魔術師ユリは、今日も空腹 3

 舌打ちしそうになりながら、ハンカチを指先でつまんでベンチのはしのほうへった。きっと自分よりも親切で優しい人が拾ってくれるはず……。たぶんね、たぶん。

 やっとベンチに落ち着いてお弁当を食べられる。母を心配させないように自分で作るようにしている……自慢のお弁当。

 ふたを開けるとそこにはモヤシの塩コショウ炒め。やはりモヤシは最強だ。歯ごたえもあるし、いくらでも栽培が可能。最高すぎる。たまに豚肉を混ぜると少し贅沢な感じがする。モヤシはだいたいのものに合うところもすごい。万能だ。ただ、栄養がほぼないっていうのだけが問題だけどね。まあそこは、空腹感を過分に埋めてくれるから良しとしたい。



 あんなわけのわからない遣り取りを昼食でしたというのに、あの天才生徒とこうして対峙しているのだから、本当に人生というのはわからないものだ。先生は無能だって宣言してるのかな。

 彼は最初こそ、この練習の対戦形式の授業を嫌がった。自分に勝てる者がいないということが、理由だったはずだ。

「ユリ=シルース。前へ」

 うおお。やたらあぶらぎってる。肉類とかそういうものばかり食べているのかもしれない。いつもそんなものばかり食べていたら、胸やけすると思うんだけど。たまには魚もいいし、野菜はもっととったほうがいい。

 そんな風に相手のことを考えている間に、天才さんは私が相手だということにやたら大げさな身振り手振りで、教師になにかを訴えている。無駄だと思うけど。この授業の教師は、完全に実力主義だし、彼の相手をしようとする生徒が私以外に見当たらなかったのだろう。当然の結果だ。

「いいですよ、私は」

 静かに返事をすると、教師は大きく頷き、彼を促している。天才くんはなぜそんなに絶望的な表情なのかな……。

 この対戦式授業は大きな教室を借り切っておこなう。これは戦闘のための魔術だけを見るのが目的ではなく、戦闘をするうえで、周囲に怪我をさせないように防御魔法を展開させるか、陣として発動させるかも先生は見ている。それに彼女は、私がこの学年であまり目立ちたくないことも理解してくれているが、ここは仕方ないのだろう。

 私は戦闘フィールドと定義された場所を、天才くんと一緒に防御魔術を展開させていく。おいおい……なんか防御魔術に余計な術式がたくさん入っていない……? そんなにたくさん組み込んだら、どうなるか……わかっているのかなぁ。

 最後に陣を完成させて、対戦位置につく。先生のほうをまだ何度も見ている天才くんを前に、私は銀の小さな杖を取り出した。これは一定の魔術師が使う『媒介』。銀を使うのは、魔術をとても上手に伝播させる能力を兼ねているからだ。正直これを強制的に買わされた時は、モヤシ生活をいくら続けても未来が真っ暗な状態が続いた……あれがゼツボウってやつだ。

「ユリくん……」

 なんだその顔。やる気があるのか。一応この授業は単位が出るというのに。あ、一応訊いておこう。

「先生、学内で制限を解除したほうがいいでしょうか?」

「彼相手にはそのほうがいいというなら」

 いや、どっちでもいいんだけど……。まあいいか。

「ユリくん! 手加減をするよ! だからお願いだ、降参してくれ!」

 周囲を囲む生徒たちの反応は二分されている。この授業は一か月に一度しかおこなわれないもの。そして、私は。

 まるで演奏の指揮棒を操るように銀の杖を軽く振った。

 それだけで、天才くんが背後の防御壁に背中を強くぶつけていた。これが正しい攻撃魔術。放った魔術を生物、または無生物に当てる術。

 咳き込む彼が不思議そうにこちらを見ている。まあ不思議だとは思う。知っている人間は少ない。なにせ私は。

「ユリくん、君と戦いたくない!」

「私は違います」

 だって単位とれなきゃいけないし。それに手加減したらこの教師はそれを容赦なく減点する。いわゆる、魔術師でも変わり種の脳みそ筋肉タイプの女性だ。本人いわく、魔術は感覚でしているということだし、言葉で説明するのが苦手なのでこの形式にしているのだ。本人は、こぶしで語れ、とよくわからないことを言っている。

「降参すると、減点対象になるので」

 ひょい、と杖を振った。天才くんがその場にぺしゃんこになるような姿勢になる。重力操作の魔術ではない。認識を錯覚させるものだ。簡単に言えば、『勝手になにかにつぶさされている』状態におちいっているわけだが。

「な、なにを、するんだ……!」

「そうだぞ、シルース。まだ合図をしていない」

「そうでした」

 向けていた杖を上向きにする。それだけで男子生徒は圧迫から解放されたように楽な姿勢と呼吸になった。その這いつくばった姿勢も、なんとかしたほうがいいと思うけど。

「先生、彼女は……?」

 男性生徒がうまく息継ぎができないような声で尋ねた。教師は魔術師に似合わない屈強な筋肉をつけた両腕を組んだ。

「まさか知らないのか? シルースはすでに魔術師免許をとっている生徒だ」

「え」

 驚愕されているのが私としては不思議なのだが。まあ確かに魔術師の免許を取得には、一定の基準がある。普通ならそれを金の力で乗り越えることが多いが、どうしても普通はこの年齢ではとらない。可能な抜け道は一つだけ。それを私はしただけだ。

 お金は試験を受けるのに必要だったから、授業以外の時間はほとんど内職やバイトだらけだし、いまだに借金があるから返済もしているけれども。

「ひゃ、百種の試験を、受けた……ということですか」

 ミリオンダラー、と呼ばれる特殊試験を、私は受けた。必要なのは試験を受けるためのお金と、根性とやる気と、まあなんだ、がんばり。全部おなじか。

 とにかく通常は筆記試験、実技試験の二つでとれるものを、飛び越えて百の方法で試験を受ける。年齢制限がないというよりも、普通はしない。試験内容には確かに無理難題が多いが、難題なのは百もある試験を受ける精神的なもの、体力的なものだ。体力面は年齢をとってからでなければ難しいものも多いから、普通はしない。ふつうは。

 だけど、私はそれをやった。可能か不可能かでいったら可能だったから。ただそれだけだ。それで取得できてしまったものだから、いじめられ方も微妙な状態なのだ。もちろん、生徒である以上は卒業するまではむやみやたらに魔術を使えないように制限は受けている。だから割のいい仕事が、まだひとつも請けることができないのだ。

「魔術師? ……君は貧しいのでは」

ほどこしのつもりで声をかけてくれていたとは……知りませんでした」

 あれ? なんで青ざめるのか。怖い言い方はしていないつもりだったのだが、周囲を見遣るとほかの生徒たちの顔色も悪い。いつもさりげない嫌味を通り過ぎぎわに言うご令嬢たちまでなんだか視線をそらしている……。

 座り込んだままの彼をどうしたらいいのかわからないが、教師の合図の声が聞こえた。久々に制限なしということだけれど、どうすれば一番いいだろう。残念ながら、私はパフォーマーではないので、派手な魔術はそれほど得意なほうではない。正直、鮮やかなものであるほど扱いが容易いが、『出来』が均一にならない。いまだに魔術師によって威力が異なる攻撃魔術が多いのは問題だろう。

 と言っても、こちらは教師ではないし、彼は『天才』なのだし。

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