第7話 真相
夜、僕は静かな住宅街を恋歌と並んで歩いていた。
特に行きたいところがあるわけではなかった。ただ帰りたくないだけだった。
恋歌は今夜、引き取り先の親戚と会うことになっている。昨夜のように僕の部屋に来ることはない。落ち着いて二人で話す機会はこの先ないかもしれないと思うと、帰路につくことは難しかった。おそらくは、互いに。
「捕まったらしいな、犯人」
空虚な言葉をいくつ交わした後だっただろうか。
重い沈黙を裂いて、僕はそう切り出した。
「よく知ってますね。調べてたんですか?」
「気になったからね」
何故なら僕には解き明かすべき謎があった。
ただしそれは殺人事件の犯人を突き止めるという意味ではない。
「何故君は僕に告白したのか。僕はそれが知りたかった」
「……まだ言ってるんですか、それ。よく飽きませんね」
呆れたように恋歌は言った。
「飽きないさ。だって、君が僕に告白なんてするはずがないんだ」
僕は覚えている。
中学生の頃、恋歌は僕に告白まがいのことをした。
当時の僕は未熟ゆえに勘違いし、対応を誤り、結果として恋歌を傷つけた。
繰り返してはならない。
だから僕は確かめる必要があった。
「真相には辿り着いた。だから、答え合わせをしよう」
僕は恋歌と並んで歩いたまま、その表情を見ることもなく提案した。
恋歌は淡泊に言葉を返した。
「いいですよ。でもそれなら、ふさわしい場所に行きませんか?」
僕は頷いた。
行くべき場所はわかっていた。
あの告白の続きをするなら、あの校舎裏で行うべきだと。
「……流石に暗いですね」
恋歌は証明の消えた校舎を見てそう言った。とはいえ二階の職員室には明かりがついているし、体育館からはバスケ部が練習する音が聞こえてくる。
真っ暗闇でも静寂でもない。特別ではない僕らの学校の風景。
それが特別に思えるのは、きっと僕らの気持ちがいつも通りではないからだ。
「さ、聞かせてくださいよ、先輩。辿り着いた真相とやらを」
軽い口調なのに、その声音には恋歌の緊張が感じられた。
僕も緊張していた。
静かに小さく呼吸を整え、僕はゆっくりと話し始める。
「僕の知っている君は、人を傷つけない優しい女の子だ」
「そんなことはないと思いますけど」
「いや、君は人を傷つけない。……傷つけてはいけないと自分に言い聞かせて、ずっと生きてきた。だから、僕に限っては君に告白されることはありえない。僕の古傷を抉るようなことを、君はしない。そのはずだった」
中学生の頃、不幸なすれ違いがあった。
あれ以来、恋歌が他人に愛想を振りまくようになったのを僕は知っている。
昔はもっと、棘のある性格だった。
「何か理由があったんだ。僕の古傷を抉るとわかっていてもそうしなければならなかった理由が。その理由が、やっとわかった」
「……聞きましょう。それはなんですか?」
「君は怖かったんだ。あるいは不安で、心細かったんだ。一人では耐えられないほどの不安を抱えて、僕に助けを求めたんだ。キーワードは……下着泥棒」
恋歌が何度も口にしたワードだ。
あれは冗談などではなく、気づいてほしいという心の表れだったに違いない。
「犯人、中学のときの友達だったんだろう。下着泥棒をしないと先輩にいじめられるとかって治安の悪い話を聞いたよ。当然、君も知っていたはずだ」
「……紗希に聞いたんですね?」
「ああ。そしてピンときた。君は彼を助けようとしたんだ。どうしても下着を盗まなければならなくなってしまった彼に頼まれて、断れず、自分のを盗んでいいと言ってしまった。時間を指定し、彼が盗みを終えるまでの間、嫌な気持ちを紛らわすために、僕を呼びつけた」
つまりあの日の恋歌には余裕がなかったのだ。僕を傷つけるかもしれないとわかっていても我慢できないくらい、恋歌自身が追い詰められていた。
「でも君は僕に助けてとは言えなかった。本当のことを話すわけにはいかなかったからだ。君はただ僕に味方になってほしくて、あんな大胆なことをした」
ポイントは、恋歌が「好き」という言葉を使ったタイミングだ。
あの校舎裏で恋歌は最初、僕にこう言ったのだ。
『私だけの味方になってくれませんか?』
きっとそれが、恋歌の嘘偽りない本音だった。
でも僕に事情を聞かれると説明できないから、誤魔化すために普通の愛の告白みたいな言葉を続けて口にした。だから、二度目に言い直した時だけ僕を好きだと言った。
「ここからは余談だが……僕の推測通りなら、君のお母さんが亡くなったのは不幸な事故のようなものだ。お母さんがたまたまいつもより早く仕事から帰ってきていたのを、君は知らなかった」
母親は仕事でほとんど家にいなかったと恋歌は言っていた。
だが不運にも、あの日だけは違った。
「犯人は泥棒に入ったところで、君のお母さんと鉢合わせた。そして動転し、殺してしまった。だから結果的に君の告白とお母さんが災害された時刻は重なった」
わかってしまえば驚きも面白みもない。
でも僕にはそれが真相であるという確信があった。
「どうだ。違うか?」
尋ねる僕に、恋歌はしばらくの沈黙の後で答えた。
「……正解です。よくわかりましたね」
ひひっ、と恋歌は笑った。酷く辛そうに聞こえた。
「私が手引きしました。私が、殺したんです。お母さんを」
「それは……」
僕は言葉に詰まる。
結果的にはそうかもしれない。だが、殺そうとしたわけじゃないではないか。
それを、どんなふうに伝えればいいかわからない。
「……僕が言うのもなんだが、これは不幸が重なった結果だ。そう思いつめる必要は」
「いえ、私のせいです。私が殺したようなものなんです。だから悲しむ資格なんてないんです。私には」
「違う。君は友人を助けようとしただけだ。僕に助けを求めるくらい嫌だったのに、助けようとしたんだ。今回はそれがたまたま悪い結果になってしまっただけで」
僕は本心から言う。
それでも恋歌は曖昧な苦笑を見せるだけ。
「美化しすぎですよ。本当なら断るべきだったし、止めるべきだったんです。私は彼を助けたんじゃない。責任を感じたくなかったんです。私のせいで彼がいじめられるのが嫌だったから……これはその報いです」
そして恋歌は僕の目を見た。
すっきりした最悪の笑顔で口を開く。
「ありがとうございます。私のわがままに、付き合ってくれて」
僕はその表情が見ていられなくて、顔を伏せた。
「……ごめん」
「なんで謝るんですか? 先輩は何も悪いことしてないじゃないですか」
「君は助けてほしかったんだ。それなのに僕は、君に寄り添ってあげられなかった」
「そんなことありませんよ。寄り添ってくれたじゃないですか。味方をしてくれるって言ってくれたの、すごく嬉しかったです」
「それじゃ足りないんだ」
「え?」
「力になりたかったんだ。もっと、ちゃんと」
あんな突き放すような態度を取るべきではなかった。
あんな疑うような言葉を突きつけるべきではなかった。
もっと自分の本当の気持ちに従うべきだった。
「だって、好きな女の子が僕を求めてくれていたんだから」
僕は馬鹿だ。
恋歌が僕を好きなはずがない。好きだとしても告白なんてするはずがない。そんな妄想で自分の心を守ろうとして、好きな女の子に寄り添えなかった。
最低だ。救いようのない大馬鹿野郎だ。
「……ずるいです、そんなの」
声は震えていた。
ちらりと様子を伺うが、恋歌も俯いていて表情は見えない。
でも、泣いていると思った。
「言いましたよね。……私、親戚のところに引き取られるんですよ?」
「ああ」
「会えなくなっちゃうかもしれないんです。それなのに、今更、そんなこと……」
「関係ないよ」
確かに今更かもしれない。僕らはずっとそれを誤魔化し続けてきたから。
でも、関係ない。
僕はそっと手を伸ばし、一瞬だけ躊躇ってから、恋歌を優しく抱きしめた。
「好きだよ。恋歌」
もしかしたらこれは軽率な行動かもしれない。
恋歌は僕に抱きしめられることなんて望んでいないかもしれない。
それによって僕はまた恋歌に暴言を吐かれて、傷つくことになるのかもしれない。
それでも構わないと思った。
僕が傷つくことなんてどうでもいい。
好きな女の子を傷つける方が、もっとずっと辛い。それを知った。
「言ったはずだ。僕は、君の味方をすると決めたんだ」
この先もずっと。
恋歌がそれを望んでくれる限りは、いつまでも。
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