0-2 魂は、腐っているほど美味い



「あ……?」


 キョトンとした男の間抜け面を眺めながら腕を引き抜く。砕けた胸当てと一緒に血がベチャベチャと泥の上に落ちていく。それを見て私は、ああ、もったいない、と思った。

 邪魔なので絶命した男の頬を殴り飛ばすとぬかるみに頭から突っ込んでいって、その様を見ていたお仲間連中がのんきに笑い声を上げた。


「ぎゃははははっ! 何やってんだぁ、おい?」

「あ、あ、あ……!」

「あ? ンだよ、情けねぇ声だして――」


 だがぬかるみの中で倒れたままの仲間、そして私の手の中にある、未だに弱々しく鼓動を打っている肉塊を見てようやく状況が分かったらしい。

 表情と雰囲気が一変した。奴らに浮かぶのは戸惑いと畏れ。

 良い、実に良い。腐った連中のその顔はいつだって私の心をくすぐる。心地よい視線を浴びながら手のひらに乗った男の心臓を見下ろす。そして私はそれに――かじりついた。


「ひっ……っ!?」


 口の中に広がる血と生肉の味。噛みしめる度に歯を力強く押し返し、野趣あふれる味が広がっていく。うむ、美味い。やはり喰らうのは心臓に限る。一人から一個しか取れないのが非常に残念だ。


「さて、と」


 ぺろりと数秒で心臓を平らげ、転がった男の死体を持ち上げて気づく。しまった、泥で汚れてるじゃないか。心臓を喰うことばかり考えて疎かにしてしまったな。まあいい。

 反省もそこそこに、泥を適当に払いのけて首筋に喰らいつく。歯が肉を切り裂き、血とともに嚥下。細い喉を押し広げて臓腑に落ちていく。


「ふん……随分と人間を売っぱらって贅沢をしてきたみたいだな」


 肉を食し、血で喉を潤す度に男の知識、経験、記憶が私に刻まれていく。どうやらたいそうな数の女を売っぱらって大金を手にしてきたようだった。おまけに強盗も殺人も数え切れん。全く、とんでもない悪党だな。ま、私が言えた話ではないが。

 もしゃもしゃとかじっていく。肉は当然、内臓も、骨すらも。そしてまたたく間に、一人目の男は文字通り私の血肉となった。いや、実に人間というのは儚いな。


「ふぅ……さて、お次は――」

「――う、わぁぁぁぁぁっっっっ!!」


 どいつにしようかな、と品定めを始めたところで連中が我先にと私の前から逃げ出した。気持ちは理解するが、残念ながらそうはいかないんだよ、これが。


「逃げ出すなんて、悪い子たちだ」


 頭の中で魔法陣を描く。指先から出た貫通魔導が脚を貫き、連中が揃って泥の中に頭から突っ込んでうめき声を上げた。しまった、またを汚してしまった。

 舌打ちして近づけば、連中がそろって化け物を見るような目を向けてきやがる。失礼な。光栄だろ? こんな美少女がお前らみたいな連中に迫ってきてやってるんだからな。


「お、お前は……な、ななな、何なんだよぉ……?」

「決まってるじゃないか、お前らが売っぱらおうとした教会のシスターだよ」

「そ、そういえば……聞いたことがある……」男の一人が私を指差した。「古びた田舎の教会に悪党は脚を踏み入れるなって。入ったが最後……帰って、きた人間はいないって……」

「なんだ、知ってるのか。なら話は早い」


 男の首をひっつかんで、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れた男の顔を覗き込む。瞳の中で血塗れの少女が笑っていた。


「それが私だ――『魂喰い』だよ」


 じゃあな。そう告げると、響き渡った悲鳴をBGMに私は男の頭を噛み砕いたのだった。



「これで最後、か」


 馬車の荷台で私は名残惜しく骨をしゃぶっていた。が、いい加減教会に戻らねばなるまい。サマンサも心配しているだろうし、窓とかの応急処置もせねばならんしな。

 最後の肋骨を噛み砕くと荷馬車の外に出て、血塗れの体を雨で洗い流す。雨が体を打つその微かな刺激が気持ちよくて思わずため息が漏れた。ここまで腹が満たされたのは久しぶりだ。人を喰らう、などという、この身に宿る業の余りの深さに嘆き苦しんだ日々もあったが、それも今は昔。割り切ってしまえば何のことはない。


「迷惑料代わりに、コイツらはもらってくぞ」


 体を洗い終え、汚れないように脱いでいたシスター服に着替え終わると、荷馬車に残されてた連中の、おそらくは強奪品だろう金品をポケットに詰め込んでいく。こいつを王都で売っぱらえば教会の修繕をしてもしばらくは高い酒が楽しめそうだ。サマンサにバレないよう気をつけなければな。

 雨が降りしきる中を飛行魔導で十分も飛行すれば見えてくる我が住処。降り立って眺めれば、あのクソったれどものせいで東側のガラスは木っ端微塵。ただでさえボロい教会が完全なる廃墟と化していた。なんとも物悲しい外観だが、サマンサが落としたろうそくの火で焼け落ちてなかっただけマシだと思うべきかね。


「ただいま戻りました」


 扉が木端微塵になった入口をくぐるが誰もいなかった。それでも砕け散ったガラスは綺麗サッパリ掃除されていた。たぶんサマンサが片付けてくれたんだろう。

 先に着替えてしまうか、と二階に上がりかけたその時、奥のドアが開いた。


「アーシェ……!」


 私に駆け寄ってくると、サマンサがギュッと抱きしめてきた。ちょっとシスター・サマンサ、痛いのですが、とも言えず黙ってなされるがままにしておく。


「良かったわ、無事で……」

「だから言ったでしょう? 心配ないって」

「ええ。でも心配なものは心配なの。せめてそれくらいさせてちょうだい。それで、あの方たちはどうしたのかしら?」

「お喜びください、シスター・サマンサ」すっかり得意になった聖女面で微笑んでみせた。「心を尽くして神の教えを説きましたら皆さん、無事に改心してくださいました。これまでの罪を贖うと仰ってオーデンの街へ向かわれるそうです。それと――」ポケットに手を突っ込み、奪ってきた宝石類の一部を手渡す。「こんなにお布施を頂きました。これで壊してしまった教会の修繕と、貧しい方々への施しをしてほしいと言付かってます」

「まあまあ、こんなに……」


 サマンサは驚いて、皺だらけのまぶたを見開いた。生真面目で清貧な彼女だから受け取るか戸惑ってるみたいだが、ここで拒絶されても困る。面倒な修繕の手配なぞ私はしたくない。ということで、強引に握らせて彼女の腕からするりと抜け出した。


「とりあえずはガラス窓に応急処置をせねばなりませんね。私は着替えて板材を打ち付けます。シスターは明日にでも――」

「ええ、またいつもの職人さんに手配をしておきますよ」

「ありがとうございます。では着替えてきますね」

「温かいスープを準備しておくわ。着替えたらそれを飲んでから作業なさいな――あら?」

「どうしました、シスター?」

「大変……口元に血が付いてるわ」


 口元を拭うと、そでが赤く濡れた。おっと、いかんいかん。


「やっぱりあの人たちに何かされたんじゃ……」

「ああ、大丈夫ですって、シスター。途中で彼らの腕にでも当たっただけでしょう」


 サマンサにこれ以上勘ぐられないように慌てて身を翻し、もう一度「大丈夫ですからね?」と念を押して階段を昇っていく。サマンサもそれ以上追求することはないようで、心配そうな視線こそ感じるが何も言ってこない。

 ふぅ、と胸を撫で下ろし、指先をそっと舐める。すると先程喰らった肉や骨、なにより魂の味が思い出されて唾液があふれ出てくる。

 歯を押し返してくる弾力。引き締まった肉の力強い味に、血と共に体に染み渡ってくる魔素の感覚。それら全てが申し分ない。近年まれに見る当たりだ。

 やはり。


「――魂は、腐っているほど美味い」



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