EPISODE 1: CLOSE ENCOUNTER OF THE FIRST KIND

スマートフォンから聞こえるバイブ音で起床する。


甲斐 琉亜かい るあは目を瞑りながら無造作に左手を伸ばしてベッドの横にある小さなテーブルに置いてあったスマホをとり、仰向けで寝転ぶその目の前まで持ってきた。


4 月 9 日、現在は午前の 6 時きっかりだ。


高校 2 年生のはじまる新学期、しかも自分にとっては新たな試みの始まりの日であるというのに、昨夜の嵐と雷の音のせいでよく眠れずスマホを見る目は開いているのかどうかもわからない。

しかし気合いでなんとか起き上がり...の前にスマホをチェックする。

Instagram で、眠そうな顔のまま相互フォロワーの投稿を見たりしたあと、ようやく起き上がって、ノートパソコンや机、本棚の漫画、クローゼット、入り口付近の壁に何枚か好きなバンドのポスターが貼ってある自身の部屋を出た。



強い眠気で意識朦朧のままトイレに行き、顔を洗った後に階段を降りて一階のキッチンで朝食をとったりで、気づけば制服に着替えていた。


自室の鏡で、制服姿の自分を見る。


耳の下ほどまでだけ伸ばした少しだけ長いカールの黒髪は、制服の色とよく似合っても、違和感は消えなかった。


首を傾げながら、あと少し見続ける。


しかしこれ以上考えてもだめだというふうに首を振って、黒に青いラインのついたリュックを背負って部屋を出た。


「今日から夢の IPEP 生〜♪」


玄関に行く前にキッチンを通るとき、叔母である佳奈子かなこが歌うようにそう言いながら来た。

長くて艶のあるストレートな髪や常に手入れを怠ってないことが伺える肌、叔母はなかなかの美貌の持ち主だと琉亜は常々思っている。そんな佳奈子はイベント関係の仕事をしていて、朝早く 4 時ごろに家を出ることもあれば、出張も

多々、そしてまた今日のように琉亜より遅く起きる平日も多々ある。


琉亜はもともと都内で生まれ育って、小学校中学年ほどまで両親と共に過ごしたが、あることをきっかけに琉亜の両親が不在になったので、叔母の住むここ聖澤市に引っ越して残りの小中学を過ごして、勉強に励み近場の私立校に合格した。


「緊張する」


琉亜は笑顔を作ってそう言った。自分の声が嫌いなのはいつものことだ。


「そりゃ緊張するよね〜?でも大丈夫。今年はちゃんと友達できるよ!」


佳奈子はキッチンに入って冷蔵庫を漁りながら言う。


「去年も友達はいたし」


と琉亜が反論するも、佳奈子は聞かず冷蔵庫から取り出したパンをかじる。


「鍵しとくね〜」


琉亜が玄関に行くので佳奈子もついてきた。

琉亜は鍵を開けて、そのまま家を出た。


「いってらっしゃい!」


と佳奈子が琉亜の背に向かって後ろから大声で言った。





琉亜の住む家は聖澤ひじりさわ市の住宅街にあるありふれた二階建ての家の一つで、庭などもなく玄関を出た場所が車一台ほどが止まることのできるガレージで、そのすぐ前が道路といった感じだ。

琉亜は歩いて駅へと向かう。


琉亜の通う、市内にある旺愛高校は英語教育や国際進学などを掲げ、実績も出している県内きっての進学校で、琉亜はその中でも更に難関な選抜試験をパスして、2 年生から普通科 4 クラスの他で 2 クラス制ではじまる、欧州の団体が設立した国際的教育のプログラムであるInternational Progressive

Education Program(IPEP、アイペップ)に参加する。



琉亜は昨年の高校 1 年目で、残念ながら上手く友人を作ることに失敗した。

琉亜の個人的な問題のこともあり、高校 1 年生の 1 年間は排他的な年を過ごしてしまったため、数人のグループの中であまり居心地の良くないまま過ごした。

実際、グループで遊ぶときに琉亜が省かれる(連絡が来ない)こともあった。


特に 1〜3 月の 3 学期が最悪であったが、もうその時代は終わって、今日からは新たなクラス・新たなメンバーで、新たな担任を迎える。

去年の友達は誰も IPEP に来なかったので、琉亜は緊張の反面、楽しみでもあった。



電車で 4 駅、乗り換えも無しで学校の最寄駅である中居川駅に着き、下に流れる大きな中居川の上に渡る少し長い橋を渡ってさらに 10 分ほどで旺愛高校の校門に来た。

普通科は古くも 5 階建ての立派な東棟へ向かって行き、IPEP 生は数年前本校の IPEP 教育導入に際し急遽建築された新棟である 4 階建ての西棟で学ぶことになっていて、人の波が東へ流れていくのに抗って、走る集団にぶつかられたりしながら、琉亜は西棟へと向かっていった。


下を見ながら歩いていると、前に立つ何人かにぶつかった。

去年のクラスのメンバーだった濱野と取り巻きだ。


「前みろよ、ゴミ」


「ごめん」


そう言って下を見ながら足早に進んで行く。

濱野らは私の肩を指さしてヒソヒソ言い合って笑っていた。これが 3 学期の悪夢の一つだった。

西棟前に来て、白い、まだヒビや汚れの少ない美しい西棟の前の掲示を見る。

棟の周りには既に仲のいい人たちが集まって談笑したりしてホームルームまで時間を潰していた。

掲示されているクラス表の文字を追う。自分は IPEP-A クラスで、担任や他のクラスメイトは名前も知らないような人が多い。クラスメイト 18 人の中で唯一知っているのは石垣いしがきで、去年同じクラスだったがほとんど交流がなかった。

石垣はサッカー部に所属していて、クラスの他の運動部たちと馬鹿騒ぎをしていたから、琉亜は石垣が IPEP に入るなんて何かの間違いだろうと思った。



一階に入って、実験室などを通って階段で 2 階へ。2 階に入ってすぐの二つの教室が高校 2 年生つまり IPEP1 年生のホームルーム教室だ。

教室前の廊下には壁を背に一人一人のロッカーが海外の学校風にぎっしりと並んでいた。教室とロッカーの反対側は窓である。


教室の扉の前で一度呼吸し、扉を開け中に入った。


教室にはちらほらと人がいた。

教室の奥側に 3 人ほどの生徒が集まっていて、琉亜はどうやらその集まっている生徒たちの後ろの席のようだ。

そこまで歩いて、自分の机にリュックを下ろした。そして席に座る。



琉亜は不安になって俯いて去年のことを思い出してしまっていた。



暴力、罵倒、いじめ。


去年のクラスは担任も過去最悪だと語っていたほど荒れたクラスで、法に触れ

るようなことはなかったもののひどいいじめや殴り合いがあった。


「なぁ、お前のその髪型まじでやってんの?切ってやるって」


さっきぶつかった濱野と取り巻きは、去年、琉亜が肩まで伸ばしていた長いくるくるの髪を切った。


「ほらほら大丈夫大丈夫だってー!動いたら刺しちゃうかも!」


琉亜はハサミに怯えて動くこともできずただ自分の髪が切られるのを感じること

しかできなかった。


「やめてって!」


琉亜は我慢の限界になって濱野を押したが、その衝撃で濱野は自分のはさみ

を持っていない方の手を深く傷つけてしまった。


「おいおいおいおいおい、お前やばすぎるだろ・・・」


腕から血を流す濱野は恐ろしいという表情で教室から出ていく。取り巻きはニヤニヤしながら濱野を追って教室から出ていき、教室は琉亜 1 人になった。

その後のことは思い出したくもない。




琉亜はそんな忌々しい過去の記憶を忘れようと首を振って顔を上げると、3 人がこちらを見ていた。教室は去年と全然違って明るい。


「甲斐さん?」


「うん」


「髪型かっこいい!ロックバンドみたい!」


琉亜はその言葉をきいて、嬉しい気がしたが、まだ思うほど伸び切ってない髪が嫌いでもあったので、とにかく笑った。


「ありがとう。えっと、」


「国枝(くにえだ)。名前和香(わか)だからわかでいいよ。」


琉亜は席に座った。


和香は琉亜がリュックを置いてまた下を見ている間、一緒に座っている他の生徒たちの方を見て、口の動きだけで「いけめん」と言った。

顔を上げた琉亜は、全員がこちらを見ているのに驚く。

琉亜は視線の行き場に困って和香の方を見る。


「この人たちはね、リアムと彩音」


和香の隣に椅子を持ってきて座っている南米系の人と伺える綺麗な二重をした坊主の男子、三つ編みで、琉亜に猫のような印象をもたせる女子を紹介した。


「ハイ」


リアムが笑顔で言った。

彩音も口角を上げてて挨拶の代わりをした。

しばらくすると始業の予鈴が鳴り、外にいた生徒たちなども戻ってきて、そして最後に担任がやってきた。


「こんにちは?おはようございます。」


眼鏡の細くて背の高い、比較的若い男の教師だった。

少し高い声で朗らかにそう言ってクラスを見渡す。

琉亜もクラス全体をみる。

新鮮な感じだ。去年までの、古っぽい床や机とは違い比較的新しく明るい壁や机や椅子、40 人クラスだった昨年の半分以下の 18 人のクラスメイトで、さらに去年よりかなりインターナショナルだと感じる。琉亜は少しワクワクした。


「IPEP-1-A を 2 年間担任させていただきます、永野瑛太(ながの えいた)です〜」


永野先生が頭を下げたので琉亜や和香はじめほとんどのクラスメイトも返した。


「皆さん、自己紹介とかしますかね?どっちでもいいですけど、」


永野は少し控えめに提案するが、それでも誰も乗り気ではないらしかった。

和香だけは手をあげて、


「やりましょう!!先生!!」


と提案したが、


「まあやりたくない人が多いみたいだし、いいかな。人少ないしみんなすぐ仲良くなるって」


と永野は引き下がった。


「えー」


と和香は残念がりながら座った。


そしてしばらくすると永野は、1 年生の時から皆に配布されているタブレット端末を出すよう指示し、タブレット内で皆に送信されているデジタル書類を出すよう言ってこのクラスについての説明を始めた。

琉亜たちは去年からこの話を何度も聞いてきてるので、実に退屈な時間だった。


琉亜は皆を観察した。

先生が 20 分近く喋り続けているのに前に座っている和香は前で喋る先生に話を熱心に聞いている。明るくて真面目でいい人だなと琉亜は半ば感心した。和香の前とその前の生徒は恐らく寝ている。

琉亜のいる窓側は教卓から見て 1 番右側の隣の 2 列目、琉亜の斜め前にいるアダムと後ろにいる彩音は、机の下を見ながらコソコソスマホを触っていた。

1 番左側(出入り口のある廊下側)までみんなその中のどれかと同じようだ。



だがしかし、さっきから違和感を感じる。

先生だけが喋っているのに雑音があるような感じだ。換気扇がついているわけでもない。


すぐに正体がわかった。


先生が一度口を閉じた時、鼻歌が聞こえた。

廊下側の 1 番後ろにいる生徒だった。

北欧系の白い肌で、そばかすの多く、鼻が高い顔。焦茶色の髪で、制服はおそらく自分より遥かに大きいサイズのズボン、スモーキーな黒系のアイメイクをしていて(旺愛は校則が緩い)、クラスの面々の中でも一線を画す独特な存在感だった。

鼻歌で何を歌っているのかはわからなかったが、それなりの声量で、皆が見ていることも気づかずに歌い続けていた。


「あのー?」


永野先生がその生徒に向かって話しかける。

鼻歌の生徒は上に向き直って皆が自分を見ていることに気づいた。


「...何か?」


その子は自分になぜ注目が集まっているのかがわかってないというふうにキョトンとしながら言った。


「歌うの、やめてもらえませんかね。えーと」


教卓に置いてある座席表を見て、


「嶋ハンナさん」


嶋 ハンナ(しま はんな)と呼ばれた外国人風のその生徒は、何かわからないと言う風な態度ながらも 2 回ほど頷いて静かになった。

先生はまた話し始める。


琉亜はハンナと呼ばれたその人の方を見ていた。

机の下に視線を落として彼女はぼーっとしていた。




その後全生徒が東棟と西棟の間の連絡棟にもなっている中央棟の 1〜3 階にあるホールに集まって全校集会があり、校長はじめ各指導部長の話を 1 時間ほど延々聞いた後に始業式は解散した。




ホームルーム教室で皆が帰って行ったり、話したりしている。

琉亜はいつもの癖もあり終礼後そそくさと荷物をまとめて帰ろうとリュックを背負ったが、呼び止める声に驚いた。


「待って」


和香が席を離れる琉亜にそう言った。


「一緒に帰らないの?」


琉亜はその新鮮な言葉を噛み締めた。

なぜなら去年は大方 1 人で帰るのが普通だったからだ。


「一緒に帰っていいの?」


琉亜が質問を質問で返した。

和香は眉を上げて、


「友達でしょう?」


とドラマチックに言った。

琉亜は和香達の方に戻りながら心の中でガッツポーズを決めた。

琉亜は一度だけさっきの鼻歌の生徒である嶋 ハンナの方を向いた。

すると同じく荷物をまとめてそそくさと帰ろうとしていた彼女と目が合った。

メイクのせいで、琉亜は自分のことを睨んでいるのかと疑った。近づき難い存在な気がした。ハンナはすぐに目を逸らして教室の後ろの扉から出て行った。



昨日の嵐の夜とは打って変わった快晴の空の中、和香、リアム、彩音と共に琉亜は帰途を歩いていた。

「家は母親がブラジル人で、父親が日本人なんだ。父親の血はなさそうだけど」


リアムが自分のことについて、ポケットに手を入れながら喋っている。


「ブラジルのハーフとか初めて見た。うちなんて父親も母親も県内出身なのにぃ」


彩音が言った。和香が声をあげて笑う。


「うちはママが大阪でパパが県内なのよね。やから大阪弁も喋れんねんな」


和香が言った。関西弁をきくのは新鮮だったので、琉亜はおお〜と声が出た。


「うちは父親にはポルトガル語だけど、和香はお母さんには大阪語?」


リアムが言う。


「いや外国語じゃないし!」


と彩音が突っ込んだ。


「琉亜はどうなのー?」


琉亜はぎくっとした。話の流れで自分に来ることはわかっていたが、家庭事情

を話すのはいささか億劫だった。


「うちは普通の家系だけど、る、俺の両親はアメリカに行ってるから、ここ何年かは叔母の家にいるんだよね」


「アメリカに行ってんだ!」


和香が言った。続けて、


「ご両親は何の仕事なの?聞いていい?」


く。


「いやぁ、あのー」


1 番まずい質問が来た、と琉亜は心中で嘆いた。

どのようにはぐらかすかを考えていると、リアムが突然止まって、今歩いている中居川に渡る車道のある大きな橋、藍染橋の上から川の少し下流の方で人が集まっているのを見つけ指を刺した。


「何だありゃ!」


警察や住人などが何かの周りにいて、救急車や複数台のパトカーが周りに停

まっている。


「殺人事件?」


琉亜が呟く。

前後を歩く生徒達も橋から身を乗り出したりして見ている。

橋を渡ったところにある石の階段から現場へ降りていき野次馬をする生徒達もいた。


「怖い怖い、早く帰ろう?」


彩音がそう言うのでリアムや琉亜は気になりつつも共に駅の方へ向かった。



川辺では人だかりの中で警察官達が野次馬を追い払おうとしていたが、若者や生徒達はじめ何人もがテープで囲まれたその中を覗こうと必死だった。

テープの中では警察と、他に男が 1 人うつ伏せで倒れている。

そしてその男は腹に大きな穴が空いていた。ぽっかりと、まるで元から何もなかったかのように、その穴はあった。周囲には血も内臓や肉片なども全く見当たらず、ただ倒れているだけに見えるのだ。

だが確かに男は死んでいる。

救急隊員がやってきて驚きながらも男を担架にのせた。

鑑識などがテープ内に入ってくる。

野次馬達は口々に男の腹に空いている空洞について囁きあっていたり、悲鳴をあげたりしていた。


その中に嶋 ハンナはいた。


辺りをキョロキョロ見回したあとに、担架に乗せて運ばれ、救急車に乗せられていくその男をただ表情もなく見ていた。




琉亜は皆と別れ、虚げな表情で最寄りから家までの道を歩いていた。

いつも通るビルの反射が強い壁の前にくると、立ち止まって、壁に映る自分を見た。

ため息をついて、また歩き始める。



家に帰りゲームをしていると、あっという間に時間は過ぎていき、夕食や風呂なども済ませて夜、琉亜は自室のベッドに寝転がってスマホを弄っていた。


『あなたが my dear friends に招待されました』


と Instagram の通知がくる。

琉亜がそれを押すと、wakasaginokuni、ayaNe、riammorenno というユーザー

ネームのメンバーと自分(rua_111 )がいた。


『wakasaginokuni: hi, my dear friends』


『riammmorenno: boa noite!』


『ayaNe: いやスペイン語 www』


『riammmorenno: ポルトガル語ね』


『ayaNe: どっちにしろわからない 』

とチャットが続いていた。


『rua_111: buona sera〜』


と琉亜が打ち込む。


『ayaNe: いや何語 www』


と返ってくる。


『rua_111: イタリア』


と送ると、


『ayaNe: ほえー』


とだけ返ってくる。


『wakasaginokuni: これでうちら親友ね』


和香が出てきた。

琉亜はその文字に満足気に微笑んだあと、その文章にハートマークの反応をつけた。



それからしばらく経った夜の 12 時ごろ、琉亜はまだ部屋の電気をつけてスマホでショート動画を未漁っていた。

外国人が難関な挑戦をする(例えばストローから吹いたスイカの種を何メートルか先のカップに入れる)動画などを見ていると、突然カチッという音が聞こえた。

窓際の壁のラックにに飾っていた小さな『屋敷しもべ妖精ドビー』のフィギュアが落ちただけであった。

琉亜は拾い上げてラックに戻した。

ついでに窓の外をみる。

道には人気もなく、周りの家々はまばらに電気がついているだけで静かだ。

琉亜はベッドに戻ろうとした。


しかし窓の外、空を一瞬だけ見た時、何かおかしなものを見た気がした。


一度窓から離れたが再び窓辺に行き空を見た。

周りの星々や月ほど明るくもなく大きく、空の闇よりは明るい何かが、空にあった。どれくらいの高さにいるのかもわからないが、空に浮遊している何か。

それはまさしく、あの有名な、都市伝説である未確認飛行物体の写真とされて

いるもののような気がした。

いわゆる UFO である。


銀か黒のような平たい正三角形状のものに見えるその浮遊物体は光も放たず夜空の一角に固定されたように、一切の動きを見せず浮かんでいた。

琉亜は少し驚いて、窓のカーテンをほとんど閉めて隙間から片目で空をのぞい

た。

そしてしばらく、1 分ほど経った後に、今まで全く動かなかったその UFO らしきものが突然何の前触れもなく消えた。


ただ、無くなった。


琉亜は目を瞬いたが、やはりさっきまで見つめていた夜空の一点にもう浮遊物体はなかった。


琉亜は不審に思いながらもスマホの通知音に反応した。


『wakasaginokuni: 今度みんなで遊びにいく?』


琉亜はチャットに集中して、夜空に浮かんでいた異様なもののことは忘れるこ

とにした。





1 日、そしてまた 1 日と、琉亜の新年度は順調に、当初の不安などなかったよ

うに楽しく過ぎていった。

数日の後、学校の食堂にて。


「だからさあ、SF よりファンタジーの方が現実的なんだよね」


食堂の席には和香、リアム、彩音そして琉亜が座って学食を摂っていた。

和香とリアムが、SF とファンタジーがどちらがより現実的なのかについて熱い議論をしている。


「それはないって。だってなに?木の杖振って魔法とかでしょ?エクスペクト・パトローナム!みたいに?」


リアムが嘲笑する。


「SF こそなに?あのよく出てくる透明ホログラムのタッチパネルみたいなやつ?後ろから丸見えだし、宇宙人なんて色んな形あってもいいのに人型ばっか!」


和香が言い返した。


「そういう学説があるんだって。たしか。」


リアムはたまごサンドを口に運びながら言う。


「灰原はどうなんだよ」


彩音に向かってリアムが聞いた。


「あやねは中立。中立。大体どっちも非現実的だし」


彩音が首を振って言う。


「おもんねーー。じゃあ、甲斐はどうなんだよ」


リアムが左隣に座る琉亜を向く。琉亜は『宇宙人』と言う言葉に反応して 3 日前

に見たものを思い出していた。


「もしもしー?」


リアムが琉亜の目の前で手を振って、ようやく琉亜は気づいた。


「あ、え、何だっけ」


「聞いてなかったのかよ!」


リアムが信じられないと言うふうに驚く。


「ごめん、昨日寝不足で眠すぎて」


琉亜は適当な言い訳をした。が、はっきりと頭の中で考えていることがあった。

それは、3 日前に見たあの三角形の浮遊物の話を 3 人にするかどうかだ。普通なら笑い話や噂話のような軽い調子でそれについて話してもいいと思ったが、なぜか話すことが躊躇われた。

それはもし笑い話、嘘っぽい話として一蹴されそうだということ、そして自分が変なヤツだと思われないかというふたつの心配から来ていた。



琉亜の頭の中にはあの三角形が現れて一向に消えなかった。

そして琉亜は口を開けた。


「ファンタジーの方が好きかな」


「はぁーおい!」


とリアムが残念がっていると、横から、


「私は SF を推したいね。失礼、君らが大声で喋るもので」


と、先生と思しき人が喋りかけてきた。スキンヘッドで眼鏡をかけている。


「ほんとっすか先生?!」


「勿論。SF は未来だからね」


首からぶら下げている教師の名札には田原と書いてある。


「ほらぁ、先生が味方なんだよ?」


リアムが和香に眉を吊り上げて言った。


「だがファンタジーもいいなぁ。物語には魅力があるんだぁ...」


田原は宙を見つめながら恍惚と言ったが、すぐに腕時計をみて、「おっと」と言いながら急足で食堂から出て行った。


「だれ?」


と琉亜がリアムに訊ねた。


「田原。音楽の先生」


琉亜は理解したというふうに何度か頷く。


「音楽はとってる?」


リアムが続けて、琉亜はまた頷いた。


「明後日かな」


「じゃあ楽しみにな。あいつの授業はまあまあ面白いから〜」


その日の授業も終わり、皆とも別れ、琉亜は家の最寄り駅に着いた。

そして帰途を歩みつつも、ふとまた、『あれ』のことが頭をよぎった。

琉亜は家の前まで来たが、家と反対の方向を向いた。


確か『あれ』が浮いていたのは、大きさがどれくらいかにによるものの家を背にしばらく進んだところのはず。

もしかしたら何かがあるかもしれないと、琉亜はそう思い再び歩み出した。


空を見ながら進み、何度か後ろに見える自分の家の部屋の 2 階の窓を見て距離感を確認する。


進んでいると、空き地に来た。

人気の少ない古い商店や一軒家などが並ぶ通りの一角で、想像に易いのは『ドラえもん』に出てくるのは空き地だろう。


近所でもあまりこちら側に来ることもないので記憶も曖昧だが琉亜は、こんな場所なんて前からあったのだろうかと疑いつつ、しかし目の前に確かにある長いこと放置されたように草が生い茂り、ペットボトルのゴミなども落ちている空き地に入っていく。

琉亜は草をかき分けながら、何かないか探した。

しゃがんで地面に、草の間に何か落ちていないか探る。


しかし特に、何も見当たらない。


変なことを信じた自分がバカらしくなって帰ろうとして立ち上がって通りの方に向き直った時、彼女と目が合った。


「あ」


見覚えのある顔、教室で鼻歌を歌っていた嶋 ハンナだった。空き地の中に入ろうと一歩ほど踏み込んだところだった。ハンナはこちらを見て目を見開き唖然としている。

そのまま何歩か下がり、来た道を戻って行くので、琉亜は急いで追いかけた。


「ちょっと待ってって!」


後ろから早足で追いかけるもハンナはもっと早く歩く。


「ちょっと!」


ハンナは何も言わず前を向いてまっすぐに駅の方を目指す。5 メートル後から追う琉亜のことは無視する。

琉亜は後を追い続ける迷い、しばらくハンナの足早に進んでいく後ろ姿を見ていたが、諦めて自分も背中を向けて家へと帰っていった。





夜。


琉亜のいる場所と同じ、聖澤市内に、旺愛高校音楽教諭、田原嘉和たはら よしかずは住んで

いた。

琉亜の家からおおよそ徒歩 20 分圏内に住む(もちろんお互いは知らない)彼はちょうど今、蛍光灯のいくつかついた明るいガレージで自分の趣味である車いじりをしていたところであった。

フォルクスワーゲンの高級そうな車の下に入って何か作業を行なっている。

1 時間ほど作業に没頭し続けていた彼だが、突然外で何か金属が落ちるような物音がしたので車の下から出てきて、安全用のゴーグルを外してシャッターを少しだけ上に開けて庭に出た。




そして同じ頃、少し離れた琉亜の家の 2 階では、琉亜がまた窓から空を見てい

た。


「あーーー」


と琉亜が呟く声を漏らした。

そう、琉亜は再びあの三角形の浮遊物を見ているのだ。

琉亜は時計を見た。

現在 11 時を 20 分ほどすぎた頃で、琉亜は迷った末にパジャマの上からパーカーを着て部屋を出て行く。


一階への階段を降りる手前に叔母の部屋があり、ドアが開けっぱなしで中が丸見えで、彼女はベッドの上で熟睡しているのが見えた。その前を忍足で通って階段を降り、そしてゆっくり玄関を開けて外に出た。




田原は音の正体を探るため、外に出た。暗く静かで、道路を挟んで向かいの家はカーテンがかかっているがリビングの電気がついているのがみえた。田原は辺りを見回したが原因となり得るものは見当たらない。

正面玄関から見て家の右隣は公園だった。


公園も静かで人がいる様子もなく、気のせいだろうと思いガレージに戻ろうとした時に、足音が聞こえて、ゾッとしつつも後ろをみると道路から近づいてくる『何か』が見えた。


それは人のようで、街灯の灯りもなく影になって見えない顔はずっと上に向いていて、頭から血を垂らしながらふらふらと酔っ払いのように近づいてくるその様子はゾンビを想起させた。


その人型の『何か』は道路からどんどんこちらに近づいてきて、田原は怖くなってガレージに急いで戻ろうと走り、シャッターをくぐってガレージに入ろうとする。


しかし姿勢を屈めた時に見えた夜空には、目を疑うものがあった。


三角形のその物体は、鳥でも、はたまた月でもなく、空に浮いているその様子はテレビやネットで見たことのあるかの未確認飛行物体、UFO のようだった。

田原は目を見張って屈んだまま唖然として、止まってしまった。




琉亜は浮遊物の下まで行くために歩道を歩いて近づいていく。

しばらく小走りをしていると、少し前を歩いている人物に気づいた。

それは夕方にも見た後ろ姿で、嶋 ハンナはこんな遅い時間に外にいたのだ。

琉亜は今度はゆっくりと、彼女に見つからないように建物の影などに隠れて歩いた。

向かう方向は同じ、夜空に不気味に浮かぶ三角形の物体の方向だった。

夜の、街灯はありつつも暗く静かな道を歩いていく。周囲が真っ暗になっていく中でも、琉亜はハンナの尾行を続ける。ハンナも同じく歩を緩めなかった。




一方の田原はガレージに逃げ込み、シャッターを地面まで閉めて鍵をして、そこから反対側の壁まで離れ、恐怖に震えていた。

シャッターを叩く音がずっと聞こえる。ただ激しく叩くのみ。


ガンガンガン、ガンガンガンガンとリズムを繰り返すように。


ハンナと彼女を尾行する琉亜はしばらくすると公園にたどり着いたが、すぐに異変に気づいた。

公園のその向こうにある一軒家群の一角で音が響いていることだ。

嶋は少し小走りで公園を抜けていく。

琉亜は止まって、物陰に隠れて嶋の動向を見ることにした。

嶋は音のする家に向かって走った。

家屋の横にあるガレージを、何者かが叩いている。


そのすぐ上には、例の浮遊体。


高さがわからないので大きさもわからないが UFO のようなものははるか上空

にいるような気がした。

だがしっかりと、ガレージのシャッターを叩く者の頭上にいた。

ハンナはシャッターを叩く人物の 7 メートルほどの距離まで近づいて、あろうことか、


「ねぇ!!!こっち!!」


と大声で言った。

シャッターを叩くのをやめて振り向いたその人物はやつれてはいるものの筋骨もある様子の若い、髪の長い男で、ハンナの方をみると安心したように表情を綻ばせて、上を見ながら指さした。


「やっと見つけた...」


ハンナは男に近づいていくが、次の瞬間ガラガラガラっと大きな音がして飛び

上がる。


田原が金槌を右手の、木の板を盾のように構えて左手に持ち、ゴーグルをか

けて出てきた。


「おわぁぁぁあぁぁっ!」


と男に向かって突進してくるがハンナの後ろから、


「先生!」


という声がして、田原は止まった。

そして左を向いて、ハンナの方を見ながら、


「君、旺愛の生徒?」


と聞く。ハンナは自分が訊ねられているのかわかっておらず、怪訝な顔をして後ろを向いた。先生と言ったのは琉亜であった。

すると、5 メートルほど後ろの道路に、琉亜が立っていた。

ハンナは険しい顔をして天を仰ぎ、


「お前ほんとに訴えるから」


と睨みつけた。


「いや、る、俺はただあれを...」


と言ってハンナに近づきながら、琉亜は頭上の飛行物体を指さした。


「なんか知ってるの?その人は誰?」


何もかもが理解できないと言う態度で、琉亜は男を指差してハンナに問うた。

だがもっと状況を理解できていない者がいた。


「失礼、全く状況がわからない!まず君らはなんでこんな時間にここにいる?僕の家の前に?それにあなたは誰?なぜ私の家のシャッターを叩いたんで

す?」


「彼は、その、弟で!」


ハンナがそう言ったが明らかな嘘だとわかる。


「嘘だな。誰だ?まさか彼とーー」


その時突然、閃光が皆を包んだーーーーーー。






ドォォォォォォン!!






という耳をつんざく音が響き、熱い風に皆吹っ飛んだ。


琉亜は文字通り衝撃的で突然の出来事を前になす術なく目を強く瞑った。

そしてその後は、まるで無重力空間に行ったかのように体が軽くなり、次に気づいた時には煙が辺りを覆っていて、琉亜はなぜかハンナの上に覆い被さるように四つん這いになっていた。2 人は目を見張る。


そして煙が消えていくと、衝撃的な光景が広がっていた。

田原先生の家は跡形もなく消え去り、クレーターのように地面が削り取られていた。

空には依然浮遊物体が見え、シャッターを叩いていた男は吹き飛ばされ反対側の家の庭で倒れている。そして田原の姿はない。


琉亜は爆音で耳がキーンと鳴っていて身体中は痛むものの一切の怪我や出血などはなかった。ハンナもそのようだ。奇跡だと琉亜は運に感謝した。


琉亜はふらふらと立ち上がり、ハンナは手を差し出すも、嶋は自力で地面に力をかけながら起き上がった。

ハンナは強く打った右足を引きずりつつも歩いて地面に伏す男の方に向かった。

琉亜は辺りを見回す。



すると、少し離れたビルの屋上の方で、何かが反射した。



「嶋さん、あれ!」


ハンナは琉亜の方に振り返って、そして琉亜の指差すビルの屋上を見た。


暗がりでシルエットのみがわかるが、反射した元は、人であった。


人が、こちらを見ていた。


こちらに気づいた離れたビルの屋上に立つのその人物は、ずっと琉亜たち、もしくはこの家か煙か何かを見つめ続ける。

琉亜の耳鳴りは無くなっていった。

琉亜の方を見ているのかはわからないが、謎の人物はこちらを 10 秒ほどただ立ったまま見たあと、こちらに背を向けて、闇へ消えた。


琉亜はハンナと目を合わせた。ハンナはこちらに向かって首を振って、庭で伏す男の方に向かった。


「大丈夫?」


嶋は男を揺さぶって起こそうとする。男は目を開けた。


「あぁ・・・」


男はゆっくりと、力を振り絞りながら四つん這いになって、最後には立ち上がった。


「何が・・・あった?」


男が低い声で初めて喋った。

男は身長 180 センチほどで、琉亜と同じ 165 センチほどの身長であるハンナと比べてもかなり大きかった。


「わからない...突然爆発したとしか。それなのにみんな全くの無傷...」


琉亜はクレーターの近くまで戻って、スマホのライトをつけ(スマホも一切の損傷がなかった)地面に何か残っていないか探していた。

そして衝撃的なものを見つけた。


「ああ...まさか...!」


琉亜の声に反応して、ハンナは琉亜の方に行く。男も後をついてくる。

2 人が琉亜の元にくると、琉亜な立つ地面には、周囲の他の地面より黒い、『人型』が、灰で描かれたシルエットの絵のようにあった。


「嘘だろう・・・!」


男は首を振って、ハンナは腕を組んで、3 人共に信じられない光景を凝視し

た。





右手に金槌、左手に板のようなものをっているその人の『跡』を前に、3 人はた

だ立ち尽くした。





KEEP YOUR EYES OPEN WHILE MEMORY CALLS THEM.

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