無腕ノ魔術師は暁月に踊る。

珠ノ 海月

第1話

「おいアイス、畑の収穫行くぞ」

「はーい」


 アイスと呼ばれた少年は、倉庫に置かれていた藁から飛び起き、倉庫の扉で鎌を肩に掛け、立っている男の後をついて行く。

眼前で揺れる男の背を眺めながら、アイスはぼんやりと考える。自分もいつかこんな立派な大人になれるのだろうか、と。


 男の名はヴァイス。アイスの父親で、剛直だが家族想いの優しい父親だ。小さい頃から畑で作り上げられた分厚い体躯は、とても頼り甲斐がある。母親似の細身な自分が同じようになれるとは思えなかった。


 少し離れにある大きな畑に到着すると、二人は手際良く収穫作業を始める。

父の横で手で小麦を束ね、一纏めに刈り取っていく。

同じ作業でも、アイスと父の作業効率には雲泥の差があった。

少しずつ距離を離されて行き、中腹まで来た所で折り返した父とすれ違う。

アイスは負けじと急いで動くが、却ってバテるのが早くなるだけだった。


 数刻が経ち日が暮れ始めた頃、漸く刈り取りの作業が終わった。

しかしここで終わりではない。

今度は刈った小麦を慣れた手付きで縛り、稲木に立てかけていく。

父の畑仕事を手伝うようになって五度目となる収穫作業は、アイスにとって慣れたものだった。


「少し早くなったな」

「そうかな? でもほとんど父さんがやってるけどね」

「ははは、そりゃ云十年これやってる俺に適うわけねえさ。お前も俺くらいの歳になったら、これくらいできる」


 そういう父の背に、内心無理だろうとアイスは突っ込んだ。

アイスは細身だが考えることが好きなので、どちらかと言えば村の商人とか薬師の方が向いていると自認していた。

だが村の商人リーチにも兄弟のマーチがいるし、薬師も孫のエイラで間に合っている。

アイスがそういう仕事をするなら、必然的にこの村を出ることになるが、大好きな両親と離れるという選択肢はアイスには無かった。


 帰り際、同じく仕事を終えて合流した畑仲間のバッカスと談笑をして、帰路に着く。

父が農具を片付けている間に、アイスは水溜めで汚れを落とし、自宅の扉を勢い良く開け入っていく。


「ただいまー母さん!」

「お帰りなさい、アイス。今年の収穫は早かったわね」

「ふふん! そうでしょ? 父さんにも褒められたんだ」

「あら、良かったわね」


 母の手がアイスの頭に伸びる。

前髪を下から梳くように触れた掌は、わしゃわしゃと頭を撫でる。

アイスはそれを擽ったそうに受け入れる。

頑張った後、こうして母に頭を撫でてもらうのがアイスの日課だった。



 近所の人から貰った野菜スープと、蒸した芋を食べた。

食卓で談笑しながら、ゆったりとした時間を楽しんでいた時、コンコンと玄関の扉が叩かれる。


「こんな時間に誰かしら」

「……待て、俺が出る」


 椅子を立とうとした母を静止し、父が部屋の角に立てかけてあった棍棒を手に取る。

穏やかな団欒の雰囲気は妙な緊張感に変わり、アイスは父の後ろから玄関を覗き込む。


「――なんだ、バッカスか」

「夜遅くにすまねえな。狩人のコーレイがまだ戻ってきてねえって連絡があってよ。何か知らねえか?」

「……俺は知らんが。――シュリア、コーレイさんに会ったか?」

「いいえ、今日は一度も見てないわ」

「だそうだ」

「ちっ、つうことは……、アイツに限って狩りをしくじったってこたぁないと思うが」

「近隣に危険な魔物が出たなんて噂も聞かないしな……、明日探しに行くか?」

「バカ言うんじゃねえ! もしコーレイが殺されるような相手なら、俺達が行っても死体が増えるだけだッ とりあえず村長に報告しに行くから、坊主も、下手に畑を彷徨くんじゃねえぞ!」

「うん」


先ほど別れた時とは打って変わって、険しい表情をしたバッカスは額に汗を掻いて来た道を帰っていった。


「……今日は少し早いが寝るか」

「ええ、そうね」


 緊張の残り香が漂い、団欒をする雰囲気ではなくなってしまった。

食卓の蝋燭を消して、それぞれ川の字で寝台へ転がる。

何となく不安になったアイスは、二人の手を握る。

握り返してくる両親の温もりに心を落ち着かせ、意識は夢へと旅立っていった。




 次にアイスが目が覚めた時、隣に両親は居なかった。

ねむけ眼を擦って寝室を出たところで、母とぶつかる。


「母さん?」

「アイス、……ベッドの下に隠れてなさい」


肩に置かれた母の手が震えているのを感じる。初めて見る迫真の表情に、何かが起きているのだと理解した。


「父さんは?」

「いいから、早く。私が良いって言うまで出てきちゃ駄目よ」


軒先から、父の雄叫びが聞こえてくる。

同時に何かが扉に衝突し、家全体に衝撃が響き渡る。


「早くッ」

「――」


 母の腕に突き飛ばされ、寝室へ押し戻される。

ドタドタと部屋に入ってくる聞き慣れない足音。

母の押し殺したような悲鳴。

アイスは急いで寝台の下へ潜り込み、ガタガタと歯を鳴らす。


 何でこんな事に、とか、両親が何をしたんだ、とか、心の底から世界を呪った。


 母は強引に寝室へと押しやられ、下種の笑い声を上げる複数人の男に服を剥がされた。

ギシギシとベッドが悲鳴を上げ、母を囲って何かをしている。

ただ、母の苦しそうな声から、良くないコトをしているのだということは解った。


 暫く経つと寝室には母と男二人を残して去っていった。

残った賊は母に夢中のようで、床に剣が置かれているのが視界に入る。

それを見た時、アイスに閃きが起こる。


――コレで不意打ちすれば、勝てるんじゃないか?


『私が良いっていうまで出ちゃ駄目よ』


 しかし同時に母の言葉が頭の中でぐるぐると回る。

アイスは父の雄叫びを思い出す。

家族を助けるために、命を懸けて時間を稼いだのだ。

ここでただ母に乱暴する賊を見逃すのが正しい行動だというのか? そんなことでは一生胸を張って二人の息子を名乗ることができなくなる。

――アイスは剣を手に取った。


 ベッドの下から出ると同時に、一人の男の足首を斬りつける。

男はギャァアアと汚い悲鳴を上げて、地面に転がる。

「クソッ 餓鬼が残ってやがったか」

 ベッドから抜け出た所でもう一人の男が剣先を母の首に当てる。


「動くなよ、動けばお前の母親は永遠にお陀仏だ」

「母さんを離せッ!」

「私のことはいいから、逃げなさいッ」

「おいおい、逃げんじゃねえぞ。 逃げてもコイツを殺す」


 母は全裸に剥かれており、男達は下半身を露出していた。目に涙を浮かべて怯える母の見窄らしい姿に、自分の選択は正しかったとアイスは確信した。

怒りで震える手を抑え、額に傷のある男を睨みつける。


「母さんを開放しないなら、ここで刺し違えてでも殺す!」

「チッ ガルバ! いつまで寝てやがる!」


 ガルバと呼ばれた男は、足の痛みに転がり呻くばかりで応答がない。

アイスは母と視線を交わし、一瞬の隙をつく。


「おりゃああああ!」

「なっ この餓鬼!」


 アイスの気迫の籠もった上段の振り下ろしに動揺した男が、母を盾に防御する。

アイスはフェイントである剣を寸止めし、視線が逸れた隙にベッドを踏み台に上から剣を振り下ろす。

母は小さく蹲り、刃は男の首筋に綺麗に入り、半ばまで断ち切る。


「あグッ」


 アイスは痙攣して倒れる男を無視し、母を部屋から連れ出そうとした所で、男に足を掴まれる。

そうして転倒した所を首を絞められ、アイスは男の顔を何度も殴打するが、男も必死なのか怯む様子もない。


「死になさいッ」


 男の胸から突き出る短剣。

母の一撃で男は永遠に動かなくなった。



 流石に裸では逃げられないので、母の着替えを待ちながら家の外を確認する。


「父さん……ッ」


 父は扉の前で口から血を流して倒れていた。

腹を大きく切り裂かれ、臓腑が見え隠れしている。

顔は真っ白で、息もしていない。両腕が血だらけなのは、家族の隠れる時間を稼ぐ為に決死に抗った勲章だろう。


 一瞬、父を目があった気がした。

その目は光を宿していないが、アイスに冷静さを取り戻させるには十分だった。

まだ、地獄は終わっていない。

泣いて別れを嘆くのは今すべきことでは、無い。


「くそ、痛ってえな……!」

「――」


 振り返ると、父の決死の攻撃で倒れていた男が起き上がっていた。

アイスは咄嗟に父の持っていた棍棒を手に相対する。


「あぁ゙? ――あぁ、丁度良い。この借りは返さねえとなぁ!」


 男の振り下ろす剣に合わせて棍棒を振るう。

だが奇妙な柔らかい感覚で軽く受け流され、鳩尾に蹴りを受ける。

アイスは吹き飛ばされ、地面に転がる。

呼吸ができず、浅い息を繰り返す。


「あーあ、弱いなぁ。俺もお前も」

「ぁ」


 棍棒を持っていた腕を斬り落とされ、声にならない絶叫を挙げる。

痛みを堪え、残った腕で棍棒を握る。


「おぉ、まだ折れてねえのか。――中に母親が居るからか?」

「うわああああ!」


 再度振り上げた棍棒は、振ることもできず地に落ちた。

それでもアイスは諦めず男の首元に喰らいつこうとするが、軽く避けられ地面に倒れ伏す。


「アイスッ!」

「くくっ、お前の母親は父親の分もオレが沢山可愛がってやるから安心して逝け」

「イヤだッ 母さんッ 逃げて!」


 アイスは目眩で立ち上がることもできず、連れ去られる母を目にしながら、絶望の内に睡った。



 意識が戻り、周囲の音を探る。

母も男も去った後のようで、周囲には誰もいない。

昇り始めだった太陽は、森の向こうに消えようとしている。


 アイスは芋虫のように這い上がると、よろよろと歩き出した。

両腕を喪ってバランスが上手く取れない。何度も体勢を崩しかけるが、畑で鍛えられた足腰は、しっかりと大地を掴みながら前へと進んだ。


「……」


 痛い、苦しい、辛い。

それでも止まることはしない。

あんなに逞しく頼りになった父は死んで、もう母を助けられるのは、アイスしかいなかった。


 向かう先は森の奥。


 森の奥深くに住む魔女なら、きっと母を救い出せるはずなのだ。


 意識を保つだけで精一杯なアイスにとって、その歩みは永遠にも等しい苦痛だった。

血の匂いを嗅いで寄ってきた魔物に残った腕と足を食い千切られ、残った体で這いずって進んだ。


「――おや、珍しく人が来たと思ったら。キミ生きてるのか?」

「かぁさんを、たすけて」

「……何を差し出す。と言ってもキミに差し出せるモノはなさそうだけど」

「ぼく、の、すべてをあげる、から」






「はぁ……、交渉成立だ」

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