1-9 貴様らの魂ごと、喰らってやる
タバコに火を点け、私は空を見上げた。夜空には黄色い月が、薄っすらとした雲越しに顔を覗かせていた。そこめがけて息を吐き出せば白い靄となって月明かりを遮断した。
時刻は午前一時。人の姿も殆どない。仕事がやりやすいベストな状況だ。
「……冷えるな」
タバコをくわえたまま思わず独りごちる。垂れそうになる鼻水をすすれば、近くを流れる下水の悪臭がツンと鼻を刺激してつい顔をしかめてしまう。
「申し訳ありません、遅れました」
「ふわぁぁ……眠ぃ」
湿った壁にもたれていると、アレクセイとカミルがやってきた。二人とも私と同じく全身真っ黒な戦闘服を着用し、背中や腰には今回の仕事用魔装具や特殊魔導銃が吊り下げられている。そして私には不要だが、額にはミスティックが姿を隠しても見えるよう専用魔導が付与されたゴーグル。それらを軽くチェックしてみるが、うむ、問題は無さそうだな。
「では行くぞ」
街の外れにある、最新魔導をフル活用した下水処理施設。そこから街の地下へと潜っていくと後ろのカミルが、まさに苦虫を噛み潰したという感じでつぶやいた。
「うへぇ……くっせぇ。たまんねぇな。なぁ、帰っていいか?」
「同感だ。私も一刻も早く帰ってシャワー浴びたい」
何度来てもここの臭いは最悪だ。処理施設を通過した後ならまだしも、直前だからな。鼻がもげそうだよ。まったく、どうしてアイツらはこうも地下に集まりたがるのか……
「奴らは光を嫌いますからな」
「分かっている。愚痴ってみただけだ」
ヘルヴェティアでは基本的に神秘的存在を迫害も追い出しもしない。が、あくまでそれは理性的な連中だけだ。濃い魔素に浸かり過ぎたり信仰による力を得られなかったりして理性を失い堕ちてしまえば、奴らはもはや人類の隣人ではない。意思疎通もできず、精神に干渉して人間を犯罪に走らせるか、あるいは直接人間を喰らおうとしてくるからな。
「ミスティックの奴らの境遇を知ってしまえば同情もしたくなりますが……」
暗くて臭いという地獄の様な地下通路を歩いていけば、アレクセイのつぶやきが静かに反響した。隣でカミルも同意する。
ミスティックは人間よりも上位の存在だった。が、人類の技術が発展してミスティックの存在を必要としなくなったのに加えて「神」が人類側に明確についたことで奴らは信仰という拠り所を失った。理性を失い、陽の当たらない穴蔵にたむろする連中が大量に増えて、結果こうやって我々が深夜に出張らなきゃならんわけだ。チクショウが。
「とはいえ、見過ごすわけにいくまい」
本能で動いている連中にしてみれば、人から多大な畏怖を頂戴していた過去と同じ仕草なのだろうがな。残念ながら人類は奴らに対抗する明確な術を手に入れてしまったし、
「カミル、連中の居場所は?」
「ちょっと待ってくれよっと……この先二時の方角。距離三百ってとこだな」
カミルが手のひらほどの魔装具をにらみながら返事をする。ミスティック用のいわゆるレーダーだが、一般には出回らないその小さなモニターには光る点が幾つか点滅していた。
人間相手の魔導や魔装具の点で王国は他国の追随を許さないが、ことミスティックに関しては聖教会には及ばない。まったく、アイツらのこの情熱を胡散臭い説教じゃなくて人間を対象とした技術開発に向ければ世の中もっとマシになるだろうに。面倒くさいから口にはしないが。
さて、そんな事を考えていると特に問題なくミスティック共のすぐそばに到着した。物音を消す魔導を展開し、壁から顔を出してそっと様子を窺う。
「やはり妖精種か……」
妖精種、と聞けば大多数の人間は小さくて可愛らしい姿を想像するだろうし、実際健全な奴はそれで間違っちゃない。だが、今目の前にいるのはそんな愛らしいもんじゃない。
人間大にまで姿が膨張し、その輪郭が曖昧にぼやけている。手足は猿みたいに不自然に長く、顔は不細工な猫みたいだ。色彩は白っぽく単調で、そのくせ尖った牙の隙間から覗く舌と両目は真っ赤。どうあがいても感情をネガティブ方向にしか刺激しない。どこの絵心皆無な「画伯」が描いたんだと叫びたくなる醜悪さだ。そんな奴らがパタパタと可愛らしく翼を羽ばたかせて浮いている姿はシュールにも程がある。それが五匹。一匹はなぜか白いマントみたいなのを着てるが、教会の人間から奪ったのかもしれんな。
「なら教会連中に目をつけられてもしゃーねぇな」
「奴らの執念深さを考えれば、辿る結末は同じだろうさ。さて――私が先行して三匹は引き受ける。貴様らは残りをやれ。数が数だ。最悪、逃げられんよう足止めでも構わん」
「了解」
「では――防御魔導を展開。分かってると思うが、連中は我々の血肉よりも精神が好物だ。物理だけでなく精神側の防壁を展開させ、決して近づかせるなよ」
指示すると二人の前で魔法陣が輝く。私含め全員が魔導銃を構え、呼吸を整える。
そして――私は突撃した。
「■■■■――ッッッ!?」
「耳障りな声で騒ぐんじゃ――ないッッ!!」
私たちの姿を認め、一斉に妖精たちが騒ぎ出す。形容しがたい耳障りな声を上げ、そのうちの一体が肥大して異形となった腕を私へと振り下ろしてくる。
「ふっ!!」
体を捻ってその攻撃をかわし、腕で殴り飛ばす。対ミスティック用の特殊魔導をまとわせたおかげで効果は絶大。殴られた一体が勢いよく壁に叩きつけられ倒れてピクピクと震えた。このまま喰らいつきたいところだがそれは最後のお楽しみだ。よだれを飲み込み、そいつの横を走り抜ける。
突き進む私へ、一斉に連中固有の魔導を放ってくる。が、無駄だ。全面に展開した防御魔導で全てを弾き返し、逆に私から銃撃をお見舞いしてやると、紫の血を撒き散らして次々と悲鳴を上げていく。
「逃げられると思うなッ!」
身をかがめ、向かってきた妖精たちの間をくぐり抜けて、一人逃げようとしていた白マントの妖精を追いかける。こういう時はこの小柄な体に感謝してやってもいいな。
地面を蹴り飛行魔導で低空加速し、追いついた相手の脚を掴む。そのまま力任せにぶん投げてやれば、他の妖精連中にヒット。まとめてなぎ倒されていった。うむ、我ながらナイスストライクだな。
さてさて、これで前はアレクセイとカミル、後ろは私。妖精どもの逃げ道は塞いだ。通路で仁王立ちをして見下せば妖精たちの私たちを見る目が変わった。赤みが増し、眼光が鋭く牙が伸びていく。深い憎しみを抱いた良い目だ。せっかく戦うんだ。そうでなければな。慈悲を乞うような眼差しよりよっぽど良い。
キーキーという耳障りな鳴き声が消え、殺意ばかりが満ちていく。向けられる殺意を受け止めつつ親指で自分の首筋をすっとなぞれば、高揚感に口端が歪んだ。
「――来いよ。貴様らの魂ごと、喰らってやる」
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