第20話 事前準備怠りなく
ケロタニアンは左手にサーベルを持ち、右手にバックラーを持っている。
だがカエル族の全体には、右利きという設定がついている。にもかかわらずケロが左でサーベルを扱うのは、まあ、ただのミスの結果である。
ケロは初期から選べるおともNPCということで、サービス開始前のティザー映像に登場していた。正確に言うと動画中にイラストとして小さく載っていただけなんだけど、このケロが、腰の右側にサーベルを帯びていたのだ。右にあったら右手で抜けないじゃんっていう。
これに気づいたのがリリース直前。カエル族達はすでに全員右利きって設定のもと製作は進んでいて、何千のクエスト、何万の会話はほぼ完成していた。端のクエストや会話は外注のライターさん達に設定を渡して書いてもらったりしていて、そういう人達ってメインに関わらないところから設定拾って書いたりしてるんだよね。だから「右利きの設定って触れた? 触れたら直してくれない?」ってするより、もうケロタニアンだけ全部反転でいいやねって話になったのだった。
「いやー、カエルが胃袋洗う時に右使うから右利き、っての見て、なにそれ面白いって思っただけなんだけどさ。やっぱ余計な設定はしないに限るよね。しかも実際は傾向があるだけらしいしさ」
あははは、と元凶であるディレクターさんのマオカさんが笑う。
呼び出されてマネージャー室に来たのはいいが、ワンガールさんはおらずマオカさんだけだった。あとから来るのかな。
「でも、こうなったじゃない? 折角だからそれ、設定として活かしてやろうと思って」
「いやそれはいいんですけど、大げさすぎません? ケロタニアンですよ?」
最終的に明かされることになるケロタニアンの過去。なんとヤツはとある王家に関わりのある人物だった、となった。
設定とストーリー概要はすでに最後まで教えてもらっていて、今は出来上がるたびに送られてくるシナリオを読んで頭に入れているところ。お嬢さんがいつどんなペースでストーリーを進めるかはわからないし、最大連続10時間なんてあほみたいな開け方されてるから、準備は急ぎ気味。あのお嬢さんだったら長時間予約とかひょいっと入れてくる気がしてだな。
「大げさっていうけど、そんなことないでしょ、僕なんかもっと大きな話にしたかったもん。でも他の人気あるNPCに余白残しといてくれって言われるとね」
確かに、ケロより人気のあるNPCなんてごまんといる。少なくとも人、少なくとも獣らしい獣人で。
「その制限の中でさ、我ながらよくできたと思ってるんだよ。デザインは、コスト最小限でメイン級のクオリティだし、シナリオもメインストーリーに乗っかったやつだから、登場するNPCも高ランクを使いまわせるわけ。で、知らなくても支障ないストーリーだけど、知ったら深みがでる。ライランさんなんかはちゃんとシナリオ見てるタイプだからね、これ喜ぶと思うよ。こっちとしてもさ、語られなかった物語、こういうのはやっぱり燃えるよね」
自画自賛、ご満悦である。今日の俺の仕事は相づちだな。
「ライランさん、すっかり楽しんでくれているみたいだね。手紙をくれたよ」
マオカさんがグリーンの封筒を渡してきた。封筒自体は非常に見覚えがある。
「これが僕の返事ね。書き足したいこととかなにかあったら教えて」
「マオカさんが書いて下さったんですか?」
驚いた。ラナーレターの返信は、基本的にサポアクの担当だ。キャラクターごとにガイドラインがあるので、それに沿って作成し、メインのチェックを通ったら送る。内容はもちろん、このキャラはまめだから早く返す、ずぼらだからぎりぎり三日後に送る、前の枠でケンカをしたからその内容に触れる、などなど、意外と手間がかかる。ちなみにイアンザークさんは全部自分で返事を書きたいが、量が多すぎて対応できず仕方なくサポアクに任せている。締め切りは早くチェックはあほほど厳しい。
俺も大量に返事を書いてきたので、数十種以上あるラナーレターでも見覚えのないものは多分もうない。
「ケロタニアンはガイドがないからね。できてからは君に任せるかもしれないけど、当面は僕が書くよ」
確かに、俺にはケロタニアンがどんな手紙を書くのかはわからない。でもわからないなりに適当に書いておけと言われるのかと思った。ディレクターが返事書くってすごい事態だな。
マオカさんが黙ってにこにこしているので、読めってことだとやっと気づく。
グリーンの手紙の封蝋を剥がす。もちろんすでに開けられているわけだが、電子の力である。
中身を読んで、マオカさんが返事を書くと言った理由がわかった気がした。
「まめだよねえ。もしかしたら、これからずっと感想をくれるつもりなんじゃないかな。ありがたいよね。僕としても、クエストをどう受け止めたかって、知りたいところだから」
「確かに、しっかり振り返ってますね」
綺麗な文字だった。大きすぎず小さすぎず、崩し過ぎず、癖がない。ハネトメがないのは、わざとかもしれない。グリーンはケロタニアンの色。印璽は桜。蘭じゃない。
次にケロタニアンの返事を読む。無駄に長文、修飾も多く、らしさについ笑ってしまう。内容は礼儀正しく、ライランからの手紙を喜び、前回の働きを讃えていた。
「ケロらしいですね。これ、書くの大変そうですねえ」
「そんなことないよ。短く簡潔に書く方が難しいでしょ。僕なんかこういうの大好きだし」
そりゃマオカさんがケロの産みの親(育ての親か?)で、なによりプロだからでは、と思うが突っ込みはやめておく。
「それでね、長くて悪いんだけど、これをアカツラくんに手書きに書き直して欲しいんだよね」
「俺ですか!? いや、多分やめたほうが……ケロの字と、手紙の書き方になるってことですよね?」
ファンタジーの世界で、手紙に打ち込んだ機械文字ではあまりに味気ない。だからキャラクターからの手紙は、手書き風になっている。プログラムにそのキャラの文字、文字の大きさや行間なんかの書き方の癖、そういうものを覚えさせるので、誰が打ち込んでも問題ない。
「やめたほうがいいって、どうしてだい?」
見せたほうが早いんだろう。俺は紙とペンを出して、文字を書いた。
「あ、あらー……なるほど」
「すみません、子どものころから習ってまして」
じじいみたいな字だってよく驚かれる。そして、若者っぽく字を変えたりなんて器用なことはできない。
「確かに、見事な……これは和風キャラ向けだねえ……」
「あれですよね、若い男っぽい、下手で味のある字を期待してましたよね」
マオカさんが申し訳なさそうに苦笑した。いや全然悪くないです。
「できれば君がよかったけど、これはほかの人に任せるよ。内容は問題ない?」
「ありがとうございます。問題ないです」
こうなってくると俺の意見は俺にはどうでもいい。本格的にケロタニアンをキャラクターとして作るというのであれば、クリエイターが作ってきたものを演じるのが俺の役目になる。
「わかった。じゃあ、話を戻すけど。そうだ、よかったらいつでも飲み物なり、トイレなり」
「ありがとうございます」
マオカさん、俺の中でいい人決定。ワンガールさんは見習って欲しい。
「制作に関してだけどね、コスト抑えればいいですって話にする気はなくてね」
お言葉に甘えて、ノーサンクスに音声だけつないで、他は三人称視点に切り替えた。俺自身の意識はリアルに戻り、部屋のスクリーンに、テーブルを挟んで座る俺とマオカさんの様子が映し出される。
キッチンでインスタントのコーヒーを淹れ、テーブルに出しっぱなしにしてあった貰い物の菓子箱の中から、干菓子をいくつか選ぶ。
「今後は僕以外の人がLiSeも担当していくけど、キャラごとに予算を決めてね、担当者が予算の配分も決めていいようにしたくてね。せっかくならいろんなアイディアを試せるようにね。今、ケロタニアンは、シナリオとグラフィックの面でかなりコストを抑えられたから、じゃあ浮いた分をどこに入れようかって考えているところでね。思いきって専用のテーマ曲を作るか、それとも、ラナー中の派生クエストの数をどんと増やすか。メインに関わらないクエストは敬遠されるもんだけど、これもね、ライランさんみたいなプレイヤーだったらありだと思うんだよ」
かわいらしい見た目の砂糖菓子をかじりながら、携帯端末にラナ―カードの内容を表示させる。ずらっと並んだケロタニアンのクエストは、なんというか、パラメータがときめきより冒険に傾き過ぎている。ラナテルデスの区分は「スパイス」であり、「ピュア」とはまた違った恋愛濃度を求められているはずなので、その点でも異色。普通なら絶対通らないだろうけど、相手がお嬢さんだからこれでいいんだろうっていう。
「アカツラ君はどう? なにかこう、ケロタニアンのストーリーでやってみたいこととかない?」
〆のせんべいをかじる。やりたいこと。
「なんでもOKとは言えないけど、たいていのことだったら取り入れようと思ってるんだよ。君はやっぱり、ライランさんのツボをおさえてるのかなって思うからさ」
せんべいを咀嚼しながら考える。意見を求めてくれるのはありがたいけど、ケロがこうあって欲しい、なんて希望は、『実は本当にただのカエルでした』ってあれだけだしなあ。
飲み下したあたりで、ノーサンクスへの接続を戻す。
「それって、開発コスト以外はだめです?」
「うん?」
「ケロタニアンの好みとかじゃないんですけど。俺がわちゃわちゃしてるの好きで。だから、サポアクが入るクエストが多いといいなって。逆ハーはお嬢さんだと微妙だと思うんで、違う形でなんかできませんかね」
マオカさんは、ふむと俺を見たあと、考えはじめたらしく、しばらく黙っていた。サポアクの場合はランニングコストだよなあ。いやでも、お嬢さん以外がケロタニアンのルートなんてやるか? 誰も遊ばなかったら、プロ達が作ったこのルートはほぼ回収できないのでは。
「なるほど、おもしろい……いやでもあれか……」
「あ、全然できなくてもかまわないんで。今なんとなく思っただけなんで」
逆ハーだと、メイン1人サポアク2人みたいな感じでプレイヤーを囲み、奪い合ったり、仲良くしたり、ちやほやしたりする。最近だとドロドロより、「男達はみんなプレイヤーを好きだけど、その上で男同士の友情もあって、仲良くしつつちやほやしつつ、時折独占欲を見せてどきっとさせてくる」っていうプレイが好まれてたりする。
なんだそりゃって思いつつ、俺は逆ハーの参加は結構好き。日常を演出するためのアクター同士の恋愛色のない掛け合いが多くて楽しい。味変ってとこか。
「いや、もしキャラにサポを入れるとすると、担当を毎回同じにしないとライランさんはそれも気づいてしまうのかなと思ってね」
そうか。そういやお嬢さん、トルティにシャルさんが入ってることに気づいていた。
「確かに、担当を固定にするのは厳しいですね……じゃあそもそも、お嬢さんにサポアク入れるのが難しいってことになります?」
これは俺には悲報だ。
「うーん、本来ならそこまでのフォローはしないんだけど、ライランさんの場合、経緯が経緯だしねえ。それに加えて、我々の実験に付き合ってもらっている部分もあるから、あまり楽しみを損ねることはしたくないねえ……」
NPCにサポアクが入っているかどうか、これはわかりやすい場合と、わかりにくい場合がある。前述の逆ハーの場合は、プレイヤー自身がサポアクの追加出演を求めるかたちで、追加料金がかかる。後者は、ストーリーの要所で繊細なジャッジやロールが求められる場合の、数分の出演なんかがそれにあたる。
慣れている人は気づいてもそのまま楽しめるし、慣れていない人はそもそも気づかない。それがサポアクで、慣れていないくせに気づいて緊張してしまうお嬢さんはまったく困った人である。
「考えてみるよ。僕もやってみたいことを思いついたし。あと、ほかにも案があったら教えてくれる?」
言われるまま、その場で思いついたことをいくつか適当に伝えた。どれもケロだからじゃなく俺の希望で、コストとかもよく考えていない。マオカさんは楽しそうに聞いてくれた。メインってこんな感じで仕事してんだなあ。
失礼して、飲み物をとってくるねとマオカさんは中座した。お茶出しが自動的にセルフになるのはノーサンクスのいいところだと思っている。
「わかった。どれも面白いね、考えてみるよ。で、次が最後かな。アカツラくんって、恋愛シーンはどうなの?」
質問の意味がよくわからず、一瞬考える。
「接触にNGがあるかとかですか?」
「ああ、ごめんごめん。アカツラくんってメインの試験も、サポアクの昇級試験も受けてないでしょ。だからこっちにデータがなくてね。聞いたことあるでしょ。キス、顎クイ、壁ドン」
そうか、サポアクはプレイヤー相手に対して、本命としか演じないレベルの恋愛シーンをやる機会がない。まともに演じられるかって話か。
「なるほど。試験を受けたほうがいいってことですかね」
「えっ」
「ただいま~」
なんで驚かれたのか俺のほうが驚いていたら、へろへろになった巨大なてるてる坊主が部屋に入ってきた。ワンガールさんは梅雨時期や雨の日に好んでこれを使う。
「おかえり。今日は本社だったんでしょ? お疲れ様」
「あんな立派なビルいります? 仕事全部ノーサンクスで済むのに」
ワンガールさんは意外にも僻地住みらしく、本社に行くのがいやでしかたない。本社出勤のたびに同じ愚痴を言う。
「社長がねえ、人間と会うのが好きだからね。おもしろい人だよね、それで対人ゲーム作るんだから」
人と会う、だとノーサンクスで会うこと、人間と会う、だとリアルで会うこと。一般で定義されてるわけじゃなくて、対人ゲーム業界だとそんなふうに言い分けたりすることがある。
「本社出勤しないと出世しない、は本当だしね。社長は好きになった人間に役職あげるのが好きだから」
聞くところによると、社長は仏のような人らしい。いつもにこにこしていて、絶対に怒らない、社員のこともユーザーのことも大好きなんだとか。人間と会うのが大好きで、「自分と何度も会ってくれた」人間のことはさらに好きになって、信用して役職を任せる、らしい。そこらへんは俺には関係ない話だけど、人間と会うのが好きってのは俺も同じだなって思う。こんな生活しといてなんだけど。
「そうそう、アカツラ。あんたがまともな恋愛シーンをできるかって話よ」
「あ、聞いてたんですね。移動中だったんですか?」
音声だけつないで、ここの会話を聞いていたんだろう。先に言っておけよって思いはするが、この人の場合よくあることなので気にしなくなってきた。にしても、移動中もノーサンクスに接続して仕事してしまうワーカホリックなワンガールさんである。まあ片道6時間かかるとか言ってたもんなあ。
「そうよ。いい、乙女ゲーをするうえで、素人くさい恋愛所作なんて許されないのよ! 映画のようにドラマのように、プレイヤーがときめく洗練された」
「それ長くなるやつですよね! 受けますよ、次の10日でいいですか」
「えっ」
また驚かれた。
「あんた、絶対試験受けない運動してるんじゃなかったの」
「なんの話ですか? 確かに試験類は受ける気なかったけど、必要なら受けますよ」
マオカさんがワンガールさんを見ているのは、あれか、聞いてた話と違うけどって顔か。
「いやだって、シャルが、あんたが絶対に試験は受けないって言ってたって」
シャルさんの名前を聞いて、思い出した。前に何度か試験を勧めてくれたんだよな。
「あー、確かに。でもそれちょっと違います。なんて言ったっけな」
俺が試験を受けることはないですね、だ。
「以前は試験が毎月20日だったじゃないですか。俺の休みと絶対にかぶるんで、それで受けないって言ったんですよ。今って確か、10日に変わりましたよね?」
「あんた、そんな理由で試験受けてなかったの!?」
「そんなってなんですか!?」
休みより大事なことなんてあるもんか。今月の休みも楽しみである。
マオカさんとワンガールさんは、俺が試験受けるのごねると思って、この場を作ったようだ。まさかマオカさんが先に希望を言わせてきたのも計算だった? そこまでしなくても、始まった仕事はできる範囲でまじめにやるぞ。伝えたらあれもこれもとやらされることが増えそうだから、あんまり言いたくないとは思ってるけど。
「じゃあアカツラくんは、休みに関わらなければ、試験を受けることは特に問題ないんだね?」
「はい。まあ、俺が通るかどうかはまた別の話ですよね。てかもしかして通らなかった場合、ケロタニアンを降りてもい」
「受かるまで特訓に決まってんでしょ」
てるてる坊主にドスの利いた声で脅された。表情ないのこわすぎる。
10日を待つどころか、その場で試験を受けさせられた。聞いていた通り、サポアクやってれば問題ない内容だったので、そのまま合格。サポアクの基本給が上がって、めでたしめでたし。
しかし、ケロタニアンがライランに壁ドンする日なんて来るんだろうか。
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