2-6 私なんかとは違う
「んん~……」
ペンを放り捨てると、大きく背伸びして私は詰所の席を立った。スパイを見つけてから一週間。捜査の進展については全く聞こえてこないが、こちらは実に平和な一週間だった。おかげで溜まっていた書類仕事も一掃できて机の上も私の気分もすっかり晴れやかである。
時計を見れば夜九時過ぎ。ふむ、一杯飲んで帰るとするかね。
「……ん?」
帰り支度をしながらふと奥の方に目をやれば、半開きの整備室から光が漏れていた。もう一度時計を確認するがやはり夜九時である。ひょっとして。
「ああ、どうせニーナだろ?」
当直のため椅子に座ってエロ雑誌を読んでいるカミルに聞いてみるが、やはりそうか。暇さえあればすぐ引きこもって魔装具をいじってばかりしやがって。魔装具が好きなのは分かったが、こうも連日泊まり込むのはさすがに黙認できん。ため息をついてドアを勢いよく開け放つと、ニーナの襟首をひっつかんで夜の街へと引きずり出した。
「ふ、ふぇぇっ? アーシェさん?」
「まったく、貴様という奴は……仕事は終わりだ。今日は私に付き合え」
部品がどうだ、ハンダがどうだとか騒いでるがそんな事知らん。貴様はいい加減魔装具から離れて休息することを覚えろ。
というわけで、だ。
「いたたたた……って、ここは?」
文字通りニーナの首根っこを掴んでやってきたのは私が良く世話になるパブだ。パブとは言ってもマスターが客に合わせたカクテルを作ってくれるし、テーブルにはホステスをつけることもできる、よく分からん店である。が、出す酒とつまみの味に関しては確かだ。
「えっと、私、お酒はあんまり……」
「飲めないわけじゃないだろう?」
「まあ、そうですけど……あまり飲んだことないですし、お給料前ですし……」
「心配するな。私のおごりだし、酒も店主に頼めば間違いはない」
不安そうなニーナの手を引いて店に入る。中は薄暗く、ほのかな照明が良い雰囲気を作り出している。テーブルで嬢が客の相手をしてるのを見てニーナが顔を赤らめる、なんて初な反応を見せてるが、客と嬢で酒を楽しんでて、そこにいやらしい感じはない。
「マスター、いつものを。コイツにはそうだな、酒の美味さが分かるあまり強くない奴を」
カウンターに並んで座ってなんとも抽象的なオーダーをするが、マスターは微笑むと悩む様子もなく手際よく酒の準備を進めていった。程なくグラスが差し出され、ニーナが不安そうにしながら恐る恐る一口含んでいく。と、表情が一気に変わった。
「あ……美味しい。これ、すごく飲みやすくて美味しいですっ!」
「気に入ったか?」
「はいっ! お酒ってこんなに美味しいものだったんですね」
一気に飲み干すと、ニーナはマスターに「おかわりっ!」とグラスを差し出していた。
「金は無くともメシと酒は美味いものを喰えってな。美味いものは心にゆとりと豊かさをもたらしてくれる」
「誰のセリフです?」
さあ、誰だったかな? いつもの酒を飲みながら記憶を辿っていってみるが、誰の言葉だったかさっぱり思い出せない。だがまあ、別にたいしたことじゃあない。ゆっくりと酒を味わえる贅沢に比べれば、そんなこと些細なものだ。
隣を見れば、ニーナもマスターが出してくれたツマミを美味しそうに食いながら酒を流し込んでいた。ほら、そんなに勢いよく飲むとすぐ酔いが回るぞ?
「んぐ……だってこのおつまみも美味しくて、ついつい進んじゃうんですもん」
「くくっ、貴様もとんだ飲んべえだな。ところで、ずっと聞いてみたかったんだが」
「なんですか?」
「単なる興味本位の質問なんだがな、どうして軍に入ろうと思ったんだ?」
女性が社会で働くのもすっかり定着して久しいが、さすがに軍を希望する人間は少ない。まして魔装具を取り扱う部署ともなれば相当希少だ。もちろん軍人としての素質は十分ありそうだし、仕事ぶりや魔装具への並々ならぬ情熱を見てれば天職だとは思うんだが、別に危険が伴う軍じゃなくても、コイツなら民間でも才能は発揮できるだろう。にもかかわらず敢えて軍を選んだその理由が少し気になった。
「んー、そうですねぇ……正直、あんまり選択肢が無かったんですよね」
ニーナが少し赤らんだ顔でグラスの中身を空にすると、新たな一杯を注文した。出てきたグラスを義手の左腕で受け取って覗き込む。だがニーナの視線は中身よりも透けて見える自分の左腕に向けられているように思えた。
「私、戦災孤児なんです」事も無げにそう言った。「十歳の時に共和国との戦争で村が焼けちゃって。このとおり左手と村はダメになったんですけど、私は何とか助かって」
「……悪いこと聞いたな」
「んもう、そんな顔しないでくださいよ! 十年以上前の話ですし、私自身吹っ切ってるんですから!」
ニーナがカラカラ笑って私の頭を撫で回した。コイツ、実は結構酔ってるな?
「でも……その当時は当然落ち込みました。お父さんもお母さんもいなくなって、私も腕が無くなってこれからどうなるんだろうって、悲しいのと不安なのでいっぱいになって。だけど、入院中に最先端の技術を詰め込んだ義手の治験者に選ばれたんです。手術受けて目が覚めて、そしたら何もなかったところに新しい手が出来てて、私の意思で動かせたんです。それにすっごい感動して……世の中にはこんな凄い物があるんだって」
「なるほどな。それで義手を含めた魔装具の道に進んだのか」
「そうです。ただ、その……魔装具の勉強するのってお金かかるじゃないですか」
確かに。需要は多いが、材料も高価で高度な技術と知識が必要されるからな。民間の学校だと授業料だけでも結構な費用になる。だから軍の学校に入ったのか。
「軍の学校だとお金かからない上にお給料ももらえますし。あ、でもまったく後悔とかはないんですよ? 最新の製品に触れられて、しかも好きなだけ弄くり回せますし」
別に軍用品を好きに弄り回して良いわけじゃないんだが。アレは私が特別に許可してるだけだからな? まあ最新装備を理解してもらうのも仕事っちゃ仕事だが。
しかしそうか……コイツにもそういう事情があったんだな。
チビリと自分のグラスを傾け横目でニーナを見る。こんな話の後だってのに鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気でニコニコと酒とツマミを楽しんでやがる。そこに昏さは一切ない。
(ああ、コイツは本当に……)
今を生きているんだな。そう気づいた。過去を恨むでもなく、今を嘆くでもなく、全てを受け入れて前を向いて生きている。私なんかとは違う。そんなニーナが羨ましくて、そして眩しい。自分で尋ねたにもかかわらず胸の奥からドロっとした澱みたいな感情が湧き上がって来るのを感じ、それをグラスの酒で一気にまた胸の奥へと押し込んだ。
そうやって自分の感情に蓋をしていると、不意に店の奥から下品な声が届いてきた。
「……ずいぶんとにぎやかな客がいるな」
奥のテーブル席をついにらみつける。カウンター席からは見えないが、嬢の控えめな笑い声に混じって男の聞き苦しい笑い声が断続的に店内に響き渡ってやがる。見回せばニーナ含めて他の客も渋面をしていることから、どうやら私と気持ちは同じらしい。
「不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
「いや、マスターが謝るような話じゃないさ」
酒の飲み方は人それぞれだ。私みたいに静かに味わいたい奴もいれば、騒ぎながら楽しく飲みたい奴だっているだろう。個人的には下品な飲み方は嫌いだが、かといって相手の楽しむ権利を奪うのも嫌いだ。声のボリュームを落とせと言いたいのは言いたいが。
とまあ、穏便に酒を楽しもうじゃないかと、ニーナとグラスを合わせ鳴らして仕切り直したんだが、突然そのテーブル席から嬢が飛び出してきた。胸元を押さえながらうつむき加減で私たちの後ろを走り抜け、そのまま従業員用の部屋へと駆け込んで消えていく。
「アーシェさん……」
ニーナにうなずく。走っていった嬢の上半身はかなりはだけていた。どうやらあの騒がしい客はここを場末のストリップ劇場と勘違いしたらしい。
さすがにこれは看過するわけにはいかないな。場の空気を悪くした阿呆に一言物申さねば、と席を立ったわけだが……奥から出てきた客の姿に思わず頭を抱えてしまった。
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