2-10 『本物』なんじゃないか?



 事件から数日。高級なソファでのんびりくつろぎながら、私はマティアスと誰かとの電話を聞き流していた。


「――ああ、分かっていますよ。ええ、こちらも事を荒立てたいと思っているわけではありませんのでね。然るべき対応をして頂けるのであれば問題ありません。ではそのように」


 受話器が置かれる音に振り返る。すると、さっきまでずいぶんとにこやかだったマティアスが、背もたれに体を預けていかにも大儀そうにため息をついていた。ま、政治的なやり取りというのは神経がすり減るもんだ。いい加減慣れるんだな。


「分かったような事を言ってくれる」

「聞き流せ。外野の単なる感想だよ」

「まあいいさ。それで――どうしてお前は私の部屋で酒を飲んだくれてるんだ?」


 ジロリ、と王子様が私をにらんでくるが、それを無視して棚から勝手に取り出した酒瓶を傾ける。魔導で作り出した氷がカラン、とグラスの中で心地よい音色を奏で、香りが鼻孔を抜けて思わずにんまりしてしまう。


「呼び出しといて電話を始めたお前が悪い」

「だからといってだな……」

「それよりお前も一杯どうだ?」

「……一杯だけだぞ?」


 マティアスもやっぱりストレスを感じてたんだろう。嬉しさを隠しきれない顔をしてグラスを受けとると、琥珀色の液体を一息に飲み干した。


「それで、どうなった?」

「シナリオ通りだな。カールハインツ・アスペルマイヤーという人間は罪を悔いて自殺。B/Sに漏れた技術も幸いにして最新のものじゃなかったからな。技術使用料に慰謝料を上乗せして王国に支払う代わりに当該武器の使用を許可することになった」

「つまりは、武器の技術をB/Sに輸出する形になるということか。あちらさんの処分は?」

「情報局の一部の暴走。そういうことで幕引きを図ることになっている」


 そうか。尻尾切りに合う実働部隊には気の毒な話だが、そもそもバレた時点で大失態だしな。高い勉強代ってやつだ。ああそうだ、これもマティアスには伝えておかなければな。


「奴――アスペルマイヤーのお相手はB/Sだけじゃなさそうだぞ」

「……なんだと?」


 アスペルマイヤーを喰ったからこそ分かったんだが、取引回数は多くないものの、奴は今回の件以外にも魔装具の図面を横流ししていた。そちらに関しては直近ではなく一年ほど前の話であり、私の知る限り最新の技術は無さそうなのでそういう意味ではまだ安心だが、それでも重要な軍事機密であることに変わりはない。


「相手は? どこの国だ?」

「分からん。こっちについては相手も相当慎重だったらしい。アスペルマイヤーと直接顔を合わせることもなく、荷物のやり取りだけ行っていたようだ」


 郊外の森の中に複写した図面を入れたカバンだけを置き、アスペルマイヤーが去った後でそのカバンを持ち去る。記憶の隅々まで覗いてみたが一度もそのお相手らしい人間は出てこなかった。まったく、注意深くて面倒なことだ。

 ちなみにB/Sに対しては奴が対面でのやり取りに拘ったようだった。どうやら取引の最初に齟齬があって金が届かなかったらしく、それ以来対面での交換が慣習となっていた。


「そうか……なら残念だが追うのは難しそうだな。ところで、結局アスペルマイヤー大尉が裏切った動機は何だったんだ? 『喰った』んだからそれも分かっているんだろ?」

「ああ……なに、つまらん理由だよ」


 階級が不満だったとか待遇が気に入らなかったとか色々細かいところはあるが、つまるところ奴が欲しかったのは金。それだけだった。

 先日のパブでも話に上がったが、相当に金に困窮していたらしい。刻まれた記憶を覗いてみたが……まあ数え切れんくらいにあちこちに借金をして回ってたよ。

 伯爵家からも支払いを渋られてて、そこにB/Sから声を掛けられ、多額の資金提供の見返りとして技術密売に手を染めたという、なんともありふれた面白みも無い事情だった。

 とはいえ没落したにしても仮にも伯爵家の人間。加えて決して高給取りとは言えんが大尉としての給料も入ってくる。にもかかわらずなんでそんなに金が無かったか、と言えば。


「結局のところ、幼い頃の優雅だった伯爵家としての生き方を忘れられなかったらしい」


 実情に合わない豪華な家に住み、メイドを雇い、料理人に美味い飯を作らせ、高い酒を飲む。欲望が抑えられなければ強引に女を捕まえ、気に入った女がいれば傷物にして適当な金とともに放り出す。とまあ、ワガママ放題の結果、金なんぞあっという間に消えてなくなり借金漬けの人生へゴー。終いには国まで裏切ってゲームオーバーというわけだ。

 ミスティックの影響があったとはいえ、今回の件に同情の余地は微塵もない。が、敢えてその余地を見出すとすれば、奴を正してくれる人間が周りにいなかったというところだろうか。昔の栄光にすがるのを止めて、今を生きなさいってな。


「つまりは過去に囚われた生き方しか知らなかった、というわけか……」

「そうとも言うかもな」

「イデオロギーの相違や王国に不満があって愚行に走った。そうだったらまだ理解はできるが……そうも簡単に金でなびかれると王家の人間としてもやりきれないな。だが――」


 金髪をかきむしりながら天井をマティアスが仰いだ。が、急にフッと笑った。


「何だ、急に?」

「いや、なに。我々もあまり彼を笑うことはできないなと思ってな」


 私とマティアス。コイツが言うとおり私たちも奴と同じく過去の人生に囚われ続けている。もう、ずっと、ずっと。だからこそこうしてコイツとつるんでいるわけだが。


「過去に囚われていようと構わん。奪われたモノを取り戻せるなら、いくらだって時の囚人を続けてやるさ」

「まだどれだけ時間が掛かるか分からないが、道筋も見えていることだしな。私だって希望を前に、今更引くつもりはないよ」

「そういうことだ。それで、マティアス。アスペルマイヤーが吐き出した物なんだが」

「ああ、何者かに奪われたとか言っていたやつか。それがどうかしたか?」

「実は――あの宝石からもエグみに似た匂いを感じた」


 一杯だけと言っていたのに二杯目を注いでいたマティアスの手が止まった。


「その前の、パブで奴が落とした錠剤からも同じ匂いがした」

「……ということは、だ。アスペルマイヤー大尉もミーミルの泉を服用していて、お前が見たという宝石も同じくミーミルの泉だということか?」

「確証は無い。だが可能性は高いと見ている」

「待ってくれ、アーシェ。お前の話を疑うわけじゃないんだが、大尉がその宝石を吐き出した途端に、元の姿に戻ったんだよな? つまりミーミルの泉が人間を異形化させていたということになる。たかが薬物にそんなことができるはずが……」

「ただの薬物じゃあ無かった。そういうことなんだろうさ」


 すぐに元に戻ったとはいえ、人間を異形化――ミスティック化する。それはつまり、それだけの莫大な魔素と術式を内包しているという証左に他ならないし、あるいはニーナと一緒に見た過去の光景も、あの小さな錠剤がもたらしたのかもしれない。


「なあ、マティアス」

「……なんだ」

「ひょっとするとなんだが、こいつは同じ名前の薬物なんかじゃなくて、『本物』なんじゃないか?」


 だからこそ、あの白装束も回収していったわけで。そう付け加えてみるが、マティアスから否定する言葉は返ってこず、眉間にシワこそ寄っているが、決して表情は暗くない。

 また一つ希望の光が増えた。同時に、明るくなったからこそ過去の暗い憂鬱と寂寥が押し寄せてくる。決して忘れることのできないそれを、酒で一気に流し込む。

 ここまで二度、ミーミルの泉は私たちと繋がった。ならきっと、もう一度私たちの前に現れる機会があるはずだ。私はそう直感していた。グラスをテーブルに叩きつけ、決意を胸の奥に煮えたぎらせる。

次こそ、なんとしても手に入れてみせようじゃあないか。その強い思いを懐いて、私は制帽を引っつかみ部屋を出ていったのだった。



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