1-11 死にたく……ない……!
――Bystander
誰しもが寝静まった深夜の街を月明かりと街灯だけ照らしている。吹き抜ける風が心細い音を立て、昼間は王国一の賑わいを見せる王都であってもこの時間だけは全ての時が停止したかのような静寂に包まれていた。
そんな中をニーナは一人歩いていた。
「……あそこの魔法陣をこうすれば魔素伝導性が上がって……あ、でもならこうした方がベース性能自体は……」
特に用事があったわけではない。遅刻癖があるにもかかわらず趣味の魔装具作りに没頭してしまった結果、すでに時計は深夜一時半を指していた。今更寝たところで寝坊は確定。ならば、と彼女は「寝坊するなら寝なかったらいいじゃないっ!」という、アーシェから「バカか?」というありがたいお言葉を頂戴すること必至な案を思いついて実践していた。
眠気を覚ますため、足の踏み場も無いほど工具類で散らかった部屋からまだ寒い夜の街に彼女は出た。だが途中で思いついた魔装具のアイデアを検討しているうちに、気づけば見慣れない場所にまでたどり着いてしまっていた。
「あ、五番街まで来ちゃってたんだ」
標識を見て気づく。ちょっと歩くだけのつもりだったが結構遠くまで来てしまった。
そろそろ戻ろうと踵を返した彼女だったが、遠くに何か白くぼんやりしたものを捉え立ち止まる。よく目を凝らしてみるが、姿がハッキリしない。
「ひょっとして……」
おばけだろうか。いやいや、そんなまさか。彼女は首を振り、しかし気味が悪いのは悪い。身震いすると、その白い不気味な何かから離れようと背を向けた。
だが不意に彼女は、魔素が急速に近づいてくるのを感じとった。
「な、にっ……!?」
とっさに地面に転がる。すぐ頭上を光の線が走り抜けていき、地面に着弾して削り取られた破片が降ってきた。着弾点は鋭利に削り取られ、彼女はゾッとした。寒気を覚えながら後ろを振り向き、そして今度は顔をひきつらせた。
「よ、妖精種……!?」
ぼんやりした輪郭が次第にはっきりしてくる。おぞましい醜悪な姿。昔、まだ田舎の村に住んでいた時に見たことがあったので、彼女はすぐに正体に気づいた。
「■■、■■■っ――!!」
「いやああぁぁぁっっっっ!!」
腹に大きな穴を開けた妖精種が両腕の鋭い爪を振り上げて彼女を八つ裂きにしようとしていた。ニーナは悲鳴を上げ、それでもなんとか震える足で転がるようにして回避した。
鋭い爪が彼女の腕をかすめ、コートの袖を斬り裂いていく。直撃こそ免れた。だが妖精の一撃は地面を強かにえぐり取っている。まともに喰らえばニーナの命など一瞬で消え去ってしまうことが容易に想像できた。
「なにか、なにかっ……!」
死を直感し、助かる術を求めて彼女はポケットをまさぐった。すると金属の塊に触れる。それが昼間に使った閃光魔装具の残りだと気づいて、考えるよりも早く眼前に再度迫っていた妖精めがけて投げつけた。
彼女と妖精の間の至近距離で激しく閃光が迸る。夜が一瞬で昼間に化け、目を閉じてなおニーナの視力を奪う。だが、それ以上に光を嫌う妖精にとって効果はてきめんだったようで、耳障りな悲鳴を上げた。
ニーナはよろめきながら立ち上がり、どこへともなく走り出す。直視は免れたので徐々に視力は戻ってきているが平衡感覚は狂い、まっすぐに進むことさえ覚束ない。
振り返れば妖精の方はすでに回復し、ニーナを追いかけ始めていた。予想外の反撃を喰らったためか、上げる奇声にも怒りが込もっている気がする。ニーナは必死に脚を動かす。
だが妖精の方が速い。容易く追いつかれ、再び彼女めがけて妖精がその腕を振るった。
ニーナはとっさに左腕でガードした。だが戦闘用ではないその義手は妖精の一撃に堪えきれず、コートの袖ごと肘から先が呆気なくちぎれ飛んでいった。
「……ぁぁあああっっっ!!」
義手と繋がっていた神経が瞬間的に絶たれ、激痛に意識が飛び、また激痛によって意識が引き寄せられる。幸いなのは痛みが一瞬で終わることか。転がりながら、ニーナはまだ自身が無事であることに感謝した。
しかし脂汗を流す彼女の目には、自身に迫りくる異形の妖精の姿が映っている。
(死にたく……ない……!)
絶望が押し寄せてくる。それでも生き残るため、彼女は足掻くのを止めない。生身の右手でズボンのポケットをまさぐると、そこにあった物を確認もせずとにかく投げつけた。
「■■■っ!?」
飛んでいったのは彼女オリジナルの魔装具だった。小さな三つの魔装具が妖精の前に散らばり、中心で魔法陣が輝く。そして――爪を振り上げ斬り裂こうとしてきていた妖精がバァン!と音を立ててぶつかった。
「や、やった……のかな……!?」
出来上がったのは透明な壁。それに激突したせいで顔が歪み、妖精が間抜けな醜態をさらしていた。が、ギョロリと赤い瞳がニーナをにらんだ。
安堵したのもつかの間。ニーナは顔をひきつらせながら、ソロリソロリと後退していく。そして背を向けて走り出した途端、バリンッとガラスが割れる音と甲高い奇声を聞いて壁が壊れた事を彼女は悟った。
「えっと、えっと……他には……これっ!」
左腕を無くし、バランスが悪い状態で走りながらニーナは腰の辺りを探る。吊り下がっていた金属片を力任せにちぎると、再び妖精に向かって投げつけた。
妖精が腕で振り払い、金属片が砕ける。すると今度は小さな魔法陣が大量に浮かび、餅の様な物が妖精の手足にまとわりついていった。
「よしっ!」
ニーナが投げたのはまたもオリジナルの魔装具だ。こちらは動作確認もしていない試作品だったが、たまたま持っていたそれがうまく作動してくれ、大きくガッツポーズをした。
しかし。
「うまくいって――ないぃぃぃッッ!?」
ニーナが投げた魔装具は所詮、対悪漢用の防犯グッズであった。あくまで足止め用の道具で、相手を撃退したり昏倒させる効果はない。まして相手は人智を超えた存在。ほんの僅か、妖精を困惑させただけで足止めとしての効果は殆どなかった。
再びニーナは走り出す。だが疲労と恐怖からかすぐに脚がもつれて転倒してしまった。打ち付けた膝が痛みを訴えてくるが、それを気にしている余裕は無かった。
肩を歪な手のひらが掴んだ。振り返れば、ニーナの眼前で妖精が笑っていた。むき出しになった牙が首元に食らいつき、そして自分は死ぬ。容易に想像ができる未来に抗おうと腰元をまさぐるが、もう抵抗できる道具はない。もうダメだ。ニーナは身を強張らせた。
妖精の歯がニーナの柔らかい肌に食い込む。突き刺さったその激痛がニーナの脳に響き、彼女の意識を蝕んだ。
その瞬間、世界が止まった。比喩ではなく、文字通り止まって彼女には見えた。
目の前には醜悪な妖精。その荒い息遣いまで聞こえてきそうだが、瞬きさえせずニーナの肩をつかみ、首筋に歯を突き立てている。
やがて世界が巻き戻っていく。妖精の歯が引き抜かれ、後ろに下がって立ち止まる。先程のトリモチに困惑した状態に戻ったところで時間は秩序を取り戻し、再びニーナ目掛けて妖精は襲いかかってきた。
ニーナは我に返り、そして駆け出した。何が起こったのか理解できない。それでも今は逃げるのだ。生き残るために。
しかしながら未来が変わったのは所詮数秒でしかなかった。すぐに彼女の肩をもう一度妖精がつかみ、振り返れば妖精がまた大きく口を開けていた。
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