魂喰いのアーシェ Re-Build ‐教会に目をつけられてる魂喰いですが、軍に所属して王都の安全を守ってます‐

新藤悟

File0 山の教会の少女(27歳)

0-1 手のひらには心臓が乗っていた

 突如鳴り響いた轟音に私は祈りを中断して顔を上げた。

 さっきまでの小雨はどこへやら。雨音はいつの間にかうるさいくらいで、ステンドグラス越しに稲光が差し込んできている。


「あー……本降りになってきたか」


 参ったな、屋根の修理も完全に終わってないんだが。頼むから雨漏りだけはしないでくれよ、とボロ教会の天井をにらみながら、私は神を模した偶像への祈りを再開した。

 目を閉じ、手短に神(クソッタレ)への祈り罵声を終わらせる。最後に腹の奥に溜まった腐った空気をツバと一緒に偶像に向かって吐きつけると、まるで私を非難するかのように、タイミングよく閃光と地響きのような雷鳴が鳴り響いた。


(だが残念だったな)


抗議窓口は現在閉鎖中で再開の見込みは無しだ。鼻で笑い、最後に中指をおっ立ててやると腹が鳴った。

 ふむ、たっぷり昼メシ喰ったはずなんだがな。やはりを喰わないと燃費が悪くてすぐ腹が減る。難儀な体だ。ため息をついて立ち上がると、濡れた窓に私の姿が映った。

 そこにあったのは、いつどこからどう見てもガキにしか思えない私――アーシェ・シェヴェロウスカヤの小さな体だ。もう成長も衰えもしないまま十五年以上付き合ってきて、これからも生涯お付き合いせねばならん幼い肉体。そのくせ食事の量は人並み以上に必要なのだからまったく以て不便だ。

 振り返って壁に掛けられた時計を見てみれば、時刻はまだ四時。世間様よりもいささか早い時間に食べるのが習慣だが、さすがにまだメシには早すぎる。


「ふふ、なら仕方ないな」


 私は空腹だ。そしてメシにはまだ早い。ならば命の水で潤すしかあるまいし、それ以外の方策などあろうはずもない。

 満場一致の脳内会議の結果、シスター・サマンサに見つからないように隠したちょっとお高めの酒をいそいそと取りに向かう。偽装した講壇の床板を外し、そこに鎮座しておられる酒瓶を握りしめ、だがその時、教会のドアが激しく打ち鳴らされた。


「はあ……雨だというのににぎやかなことだな」


 叩き方に切迫感を感じさせるが、外は大雨でここは山の教会。番犬の皮を被った司教のチワワ連中が視察に来るのはまだ先のはず。となれば客の相場は決まっているし、何よりドアの向こうから漂ってくるで分かる。すまない、お酒様よ。少々待っておくれ。


「はいはい、どちら様でしょうか?」

「……旅の者です。急な嵐で立ち往生してしまいして。雨が上がるまでどうか神に祈りを捧げさせて頂けませんでしょうか?」

「それはそれは。大変でしたでしょう。すぐ開けますのでしばしお待ちくださいませ」


 いつもどおり余所行きの声色で応対し、閂(かんぬき)を外して開け放てば痩せぎすの濡れ鼠が立っていた。ひょろっとした男の蛇みたいな視線が誰もいない正面からだんだんと下がっていって、やがて小柄な私の姿を捉えたところで目が点となった。それを無視し、我ながら可愛いと自負のある笑みで恭しく一礼してやる。


「どうぞ、奥へ。今、体を拭くものをお持ちしますので」

「……あ、ああ、ありがとう」


 男が明らかに戸惑ってるのがよく伝わってきた。そりゃそうだ。まさか私みたいな少女のなりをしたシスターが出てくるとは思わないだろうからな。


「お一人ですか?」

「いや、荷馬車にも三人くらい仲間がいる。すまないがお嬢ちゃん、神父様か他のシスターを呼んできてくれるかい? 雨を凌がせてもらう御礼を言いたいんだ」

「ああ、でしたら不要ですよ。ここのシスター、もとい責任者は私ですから」

「……はは、面白い冗談だ」

「いえ、冗談ではなく。専属の神父様はいませんし、本当に私がここの責任者を拝命しております。一応私の他に、もうすっかりおばあさんなシスターはいますが」


 そもそも、ここも聖教会が放置してた教会を私が買い取ったものだしな。教会には所属してるが神父の派遣はしない契約だし、こんな山の中に来たがる奴もまずいない。


「信じられないお気持ちは、ええ、もうそれは十分に理解できます。ですがこんなでも私、二七歳になりましたので」

「……嘘だろ?」

「そうでしたらどんなに良かったか」


 身長一三八センチ、体重三〇キロ。腕も脚も細くてどう見ても二次性徴前の赤毛の少女のそれである。せめてもの救いは、世間一般の基準で美少女の部類に入ることか。だとして、寄ってくるのはろくな人間じゃないだろうが。


「さあ、どうぞ。荷馬車にいらっしゃる『ことになっている』お仲間の方々もお呼びになってください。温かいスープも用意致しましょう」


 そう言って私が男に背を向けた途端――


「――いや、それは結構だ」


 返ってきたのはそんな言葉と、首を締めるように巻きつけられた金属製の腕だった。


「……一応お尋ねしますが、どういったおつもりでしょうか?」

「決まってるだろ」義手の一部が開いて、鋭いナイフがむき出しになる。「これから嬢ちゃんは俺らに誘拐されて売っぱらわれるのさ。ったく、若いシスターがいるって聞いたからわざわざこんな山奥まで出張ってきたってのに、まさかこんなお子ちゃまだったとはよ」

「なぁに、好きモンってぇのはどこにだっている。これはこれで高く売れるって」


 荷馬車どころか最初っから建物の影に隠れてたお仲間が現れ、足元に伸びる影が次々に増えていく。それぞれが私の体を見て好き放題言ってくるのだが、まったく、声は耳障りでキモいし、口を閉じてほしいもんだ。


「なるほどなるほど。噂は耳にしておりました。最近、若い女性ばかりをターゲットとした人買いクソ野郎が付近で出没していると。貴方たちのことだったのですね」

「へへ、俺らも有名になったもんだな」


 一人が舌なめずりしながら私の全身を値踏みしていく。いやはや、美少女は辛いねぇ。


「あ、アーシェっ!?」


 なんて呑気な事を考えてると、ガシャンとけたたましい音と悲鳴が響いた。振り向けば婆さん――もとい、シスター・サマンサが燭台を落として震えていた。部屋に入ったらキモい男が刃物を少女に突きつけてたらそうなるわな。それはいいんだが。


「シスター・サマンサ。落ち着いて。まずは落とした燭台を。そのままだとこの教会が焼け野原になってしまいます」

「そんなこと今はどうだっていいんです!」


 いや、良くはない。ボロ教会とはいえ安くない金をはたいて買い取ったんだ。せめてもう三年くらいは残ってほしい。


「おい、婆さん。そこを動くなよ? 下手な真似すればこのガキがどうなるか、分かるよな? なぁに、アンタは今日、何も見なかった。そうすりゃこの瞬間からアンタがここの主になる。そんだけさ。悪くない話だろう?」

「そんな……そんなこと……!」

「あー、シスター? 心配せずとも大丈夫ですよ?」サマンサにいつもどおり話しかける。「この方たちに教えを説いてすぐに戻ってきます。だからそうですね……私、お腹が空きました。なので美味しいご飯を作って待っててください」

「アーシェ……」

「へへ、そんなことができりゃあいいな。おら、行くぞ!」


 細い腕が引っ張られると悲しいかな、この小さい体は呆気なく宙に浮いて強引に雨の中へと連れ去られていく。おいこら、せめて何か被せろ。私まで濡れ鼠じゃないか。


「あばよっ!!」


 荷馬車に放り込まれて雑な扱いに抗議しようとすると、男たちが教会に義手を向けていた。金属の腕に刻まれた魔法陣が光り始め炸裂魔導が飛んでいく。着弾とともに閃光が周辺を明るく照らして直後に爆風。さらに他の連中も景気よく魔導銃をぶっ放し始めやがった。ガラスというガラスが砕け散り、お気に入りだった天窓のステンドグラスも四散。幸いサマンサは無事みたいだが、ああ、私の教会が……


「んなことより自分の身の心配をするんだな! ま、心配したところでどうなるもんでもねぇけどな! ガハハハハっ!」


 クソッタレ、最悪だ。こんなはずじゃなかったのに。

 気落ちした私を乗せた荷馬車は山道を疾走し、三〇分も走っただろうか、元々人気のない山奥でもさらに人がいないだろう奥にまで到達してようやく停車した。すると連中、いやらしい視線をいよいよ隠すのも止めたらしい。


「さて、と……へへ、売り飛ばす前にちょーっと商品を確認しとかなきゃな」


 ……はぁ。まあ、こんなことだろうとは思ってはいたがね。


「普通、品定めは仕入れ前にするものではありませんか?」

「仕入れ後に品質を確かめて値段を決めるのが俺らの流儀なんでな」


 下卑た笑いを浮かべ、男が私のシスター服へと手を伸ばす。だが私はくるりと身を翻して男から離れた。


「はっ、逃げようったってそうはいかねぇぜ?」

「逃げる? まさか? ただ私は、自分から脱ぐ方が好きなのですよ」


 そう言って濃紺のシスター服を脱いでいく。コイフ(フード)を外し、ロザリオをくるむ。それを荷馬車の床に置いて背中のボタンを外すと、トゥニカ(ワンピース)がするりと私の肌を滑り落ちていく。自ら一糸まとわぬ姿になった私の姿に驚いたのか、男たちは目を見開いてマジマジと見つめていた。


「お伝えしたように、私はこう見えても相応の女性なのですよ。当然、経験もそれなりにしております」


 荷馬車から飛び出すとふわりと着地。ぬかるんだ地面に裸足で降り立つと空を見上げた。

 そこにあるのは何処までも分厚い雲。雨は土砂降りで音はかき消され、ここで起きる全てを洗い流してくれる。ああ、まったく――絶好の日和じゃあないか。


「――さて、どなたからいらっしゃいます?」


 艶っぽく、老練の娼婦淑女のように手招き。薄っすらと笑って流し目を送ってやれば、魅了された男たち全員から喉を鳴らす音が聞こえた。


「お、俺からだっ! テメェらはちょ、ちょっと待ってろ!」

「ああ!? 抜け駆けすんじゃねぇ!」


 我慢できなくなったが我を失ったように荷馬車から転がるようにやってくる。他の連中も欲を隠そうともせず今にも襲いかかってきそうだ。お前らは盛りのついた犬か。


「そんなに慌てずとも、順にお相手しますよ」

「へ、へへへ……なら早速楽しませてもらおうか――」


 大きな男の手が、食い込まんばかりの勢いで私の肩を掴んだのと同時。

 私の手のひらには彼のが乗っていた。



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