2-5 やかましいことだ



「おや、シェヴェロウスカヤ中尉! こんなところで会うとは珍しいですな!」


 顔を上げると白衣を着た大柄な、私もよく知る御仁ごじんが手を大きく振っているのが見えた。

 銀縁の丸メガネの奥でいつもどおり柔らかい眼差しを湛えているのは、王立研究所のマンシュタイン主席研究員殿だ。手入れされていない無精髭に、オールバックに撫でつけてこそいるが全体的にボサボサっとした灰色の髪。少し、いや、だいぶ脂肪のついた腹をさすって笑う姿は研究員と言うよりは下町の気の良いおっちゃんと言った方がしっくり来る。


「こんにちは、マンシュタイン殿。本日もお元気そうですね」

「はっはっは! もう若くないのでね! 老け込まぬよう空元気出してるだけですよ!」


 研究所とは武器開発がマティアスの管轄であることもあって一緒に仕事をすることも多くて、そこの研究員はエリート意識まるだしのいけ好かない連中ばかりだ。しかし、すでに五十を過ぎてなお元気一杯なこの御仁は一切そうした仕草を見せないどころか、偶然出会った時でもこうしてわざわざ声を掛けてくれる。なので私が好感を持つ数少ない人物だ。


「しかしマンシュタイン殿が軍本部にいらっしゃるとは珍しいですね」

「今日は半年に一度の報告会でね。王子たち御歴々へ成果をアピールするのですが、張り切りすぎて早く着いてしまいましてな。うろついて時間を潰していたところです」

「そうでしたか。であればそこの角を曲がったところに王子の執務室がありますのでぜひ突撃してみてください。美味い酒をご馳走してくれるかもしれませんよ?」

「それは良いですな!」マンシュタイン御大が呵呵、と笑った。「心惹かれるご提案ですが飲み潰れて仕事どころでは無くなりそうですので今日は遠慮しておきましょう。その代わり、今度中尉とご一緒したいですな。良い酒を出す場所を知っておりますのでね」


 それは良い。ぜひとも飲みに行きたいものだ。そんなくだらない話をしていたのだが、マンシュタイン殿が「ところで」と顔をキョロキョロとさせ始めた。


「私と一緒にもう一人来ているのですが……それらしい人物を見かけませんでしたかな?」

「いえ、特に見た記憶はないですね」


 ――と応えたところで、階段の方からにわかに騒々しい声が聞こえてきた。しかも聞いたことのある声。正直なところ関わりたくないんだが……そういうわけにもいかんか。ため息をついて声の方に向かうと、予想通りの豚……ではなくアスペルマイヤー大尉と、もう一人マンシュタイン殿と同じ白衣を着た男がそこにいた。

 おそらく彼がマンシュタイン殿ご所望の人物。豚大尉に胸ぐらを掴まれて壁際に追いやられたうえに、一方的にまくし立てられていた。とんだ不幸の星の下に生まれたお方だな。


「まったく……やかましいことだ」


 さすがにここで見て見ぬふりをするわけにもいかないので、後ろから豚大尉のケツを思い切り蹴り上げてやると、「ぶひぃぃぃっ!?」と悲鳴が上がった。


「ぬ、うぅぅ……き、貴様ぁ……! 何をするっ!!」

「それはこちらのセリフですな。研究員を捕まえて、大尉殿こそ何をしているのです?」

「貴様には関係ない……ぶひぃぃっ!?」


 ふざけたことを言うので腕をつかんで可動域スレスレまで関節をひねってやる。しかし良い声で鳴くな。思わず笑いそうになるじゃないか。


「関係なくはありません。私と同じく彼らはマティアス准将管轄下の人間です。ご用件は存じませんが、このまま暴力行為を続けるのであれば准将に報告します。よろしいですか?」


 そう通告してやると、アスペルマイヤーは顔を真赤にして私をにらみつけてきた。それでも研究員の男を離したので私も豚の前足を手放してやると、「ふんっ!」と荒い鼻息を残してドスドスと何処かへ去っていった。


「やれやれ……災難だったね、トライセン君。大丈夫かい?」


 呆れた様子を見せつつ研究員の男にマンシュタイン殿が声をかける。御大がトライセンと呼んだ男は見た感じ三十歳過ぎくらいだろうか。ややくすんだ色合いのサラサラとしたブロンドヘアに整った顔立ち。女性ウケしそうな、いわゆるイケメンという奴だ。


「はは……ちょっと……いえ、かなりびっくりしましたけどね。大丈夫です」

「そうか、なら良かったよ。ああ、シェヴェロウスカヤ中尉。彼が先程話していた男で、ヴェラット・トライセン君です」

「はじめまして。貴女がシェヴェロウスカヤ中尉ですか。マンシュタイン主席からお話はかねがね聞いてます。先程はありがとうございました」


 トライセンが人懐っこい笑顔を浮かべて手を差し出してきたので私も握手に応じる。と、ふと血の匂いを感じて手を見れば、トライセンの白衣の袖口に血がにじんでいた。どうやら先程のやり取りでどこかを切ったらしかった。


「あちゃ……しまったな」

「なに、大丈夫さ。目立たない場所だし、誰も気づきはしないよ」


 マンシュタイン殿の言うとおり背中側の袖口に少しついてるだけ。薄っすらと魂の匂いは残っているがそんなのに気づくのは私くらいなもんだ。しかし、どうやらこの男もマンシュタイン殿と同じく気の良い人間らしい。香りがなんとも不味そうである。


「して、いったいどうして絡まれてたんだい?」

「さあ? よく分かんないですけど、研究所の人間か確認されたら突然僕に研究所の入場許可を出せ、なんて言ってきまして。そんなの僕の仕事じゃないから窓口に申請してくれって伝えたら急に怒り出して……軍人さんってのは気が短いんですかね?」


 あんなのを基準にされても困る。研究所に入りたいなら正規の手続きをすればいいものを。というか、アスペルマイヤーは職務上も研究所とは関係ないはずだが、一体何の用があるのやら。ともかくも、トライセン殿にとってはまさに災難としか言いようが無いな。


「ところで……報告会とやらの時間はよろしいので?」

「ん……げっ! まずい! すみませんがシェヴェロウスカヤ中尉。今日はこれで」

「ええ。また飲みにでも行きましょう」


 手短に挨拶を済ませると、二人ともバタバタと慌てて走り去っていく。その後ろ姿を見送り、私も詰所に戻ろうと歩きながらまた考え込む。


「研究所への入場許可、それと技術流出、か……」


 まさか、な。いくらなんでも露骨過ぎる……が、奴のオツムだしな。あまり考えてない可能性も否定できん。とはいえ、あれだけ伯爵家の一員であることにプライドを持っている人間だ。金にも困っていないだろうし、王国を売るような真似をする理由もない。

 頭を掻く。まあ事態は発覚しているんだ。あとはマティアスが何とかするだろう。忙しい上官に任せることにして、ひとまずは自分の職務に戻るべく私は軍本部を後にした。



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