3-18 ……ド阿呆が



「……中尉」


 私のすぐ後ろでアレクセイが息を飲んだ。

 トライセンの肉体がみるみる変化を遂げていく。腕の、脚の筋肉が異常に膨れ上がって衣服がはち切れ、全身が巨大化して私くらい小柄なら踏み潰せそうなまでになっていた。

腕は不自然に長く、その先端からは鋭い爪。口には鋭い牙。さっきまで目に狂気を帯びていた点を除けばイケメンだった顔は、今や不細工な猫みたいになってしまっている。

 つまりは。


「……ミスティックの魂を取り込んだのか」

「ご明察。集まってくるコイツらが邪魔でね。でも有効活用せねばもったいないでしょう?」


 しわがれた、全く以て不気味な声がトライセンから放たれた。奴の姿はそのまんま巨大化した妖精種だ。私も化け物と呼ばれることが多いが、コイツこそ完全な化け物だな。


「下がっていろ、曹長。コイツは私がやる。貴様は後方を警戒していろ」

「お気をつけて」

「誰に言っている?」


 アレクセイの心配を鼻で笑い飛ばしてやり、私は魂へとアクセスを開始した。体全体に魔法陣が浮かび上がり、私の瞳が一気に熱を帯びていく。それが、攻撃色を示す赤に変化したトライセンの瞳と交差した。


「ウオォォ■■■ォォォォッッッ――」


 咆哮を上げたトライセンがその鋭い爪を振り上げた。強かに床を蹴り、その巨体にそぐわない凄まじい速度と迫力で接近してくる。

 跳躍し、一旦距離を取る。直後に奴の腕が床を穿ち、私が立っていた鋼鉄製のそこにぽっかりと穴が空いていた。どうやら見掛け倒しではなさそうだな。

 地面を駆け、背後へ。しかしながら思った以上の俊敏さで奴が振り向き、拳を叩きつけてきた。それを腕と防御魔導を使って受け流すが――


「逃しませんよぉぉぉぉっ!」


 いつの間にか生えていた尻尾が、目の前に迫ってきていた。

防御姿勢を取ったものの、尻尾が私の軽い体を跳ね飛ばした。床に叩きつけられて視界が目まぐるしく変わり、防御した腕は砕けたような痛みを脳にぶつけてきてくれやがる。泣きそうだ。が、この程度なら問題ない。すぐに体勢を整え、ブーツを床に擦り付けて勢いを殺し顔を上げた。

 するとそこには複数の魔法陣が浮かび上がっていた。貫通に爆裂、爆炎魔導。パッと確認できるだけでもそれだけの魔導が淡く光を放っていて――次々と私へと命中していく。

 視界が炎の赤に染まる。軽い体は衝撃に跳ね飛ばされ、壁に激突して機械類が砕ける。そこにさらに魔導がぶつけられ、凄まじい余波が頭上のカプセルを破砕し、臭い液体とガラス片が降り注いできた。


「……ふははっ! どうですか、人を超越した存在と戦う気分は? 魂を複数宿すことで、魔装具無しに魔導の並列行使だって可能となるんです! 感覚は研ぎ澄まされ、思考はクリア。これでミーミルの泉が完成すれば、私は――神にも匹敵する存在になるはずです!」


 なるほどな。奴の言うとおり単なる人間よりは遥かに強くなっただろう。自分以外の魂を宿し、全能感が支配するのも分からん話ではない。


「おしゃべりなやつだ」


 だがそれだけだ。ジャンク品となった機械類の山から私はゆっくりと体を起こした。

 立ち上がり、トライセンに近づく。折れた腕が一歩進むごとに修復され、私の頭から流れ落ちていた血も一度拭った後にはすでに止まっていた。この程度、私にとってはダメージにもならん。痛いのは痛いが。


「なるべく現場を保全したかったが……まあここまで壊れたら今更か」


 ならもう遠慮はいらないな。私は息を吸い込み、意識を自分の内側へと集中させた。

 意識が瞬時に埋没。内へ眠る魂にアクセスし、魔導方程式を高速並列演算。身体強化、認識強化を幾重にも重ねがけし、そして――


「な、んだと……」

「粋がるならこの程度やってからにするんだな」


 私の頭上には一瞬でおびただしい数の魔法陣が浮かび上がっていた。トライセンが同時展開した数を遥かに超え、そして練度も魔素の量も奴が放ったものとは比べ物にならない。


「――神(クソッタレ)にでも懺悔してろ。貴様みたいな外道にはお似合いだ」


 私をこんな運命づけた連中だ。さぞ暖かく出迎えてくれるさ。

 待機状態の魔法陣を一斉に放つ。数え切れない程の白閃が薄暗い部屋を斬り裂き、トライセンの体を貫いていく。穿たれる度に奴の大きな口から苦悶の悲鳴が漏れ、そして最後に放った爆裂魔導が巨体を大きく吹き飛ばしていった。


「どうした? もう終わりか?」

「……くっ、ふふ……中々やるじゃないですか、シェヴェロウスカヤ中尉」


 トライセンがその巨体を起こし立ち上がる。おびただしい血を垂らし、しかし体のあちこちにできた傷が泡立つとすぐに塞がっていく。やはり修復能力も持っていたか。


「ですが今の私は人を遥かに超越した存在です。この程度の傷など――」


 実力差も把握できないド阿呆が余裕ぶってほざいていたが、動きがピタリと止まった。 


「ぐ……が、ががぁ……な、んだ……?」


 奴が突如頭を押さえて苦しみ出す。目を見開き、血の涙をあふれさせながらうずくまるように体を丸めてうめき声をこぼしていく。やがて――その声が悲鳴に変わった。


「うぐ、あ、あアァァァァ■■ァ■ッッッ――」


 背中が不自然に盛り上がり、新たな腕が生えてくる。さらにその隣から翼が肉を斬り裂いて飛び出し、肩や脚には顔みたいな模様が浮かび上がってきた。いよいよ不気味さもここに極まれりといった姿だな。すでに見た目は人を捨てていたが、どうやら本格的に人間のクビキを外れてしまったらしかった。


「■■■オアァァ■ォォォ……」

「……自我さえ飲み込まれたか」


 トライセンの赤い瞳には先程までの理性も狂気もなく、口から呼吸音だけが聞こえてくる。その姿を見上げながら、私は思わず「阿呆が……」と漏らした。

 当たり前の結末だ。ただの人間が幾つもの魂を取り込んで無事でいられるはずがない。数多の魂を喰らってなお私が私でいられるのは、天才的で奇跡的で猟奇的な魔導技術の賜物であって、むしろ僅かな時間とはいえ奴がここまで自我が保っていただけでも称賛できるくらいだ。こうなってしまえばもう奴は元には戻れまい。

 ならば。


「――来い。終わりにしてやる」

「■■■■■ッッッッッ――!!」


 私の声に応じるように、トライセンものが凄まじい勢いで迫ってくる。ノアがいたらお漏らし間違いないおぞましい咆哮を上げ、先程よりも遥かに素早い動きで巨大な爪を振り回してきた。

 体を捻ることで右の爪を避け、続いて左腕の爪をバク転でかわす。距離を取ると奴が真っ直ぐに私を追いかけてきて、何度も斬り裂こうとデタラメに太い腕を振るってくる。

 だがどれも私には届かない。二度三度と強かに腕を壁に叩きつけ、一際大きく振り下ろした右の爪が床を突き破ってなおも攻撃を仕掛けようとしてくる。が、突き破った爪が床に引っかかって動きが一瞬止まった。その瞬間、私は一気に奴に接近した。

 私の頭蓋めがけて振り下ろされた左腕を受け流し、関節を蹴り上げる。ゴキ、という音と共に奴の腕が不自然な向きに折れ曲がって、悲鳴が響き渡った。

痛いか。だが理解も同情もしてやる義理はない。跳躍し、奴の横っ面を盛大に蹴り飛ばして床に叩きつけ、それから空中に静止してもう一度魂へアクセスした。

 浮かび上がった魔法陣が私を取り巻き、即解放。今度は奴に見せびらかしてやる必要はないからな。無数の魔導がトライセンの体を穿ち、叩き、爆炎と爆煙が奴の姿を飲み込む。

白煙立ち込めるその中で、私は真っ直ぐに奴めがけて急降下していった。

雄叫びが響き、煙を引き裂いて奴の腕が、爪が私へと伸びてくる。だが、届かない。私の頬を爪が浅く斬り裂くがそこまで。露わになった無防備な胴体へ私は飛び込み、そして。


「――終わりだ」


 腕が、奴を貫いた。

 肩の根本までトライセンの体にめり込み、貫通した私の短い腕の先で、ミスティックの核と結合して凄まじく肥大化した心臓が脈打っていた。


「貴様の魂、私が喰らってやる」


 それがせめてもの手向けだ。そううそぶいたその瞬間だ。


「■■ャ、■■■ァァァォォォ……」

「っ……!」


 心臓を失ったことで存在を維持できなくなったか、トライセンの肉体がみるみる間に膨張しておびただしい魔素を垂れ流し始めた。ヤバい、このままだと――

 慌てて腕を引き抜き、脱力した奴の体を思い切り蹴飛ばす。

 その直後。


「全員伏せろ!!」


 私が叫ぶと同時にトライセンの体が爆発した。

 猛烈な光と爆風が荒れ狂って、私の軽い体を吹き飛ばしていく。壁に押し付けられ、それでもなお押し込んでくる暴風を踏ん張り耐えていると、やがて風が収まってきた。腕を降ろしてそっと目を開ければ、辺りは煙と埃で白く染まっていた。


「ゲホッ、ゲホッ……無事か、曹長?」

「……問題ありません」


 隣の部屋へと向かうと、舞い上がった埃やら粉塵やらで真っ白になったアレクセイがむくり、と体を起こした。見た目はアレだが、言葉どおり目立った怪我はないようで何よりだ。ニーナたちも同じく白くなっちゃいるものの、怪我とかは無さそうである。被害者たちのカプセルが不安だったんで、損傷しないよう急いで防御魔導を展開したんだが、どうやら間に合ったらしい。ガラス面には傷一つなく未だ薄緑の液体を湛えていた。

 だが爆発をもろに喰らった中央のガラスケースだけは見事なまでに粉砕。中に入っていたミーミルの泉とやらも砕けて瓦礫の上に転がっていた。


「……ド阿呆が」


 心臓を失ったトライセンは床に倒れ伏していた。姿は人間に戻っていて、けれどもまるで燃え尽きてしまったかのように色素を失って真っ白になっている。当然生きちゃいない。

 手に握ったままの心臓をかじる。甘くて、苦い。腐った魂ではあるが、根っこは真面目だったんだろう。こんなにも美味いのに、こんなにも後味の悪い人間(エサ)は久しぶりだった。

 心臓を飲み込み、重い溜息が漏らしながらミーミルの泉を回収しようと振り向く。けれど――そこにミーミルの泉は無く、代わりに全身白ずくめの女がいた。




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