2-3 迷子の迷子のお兄さん、貴方のお家はどこかな?



 さてさて。あの豚野郎とのやり取りからしばらくは何事もなく平和で精神衛生面でも肉体面でも健康な日々が続いていたが、本日は残念ながら夜のお仕事の日だ。

 もちろん夜がメイン営業の華やかなお店――などではなく、暗くて臭い下水臭にまみれたクソみたいな仕事である。ったく、契約とはいえうら若き乙女がするべき仕事ではないな。その分、食事(エサ)には困らないから助かるのは助かるんだが。


「――ニーナ」

「はいっ!」


 呼びかけると、ニーナが握っていた魔装具を投擲した。中々に豪快な惚れ惚れするフォームで投げられた魔装具は、逃げようとしていたミスティックを追い抜いたところで炸裂。ミスティックにも効果のあることが先日図らずも証明された、ニーナオリジナル魔装具による「壁」にミスティックが激突した。不意打ちの衝撃で思わず敵も仰向けに転がり、そこをアレクセイとカミルの射撃が正確に撃ち抜いていく。うむ、見事だな。

 動けなくなったミスティックへ近づいていくと、倒れたそいつは犬のような顔に浮かぶ赤い瞳で私をにらみつけてきた。

 本日の獲物はグールだ。通常なら人間の死体を運び出して食べるだけなので、見た目の根源的嫌悪感を無視すればそこまで害はない。が、こいつらは死体を喰らうために人を殺してしまった「堕ちた」グール連中だ。なのでこうして「駆除」対象とせざるを得ない。


「ふぅ……これで終わり――ッッ!?」


 ニーナがため息を漏らして気を抜いた直後、背後で水面が盛り上がった。

 黒く淀んだ水を割って現れたのは、同じくグールだ。下水の中に逃げ込んでいたらしいそいつが飛び上がり、鋭い鉤爪を振り上げている。ニーナは完全に反応できておらず、呆然とその醜悪な顔を見上げるばかりだ。阿呆が。勝手に警戒を解きやがって。


「――後で説教だぞ、ニーナ」


 だが部下のフォローも上官の役目だ。グールが腕を振り下ろすより早く魔法陣を展開して魔導を放ち、白い閃光がグールを木っ端微塵に吹き飛ばしていった。


「食事用に取っておかなくてよろしかったのですか?」

「曹長、貴様は下水塗れの肉を喰いたいか?」


 いくら栄養価の高い食事でも下水臭い肉はさすがにゴメンである。

 レーダーを持つカミルに残党がいないか確認し終えると、倒れたグールの元へ歩いていく。途中、呆けて座り込んだニーナに戒めの意味でデコピンも忘れない。


「油断するな。戦場では一瞬の油断が命取りになる」

「は、はい……すみません」

「だが、初陣にしては動きも悪くない。次も期待しているぞ」


 ちょっと慰めれば落ち込んでいたニーナの表情が一気に明るくなる。単純な奴だ、と思うが素直なのは悪徳ではあるまい。そんなことを考えながら私は――生きたグールに喰らいついた。

 うえぇ、というニーナのうめきをBGMにしながら一口かじる度に飢えが満たされ、血を飲み干す度に体が潤っていくのを感じる。そして心臓を喰らえば濃密な魂がエネルギーとなってまた一つ私の奥底へとストックされていき、その美味さにため息が漏れてしまう。

うん、悪くない。コイツらも結構なお手前だな。この間の妖精種は一匹変なのがいたが、今日のはみんな美味い。やはりこの間の奴だけが特殊だったんだろうな。


「……ミスティックってそんなに美味しいんですか?」

「私にとってはな。……お前も食べてみるか?」

「食べませんッッ!!」


 冗談のつもりだったが全力で否定された。こんなに美味いのに誰かと共有できないのは残念だ。ま、こんなのを美味いと思える存在になる必要など微塵もないが。私をこんな運命に突き落としやがった神どもへ心の中で中指をおっ立てつつ、最後に残った脚をむしゃむしゃと飲み込んでいく。


「でも……夜中にこんなことやってたんですね。全く知りませんでした」

「俺らも初めて聞かされた時は耳を疑ったもんさ。ま、大陸じゃ王国だけがミスティックを受け入れてるからな。殆どは人間社会に溶け込んで暮らしちゃいるが、数が多けりゃこういうおかしな連中も増えるってのは、人間もミスティックも変わんねぇ」

「市民に害を為す以上、放っておくわけにいかない。人々を守るためにもこういった活動は必要だ、トリベール特技兵」


 人もミスティックも、罪を犯せば罰せられるという原則は変わらない。一方的に迫害する聖教会なんぞよりよっぽど我々の方が寛大だよ。ま、一度堕ちてしまったらもう元に戻ることがないから死刑(私の腹)直行なのは不幸だとは思うがね。

 しかし……最近妙に堕ちたミスティックが多い気がする。今月に入ってこれで何回目だ? べらぼうに多いというわけじゃあないが……何か他所の国で聖教会が暴れてるのかもしれん。今度アレッサンドロにでも探りを入れてみるかね。

 そんなことをつらつら考えながら立ち上がる。と、私の耳が微かな物音を捉えた。

 反射的に魔導を魂から引き出し、相手の位置を捕捉。誘導魔導に貫通魔導を統合。組み上がった魔法陣が頭の中で描き上げられて、指先から白閃を放つ。そいつが高速で角を折れ曲がると、直後に人間の悲鳴が上がった。


「中尉っ!?」

「どうやら我々の他にもドブネズミが入り込んでいたらしいぞ」


 悲鳴を聞いてアレクセイとカミルは即座に戦闘態勢に入り、ニーナも腰の魔装具を握りしめた。対応が早い優秀な部下を持ったことに感謝しつつ、うめき声へと近づいていく。

 果たして角を曲がったところで男が一人、脚から血を流して壁にもたれかかっていた。足先から首元まで全身黒づくめ。見るからに怪しい。少なくとも我々と友好的な関係を築きたい相手では無さそうだ。それを示すように親の仇でも見るような視線をアレクセイとカミルに向け、しかしニーナ、私と順に視線が到着する頃にはそれが困惑に変わっていた。


「こ、子どもだと……!?」

「子どもじゃない。二十七の立派な淑女だ」


 後ろから「どう見ても子どもだよなぁ」とか「淑女……?」とか聞こえてくるが無視。失礼な評価の御礼としてスネに爆裂魔導(極弱)をお見舞いしてやると、男女仲良く喜んでダンスを踊ってくれた。ざまあみろ。


「さて、迷子の迷子のお兄さん、貴方のお家(うち)はどこかな? それとも留置場ブタ箱がお望みかな?」


 夜中にこんな格好で下水道をうろちょろしてるなどまともな奴じゃああるまい。おおかたどこかのスパイだろうが、だとすればぜひとも所属お家を聞き出したいところだ。


「おとなしく我々に付いてきてもらおう。そうすればこれ以上痛い目に遭わずに済むぞ?」

「……いや、その必要は無い」


 私としては温情をかけたつもりだったのだが、向こうから届いたのはそんな返事だった。抵抗しても無駄なんだが、とぼやいていると男が泣き笑いを浮かべた。その顔を見た瞬間、この野郎が馬鹿を考えているのが分かった。


「馬鹿っ、やめ――」


 男の口からカチッと音が響き、泡を吹いて倒れていく。すぐに胃の中身を吐き出させようとするが、時すでに遅し。無駄な行為だとあざ笑うように男は動かなくなった。

 クソッタレめ、なんてこった。ならば。悪態をつきながら私は男の首元にかじりついた。


「……ああ、クソがっ。ダメか」


 だが血を飲んでも男のことはもう殆ど分からなくなっていた。思わず壁を強かに叩いた。

 人間に限らず生物というのは記憶も知識も、魂喰いと繋がらない限り死んだ瞬間から加速度的に抜け落ちていく。この男の血を飲んで分かったのはせいぜいがブリティッシュ・サクソニアン人だということくらいで、所属もこんなところにいた目的もさっぱりだ。友人であるリスティナみたいな真祖の吸血鬼だったら血だけでもっと情報を引き出せるのかもしれんが、魂喰いである私じゃこれ以上は無理だろうな。


「逃げられないと分かったらすぐ自殺する見切りの早さ……こりゃ間違いなくプロだな」

「だろうな。マティアスに報告するにしろ、何かネタを持っていきたいんだが……」


 男の身ぐるみを剥がして持ち物を調べてみるが身分を示すような物は何もなし。プロなら当然だが……クソ、腹立たしいな。最後のあがきでもう一度血を啜ってみるが、やはり何も私の中に入ってこない。が、微かな「香り」が鼻腔をくすぐった。


「どうなされました?」

「いや……なんでもない」


 後ろ暗い仕事ではあるんだが、普段はさぞまっとうな生き方をしているのだろう。コイツの血は普通に不味い。が、それとは明らかに異質な、喉を刺すようなエグみがホンの一瞬、確かに過ぎった。


(この味……どこかで食べたような……)


 だがそれがどこか思い出せない。喉の奥を骨でくすぐられているようななんともむず痒い感覚を残し、結局遺体だけを回収して今日の仕事をお開きにしたのだった。



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