3-8 こんなすぐに来ることになるとは思いませんでした
「ああ、実は私のところにも昨夜になってようやく情報が上がってきたよ」
ビラを見て私は即座にマティアスの執務室へ突貫した。ニーナ同様に自分の執務室が生活場所となっている王子様兼准将殿は予想通りソファをベッドにして、すやすや寝息を立ててやがった。なので迷わずベッドから蹴り落として、奴の眼前に拾ったビラを叩きつけてやったんだが、マティアスは眠たげに目を擦りながらため息混じりにそう漏らした。
「どういうことだ? おそらくこのビラは奥方が作ったものだろう。ということはすでに行方不明になって数日は経っているはずだ。だというのになぜ昨夜聞いたなどというのんきな状況になっている?」
「私としても非常に遺憾なんだが」コップに残っていた水をマティアスが飲み干す。「どうも研究所の人間は危機感が足りないようだ。所長曰く、研究に行き詰まった研究員がしばらく行方をくらますのは珍しいことじゃないんだと。それどころか、お前がマンシュタイン主席に難題を突きつけたせいで逃げたんだと逆に抗議されたよ」
「……そいつは馬鹿なのか?」
行方をくらますのは珍しいことじゃない、だ? あのマンシュタイン殿がご家族を放って消えるなど考えられないだろうが。そうでなくっても機密情報を持った人間が消えただけでも大問題なんだぞ。
「まあそう怒るな。所詮、軍閥貴族の御歴々に担ぎ上げられて所長の椅子に座っただけの能の無い人間だ。軍の研究資産の価値も理解できない人間相手に怒るほどの価値もない」
だろうな。行方不明者を報告もせずのんびりしてたのもそうだが、よりによってマティアスに苦情を言うとはな。コイツは、表向きは王子としても軍人としても実権のないお飾りのフリをしてるが、実際は絶対逆らってはならない人間だ。だというのに、そんなことも見抜けない時点で頭のお花畑具合が知れる。
「ちょうど私も研究所の人事に手を入れる口実を探していたところだ。人一人が行方不明になっている状況を利用するのは心苦しいが、この機会を見逃すのも馬鹿らしい。というわけで所長と、縁故で彼を所長に据えた准将殿に隠居して頂くことにした。いや、まったく、長年国防に身を削って頂いた老将をこんなくだらない形で失うのは実に悲しいことだ」
わざとらしくマティアスが涙を拭うフリをするが、実際は小賢しいだけの准将だったんだろうな。意見や思想に違いはあっても実力がある者をマティアスは排除しない。逆に国にとって毒にしかならんような人種は軍と王子両方の権力を駆使して容赦なく叩き出すが。
「それはスッキリする良い話だ。まだクソがケツに張り付いちゃいるが。で、どうする? 名実共に装備開発はお前の管轄だろう? お前の命令として私は動いていいのか?」
「頼む。先日のアスペルマイヤーの件もあるからな。もし誘拐されて他国に情報が漏れていたら一大事だ。マンシュタイン主席ならそうやすやすと口を割らないとは思うが……家族を人質に使われたら拒否できないだろう」
了解だ。であればそれを前提にこちらも準備を進めておこう。マリエンヌ殿たちにも安全な場所に避難して頂かねばならんな。
他の細々とした確認を済ませていき、最終的にマティアスから正式な命令書、それと捜査権限を午前中に準備してもらう旨の言質をもらって詰所に向かうと、ニーナを始め隊員たちが私の帰還を待ちわびていた。
「どうでしたか?」
「やはり事実のようだ。もう三日ほど出勤もしてなければ連絡もないらしい」
みな半信半疑だったようだが、私の報告を聞いて一様に沈痛な面持ちになった。実に同感だよ、クソ。特にニーナは先日激論を交わしたからか、顔色が一段と悪い。
それにしても三日か。遅すぎたな。他国の連中が情報欲しさに誘拐したのだとしたら国外に脱出するには十分過ぎる時間だ。だが……もし怨恨や金目当ての犯行なら、まだ近くのどこかにいるかもしれん。
「……マジで仕事が嫌になって家出した、なんて理由であってほしいところだぜ」
カミルが唇を噛み締めながらそう漏らした。まったくだ。その時はみんなでせいぜいマンシュタイン殿をどつき回す程度で許してやろうじゃないか。
「見つかった暁にはマンシュタイン殿と奥方にぜひ手料理をご馳走してもらうとしよう。マリエンヌ殿の料理は絶品だからな。ついでに彼の秘蔵の酒を全部空にしてやる。そのためにも絶対に見つけ出すぞ。いいなっ!」
「はっ!」
頼むから無事でいろよ、マンシュタイン殿。
それがずいぶんと希望的な願いであると分かっていても、今はそう願うしか無かった。
予定通り午後には正式な書類が届き、私たちは本格的に動き出した。本来ならもっと時間が掛かるものなんだが、よほどマティアスも危機感を持っているらしい。先日のアスペルマイヤーの件が尾を引いてるだろうし、それをダシに焚き付けたのかもな。
ともあれ、これで大手を振って動ける。まだ見ぬ敵がどう動くか分からんので部下たちを二人一組に分けてツー・マン・セルでの行動を命令し、各々捜索を開始する。
そして私はといえば、つい先日も訪れたマンシュタイン家の前にいた。
「まさかこんなすぐに来ることになるとは思いませんでした……」
私とペアを組むニーナが、マンシュタイン殿の自宅を見上げながらつぶやく。
「私もだ。しばらくは誘われても断ろうと思ってたんだがな」
「どうせならまた、あの楽しそうな時に来たかったな……」
どうやらニーナは、あの家庭的な雰囲気が心地良かったらしい。そういえばコイツも戦災孤児だったな。家族というものに特別な思い入れがあるのかもしれん。
「マリエンヌ殿たちの前ではそんな顔を絶対に見せるなよ。いいな?」
暗い顔をしたニーナのケツを叩き、私はマンシュタイン家のドアをノックした。
ノッカー音が響く。だが無音。もう一度叩く。それでもやはり反応は無い。
「出かけてるんでしょうか……?」
かもな。またマンシュタイン殿を探してどこかでビラを配ってるのかもしれん。参ったな。早いとこ二人の安全を確保せねばならんのだが……
そうは言っても不在ならここにいても無駄か。まさか奥方たちも拐われたとは思いたくもないが、念の為に窓からちょっと中の様子を窺ってみる。
「どうですか? やっぱりご不在ですか?」
「ちょっと待て。カーテンが邪魔でよく見えん」
あとちょっとで見えそうなんだがな、クソ。
カーテンの隙間から見ようとして私の可愛らしい顔が変顔になるが、お構いなしに窓に強引に押し付ける。と、そこで窓枠についた汚れが目に入った。
それは乾いた赤い絵の具のような痕だ。しかし絵の具の赤にしてはどす黒く、そしてそれが何の色か、私はよく知っている。
匂いを嗅いでみる。するとかすか、本当にかすかだが窓の隙間から――いかにも不味そうな魂の匂いがした。
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