File2 理不尽な隊長

2‐1 いつ来てもここの空気は最悪だ

 唐突ではあるが私は今、猛烈に気分が悪い。体調的には健康優良児なみに元気なのだがとにかく不愉快という意味で気分が悪いし機嫌も悪い。それは何故かというと、ひとえに私がいる場所が問題だからだ。

 軍人としての職場である王都・ベルンでも無いし、週末を過ごす山の中の教会でもない。私が今いるのは、隣国神聖ロマーナ北部・トレヴィノという街の大聖堂だ。

 魂喰いたる私は本来、教会の排斥対象だ。だから連中にちょっかい出されず平穏無事に過ごすためには、面倒なことにシスターとして月一でここに顔を出さねばならん。そういう契約になっているから仕方ないのだが、いつ来てもここの空気は最悪だ。

 上層部はともかく、一般的な信徒は本気で自らを神の下僕と信じている善人だから魂は不味そうだし、何よりここは神(クソ)のもたらす神聖な空気に満ちている。通路の両脇には神を象った偶像や宗教画が一定間隔で並んでいて、叶うなら一つずつ引きちぎってそのケツに穴を開けて指を突っ込んでやりたいくらいだ。そんな感情を押し殺し、案内役司祭の後ろでニコニコと敬虔なシスターの面を被っている私は称賛されて然るべきだと本気で思う。


「こちらで少々お待ち下さい。ジェスター司教にお声を掛けて参りますので」

「かしこまりましたわ。いつもご案内、誠にありがとうございます」


 可愛らしい少女の口調で壮年の司祭を労ってやると、まるで孫を見るような目で「これもお役目ですので」と返される。何か腑に落ちないが笑顔の仮面で司祭を見送った。

 待つこと一分ほど。先程の司祭が中から促してきたので、ため息を吐いて部屋に入る。そこはいわゆる小聖堂で、部屋の中央では太った司教が偉そうにふんぞり返っていた。

 仮にも聖職者である。にもかかわらず高そうな貴金属類を首や指にこれ見よがしに着けてて、思わず私は口元がニヤついた。さっきまでの神聖な空気感と違って、ここはいかにも美味そうな匂いが充満している。たぶん普段からコイツがここを占領してるんだろうな。


「こんにちは、ジェスター司教様。今月もご挨拶に参りました」

「ふん、もうそんな時期だったか。ご苦労」

「司教様のご尊顔を拝見させて頂くのに、苦労など感じようはずがありません」


 見え見えのおべっかなんだが、小太り司教は下品な顔を満足気にほころばせた。 気持ち悪いからその顔は神どもだけに向けてくれ。


「報告は受けている。キチンと主が与えられた責務を果たしているようだな。先日もヘルヴェティア王都に逃げ込んだ悪魔どもを速やかに葬ったと聞いている。主もきっと喜ばれていることだろう。だが――」


 ジェスターのクソが虚空へと手を伸ばした。そしてその手が微かに光を帯びた瞬間、私の魂が鈍い痛みを覚えた。

 私の魂には教会謹製の拘束魔導が掛けられている。本来は私が教会の意に沿わない行動をしたり歯向かったりした時に行動を制限するためのものだ。だがこのサディスティックな変態司教は、今みたいに無関係なタイミングでわざと発動させ、人様が苦しむ姿を見て喜んでやがるわけである。ぜひとも私ではなくマゾのアレッサンドロにやってほしい。


「うっ……」


 うめき声を出して、大げさにその場に崩れ落ちてみせる。すると小太り司教は満足そうにニヤついた顔を浮かべた。頼む、顔をこっちに向けないでくれ。


「主の御心にそぐわぬことを企てるとこうなるわけだ。くれぐれも心に留めておくように」

「心しておきます」


 まあ、いつでも解呪できるんだがな。そんな事実は私の中だけに固くかたーく仕舞っておいて、司教に頭の上がらないの役目を誠実に果たす振りをしたまま、私は恭しく一礼して部屋を辞した。

 やれやれ、このために毎月国境を越えねばならんのだから、全く以て非合理的だ。だが、たったこれだけで私に首輪を付けたつもりでいてくれるのなら、この程度甘受してやるのもやぶさかではない。とはいえ、用が終わったのなら一秒でも早く退散したいところだ。

 早く帰ってこの疲弊した私の繊細な心を酒で癒やしてやらねばな。マティアス辺りからツッコミが飛んできそうなことを嘯きながら、私は大聖堂を後にした。



――Bystander


「ふん、悪魔が賢しらに人間のフリをしおって」


 アーシェが辞して一人になった途端、ジェスター司教は扉に向かって吐き捨てた。いくら幼い少女の見た目であろうともミスティックはミスティック。魂を魔導で縛るなどというまどろっこしいことなどせずに、殺してしまえば良いものを。教皇や枢機卿たちの日和った判断を思い出し、彼は忌々しげに顔をしかめた。

 だがそんな悪魔の生殺与奪を自分が握っているというのも存外に気分が良い。椅子に座ったまま彼はグラスの赤ワインを傾け、気持ちよさげに口元を緩めた。そのうちあの女の心をへし折ってやって、自分の従順な下僕にしてやるのもいいかもしれない。未成熟な肉体だが、その抱き心地は如何なるものだろうか、と下卑た妄想を繰り広げていた時だ。

 突然後ろから肩を叩かれ、彼はワインをこぼしながら飛び上がった。


「っ……!? こ、これは使徒様……!」


 白い袖を赤く汚しながら振り返る。そこにいたのは教会の信徒と同じく、全身白ずくめの衣装に身を包んだ女性だった。被った白いフードから覗く髪もまた白く、目元は前髪で隠されている。痩身で女性にしてはやや高い背丈の彼女の前に司教はひざまずくと、ヘラヘラと媚びへつらった笑みを浮かべ、脂汗を流しながら見上げた。


「よ、ようこそいらっしゃいました! そ、それで本日はどういったご用件で……?」

「警告を与えに来た。未だ寄付金の提供を受けていない」

「……あ、ああ、その件でございましたか」司教は胡散臭い笑みで手揉みした。「も、申し訳ございません。主上の下僕(しもべ)たる使徒様にはぜひとも微力ながらお力添えしたいとは考えているのですが、な、なにぶん、その、教会の運営にも資金が必要でして――」


 司教が言い訳を口にする。だが途中で言葉が途絶えた。

 使徒と呼ばれた女性の腕が、司教の首をつかんでその重そうな体を軽々と持ち上げていた。司教は苦しげに脚をばたつかせ、何とか解こうとする。しかしどれだけ彼が力を入れても、首をつかむその手が解ける気配はない。

 使徒のもう一方の腕も司教の首に伸びる。そして宝石が散りばめられた首飾りを無理やり引きちぎり、指輪類も抜き取るとそこでようやく解放した。


「再度警告する。未だ寄付金の提供を受けていない」

「げほっ、ごほっ……! しょ、承知致しました……主の敬虔な信徒たるこのジェスター、す、速やかに協力させて頂きます……」


 司教は体を震わせ、怯えた笑みを浮かべて約束した。だが。


「もう一つ、要求がある」


 使徒がさらなる要求を告げると、司教は不格好な笑みのまま固まったのだった。



「こ、こちらが当大聖堂の禁書庫でございます……」


 言われるがまま、司教は使徒の女を地下深くにある図書室の禁書庫へと案内した。様々な稀覯本が集まるこの場所は、本来なら大聖堂の管理者である司教であっても容易に入ることは叶わない。が、頑なに拒否する司書を強引に押し切って入室したのだった。

 共に入室した使徒の女はジェスター司教に感謝を示すこともなく奥の方へ進み、とある棚の前で立ち止まった。

 そこは遥か昔の魔導書が並ぶ棚だ。現代魔導の原初とも言える魔導や、すでに忘れ去られたもの、或いは禁術とされたものなどが記載されているものもある。大部分はすでに廃れた魔導で稀覯本としての価値しか無いとみなされているのだが、彼女はいくつかを手に取りめくっていく。やがて一冊の本を眺めていると、その手が止まった。


「へ……? え、あ、あのぉ使徒様……その本を懐に入れてどうなさるつもりで……?」

「借りていく」

「い、いやそれは困ります! ここの本は厳重に管理されていて、万が一にも持ち出したことが分かればそれこそ私の首が――」


 司教が必死に止めようとするも、使徒は彼を一切顧みることなく図書室から出ていく。そして。


「あ、あれ……使徒様?」


 一歩遅れて司教が図書室から出ると、そこに使徒はいなかった。司書には席を外すよう命じたので誰もいない。完全に見失ってしまっていた。


「ああ……」


いったいなんと言い訳をするべきか。司教は頭を抱えてその場に崩れ落ちたのだった。


Moving away――




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