MEM

ミケ

PROLOGUE : THE DAY BEFORE APRIL 9TH



雨。



その夜は突風と雷で荒れた夜であって、聖澤港ひじりさわこうに停泊している大小さまざまな

船は、岸と繋がっているというのに波で激しく揺れ今にも転覆しそうだった。

港から少し離れたところにそびえ立つ真っ白の灯台の足元には 2 階建ての家があった。


錆かかったポストの下に吊り下げられていた表札は風で外れてどこかへ飛んでいってしまう。

古びているが洒落た北欧風の外見で、一階全体と、二階の一角で電気が灯っていて、一階のリビングではソファで老人がくつろいで座ってテレビを見ていた。


老人は自分の傍に杖を置いているので、恐らく足が不自由なのだろう。

ソファとテレビの間のテーブルにはビールとプラの容器に入った焼きそばが置いてあり、テレビ番組からは、遠く離れた広島のスタジアムで熱戦を繰り広げている贔屓のチームの野球中継が流れている。


外では地面に落ちる豪雨が耳をつんざくほどの音を立てているが、家の中は防音ができていて雨の音は小さい。

贔屓チームの 4 番バッターが、一点差で負けている 7 回の裏、2 死満塁のチャンスで特大の球を打ち上げたが、センターフィールダーにより悠々とキャッチされてしまう。


老人はため息を吐いてグラスのビールを口に含んだ。

すると上階から、大きなジャーンという音が聞こえてくる。


「音を下げろ!」


2 階から聞こえる騒々しいエレキギターの音に苛立った老人は階段の方に向かって叫んで、そのままビールをテーブルに戻した。

しばらく老人はテレビの画面をぼーっと見ていた。


今度は贔屓チームのピッチャーの投げたストレートが、相手の 4 番バッターに

撃たれ、そしてその大きな当たりは観客の賑わうスタンドに入った。ホームランを撃たれたのだ。


老人は更に大きなため息をついた。

するとその後すぐ、再び大きな音、今度は家が揺れるほどのドォーーン!という轟音がきこえたので飛び上がった。家全体も少し揺れた感覚がした。

これはギターの音ではないと確信した老人は、立ち上がって杖をつきながらそろそろと階段のほうまで歩いた。

階段には窓があり、老人は窓を開け網戸から外を覗くと雨が網戸の隙間から雨が入ってくる。

雨が霧状に降っているのと夜のせいで外の様子はよくわからないが、間違いなく少し離れたところで炎が上がっているのをすぐに見出すことができた。

雨にも関わらず赤い炎は煌々と上がっていて、そして老人が様子を見続けていると、あろうことか、炎の中からこちら側に歩いてくる人影がみえた。

老人は怖くなって、すぐに窓を閉めて鍵をかけたが、光だけが入りはっきりとは外の様子が見えない型版ガラスの窓を持ってしても、人影と後ろで燃える炎は見えたのだった。


しかし人影は突然、バタっと倒れた。


少し人影を心配した老人は、再び少しだけ窓を開けて外を覗いた。

家から 20 メートルほど離れたところで、人が倒れていて、灯台の灯りがその人を照らしている。

老人は意を決したように玄関まで行き、紺色のレインコートを羽織って傘をとった。


扉を開けると、ザーッと雨の大きな音が流れ込む。

左手で杖を、右手で傘を差して雨の中歩んでいく。

玄関から続く白い階段を下って右に曲がり少し進むと、うつ伏せで倒れているその人がいた。

老人は心の中で無礼を謝りつつ、杖でその人を仰向けにした。


その人は恐らく男であった。


ずいぶん若く見えるその男の黒い髪は肩まで長く伸び、濡れて砂だらけで、身体中も傷などがまばらに見られた。右足のももには深く切られた跡が。

そしてまた、裸であった。

頭から足まで一切の衣服を纏っていなかったのだ。

灯台の上で回転する明かりが再び自分たちを照らす。

男は呼吸はしているが、眠っているか、気を失っているようで、杖で動かしても反応がなかった。

老人は次にさらに 30 メートルほど離れたところで燃え上がる何かの方を見た。

炎上しているものは大破した何かのように見え、周りにはなにかの部品が散乱していて、老人は、男はこの大破した船か車かなどに乗っていたのだろうと思った。

しかしなぜ裸体に?

そして老人はまた、燃え上がる船の中でまた何か、生物的なものが動く気がしたので少しだけ船に近づこうとした。

すると、突然何かに足を掴まれた!

老人の足を掴んだのは気を失っていたはずだった男だった。


「見つかっちゃ...だめだ...『アール』に...『メム』は...」


老人は這いつくばる男が必死にこのような意味不明なことを言うのを見て目を見開くが、男はすぐに力が抜けて再び気を失った。


炎の中に見えた気がした何かも、既になかった。


雨と波の音だけが辺りを支配していた。

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