File1 王都を守るお仕事
1-1 見た目によらないことなぞ、腐るほどある
まだ夜が明ける前。うめき声と共に目を覚ました私は洗面所に向かう。
歯を磨きながら寝ぼけ眼(まなこ)を開ければ、鏡には目つきの悪い少女――つまりは私がいた。
赤毛の髪は寝癖でボサボサ。伸びる手足は細く、ぺったんこの胸は完全にお子さま体型で、毎朝見るたびに鬱屈した感情が湧き上がるが、それを冷水で頭から洗い流せばすぐにいつもどおりの自分が戻ってくる。この切り替えの早さは私の数少ない美点の一つだろう。
ダークグリーンの制服を着て身支度を整え終えると、荷物が詰まったアタッシュケースを掴んで一階へ。まだ寝ているサマンサにいつもどおり書き置きをしてから礼拝堂へ向かう。そこで高みから見下ろしてくる神の偶像(クソッタレ)どもに中指をおっ立てると、刺すように冷たい外に出て大きく息を吸い込んだ。
「さて、面倒だが――今日も行くとするか」
肉体に刻まれた魔導回路。そこに魔素が流れ、魂に記憶されてる魔法陣を起動させ、並列演算処理を開始。すると体が一気に空へと舞い上がり、そこから南――平時の職場であるヘルヴェティア王国首都・ベルンへと飛行していく。
「……さすがに寒いな」
春が訪れたとはいえ、シュオーゼ大陸の中心に位置し、四方を険しい山々に囲まれたヘルヴェティアだからな。いくら私が寒さに強いとはいっても、上着を着てくれば良かったと今更ながらに後悔する。
口から出ていく白い息に時折目を遣りながら一時間半ほど翔び、空が瑠璃色に変わってきた頃、ようやくベルンの巨大な外門が見えてきた。
「おはようございます!」
「おはよう。朝からご苦労だな」
地上に降り、朝早くにもかかわらず職務に忠実な門兵と挨拶をかわす。そしてすぐ近くにある停留所から巡回バスに乗り込んだ。
最近配備が完了した新型魔導エンジンを組み込んだそれに揺られること約十五分。王都北東部にある朝市広場に到着し、店主たちの売り口上なのか喧嘩してんのかよく分からん怒鳴り声を聞きながらそこを通り抜けると、やっと職場が見えてきた。
石造りの二階建て。白壁は薄汚れたうえにあちこちが欠けていて、入り口に掲げられているのはハンドメイド感満載の看板。そこには汚い文字で「王国陸軍首都防衛本部警備警察大隊第十三警備隊」と書かれている。
「……まったく、自分で希望したとはいえ面倒な通勤だな」
通勤時間、二時間。月から金までは首都で宿舎に泊まりながら軍警察として働き、週末はド田舎の教会でなんちゃってシスターとして怠惰に過ごす。この世界でこんな事をやってる人間は私くらいだろう。ま、仕方ない。我らが王子様との契約だからな。義務は果たさねばなるまい。面倒だが。
「おはよう……と言ってもまだ早かったか」
隊の詰所に入り挨拶をしてみるが反応はなし。見渡しても誰もいなかった。
当直の隊員は仮眠中で、日勤には少し早い時間だ。とはいえ、もう十数分もすればぞろぞろとやってくるだろう。邪魔なアタッシュケースを私の席に放り投げ、コーヒーでも入れるかとカップに手を伸ばしたその時。
「あれ?」
奥の便所の扉が開いた。そして見覚えのない人間がキョトンとして私を見下ろした。
栗毛の短髪で、男ではあるんだが目がクリっとしている上に顔立ちに幼さが残っているせいか小動物っぽい。体つきも隊の連中に比べればだいぶ細く小柄だ。一応軍警察の制服を着ているから関係者だとは思うんだが、はて、誰だっただろうか。記憶を探っていると、栗毛の男はニコニコしながら私に近寄ってきて身を屈めた。
で、何をするかと思えば、だ。
「お嬢ちゃん、どうしたのかな? なにかご用かな?」
私の頭を撫で始めやがった。しかもガキ向けの喋り方で。
「その制服、すごいね。本物みたいだ。お母さんに作ってもらったの? 軍警察が大好きなんだ。すっごい気持ちは分かるよ。僕もそうだったからさ。でもここは本物の軍警察の人しか入っちゃダメなんだ。ごめんね? 大きくなったらまたおいで」
……ははーん、読めたぞ。初見の人間がやりやがる典型的なこの対応。
これでもこの街で働き始めてかなり経つからな。軍や街の連中ならだいたい私のことを知ってるはず。となれば、もう選択肢は限られてくる。
「貴様、名と階級は?」
「ははっ、すごいすごい。結構サマになってるね。僕はノア。よろしくね。でもお嬢ちゃん、お友達にそんな言葉遣いしちゃダメだよ?」
メッ、という注意を聞き流しながら記憶を探る。ノア、か。初めて聞く名だ。やはり新入りだな。ずっと人員を増やせと上に要求していたがそうかそうか、やっと来たか。
可能ならベテランが良かったが、まあ仕方ない。性格は捻くれてなさそうだし、街の人間受けも良さそうだ。後は実戦で使えるようここで鍛えてやれば良いだろう。
さて。それでは……まずはこの新人の勘違いを正してやらねばな。
「おはようございます、シェヴェロウスカヤ中尉」
「ふわぁ、ねむ……ういっす、隊長。また背ぇ縮んだか?」
とそこへ、私もよく知る隊員二人――アレクセイとカミルがやってきた。
アレクセイ・ゼレンスキー曹長は支度が楽そうな刈り込んだ黒髪で長身の男だ。いかにも無口そうな強面で、スラブ系の顔立ちをした頬には古い銃創がある。古くから私と共に戦場を駆け抜けてきた人間だ。
もう一人のカミル・イルカ伍長は南方系の血を引くため少々褐色がかった肌色の男で、灰色の前髪を上げている。仮にも隊長である私をからかってきたように明るくお調子者気質ではあるのだが、鼻頭にある横一文字の火傷痕が示すように、コイツもまた私の古くからの仲間だ。ちょうどいい、コイツらに確認しよう。
「おはよう。カミル、そういう貴様はまた少し腹が出たんじゃないのか?」カミルに軽口を返し、口を開けて立ちんぼしてる栗毛を指差した。「新人りか?」
「そっ。先週の金曜だっけな? 隊長が本部に行ってる間に配属されてきたんだよ」
「リッツ准尉、中尉にご挨拶を」
「え? あ? は? え?」
アレクセイが促すが、どうやら未だに事態が飲み込めていないようだな。間抜け面晒して私とアレクセイの顔を交互に見比べていたが、私が正面に立ってこれみよがしに左肩を揺らすとさすがに階級章に気づいたらしい。顔を真っ青にして、鯱張った敬礼をした。
「し、失礼しましたっ! じ、自分はノア・リッツ准尉であります!」
「准尉……なるほど、軍大学の出か。私はアーシェ・シェヴェロウスカヤ。この第十三警備隊の隊長を任されている。歓迎しよう、ノア・リッツ准尉。軍大卒のエリート様の職場が、こんな貧相な詰所で申し訳ないな」
「い、いえ! とんでもありません! ……あ、あの!」
「なんだ?」
「ち、中尉殿とは知らずさ、先程はし、失礼致しましたっ……!」
「なに、構わん。私も自分の
とはいえだ。ライフルでもケツに突っ込まれたかの様にピンっと背中を伸ばしたままのノアの肩をすれ違いざまに軽く叩いて警告しておく。
「ただし――二度目はないぞ?」
人は見た目によらないことなぞ、この世界には腐るほどあるからな。
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