3-13 不出来な生徒に事件の講釈を垂れて頂けるかな?
――Bystander
ヴェラット・トライセンはその日も重い足を引きずって家路についた。
視線の先は常に自分の足先。顔を上げようと思っても勝手に頭が下がってしまう。仕事中に明るく振る舞うのにも疲れた。もうずっと泥の中を進んでいるかのようで、目の前にベッドがあればすぐに倒れてしまいそうだった。
(今日も……)
ダメだった。深いため息が堪えようもなく漏れる。
順調そうに装っているが、彼が担当している研究は行き詰まっていた。もう何日も頭を悩ませて色々な方法を試しているが、どうやってもうまくいかない。関連研究は問題なく進められているから成果を問われることはないが、肝心の核となる研究の進捗は牛歩の如く。彼は自身への失望を募らせていた。
理論が間違っているのか。それともやり方に何か見落としがあるのか。一人で何日も考えても、一向に解決の道筋は立っていなかった。
こんなはずじゃない。自分は、この程度の人間じゃない。そう自分を奮い立たせようとするが、上手くいかない現実が絶えず心を折ろうとしてくる。
(昔は――)
もっと上手くやれていた。人懐っこい見た目に反し、彼はプライドが高かった。大学を主席で卒業し、最難関である軍の研究所に迎え入れられたことは彼の自尊心を大いに満たした。研究所に入ってからも、誰より短時間で成果を上げ、様々な革新的な開発を成功させてきた。一人で、誰にも頼らず。嫉妬と羨望を背に浴びながら、トライセンの人生は順風満帆そのものだった。
それが崩れ始めたのはいつ頃だったか。
思い出そうとするまでもなく、きっかけとなった時の事を彼はハッキリと覚えている。
当時、トライセンは三十を少し越えた頃で、最年少の研究主任になっていた。そんなある時期、彼はこれまでで一番難解な開発課題に取り掛かっていた。
幾日も頭を悩ませ、実験し、失敗し、理論を組み直し、試す。それを繰り返しながらも、着実に開発は進んでいた。だが一つ、どうしても解決できない問題があった。魔装具に組み込む複数の魔法陣。それぞれの陣は間違っていないのに、どういうわけかそれらが連動して動いてくれない。それは当時の最先端技術であり、だからトライセンは産みの苦しみだと自身を励ましながら一人地道にその難問に取り組んでいた。
「やあ、トライセン君。調子はどうだい? 聞いたよ、中々の難題に着手してるそうだね?」
そこにやってきたのがマンシュタインだった。トライセンより一回り以上年上で、最近彼と同じ部署へ移動してきた「一応の」上司だった。
うだつの上がらない雰囲気。見た目で分かる。トライセンは彼をずっと「使えない」人間だと信じて疑っていなかった。故に困って助けを求める後輩を演じつつ、自分の取り組む研究レベルを見せつけるつもりで研究内容を話してみせた。
期待したのは「私には難しすぎるね……」と言いながら、尻尾を巻いて逃げる姿。その後ろ姿でも見れば、思うように進まない溜飲を下げることができる。そう確信していた。
「ははあ、なるほど。ここで悩んでるわけか。ふむふむ……そうしたいのであればここはこれをこうして……」
しかしマンシュタインは少し見ただけでトライセンの課題を理解すると、サラサラと紙にその解決策を書き記していく。始めは「適当なことを……」とその記載を鼻で笑っていたが、読み進めていくとそれが理に適っていることに気づいていく。
まさか。いや、だが。否定したくても、トライセンの優秀な頭脳はそれが解決に繋がるだろうことを理解してしまった。
「どうして……」
「いやぁ、少し昔になるが私も似たような難問に頭を悩ませたことがあってね。パッと見て応用できそうだなと思ったんだが、上手くいきそうで良かったよ。
それよりも君の魔導回路だが、実に素晴らしいね! 私が作るとどうしても――」
逆にマンシュタインもまたトライセンの設計した魔導回路を見て感銘を受けていたのだが、彼の耳にはどんな称賛も届いていなかった。
自分が何日も掛けて、それでも解けなかった課題を簡単に。過去に似たような経験があったことなど関係ない。自分が出来なかったことを容易くマンシュタインがやってのけた。彼にとってそれだけが事実だった。
その日からトライセンは頻繁に壁にぶち当たるようになっていった。これまでのように仕事が上手く進まなくなり、時間と予算ばかりを消費して思うように結果が出せない。さらにマンシュタインの研究テーマを彼の「下」で取り組むよう指示もされてしまった。マンシュタインがパートナーとして望んだらしいが、それすらも屈辱だった。
しかしなおも彼は優秀だった。以前より時間は掛かっているが、一般的な期間と予算の範囲内で研究成果を出せてはいた。周りの見る目も変わったというようなことはない。
それでも、それでも。彼は許せなかった。「格下」だと思っていたマンシュタインが、実は自分より優れた研究者だと認められなかった。彼のサポート役に甘んじるなど、自分が劣っているなど許すことができなかった。
絶対に負けない。よりいっそう彼は研究に没頭した。けれど、思い描いていた自分にはいつまで経ってもなれない。近くで眺めるマンシュタインの姿が眩しく感じた。輝かしい成果を残していた過去の自分も遠ざかる。彼の心はどんどんと苦しくなっていた。
もっともっと知識を。もっともっと鋭いひらめきを。気が狂いそうになりながらそう求めて彼は突き進んでいき、やがてそんな時に出会ったのが――
「う……」
当時の感情をまざまざと思い出してしまい、ひどい頭痛が襲った。気分が悪く、吐いてしまいたい。崩れ落ちてしまいそうな体を、何とか食い止める。
ダメだ。まだ、自分にはやらなければならないことがある。あと少し、あと少しで――
(知の結晶を……手に入れられるんだ)
自分を奮い立たせようとするが、寝る時間も削って研究を続けていた体は限界だった。
少し、少しだけ仮眠を取ろう。たまらずそう考え直し、泥の中を歩くようにアパートの階段を登っていって――彼は呆然とした。予想だにしていなかった光景を目の当たりにして、思考が停止した。
アパートの扉が開いていた。否、開いているのではない。ぶち壊されて部屋が野ざらしにされていた。
空き巣に入られたのか? しかし空き巣にしては随分と派手だ。ゆっくりと彼の頭脳が思考を取り戻していき、慎重に自分の家へと入っていく。
机上は朝に家を出た時同様に散らかっているままなので判別がつかないが、本棚の貴重な書物は特に盗まれて無さそうだ。現金も置いていないので、仮に何かを盗まれていたとしてもたいした損害では無い。トライセンは安堵し、ふと机の上に目を遣った。
机の上に何か四角い板が置かれていた。それが何なのか、彼は見当がつかなかった。こんなもの家にあっただろうか、と首を傾げ、しかしそれがあった場所が不意に頭に過ると彼の顔は一気に青ざめた。
椅子を押し倒しながら机の下に潜り込む。見上げれば机の裏にあったはずの隠し扉が開き、入っていた本が消えていた。
「あ、あ……」
本棚の本もそれなりに貴重な物だ。だから単なる物取りならばそちらを持っていくはずで、そちらには見向きもせずにここの本だけを盗っていったということはすなわち、これこそが目的だったということに他ならない。
「誰だ、誰が……」
トライセンの頭は混乱の極みにあった。落ち着け、落ち着けと必死に自分に言い聞かせる。大丈夫、軍警察にはバレていない。バレていたらとっくに連行されているはずだ。そうだ、泥棒が金目の物を探していて偶然見つけてしまった可能性もゼロではない。
(だが、だが……もしも偶然じゃないとしたら)
そう、例えば――神が裏切ったとしたら。背筋が凍る。トライセンは先程までの体の重さを忘れ、家を飛び出した。
家の前に停めてある車に飛び乗る。魔導エンジンのスイッチが入り、低い唸り音を上げた瞬間にアクセルを一気に踏み込んだ。東門を警備する衛兵を跳ね飛ばさんばかりの勢いで街を飛び出し、山道へと入っていく。そのまま三十分ほど走っただろうか。首都からはだいぶ離れた森の奥にあるコテージにトライセンは辿り着いた。
軒下には蜘蛛の巣が張り、壁面や屋根には蔦が絡まって朽ち果ててしまっているようにも見える。トライセンは車から降りると、息を切らしながらコテージの扉を押し開けた。
その中も、彼の自宅同様に殺風景な装いだった。本棚と仮眠用の簡易ベッドが置いてあるだけ。それでもトライセンは大きく胸を撫で下ろした。
(良かった……ここには来ていないみたいだ)
であれば、やはり自宅は単なる泥棒の仕業だったのだろう。一気に疲れが押し寄せてくるのを感じながら、彼は本棚の本を取り出し、それを別の場所へ差し込んだ。
すると本棚がゆっくりと動き出す。横にスライドし、後ろから隠し扉が現れた。扉を開けて中に入ると、そこにもまた本が沢山並んでおり、その中でも一際古い本を手に取ると、彼は安堵の息を吐き出した。
だが、その時だ。
「まさかここが貴様のコテージだったとはな」
声が、響く。心臓が鷲掴みされたように息が苦しい。トライセンは恐る恐る振り返った。
「こんばんは、ヴェラット・トライセン。深夜に恐縮だが――不出来な生徒に事件の講釈を垂れて頂けるかな?」
そこには、獰猛な笑みで仁王立ちするアーシェの姿があった。
Moving away――
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
お読み頂きありがとうございます<(_ _)>
もしお気に召されましたら、ぜひぜひフォローや☆評価など頂けますとありがたいです<(_ _)><(_ _)>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます