3-17 ――お分かりですね?
「どうした? 自分の末路を理解して気でも触れたか?」
「いや、僕は至って正気ですよ」
正気な人間があんな所業をするものか。うつむきがちなその顔に浮かぶ笑み。口調は冷静かもしれんが、そこににじむ狂気は隠せてないぞ。
「……質問に答えますよ、中尉。僕は、誰よりも優れた人間でありたいんです」
「たいそうな目標を掲げて何よりだが、そんな大言壮語を掲げる人間が、臭い穴蔵で夜な夜なコソコソ人殺しとはな。面白いジョークだ」
鼻で笑ってやる。だが余裕を取り戻したのか、私の挑発に乗る素振りはない。
「誰よりも知を蓄え、誰よりも理(ことわり)を理解し、誰よりも優秀な頭脳を持つ。そのために僕は努力を惜しまなかったし、実際に王立研究所で誰よりも優秀でした」
誰よりも優秀だったかは知らんが、仕事ぶりを聞く限りトライセンは少なくとも研究所の中では相当に優秀な部類だったのは間違いない。人間として優秀かは別だがな。
「ですが……そこにあの人が現れた」
「……マンシュタイン殿か」
「そうです。あの人はあっさりと僕を……追い抜いていった。そしてあざ笑うかのように、僕なんて歯牙にもかけない態度で指示をするようになった。それが……許せなかった。
だから僕は努力を重ねた! アイツに追いつき、追い越すために! だけど待っていたのは絶望だった……絶望したんです、自分の限界に。このままじゃ僕は僕の優秀さを証明できない。マンシュタインに追いつけないと思ったんです……」
自身に根付く感情を思い出したのか、話しながらトライセンの眼に浮かぶ狂気の色が濃くなる。口調に興奮が混じり、落ち着いていた声にも熱が帯びていく。
「マンシュタインよりも……あんな男より僕の方が優れた人間であるはずなんだ。アイツの下にいるなんて……あってはならないことなんだ……!」
「ふん。だが貴様はマンシュタイン殿の方が優秀だと認めたんだ。自分の方が優秀だと言うのなら放っておけばいいものを、殺そうとしたということはそういうことだろうが」
そう言ってやるとトライセンはふふ、と笑った。開き直りとも自嘲とも違う声色だった。
「そう、そのとおりです。認めざるを得なかったんです。あの人は確かに優秀だったから。僕は絶望という闇の中であがき続けて、そんな時でした。希望を見つけたのは」
濁った瞳が私を見つめた。口元が不気味に歪んでいた。
「僕は知ったんです。叡智を、全知全能の神にも匹敵する叡智を得る手段――『ミーミルの泉』を」
ミーミルの泉、だと? トライセンが視線を向けた先を私も見て、思わず目を見張った。
そこには強固な透明ケースで囲まれた煌めく宝石が転がっていた。
神(クソッタレ)はそんな高尚な存在じゃなく過大評価も甚だしいと教えてやりたいところだが、それはさておき、これが本物のミーミルの泉だろうと、私は確信めいたものを抱いた。手に触れずとも分かる。その宝石はそれくらい濃密な魔素を内包していた。
「そうか、これがミーミルの泉か」
「その様子だとご存知だったようですね」
「まあな。それで、コイツをここで夜な夜なこっそり研究していたというわけか」
「まさか
研究を始めて五年。設備を整え、材料を集め、三年ほどで初期の試作品が完成しました。大まかな作り方は分かっていたとはいえ、その瞬間にはさすが僕だと自画自賛もしましたよ。けれど致命的な欠点があった」
「制作者が貴様だったということか?」
「それは最大の利点ですよ」トライセンは喉を鳴らした。「ミーミルの泉というのは不安定でして、初期品は出来上がっても結晶化した魔素が時間経過で流出してしまったんです。おかげで有象無象のミスティックが集まってくるし、その始末には苦労させられました」
じっと目を凝らせば、部屋の隅には姿を消した小精霊などのミスティックが息を潜めていた。なるほど、部屋は暗くて魔素濃度は濃いし、ミスティックが好みそうな環境だ。
「何度も何度も試行錯誤を繰り返しました。けどミーミルの泉の完成度は中々上がりませんでした。存在を強固にしようとすれば魔素の純度を上げられず、魔素の純度を上げようとすれば出来上がった瞬間から魔素が固定できず流れ出ていってしまう。あるいは出来上がっても叡智を得るには程遠い、単なる紛い物でしかありませんでした。
魔導方程式を何度も練り直し、改良し、けれど上手くいかなかった。そんな時にふと思いついたんです。材料が悪いんじゃないかって」
「材料?」
「そう。最初は家畜から魔素を抽出していたんですが、家畜は肉体こそ維持しているものの、宿している魔素は少なく知性も知識もない。それこそが問題だと私は考えたんです」
狂気に満ちた瞳を私に向けてトライセンが笑った。
「さて、シェヴェロウスカヤ中尉。高濃度の魔素を有し、かつその状態で肉体を維持、さらに知性も知識も秀でているものと言えば――お分かりですね?」
鈍い私でも直感した。振り返る。隣の部屋には謎のカプセルとボロボロになった人間の姿。理解することさえ難しい複雑に入り組んだ魔法陣。そして。コイツが欲した魂の抽出に関する魔導理論。
「そう――人間の頭脳、そして魂です」
そういうこと……そういうことか。やっと理解したよ。
要するにこのカプセルは「人間を吸い上げる装置」。魂のみならず魔素、それから脳に宿る知性と知識。そいつらを吸い上げ、濃縮して成長させた結果があの宝石というわけか。
そしてだからこそ、こんな生きながら殺していく非人道的な装置というわけか。魂の抽出だけならこんな装置は要らんからな。魂と知性・知能を同時に吸い上げるために、トライセンなりに出した結論がこれなんだろう。クソが、と私は思いっきり吐き捨てた。
「そうは言っても最初は上手くいきませんでした。せっかく抽出してもとてもロスが多くて、微々たる速度でしか成長しなかったんです。ですが、とある筋から参考になる書物の情報を頂きまして」
「それが王立銀行に保管されていたあの本と、トレヴィノの教会から盗んだ本か」
「ご明察です。おかげで一気に研究が加速しましたよ」
ああ、すべてに合点がいった。トライセンは叡智を得る、と言った。こいつを作るには高度な知識と知性が必要。なら研究者や技術者といった知的生産者から吸い上げる方が確かに効率的だろうさ。
そして、だからこそマンシュタイン殿を使った。憎悪をぶつける対象であると同時に、ミーミルの泉の適切な材料にもなれる。トライセンからすれば一石二鳥だ。マリアンヌ殿たちは、さしずめあのビラ配りが邪魔になったといったところだろうか。
「強盗犯やアスペルマイヤーに飲ませたのも、実験の一環だったのか?」
「そこにも気づいてましたか。ええ、完成度を上げるためにもデータが必要でしたから」
「……ご自慢の研究をご教授してくれて感謝するよ。それで――話は終わりか?」
抑えきれない衝動に体を震わせながら私はトライセンに向かって足を踏み出した。
許せない、などと青臭いことは言わない。私だって生きたまま人を喰らうという、命を冒涜するような事をしているのだからな。たとえそれが、魂喰いというこの身に刻まれた業のせいだとしても、だ。
だからこれは――自分勝手な怒りだ。ああ、まったく。情けない。マンシュタイン殿と――もう一度酒を飲み交わしたかった、などと感傷を抱いてしまうなんて、私らしくない。
「僕をどうするつもりですか?」
「決まっている。貴様には相応の報いを受けてもらう。研究もすべて抹消する。もちろん後ろのミーミルの泉とやらも没収だ」
「……はは、そんなところだろうと思いました。ですがそうはさせません、させませんよ。絶対にさせません。あれは――僕の物だっ!」
トライセンが拳を後ろの機械に叩きつけた。覆っていたガラスが砕け、その下にあったボタンが押し潰される。
奴の背後で壁がせり上がっていく。下から光があふれ出し、そして現れたのは――カプセルに入った大量のミスティックたちだった。
「……こんなにミスティックどもを収集しているとはな。それで? まさかコイツらで私たちを足止めして、自分はトンズラこく気か?」
「それこそまさかです。貴女がここにいる、ということはミスティックたちでは足止めにもならないことの証拠です。無駄なことはしませんよ」
「よく分かってるじゃないか。なら後ろの木偶の坊たちをどうするつもりだ?」
「それはですね――こうするんですよ!」
いつの間にかトライセンの手には太いチューブが握られていた。そしてそれを――
「がっ……ああ、あああっ……!」
――あろうことか奴はチューブを自分の首にぶっ刺しやがった。するとその途端後ろのカプセルが泡立って、中に入っていたミスティックたちの肉体が瞬く間に崩壊していく。
トライセンのうめき声が響き、チューブの魔法陣が光り脈打つ。やがて――
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