第18話 価値観
ノックを聞いて、すぐにウイカは出てきてくれた。
「入って」
「あ、ああ……」
いつもどおりの無表情だったが、何故か冷たい態度をとられたように感じて俺は面食らう。一瞬あった目線もすぐに逸らされてしまった。
他の魔法少女たちと同じということなのだろうか。何故?
廊下の無機質さに比べて、部屋の中は案外普通だった。木目調のフローリングや白い壁、一般的な家庭にあるものと同じような家具が並んでいる。彼女の娯楽だというテレビや本棚も見受けられた。
リビングに通され、真っ白なソファにウイカが腰掛ける。三人掛けぐらいの大きなソファで、彼女は右に寄せた。隣に座れという意味だと理解して従う。
クラスメイトの女の子の部屋に二人並んで座っている。そう考えると少しぐらい胸の高鳴りがあってもよさそうなものだが、思った以上に状況が複雑で俺はそれどころじゃない。
何から話そう。
顔を見れば何か決心がつくと思っていたのに、結局モヤモヤしたままここまでやってきたのでウイカを直視できない。
それに、ウイカ側もこちらを見ようとしない。やっぱり、普段より表情も冷たく感じる。
俺はぎこちなく声を発した。
「あの、さ。色々聞いたよ。ウイカのこれまでや、魔法少女のこととか」
「うん」
返事もいつもどおりだが何故か引っ掛かる。
俺が、先ほどの魔法少女たちの態度や話を意識しすぎているだけなのだろうか。
「魔法は寿命を消費する。ウイカはずっと、そんな過酷な環境で戦ってたんだな」
どうにか勇気を振り絞って、彼女の方へ視線を向ける。
いつもならおかしなほど近い距離でまっすぐこちらを見つめているウイカが、今日は視線を外して俺たちの前にあるテレビへと向いていた。画面は点いていない。
淡々とした喋りで、ウイカは言う。
「過酷だと思ったことはない。それが普通」
「普通って……。命が懸かってるのに」
明日死ぬかもしれない世界に身を置いて、普通なはずがない。
あの戦場は怖い。目の前で獣魔に対峙した時の感覚は他で喩えられないほど恐ろしく、本当に死を覚悟するしかなかった。
それに、ミルメコレオに噛みつかれたウイカを見た時。彼女の腕から流れる血を見て、俺は自分でも制御できないほどの焦燥感で飛び出していた。結果として魔法が発動してどうにかなったものの、咄嗟の判断を狂わされた。
彼女を失うのが怖かった。
あんな環境が、普通なわけがない。
そう言いたかったが、ウイカの冷たい口調は鋭さを増す。
「荒城くんの言う普通って、何?」
「え?」
予期せぬ質問に俺は詰まった。
普通は普通だ。
学校に行って、授業を受けて、友達と話して。ウイカもここ二週間以上一緒に体験してきた日常。
「普通って、それは――」
「それは、荒城くんが生きている世界の普通でしょう?」
物音ひとつしない部屋の静寂が耳に痛い。
確かにそれはそうだ。俺は、俺の世界の普通しか知らない。
だけど、生きている人間が消耗品として戦いに駆り出されるなんてやっぱり普通じゃない。
ウイカも学校は楽しかったと言っていたじゃないか。彼女にもあの世界を面白いと思える感情があって、その価値観は同じはずだ。友達もたくさんできたし、みんなといる日常を彼女は知ってくれた。
そうじゃないのか?
彼女の言葉が静かな部屋に響く。
「本当の私は、自我が芽生えるより前に死んでいた。父も母も顔すら覚えていない」
戦争孤児だったという過去。ジェラルドが言っていた話が頭をよぎる。
拾われた時のウイカは物心がつく前だと言っていた。既に危篤状態にあって、戸籍上は死んだ扱いになっているとも。
「それをアザラク・ガードナーに救われて、だから此処に命がある」
ウイカは目を閉じて、そっと胸元に手をあてる。
彼女たちは救われたのだとあの男は言った。ウイカの話し振りからも、命を長らえたことを本当に感謝しているようだ。
「組織に恩がある。この命が戦うために蘇ったものなら、そのために使うだけ」
ようやくウイカがこちらへ顔を動かす。
碧眼の美しい瞳が、今日は俺に厳しい目を向けていた。吸い込まれそうな瞳の奥に宿る暗い感情が俺を突き刺してくる。
「魔法を“なんでもできる奇跡の力”だと思っていたなら、それは間違い」
言われて、俺は思い返していた。
村瀬ユミの帽子を捜した時、ウイカに手を引かれて俺は空を飛んだ。遠くまで広がる世界を上空から見て、俺は彼女の魔法に心を躍らせていた。
はじめて出会った時もそうだ。獣魔を薙ぎ払う彼女は気高く格好良かった。何も変わらない現実にモヤモヤしていた俺は、まるで映画のような非現実の世界に憧れる気持ちがあった。
なんでもできる奇跡の力。そう感じたこともないわけではない。
でも、だからこそ彼女の世界を正しく知りたいと思った。
ようやくここまで来たのに。
「私は相応の対価を支払って、この命を捧げている」
それが正しいことだと信じて疑わないウイカの目。
「それが私の普通」
それでも、俺は君に平穏な生活を送ってほしいんだ。そう言いたかった。
「……でも!」
「やめて」
何か言わなきゃいけないと思って声を張ったが、彼女は静かにそれを止める。
そして、前にも聞いたフレーズを繰り返した。
「ずっと楽しかった。知らない食事、知らないルール、知らないクラスメイト。知らない普通」
あの公園で、俺に言ってくれた言葉だ。
前にウイカは、これまでの生活が楽しかったんだと俺に伝えてくれた。そう言ってもらえて嬉しかった。
そして同時に、ウイカは自分の普通が俺たちと違うことに寂しさを感じているんだと思った。戦って命を懸ける彼女の日常に対して、眩しくも見える俺たちの世界に憧れてくれているんだと。
だから俺はもっと色んなことを知ってほしいと伝えた。
彼女もそれに頬を緩ませてくれた。
でも、今のウイカは違う。
「楽しさなんて、いらない。私は戦うための存在」
「なんだよそれ……」
みんなでファミレスに行って食事をした時も。クラスメイトの帽子を必死に捜した時も。ウイカは、新しい驚きに胸を躍らせていたように見えた。
いらないと思っていたヤツの顔じゃなかったはずだ。
俺の気持ちが、不意に口をつく。
「ウイカは確かに無表情で何考えてるか分からないし、俺たちの世界の常識もない。魔法を平気でぶっ放すし、目を離したら何しでかすか分からない」
「……」
彼女の表情が揺れる。怒っているのかもしれない。
でも、一度口にし出すと止まれなかった。
「それでも! 美味しいご飯を食べれば笑う! 小さなキーホルダーをもらって喜ぶ! 友達のために必死になって頑張って、だから俺は!」
だから。
続く言葉が上手く吐き出せない。俺はウイカを……どう思っているんだろう。
守りたいと思っている。助けたいと思っている。知りたいと思っている。
何か違う。心は決まっている気がするのに適切な言葉が見つからない。俺は、彼女のことを。
言い淀んだ俺を見て、今度はウイカが叫んだ。
「あなたが!」
彼女が大声を出すのをはじめて聞いた気がする。
これまで無表情で掴みどころのない子だと思っていたけれど、今はその感情が爆発しているのが分かった。
「私に、あなたの普通を教えてしまった! キラキラしていて眩しくて、心が温かくて。それが……辛かった!」
言いながら、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出す。
これまでの出来事が辛かっただって?
楽しいと言ってくれたのに、それが辛かったなんて言われてしまった。何がなんだか分からなくなる。
俺は。
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