第23話 安全装置

 ホンドウ君はさんざんうらやましがったが、ライランとケロタニアンの物語は、実はものすごく序盤で詰まっているのである。


 出勤早々、俺はマネージャー室に呼び出された。

「アカツラくん。ちょっと様子を聞かせてくれるかな」

 部屋にはおなじみになってきたマオカさんと、クジャク姿のワンガールさん。あれ確か、羽根を広げると七色に光ったはず。

「ライランさんとの個別、もう21時間だよね。そのわりに全然フラグが揃ってないみたいなんだけど、どんな感じなの?」

 ラナーストーリーでは、様々な独自のイベントが自動で起こる。その中で好感度を稼いで次に進んでいくわけなんだが。

 ケロタニアンの、ライランに対する恋愛フラグは、初期ランクのままだった。

「あんた、判定厳しくしてんじゃないでしょうね」

「そんなわけないでしょ……厳しくしようがないし」

 ケロタニアンの恋愛フラグは、他のラナーキャラに比べて圧倒的に少ない。攻略の難易度としては類を見ない簡単さ。LiSeの格安キャラ、修行中のサポアクが演じていくことを踏まえて、マオカさんは、ケロルートに恋愛の複雑さは入れなかった。もともとケロは単純なおばかキャラだし、合ってると思う。

 もし障害があるとすれば。

「お嬢さんは、意図的にケロに踏み込まないようにしていると思います」

 ケロの過去に関しての匂わせがあっても、乗ってこないのだ。

「俺も、なんか話が進まないんで変だなと思って。ケロの記憶喪失に関して、触れてこないんですよね」

 ワンガールさんが眉を吊り上げた。クジャクの顔はマンガチックで、目じりが長く美しい。

「なに言ってんの、失われた記憶を放置するとか二次元なめてんの」

 そんなケンカ腰じゃなくてもよかろうが、そうですよね。失われた記憶は取り戻されるし、生死不明の人間は生きているのだ。

「本当に、恋愛沙汰にしたくないのかなと」

 話を進めれば、対象との関係は深まる。深めることが目的だから当たり前なんだが。

 出会ったときを思い出す。

「イアンザークさんも、話が進まなくてじれてました。多分、同じ問題なんだと思うんです。あのとき、お嬢さん自身も、自分にはまだ早かったと言っていて」

「じゃ、なぁんでこのゲームを選んだのか、って言っても仕方ないのよね、きっとね?」

「引こうとしたお嬢さんを引き留めたのは俺らですよ」

 本当は、あんた達だろって言おうとしたけど、俺もすでに共犯だよな。不本意だが。

「確かにねえ、でもそうだね、どうしようか。このままだと、ずっと人助けのクエストを繰り返して、話が尽きちゃう。旅の仲間エンドでも作る?」

 ラナーストーリーにも、当然エンディングはある。シナリオには限りがあって、新しい話が無限に続くわけじゃない。

 エンディングを迎えてすぱっと卒業するプレイヤーもいるけど、だいたいは好感度マックスになった相手とのんびりいちゃつくだけのアフターを繰り返す。好感度や進行具合は好きなように選べるようになるので、もう1周したり、好きなイベントをもう一度やったり、そういう遊び方をリクエストすることもできる。

「乙女ゲーで旅の仲間エンドって、ちょっと見ないですよね」

「そんなのバッドエンド以外の何物でもないでしょ!?」

「僕もねえ、そう思うけど。でも、ライランさんにはそのほうがいいのかなあ」

 ふむ、とマオカさんがあごをしごく。

「アカツラくんは、どうしたい?」

「俺ですか?」

「うん。結局、肌感覚はアクター頼りだしね」

 どうしたいか。

「ケロの話は、入りたいです。喜ぶと思うんで」

「そうなの?」

「あの人、ストーリー性のあるものが大好きなんですよね。俺にはかったるいような小さなクエストでも、ていねいに見届けてる。キャラや内容もよく覚えてるんですよ」

 そのおかげで、クエストの解決が早いこともよくある。

「ああ、それは本当にそうだね。こっちとしては嬉しいよねえ、細かいところまで見てくれていて」

「お嬢さんが、恋愛がないほうが安心して遊べるのであれば、俺としてはそうしたいです」

 はからずも、俺が最初に言ってたことだ。

 ワンガールさんが半目で俺を見ている。なんだ。

「ちょっと待って。乙女ゲーのユーザーはときめきを求めてるの。ライラン嬢だって、絶対そうに決まってるのよ。あんたの押しが弱すぎるだけなんじゃないの?」

「でもさ、ワンくん。押した結果がイアンだったわけだよねえ?」

 うぐ、とワンガールさんが詰まる。

「アカツラくんの言うとおりにしてみよう。ライランさんを安心させてあげたいね」

 調整を考えるということで、マオカさんは退室していった。

「あんた、そういうとこなんだからね」

「なんですか?」

 謎に不快な発言を残し、ワンガールさんも退室していった。何言ってもかまわんが、せめて意味わかるようにしてくれ。


 調整はすぐに届けられた。マオカさんはともかく仕事が早い。内容はこうだった。

・ケロタニアンの恋愛対象がカエル族であると知らせる

・新たにカエル族の子供を登場させ、サポートアクターを入れる

「つまり、この子供がケロタニアンの恋愛フラグをばっきばきに折るってことですね!? 僕、やります! やらせてください!」

 ホンドウ君に話を持ちかけたのは俺なんだけど、失敗したかなって、悪意にらんらんと輝く目を見て思いました。目的を考えたら適任なんだけどさあ。

「これ、ケロの設定はどうなるんだ? ケロは本当は人間のはずだろ」

 シャルさんがラナーストーリーを見直しながら言う。

 俺の楽屋には鳴子が設置され、俺を含めて人が入ると通知がいくようにされてしまった。人の楽屋をグループチャットみたいにしないで欲しい。

「設定もストーリーも、変更はないんです。ライランに『自分は対象外なんだ』って思ってもらうだけで」

 ケロの話は、ライランとケロタニアンが恋仲じゃなくても成立する。

「え、でも、ケロタニアンの恋愛対象がカエル族っていうのは? これすごい変更じゃないですか。ケモナーじゃないですか」

「それはミスリードっていうか、記憶のないケロが自分はカエル族なんだって勘違いして、そう思い込んでるってことになる」

「ケロタニアン、そんなにバカでいいんですか……?」

「これでも相当賢くなったんだぞ。NPC時代のケロを知ってるだろ」

 それは確かに……と、一度はケロを演じたホンドウ君はうなる。ケロは本来、ステレオタイプのことしか言わないモブであるからして。

「大丈夫かね、これ」

 シャルさんの反応は微妙だ。

「ライラン嬢は、ちゃんとケロタニアンに好意は持ってるだろ。こういう仕掛けをいれなくても、もう少し時間をかけたら、自然にストーリーに入っていくんじゃないか?」

「俺は、一応そのつもりで待っていたんですけど」

 でも多分、俺は音を上げたのだ。

「今、駆け引きの状態になってるんです。俺はケロの話を始めるために、お嬢さんが興味を見せる瞬間を待ってる。でもお嬢さんはそれを見せないように警戒してる」

 踏み込んだ話をクリアすれば、ケロタニアンのライランへの好意はぐんと上がる。そういう仕組みなんだから当然だ。でも、お嬢さんはそれを恐れて、のらりくらりとかわしている。

 そんなの、楽しいわけがない。

「俺はケロタニアンの気持ちだけ盛り上げるような真似はしません。今はケロタニアンの矢印がまだライランに向いていないこと、そこから恋愛にするもしないも、ライラン次第だってことをわかってほしいんです」

 シャルさんは、少し考えたあとに苦笑した。

「ほんと、スパイスでやる仕事じゃないなあ。よし、ホンドウ。思いきり邪魔してやれ!」

「はぁい! 全力でライランさんを狙いに行きます!」

 本気っぽくてこわい。



***



 次のラナー枠、水曜の21時。

 今日は、カエル族の少年が駆け込んで来るシーンから始まった。

「ライランさぁん!」

「えっ!?」

 カエルジャンプ! で、カエル少年は自室の扉を開けたライランに飛びつく。身長はライランの腰より少し高いくらい。

「会いたかったです! 今日もかわいいです!」

 こちら、中に入っているのはホンドウである。

「いや、足が速いですなあ。これキルケ、ご婦人に気安くさわるんじゃない、一人前の男のつもりなら」

「じゃあ僕、まだ半人前でいい」

「え、え?」

 もちろんライランは戸惑っている。そうですよね。

「半人前でも子供でも、挨拶が先ですぞ!」

 いつまでもライランに抱きついてすりすりしているホンドウを、しかたなく襟ねっこつかんで引き剥がす。ホンドウ、本気ではしゃいでないか。ケロは突っ込みキャラじゃないんだが。

「はぁい。ライランさん、お久しぶりです! 僕、カエルの里のキルケです。先日は、フロミン姉ちゃんを助けてくれて、本当にありがとうございました!」

 ぴしっと気をつけ、はきはき口上を述べて、ぴこっと一礼。

 フロミンと聞いて、ライランはやっと合点がいったようだった。

「じゃあもしかして、あのときいたオタマ君達の……?」

「はい。成体になりました!」

 フロミンが世話をしていたオタマ軍団の一匹が、キルケだったというわけである。これが正しい変態、って心の中でずっと思っている。

「僕、あのときライランさんが好きになったんです! 僕のお嫁さんになってください!」

 そんなセリフを言うとは聞いてねえな!


 ライランは、俺達を自分の部屋に招いてくれた。

「ま、待っててね。すぐお茶を淹れてくるから」

 申し訳なくなるくらい慌てながら、ライランは階下へ降りていく。メーメおばさんに台所を使わせてもらうんだろう。

「めちゃくちゃ気遣わせちゃいましたねえ」

「おまえがいきなり押し掛けるからだろ……」

 本来なら、ケロタニアンがメーメおばさんに取次ぎを頼むところから始まるはずだった。それをホンドウが、ライランのエリアインを見たとたん文字通り暴走して自室に特攻したのだ。もうこいつへの敬称はどこかになくした。

「質素だけど、かわいい部屋ですね~」

 余計な一言とともにうろちょろしそうになったので、服をつかんで椅子におさえつける。あれ? と不思議そうな顔で俺を見てくるが、本当に頭まで子供になってんのか。親戚の子供と同じ過ぎる。

 ライランの部屋は知ってるけど、ケロタニアンとして入るのは初めてだ。

 深い焦茶の円テーブルは、前に購入を迷っていたやつ。天板の外周を囲むように細かな瑪瑙、卓裏の脚付近に彫り細工と、目立たないが凝った意匠。ベッドは初期のもので、テーブルの瑪瑙に似た色のストールがかけてあった。書き物机には、レターセットやペン、印璽。ベッド横の台には、いつもライランがかけているポシェット。ランの花はあれからずっとくっついたまま。

「お待たせ! キルケくんはジュースのほうがいいかな?」

 両手でおぼんを持って、ライランが戻ってきた。赤い茶器を並べ、それぞれ注いでいく。あたためられた烏龍茶の香りがした。ノーサンクスは味覚と触覚はないが、嗅覚の再現はある。

「あっ、リンゴの匂いがする。ボク、リンゴジュースがいいです」

 別に用意してくれたらしい瓶を見て、キルケは素直にねだり、礼を言う。ライランはうれしそうにうなずいた。

 茶請けはナッツ入りのクッキーで、これも食べると小麦やナッツの匂いを感じる。

「突然すみません、ライラン。このキルケがどうしてもライランに会って御礼を言いたいというので、連れてきたのです」

「そうだったんだ」

 やっと落ち着いてきたのか、キルケを見て微笑む。

「フロミンは元気? お父さんは、もう泣いてない?」

「おじさんはたまに騒いでるけど、みんながなだめてます。フロミンねえちゃんは、ヘビにーちゃんと仲良くて、幸せそうです」

「そうなんだ! よかった、うれしいな」

「ライランさんのおかげで、みんな幸せです。里にたくさんカップルができました」

「えっ?」

 俺が話さなくても、キルケが全部話してくれる。やだ、これ楽。

「フロミンねーちゃんとヘビにーちゃんが幸せそうだから、みんな恋人が欲しくなったんだと思います。里は空前のカップルブームです。ね、ケロおじさん!」

 あん?

「おじさんとは」「ケロおじさんも、ずっとひとりじゃさみしいでしょ。だからね、ラナおばさんの旦那さんになったらいいよねってみんなで話してて」

 俺の発言をかぶせておさえよった。

「ま、待って、あの、キルケくん」

「はい、なんですかライランさん」

 ライランの動揺なんかお構いなしな様子が、すごくらしい。

「ええと、ええと……あの、ケロタニアンって、おじさんなの?」

「え、だってケロおじさんって、肌は厚くて固いし、つやも水分もないし、色も褪せてるし、動きも若々しさがないし、シミもたくさんあるし、声もかすれてて低いもん」

 キルケが無邪気を装った邪気であげつらうたび、ライランがショックを受けている。ばん、ばん、ばんって撃たれてる感じでわかりやすい。

「ケロおじさんって、何歳なの? 大丈夫だよ、ラナおばさんだっていい歳だから」

 ホンドウの悪意にはこの野郎って思うが、ケロはこれで怒ったりはしない。

「うむむ、歳は忘れてしまったのだ。だがそう言われれば確かに、キルケの言うとおり、若くはないのやも」

 自分の手を見たり、腕や顔に触れてみたり。

「ラナおばさんね、3年前に旦那さんが亡くなっちゃって、それからずっとひとりで、好きだった歌も歌わなくなっちゃったんだって」

「なるほど、それはお気の毒に……」

 つい最近までオタマで川に囲われてたくせに、たいした情報網である。

「歌ならわたくしめも多少の嗜みがある。今度、お誘い申し上げてみるか。歌は皆で歌うほうが楽しい」

「ねえ、そんなことより結婚は? 回りくどいことしてないで、とっとと申し込んだほうがいいんじゃない? ケロおじさんだってさみしいんじゃない? 友達もいないでしょ?」

 ホンドウの子供役、うぜえー! 笑ってしまう。友達いないのは剣藤さんとおまえだろ!

「確かに、身を固めることも大切であるなあ」

「あ、あの……」

「ラナおばさんは歳のわりに若くて美人だってみんな言ってるよ」

「女性はみな美しいもの。心得るとよいぞ、しっぽが消えたばかりの子どもよ」

「大人はすぐうそつく!」

 なんだよ。情緒不安定か。

「あのっ!」

 ライランの存在を忘れていたわけではない。多分。

「わ、私、行きたいところがあって! ええと、素材! 欲しい素材があって!」

「ほほう、もちろんですライラン。お手伝いいたしますぞ!」

 キルケ、というかホンドウが俺にだけわかるように舌打ちした。


 悪いね、お嬢さん。揺さぶりかけちゃって。でもこれは安全装置だからさ。

 俺はマオカさんに、お嬢さんのことを「助けを待つのではなく、助けに行きたい人」と報告した。そうして用意されたケロのストーリーで活躍するのは、ケロじゃなくて、ライランだ。いつまでも受け身でいられちゃ、困るのである。

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