む市民への圧力の差であろうか。

 「現在のように、労働基準法や労働組合などなかった当時、人々は、信じられない過酷な労働条件のもとで働かざるを得なかった。経営者たる資本家は、一方的な条件で労働者を働かせていた。好き勝手にいつでも首にし賃金など最低の暮らしも出来ぬほどの額しか払わなかったのである。製紙工場で働く子供たちには一六時間以上の重労働が強制された。子供は、凄まじい条件下で働かされた。ある陶器工場で働く少年は、朝の三時~四時にたたき起こされ、夜中の一〇時、一一時頃まで働かされたが一銭も支払って貰えなかった。特に、煙突掃除には、体の小さい幼児が使われた。五歳程の子供が煙突の中に入り込み全身真っ黒になりながら何時間も働かされるのである。煙突の中で窒息したり転落したりして死ぬ子供が後を絶たなかったという」等の状況が蔓延った当時の現状である。現在の労働局が聞いてさえも呆れる、思わず保護したくなる、怒り返るくらいの悲惨が当時の「華やかなりしヴィクトリア王朝」には存在していたのである。「古き良き時代」とは一体誰の為の「良き時代」なのか、憤りと共に追究する価値はあるというものであろう。

 詰りは、このような治世の勝手が公然と許されていた時代である、というところがここで着目されるのだ。ここまで非道い扱いを放置した理由とは、一つに、産業革命の成れの果ての姿が在ったからではないだろうか。栄華を誇りたいイングランドはかつてのイギリス大英帝国に経済面に於いて再度返り咲きたいと考えた挙句に、労働による産出の手を止めず、自分達にとって体裁が良い状況を作り出す為の治安改善策を図り、その為ならと下級人民の命をものとも思わない両刃の政策をも打ち立てた「狂王の国の政策の実体」等が見え隠れしてくるのである。これも皆、上記の状況が在ったればこそである。辻褄が合う線がどちらかを問う場合には先ずその事が展開された環境の真実を追い、それから内実に踏み込む際の「手掛かり」というものを当時の関係者達のいでたち振舞いによりあぶり出し、次に視点と「結果」がそぐわない点について究明を図り、合点が行かない場合はその視点の先に在る点を具体化する。このような単純明快な手立てを以て考証・考察を為しただけでも簡単に「イギリス陰謀説」なる仮説が立てられるのであるから、彼等が労したあらゆる工作が「或る真実」に辿り着くまでのその過程に障壁として為したハードルとは、薄いものだった、ともいえよう。詰り、好き勝手が出来た王室である為にその影響が侍医を通して各医者、又国家の治安を図る警察にまで行き届き、「狂策」を為したとする説である。

 この「狂王説」「グル説」等は「迷宮入り」という一つの大きな枠組みを施したゴールに於いて華を咲かせており、現在に於ける映画や小説等でも、「切り裂きジャック」関連のものなら先ずその内の一つに「王室関係者」を犯人として扱う内容のものが挙げられている。「切り裂きジャック」が現在に於いてマニアにとって色褪せず、妙な「神秘性」を纏うのはこのような背景が付き纏うからであろう、とすることはあながち冗談ではない。犯行現場はコマーシャル・ストリートを中央に挟み、ラム・ストリート、ブラッシュフィールド・ストリート、ウェイントワース・ストリート、ホワイトチャペル・ハイ・ストリート、オールドゲイト・ハイ・ストリート、オールド・モンタギュー・ストリート、ウィルカーズ・ストリート、チャーチ・ストリート、ファッション・ストリート、フラワー&ディーン・ストリート、スロール・ストリート、ハンバリー・ストリート、ジョージ・ヤード、オズボーン・ストリート、そしてホワイトチャペル・ロードを界隈とした極限られた地区であり、これ等はビッグベンに搭乗すれば一望できる範囲である。このような狭い地区に果してどれくらいの人口が居、又捜査網が敷かれたのか。密接にせめぎ合う通りを犯人が(居たとすれば)通った筈であり、詳細な状況証拠を積み上げて行けば自ずと犯人の軌跡に辿り着く事は一般的に見て可能であったのではないか、等と考えられる。民衆の協力が在ればなおさらの事である。全国指名手配をしてついには捕えられている犯人を見れば、実在したジャック・ザ・リッパーの「神秘性」は益々強固なものとなり、異常な奇跡にも遭遇する事となる。私的見解では、うやむやな捜査経過の中で立ち込める追跡事情の中で唯一「実在した」事を期待出来る証拠とは、殺害された娼婦五人の交友仲間による証言の真実性である。

 どこまでが真実か定かではない現状に於いて例えば、仁賀克雄氏は、「犯人の身柄の隔離か、死亡である」として「迷宮入り」となった犯人の状況的真相を追って締め括っている。身柄の隔離については持病の精神病が悪化して、その家族(又は関係者)に犯行を知られ外聞を憚って監禁された、死亡説とは、宿題と化していた犯行に一通りの目途が付き鬱に駆られた挙句に自殺した、又ドゥルイトのように自責の念に駆られたか人生に於ける絶望に駆られたかして自殺した、又喧嘩で死亡した、等である。何にしても「事件は闇に葬られてしまった」と後述で氏も語るように、現状ではその真相も又ジャックの告白すら見えないでいる。氏はとりあえずを以て「実在説」を取っているようであるが、私はやはり上記した「陰謀説」を取ることが、「確率的」にみて、自然であるとする。


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続・切り裂きジャック~闇に消えた殺人鬼の新事実~ 天川裕司 @tenkawayuji

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