3-16 貴様だけは逃しはしない



「なんだ、これは……」


 目の前にそびえる巨大なカプセル。サイズは大人が一人ゆったり入れるくらい。カプセルの下では魔法陣が淡く光を発していて、それが壁際に半円状に何本も並んでいた。

 カプセルからは数えるのも億劫なくらい大量のケーブルが伸びていて、その一本一本に描かれた魔法陣が明滅している。さらに天井にも複雑な魔法陣がびっしりと刻まれ、その天井からもまたケーブルが伸びて、部屋のあちこちにある機械に繋がっていた。

 正直、こいつらが何の設備なのかはよく分からん。よく分からんが……だがな、それがろくでもないものだってことくらいは、魔導科学者じゃない私にだって理解できるさ。

 なぜならカプセルの中で――人が溶けていたのだから。


「おいおい……こりゃあ何処の畜生の所業だよ」


 カミルが呆然と呟く声が聞こえた。ああ、まったく、まったく同意するよ。

 ここは地獄だ。送り込まれた数多の激戦区でとんでもない地獄を見てきた自覚はあるが、これはそれに勝るとも劣らない光景だよ。

 カプセルの中で肉と骨だけになった目玉がギョロリと動いた。こんなこと考えたくもないがたぶん……まだ生きている。生きていて、それでいて緩やかに死に向かっている。

 そして――これがマンシュタイン殿だと直感した。それを示すように骨の露出した足元に歪んだ眼鏡が転がっていた。隣のカプセルには、まだ人としての形が残っている髪の長い女性が浮かんだカプセルがあった。それが誰なのか、言うまでもないし言いたくもない。


「う……げ、えぇ……」


 後ろでニーナが吐く声がした。一度吐いただけじゃ収まらなくて、吐き終えてもなお胃が中身を絞り出そうとしているらしく、ずっとえづき続けていた。


「カミル。ニーナを連れて上に戻れ」


 私は慣れ過ぎて気にならないが、この部屋は風が吹き抜けてなお血の臭いが強すぎる。ショックを受けた今のニーナには辛いはずだ。


「だい、じょうぶ……です」


 しかしニーナは首を振って拒んだ。顔から完全に血の気が引いて今にも倒れそうだが、それでも歯を食い縛って、カミルから離れて自分の脚で立った。


「いい根性だ。だが無理はするな」

「はい……。それより、エリーちゃんを、エリーちゃんを探さないと……」


 そうだな。マンシュタイン殿は……手遅れだが、娘のエリーらしい姿は見ていない。このカプセル群のどこかにはいるはずだ。所狭しとならんだそれらをグルリと見回していくと――カプセルのサイズに不釣り合いな小さな姿が目に入った。


「ッ……! エリーちゃん!!」


 ニーナが駆け寄りカプセルに縋りついた。エリーもまた液体の中で漂うばかりだが、まだ姿形はしっかりと保っている。

 まだ、間に合うかもしれん。そう思った瞬間、私はニーナをどかせて魔導を放っていた。

 ガラスケースにヒビが入る。相当に頑丈な作りらしいが、続けざまにもう一発食らわせてやると、けたたましい音を響かせてガラスが砕けた。中から緑色の液体が勢いよく流れ出し、びしょ濡れになるのも厭わずニーナがエリーを救い出した。


「……よしッ! 大丈夫だ、隊長!! まだ息がある!」


 遅れて駆けつけたカミルがそう叫んだ途端、私の口から思わずため息が漏れた。そして安堵した事に私自身が驚いた。


(まだそんな感情が残っていたとは、な)


 こんな状況ではあるんだが、正直ホッとしたのも事実だ。人間を止めてしまったとはいえ、その程度にはまだ人間らしさを維持できているらしい。

 エリーをニーナとカミルに任せて私はカプセルに近づいた。するとコポリ、と気泡が吐き出された。剥き出しの眼球が私を捉え、何かを訴えている。

 おぞましい光景だ。が、不思議と恐怖は感じなかったのは私が人であることを諦めたからなのか、それとも同じくらい残酷な事をしてきたせいで感覚が麻痺してしまったからなのだろうか。それでもマンシュタイン殿、そしてマリエンヌ殿の変わり果てた姿を見上げると、柄にもない激情が胸を締め付け、拳が勝手に握られた。

 エリーは助かったが、彼女を愛していた両親はもう戻らない。二度と笑顔で彼女の頭を撫でることができない。あの日の、幸せな家族の肖像が頭を過る。その様子がかつての私の姿と重なって、心臓がひどく痛くて堪らない。


「う……つ、何が……?」


 うめき声がした。どうやらここの主が目を覚ましたようだな。初っ端の一発で気を失っていたらしいトライセンが頭を押さえながら立ち上がった。まだ意識がハッキリしないのか足元は覚束ないが、扉と部屋の惨状、そして我々の姿を認めて目を剥いた。


「シェヴェロウスカヤ中尉……!」

「やあ、トライセン主任。少しは眠れたかな? だが安心したまえ。もうすぐ――たっぷり眠らせてやるからな」

「中尉、お気持ちは察しますが――」

「心配するな、アレクセイ。殺しはしないさ。

 ヴェラット・トライセン。深い眠りに就く前に、貴様に聞きたいことがある」


 眼の奥にとてつもない熱を感じながらトライセンににじり寄る。カプセルに映った自分の顔を見れば、勝手に瞳が金色に輝いていた。


(まったく、久しぶりだよ――)


 こんなにも、喰らう事を待ちきれない相手に会うのは。

 口が自然と歪み、トライセンと眼が合うと奴は短く悲鳴を上げた。そういえばまだ手も口も血まみれのままだったか。まあいい。自分の末路が容易に想像できて怖いだろう?


「く、来るな……」

「そう嫌うなよ。私と少しお話しようじゃないか。なあ?」

「来るなぁっ!」


 トライセンがポケットから取り出したハンドガンタイプの魔導銃を撃ってきた。だが当然そんなもの効くはずもない。豆鉄砲みたいな貫通魔導が防御魔導に弾かれて淡い波紋を立てるだけだが、トライセンは狂ったように引き金を引くのを止めない。研究員としては優秀かもしれんが、魔導師としての能力は凡庸なんだろう。あっという間に魔素が尽きたらしく、銃を落としてぐらりとよろめいて膝を突いた。

 ちょうどいい高さになったその頬めがけて拳を振り抜く。もちろん思いっきり手加減して、だ。それでもトライセンは思いっきり床を転がっていき、口と鼻からはボタボタと血が流れ落ちていく。


「おいおい、おねんねにはまだ早いぞ?」


 そう言ってやると、奴は恐怖と怒りが入り混じった瞳を向けた。だがそこに絶望はまだない。何か隠し玉を持っているな、と感づいたところでトライセンが壁から突き出た赤いレバーを下に下ろした。

 その途端、天井から一気に煙のようなものが噴き出してきた。どうやら火災発生時の消火剤らしく、私と奴の間を瞬く間に白いカーテンが遮っていった。


「手間を掛けさせるんじゃない」


 魔導方程式を解き魔法陣を展開する。すぐに白い粉塵に混じって雲が現れ、まるでスプリンクラーのように雨を降らしていった。私も濡れ鼠になったが逆にちょうどいい。多少頭を冷やさないと今の私は何をしでかすか分からんからな。

 程なく部屋中を覆っていた白いベールが雨に叩き落されて視界が開ける。が、すぐそこにいたはずのトライセンがどこにも見当たらない。代わりに、壁にはさっきまではなかった新しい入口ができていた。


「隠れても無駄だ。貴様だけは逃しはしない――何があろうと絶対に、だ」


 勝手に口端が吊り上がっていく。早くこいつの腐った魂を喰らってしまいたい。泣き叫ぶ様をマンシュタイン殿たちに見せながら、腕を、脚を一本一本ゆっくりと咀嚼しながら喰らってやる。そんな想像をしながら、隣の部屋へと入っていった。


「どうした? かくれんぼはもうお終いか?」


 薄暗いもう一つの部屋の中、壁に埋め込まれた非常灯にかろうじて照らされてトライセンは立っていた。こちらの部屋も相当に広く、壁際には先程の部屋同様に機械らしきものが敷き詰められ、だが普段は使っていないのか稼働してはいないようだった。


「さあ、聞かせてもらおうか。あのカプセル群は何だ? この施設で何をしている? そして――何故マンシュタイン殿と、そのご家族も手にかけた?」


 彼の名前を口にして胸のざらつきが、怒りが、痛みがいっそう強くなり、改めて思う。

 私は、マンシュタイン殿もその家族も決して嫌いではなかったんだと。あの日の食事も、気まずいだけのものじゃなかったんだと。幸せな家族像を見せつけられるようで、苦しくはあった。けれどあの光景をもう二度と見れなくなってしまった。そのことが、こんなにも……憎いとは思わなかった。


「ふ……ふふ、ふふふふっ……!」


 そんな私のはち切れそうな感情とは裏腹に、さっきまで怯えて逃げ回っていたトライセンが突如として笑い声を上げ始めた。






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