第4話 意外な一面


 翌朝。自然というか必然的な流れで、僕らは一緒に登校した。

 玄関を出てすぐ駆け足で近所のコンビニに向かい、先にこっそりと外に出ていた恋歌と合流する。恋歌は朝食用に買ったパンを食べながら僕に疑念の目を向ける。

 

「ほんっとーに触ってないんですか?」

「ああ。触ってない」


 僕ははっきりと頷いた。

 昨夜、恋歌は僕の部屋のベッドで寝た。その際に僕が恋歌の体を触ったのではないかと恋歌は疑っているのだ。……まあ、疲れて眠ってしまった恋歌をベッドまで運んだのは僕なのだが、その辺りは覚えていない様子だったので言わないでおく。見えてる地雷を踏む必要はない。


「本当ですか? ちょっとくらい触りたくなったりしなかったんですか?」

「しなかった」

「胸もお尻も、ほんとにほんとに触ってないんですか?」

「言っておくが、僕はそういう形で信用を裏切ることはしない。そこまで屑じゃない」


 まあベッドまで運ぶ際は抱きかかえたし、その前に本当に寝ているか確かめるために頬を突いたりもしたし、その感触に少しドキドキもしたが、僕は言わない。

 恋歌は口を尖らせて不満そうにしていたが、突然「ふふ」と笑い出した。


「な、なんだよ」

「別に。ふふ、そうですよね。先輩にそんな度胸ありませんよね」

「お前、そういう言い方は」

「嘘ですよ。冗談です。ほんっと真面目ですよね、先輩って」


 何がそんなに楽しいのか、恋歌は幸せそうな笑みを浮かべる。

 その表情に心を奪われそうになる僕を、冷静なもう一人の僕が叱咤する。


 ――流されるな。


 まるで僕のことを好きみたいだ。……なんて、そんな考えは思い上がりだ。

 一時の感情に流されて判断を誤ってはいけない。

 こんなにかわいい女の子が僕を好きなんてあるはずがないのだ。

 心を冷やし、何事も冷静な思考力を以て判断を下す必要がある。


 幸い、当面の方針は昨夜のうちに決めていた。

 そしてそれが間違っていない根拠もたった今得られた。

 よって、


「なあ、恋歌」

「なんですか?」

 小首を傾げるご機嫌な恋歌に、僕は少しだけ緊張しながらそれを告げた。


「大変不服だが、僕は君の味方をすると決めた」


 時が止まった。気がした。

 それは恋歌がフリーズしたように固まってしまったからで、気がしただけだと気づいたのはすぐに恋歌が騒がしくなったからだ。

「そそそそそれって、せせ先輩が私の彼氏になってくれるってことですか?」

「違う」

「え、違うんですか……? え……?」

「僕は君を犯人あるいはその仲間じゃないかと疑っていた。だがそれはやめることにした。あの告白の真意については引き続き考えさせてもらうが、少なくとも、君は悪意でお母さんを殺したわけじゃない。冷静に考えて、そう判断するのが妥当だ」


 決め手は昨夜の寝言だ。

 恋歌は僕に頬を突かれたのも抱きかかえられたのも知らなかった。つまりあのとき恋歌は確かに寝ていたのだ。そして夢の中で母親を呼んだ。幸せそうに。


 だとすれば恋歌が母親に悪い感情を抱いていたと考える方が無理な話だ。


 恋歌は意図して母親を殺したわけではない。

 しかし、やはり僕にはあの告白と事件が無関係とも思えない。

 だから僕は、母親の死は恋歌にとっても辛い出来事だったということを前提に、改めて告白と事件の関係性を考えようと思う。味方をするとはそういうことだ。


「……はあ。いえ、まあ、嬉しいには嬉しいですけど、ぬか喜びさせてそれかよというかですね。もう少しこう……いえ、別にいいんですけど」


 恋歌は何やら釈然としなさそうにぶつぶつ言っていた。

 そんな折である。


「恋歌ちゃん!」

 

 背後から声が聞こえて振り向くと、恋歌と同じ制服を着た女子がいた。

 恋歌の友達だ。確か名前は……

「紗希ちゃん! おはよー!」

「おはよー! そんなことよりこれどういうこと!? ときどき一緒に帰ってるのは知ってたけど、一緒に来るの初めてじゃない?」

 と、僕の方を見ながら紗希が言う。恋歌は「ふふふ」と芝居がかった含み笑いで、

「気づいてしまわれましたか」

「ま、まさか!」

「そう。実は……私たち、付き合ってるんだ」

「そんな「実は」はないが」

「昨日なんてもう……一緒に寝ちゃったの」

「えっ! そそそれって既成事実」

「誤解を招く表現はやめろ恋歌。君もわかってて悪ノリするんじゃない」


 僕が言うと、恋歌は「えー」と不満そうな声を漏らし、紗希は「すんません」と反省しているのかどうかわからない返事をした。

 かと思えば、「あ」と紗希は急に思いついたという様子で話題を変える。


「恋歌、今日体操着貸してくれない? 実は忘れてきちゃってさ。今から取りに戻るか迷ってたとこなんだけど、たぶん間に合わなさそうだから……」

「えー、バレたら怒られるの私なんだけど。名札もついてるし」

「そこをなんとか! バレないようにするから!」

「うーん……」


 恋歌は困ったように唸りながらしばらくの間考えていたが、「お願い!」と繰り返す紗希に根負けしたのか、嘆息しつつ「……まあ、今回だけね」と返した。


「やった! ありがと恋歌愛してる!」

 ぎゅっ、と抱きつく紗希に恋歌は気恥ずかしそうな顔で、

「やめてってば、そういうのは先輩だけで足りてるから」

「僕はそんなことはしないが」

 さっきから誤解を招く発言が多すぎる。


 ……しかし、それには深く突っ込まず、ひとまず置いておくことにした。

 この一見くだらないやりとりの中にも、思わぬ発見があったからだ。


「頼まれると嫌とは言えない性格だったりするのか、意外と」

「意外とはなんですか。私はとっても優しい女の子なので、断るとか無視するとか苦手なんです。先輩と違って」

「はいはい、断るのが得意ですみませんでした」


 適当に言いながら、僕は考える。

 

 誰かに何かを頼まれた、という線はないだろうか。

 恋歌が誰かを唆して母親を殺させたのではなく、誰かが恋歌に何かを頼んだ。

 恋歌は利用されたのだ。その結果、恋歌の想定外に母親は殺されてしまった。


 僕は思考を巡らせる。

 その可能性がどの程度あるかはわからない。だが、ありえなくはなさそうだ。

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