2-2 私の気分は最高に最低である



 今日という日は朝からなんとも快適な日だった。冬の寒さはすっかりと遠ざかってどこまでも晴れ渡った空と日光がもたらしてくれる暖かさはすこぶる気持ちが良い。仕事なんぞほっぽりだして朝からどこかの芝生の上に寝転んで旨い酒をかっ食らうことができたら最上ではあるが、そこは望むべくもなし。それでも私の淹れたコーヒーを、朝からアレクセイに「豆が可哀想です」と酷評されても、隊員の装備を実はドジっ子だったニーナが盛大にすっ転んでぶちまけても、笑って受け流せるくらいには気分が良かった。

 にもかかわらず、だ。今の私の気分は最高に最低である。

なぜか。決まっている。今、目の前で臭い豚が得意げに立ち塞がっているからである。


「ふん、恥ずかしげもなく軍に養ってもらっておるのだな。生意気な。王国の紋章は貴様のような乳臭い女、それも子どもが付けて良いような安っぽいものではないというのに」


 巡回をしていた私たちの前でまるまると太った体を大きく揺らして私に向かってそう吐き捨てたのは、豚のような肉体のカールハインツ・アスペルマイヤー大尉殿だ。腹は突き出て顎は二重どころか三重という軍人らしからぬ体格。軍人っぽいところを挙げるなら、ピシッとしたカイゼル髭くらいだろうか。そこは気を遣わなくていいと思うのだが。

そんな彼はお隣の第十二警備隊の隊長であり、アスペルマイヤー伯爵家の三男でもある。どう見ても軍人という見た目ではないのだが、そこは名門伯爵家の出身。すでに没落した旧名家だが、先代は中々に御方だったようで、彼が世話した軍上層部がゴリ押しで将校にさせたともっぱらの噂である。もっとも、当人は未だに伯爵家の権勢が生きている証左だと、身分差が小さくなったこのご時世においても勘違いしていらっしゃるようだが。

チラリと振り返りノアを見る。ほら、よく見ておけ。これが以前お前の言っていた貴族社会の悪しき慣習例だぞ。目でそう伝えると、ノアが顔を引きつらせて目を逸らした。


「閣下はご冗談が上手だ。非力ながら小官も鋭意職責を務めさせて頂いております」

「貴様の様な子どもに職責など務まるはずがなかろう。さっさと軍服など脱いで御主人様に奉仕でも行ったらどうだ?」


 豚、じゃなくてデブ……じゃない、もう豚でいいか。豚が年齢の割りに老けたツラを向けて鼻で笑ってくるが軽く受け流す。この豚と接する時は神より寛容な心が必要だ。


「まったく、このような人間が伯爵家の三男である私と同格の隊長職だとはな……まったく気に食わん話だが、今日のところはまあいい。そんなことよりも、だ」


 おい、と後ろに控えていた部下に合図を送ると、後ろから縄で縛った男を引きずってやってきた。気を失っているようで、雑に放り投げられるとそのまま私の前に転がった。


「たまには手伝いでもしてやろうと思ってな。貴様らの担当地域を巡回してやっていた時に見つけた薄汚い盗人を捕まえてやっておいた。感謝したまえ」

「それはそれは。お手数お掛け致しました」


 余計なお世話だと言いたいが、口に出すのも面倒なので適当に礼だけ述べておく。


「聞いたぞ? どうやら貴様ら十三警備隊の管轄内で犯罪が増えているそうじゃないか? やはり隊長が女で子どもだから舐められているのではないかね? んん?」


 ニタニタ顔から吐き出された臭い息が吹きかかって思わず顔をしかめざるを得ない。まったく、魂は美味そうなのにな。

 まあ、それはおいといて、だ。こうして事ある毎に嫌味を言ってくるこの豚は、要するに女かつ子供である私を追い出したいわけだ。私は子供ではないがそれはさておき、女子どもは黙って男に奉仕しろ、などという時代遅れも甚だしい価値観には辟易してくる。そんな世界で生きてたいなら素直に豚らしく屋敷(豚舎)で飼われていればいいのに。別に私を嫌いでも構わんが、わざわざ私たちの管轄まで出張ってきてなんとも暇なものだ。ちなみにうちの管轄の犯罪発生率は王都で一、二を争うくらい低いと言っておこう。


「お言葉ですが、閣下。我々は我々の責務を十二分に果たしております。むしろ――」

「言い訳など聞きたくないわ、このたわけっ!!」


 私が反論しようとすると、今度は急に怒鳴り散らかす。まったく、大声上げれば黙るとでも思っているんだろうか。思っているんだろうな。阿呆だし。

 はぁ、馬鹿らしい。が、一応は私より階級は上である。付き合うのも面倒だし、ここは「はいはい」と適当に応じておいてさっさとずらかろう。その方が精神衛生的にマシだ。

 とってつけたように「申し訳ありません」と口にすると、満足してくれたようで、腕組みして偉そうにとうなずきやがる。単純なヤツだ。さて、これでお豚様も満足だろう。

全員に回れ右を指示し、命令どおりさっさと消えてやろうとしたんだが、そこで豚が「待て」と呼び止めて隊員たちへ近づいていく。何をするつもりかと思えば、その豚足のような太い腕をニュッと伸ばし、ニーナを強引に抱き寄せて下卑た視線を胸に向けた。


「……なんだ、『腕無し』か。まあいい。よし貴様、今日から私の隊に入れ。私が直々に毎日可愛がってやろう」

「い、いえ……その、臭い……じゃない、私は今の隊に入ったばかりなので遠慮――」

「んん? 嫌と言うのか? ふん、自分の立場が分かっていないようだな。だが気に入った。その体に世の理というものを教えこんでやろうではないか。もちろん私の屋敷でな」


 いやらしい眼差しと下卑たセリフを浴びせると、脂肪まみれの指を青い顔をしたニーナの胸へと伸ばしていこうとする。

 が。


「私の可愛い部下です。そのようなことは専門の女性を相手になさるのがよろしいかと」


 汚い指が胸に届く前に掴んで止める。確かにニーナの胸はさぞ触り心地はいいだろう。だがさすがにセクハラは看過できないな。おまけに――「腕無し」などと侮辱しやがった。


「ぐ……」


 掴んだ腕に力を入れて豚をニーナから引き剥がす。正直、この前足も引きちぎって「腕無し」にしてやりたいところだが、私は寛大だ。それは自重してやろうじゃないか。


「ぬぅ……! 貴様ぁ!」


 掴んだ腕の力を緩めてやると前足をさすりながら顔を真赤にした。こうなると豚というより猿か。いや、豚や猿の方がマシかもな。この際だ。さっきまで散々された私への侮辱も晴らさせてもらおうか。豚大尉の顔をマジマジと眺めてフッと鼻で笑ってやると、豚は湯沸かし器のごとく頭から蒸気を吹き出しそうな勢いで殴りかかってきた。


「この下等な平民女風情がぁ……のわぁっ!?」


 だがそんなテレフォンパンチに当ってやる義理もない。振り下ろされた前足をすっと避け、すれ違いざまに脚をちょっとだけ伸ばしてやる。鍛錬もしてない、たるみきった体の豚だ。ちょっと私の脚に引っかかっただけで勢いよく転がってドブにご挨拶していった。


「大丈夫ですか、閣下? ああ、立派なお髭がヘドロに塗れて……よくお似合いです」

「おのれぇ……!」


 顔を真赤にしてもはや焼豚になった豚が、怒りに任せてなおも殴りかかってくる。その拳を私の顔面に届く前につかんで止め、そしてそのまま奴の背後に回り込むと――そのケツに思い切り蹴りをぶちかましてやった。

 「ぶぎぃぃっ!?」と悲鳴と共に鈍重な体が景気よく吹っ飛んでいき、そのまま近くにあった空き樽へとゴール。けたたましい音を奏で、豚野郎は白目を剥いて気を失った。


「やれやれ……おい、そこのお前」

「ひゃ、ひゃい!? しょ、小官でしょうか!?」

「そうだ。貴様らの大好きな大尉閣下殿はさぞお疲れのようだ。連れて帰って休ませて差し上げろ――今すぐにだ」

「しょ、承知致しましたっ!!」


 少しにらみつけてやりながら言い含めると、彼の部下たる十二警備隊の連中が数人がかりで何とか抱え上げ、私から逃げるように走り去っていった。見た目からしてかなり重いだろうとは思っていたが、軍人数人がかりでやっと抱えられるくらいとは、いったいどんな食生活してるのやら。あ、顔面から落ちた。別にいいか。

 何も見てないフリをしつつ、ふと足元に視線を落とすと紙切れが一枚落ちていた。拾い上げて中を見てみれば、金額だけが書かれた借用書だった。落ちぶれたとはいえ伯爵家。金融業にも手を出したとは耳にしたことがあるが、まだ人様に貸すだけの金はあるらしい。

 まあそんなことはどうでも良くて。


「大丈夫か、ニーナ?」

「は、はい。大丈夫です。あの、ありがとうございます、その……守って頂いて」


 礼などいらん。上官として部下を守るのは当然だからな。そう言ってやるとニーナは嬉しそうに微笑んだが、段々と表情が曇っていく。どうかしたか?


「えっと、バリバリの軍人さんの世界がどういうものか分からないんですけど……大丈夫なんですか? さっきのぶ……じゃない隊長さんを思い切り蹴飛ばしてましたけど」

「そーだぜ、隊長」


 後ろから現れたカミルが、ニーナの頭にぽふっと手を乗せながら会話に入ってきた。


「こっちもスッキリはしたけどよ、仮にも上官だろ? まずいんじゃねーの?」

「心配は要らん」


 普通なら大問題だが、相手がアスペルマイヤーだからな。悪名は王都の軍中に広まっているし、奴が何か喚いたところで真面目に相手にする人間などいないだろうさ。


「なら良いけどよぉ……頼むぜ、マジで」

「なんだ、心配してくれてるのか?」

「当たり前ですよっ!」


 カミルが大きなため息をついたから茶化してやろうと思ったんだが、そしたらニーナが大真面目の本気で真剣な顔で割り込んできた。


「万が一にもアーシェさんがいなくなったら、私たちどうすれば良いんですかっ!」

「どうするもこうするも、別に代わりの隊長が来るだけで貴様らは何も変わらんだろう?」

「はぁ……ったくよ」カミルが今度は私の頭をむんずとつかんだ。「俺らがまだ軍人やってんのは、アンタがここにいるからなんだぜ? アンタが頭(・)だからこそ俺らもニーナの嬢ちゃんも喜んでアンタのために働いてんだ。それを忘れねーでほしいんだわ。な?」


 カミルが同意を求めると、ニーナが物凄い勢いで首を縦に振った。部隊の連中に視線を移せば、全員そろってうなずきやがる。いったいどうして私が説教される流れになったのかがさっぱり分からんが……まあそれだけ私に人望があると思っておこうじゃないか。


「そうそう。だからいつまでも元気に俺らの上司でいてくれよ?」


 ったく。私のどこにそんな要素があるのやら。全員目が節穴だな。

 だがまあ、悪い気はしない。とんだ災難に遭遇したが、最後にはいい気分で今日の巡回を終えることができたことについては、貴様らに心から感謝しといてやろうじゃないか。



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