第19話 延長不可
軽やかで耳障りのいい音とともに、
あわてて時計を見ると22:50、確かにぴったりの終了時間。
え、もう終わり? そんな、まだ全然遊び足りない……
延長の存在を思い出して探してみる。確か、ぎりぎりでも空いてれば受け付けてくれるとどこかで見た。
『それではライラン、今回も助かりました。またお会いしましょう!』
なんて清々しい笑顔。もたもたしているうちに、ケロタニアンはぴっと水かきつきの手をこちらに向けて、ささーっと帰ってしまった。
「延長できなかった? まじか」
necolaの驚きようは、桜莉には意外なものだった。
23時、眠るには少し早い。ラナテルデスを終了してnecolaに声をかけると、すぐに手を空けてこちらに来てくれた。
ノーサンクスでの桜莉の家は、necolaが用意してくれたものだ。桜をモチーフに、やさしい桜色でまとめられた家は、かわいらしすぎるとも思うけれどお気に入りになった。
「まじだよう。予約のときはいっぱい空いてたから、いけるかもって思ったのになあ」
ソファの定位置に座ったnecolaに紅茶を出す。入ってすぐに置かれたテーブルとソファは、桜の芯材をイメージしたらしく、なめらかな濃茶をベースに女の子が好みそうな装飾が多く施されている。ファンタジーと現実の中間の雰囲気が心地いい。
本当に紅茶を飲むわけではないし、別にこんなことをしなくても、音声さえ繋げばいくらでも会話はできる。でもこうしたいのだ。楽しいから。桜莉がノーサンクスを使い始めたのはつい最近だが、みんなが好む理由が今はよくわかる。
「全部×になってて……直前だからだめだったのかな」
「予約するときは、空きどんな感じだった?」
「19-29時で、全部空いてた。あとから見たんだけど、明日以降も同じに空いてる」
necolaが噴き出した。
「きょ、極端だなおい。それで、一度に何枠までとれるわけ?」
ウィンドウを開いて、確かめる。
「最大予約時間ってこと? 10時間ってなってる」
necolaがまた噴き出した。腹をかかえ足をばたつかせ、笑い声をあげる。
「ひっど! だめだ、適当すぎるだろ」
「あ、ねえこれ、10時間ずっとケロタニアンと遊べるってこと!?」
「だぁ、あんたも本気にするんじゃないの」
本気に? してはいけないんだろうか。1枠では全然、足りなかった。延長できないなら先にいっぱいとっておけばよかったと、終わってからこっちずっと後悔している。
「にしても、なんで延長はなしなんだ。予約はすかすかなのに? んー……」
そのままぶつぶつと、聞き取れない独り言を始める。
桜莉は桜莉で、何時間までだったら許されるかな、と考えながらウィンドウを睨んでいると。
「まあ、じゃあ、やっぱそういうことなのかなあ」
necolaが顔を上げ、桜莉を見た。
「桜莉さ、ケロタニアンが違った、って言ったじゃん。オルゴールをくれたケロタニアンじゃなかったって」
「うん」
あの日も桜莉は、necolaに泣きついた。
「うち、100%で信じてるわけじゃなかったのね。中の人の違いなんてわかるわけないって」
「え、そうだったの!?」
うなずいて返し、necolaは腕と足を組んだ。
necolaは全身が青い猫娘だ。ふわふわの耳は猫にしてはかなり大きく、はじめて見たとき桜莉はフェネックかと思ったのだが、そう伝えると細かいと怒られた。しっぽも太くてふわふわで、猫には見えない、と今でもこっそり思っている。
「だってねー、なじみのアクならともかく、サポアクでしょ。あれってなんなら、入ってるかどうかも気づかないもんなんだよ。NPCにイレギュラーな動きさせたいときの、ほんの数分とかに入ったりする、そういう仕事なの。イアンザークのラナーだったら絶対に何度もサポアクが入ってたはずだけど、桜莉、気づいたことある?」
気づかなかった。そのときはまだ存在すら知らなかった。
「そんな人達の違いがわかる、って言われてもな。しかも桜莉、
むぐ。桜莉は口をへの字にする。
「でも、でも」
「うん。でも、ケロタニアンの個別は出た。これは正直、めちゃくちゃびびった。フォーラムでモブにも個別つけてくれって要望は時々見てたけど、実装されたなんて聞いたことなかったし、ましてやケロタニアンでしょ。うち、名前覚えてなかったもん。見たことあるカエルだなくらいにしか」
「かわいいのに、ケロタニアン」
「うち、人外は毛皮持ちであって欲しいんで……」
確かに、桜莉も現実のカエルが好きなわけではない。ケロタニアンは、古典の三銃士を思わせるデザインが好きだった。性能としても、前に立って戦ってくれて、回復もしてくれるとあったから、安心できる気がして選んでいた。
「ま、ってことはだよ。これで、公開してないってだけでNPCの個別ルートは実装されてて、そんでサポアクに任せてるのかも、って予想ができるようになった」
「じゃあ、私が言ってることが合ってたってことに……」
「まだ。ならない。だって、ケロタニアンをオルゴールの人が担当する必要って、別にないんだよ」
「どういうこと?」
「アクターの名前、なかったでしょ?」
確かに、個別ルートの申し込みページに、アクターの名前は載っていなかった。イアンザークは少し特殊な表記方法だが、ちゃんとアクターの名前は載っている。
「ケロタニアンは、サポアクの練習用なんじゃないかな。だから誰でも演じられるようになってる。枠もめいっぱい開けられるし、最低料金で10時間なんて無茶な連続拘束時間も対応できる。途中で交代すればいいからね。運営は枠が埋まって、サポアクも経験積めて、万々歳」
たたみかけられ、桜莉は眉と肩を下げる。
「なのに、桜莉は延長ができなかった」
necolaはつい、苦笑を浮かべた。
「それは多分、延長NGを出したのがオルゴールさん本人だから」
桜莉が開いていた予約ページを、指ではじく。
「そして運営は、桜莉がオルゴールの人じゃないと気づいてしまうってわかっているから。だから代わりを入れられず、延長ができなかった……という仮説が、成り立っちゃったわけ」
桜莉はきょとんとしたままだ。
運営が事情を透けさせた。これがどういうことなのか、どうせわかっていない。
余計な入れ知恵、したなあ。
「あのさ、桜莉……」
言いかけると、桜莉がさっと顔を青ざめさせた。
「オルゴールのケロタニアンが、いやがってるってこと……!?」
「あーちがう、そっちじゃなくて、ってまあそれはそうかもしれんけど」
「ごめんなさい、ごめんなさい! 私、つい夢中になって、だって楽しくて」
今度は顔を赤らめて押さえている。
「すごく、楽しくて……」
そう。久しぶりに桜莉が楽しそうだったから。つい。
necolaは言葉を飲み込み、首を振った。
「今日は初の個別だったよね。楽しかった?」
「……うん」
「ラナーだから、細かいことにも対応できるようになってたでしょ」
「……うん! あのね、いつものクエストとなんだか違ったの。ケロタニアンは別にいつも通りなんだけど、話がね、カエル族だったのに、変なの。ケロタニアン、カエル族のことあんまり知らない感じで、それで」
NGの理由は知りようがないし、そもそも仮説が正しいとも限らない。
桜莉が楽しんでいる、そのことが今は重要だ……ということにしておこう。
necolaは終わりそうもない話に相槌を打ちながら、出された電子の紅茶をようやっと飲んだ。
***
次の予約は3日後、時間は3時間にした。これにはひと悶着あり、桜莉は毎日2時間にしたかったのに、necolaは最初から入れ込み過ぎるな、週2日までにしろとブレーキをかけてきた。それならせめてと粘った結果である。
それに予約カレンダーを見ると、この先、10日ほど予約の受付のない期間があるのだ。だったらそれまでにたくさん遊びたい。
夕食を食べ終え、すぐにラナテルデスにログインする。桜莉の仕事はだいぶ融通が利くほうで、入ろうと思えば昼でも入ることはできるのだが、これもまたnecolaから「あんたは夜と休日以外絶対にゲームしちゃだめ」とルールを設けられている。子供じゃないのにとも思うが、だいたいの場合necolaは正しい。
フィフスビーツの雑貨屋へ急ぐ。フィフスビーツの建物は総じて背が低く、牧歌的でかわいらしい。屋根はもこもこの植物が葺かれ、柱や壁に使われる木は丸みが強く、やわらかな苔が彩っている。扉は少しくすんだ赤で、OPENの木札がかけられていた。
「いらっしゃいあせ~」
小気味いいカウベルの音とともに、ねずみ族の店員が舌足らずな声で迎えてくれる。目当てのレターセットはすぐに見つかった。手に取ると説明のウィンドウがふたつ出て、少し驚く。グリーンのウィンドウには、
『アイテム:レターセット。お友達に手紙を出すことができます』
オレンジのウィンドウには、
『ラナーアイテム:レターセット。オレンジで表示された相手に手紙を出すことができます。3日以内に返事が届きます』
……返事?
「ええええ」
「お客様っ? どうされあいた~!?」
ずいぶんな声が出た。ねずみの店員が耳をぴゃっと大きくして、飛び上がる。
「ごめんなさい! ……あの、これ買います!」
メーメおばさんへの挨拶もそこそこに、自室へ急ぐ。扉を閉めると、すぐにレターセットを机に広げた。
宛先候補を開いてみると、ケロタニアン。オレンジ色で表示されている。
やっぱり、ケロタニアンからお返事がもらえるんだ……!
手紙をもらったときから、自分も出したくて出すつもりだった。でも返事については、そういえばなにも考えていなかった。
なんて書こう? いや、書くことは決めていた。necolaの教えその1「世界観は絶対!」。この世界に住むライランとして選択しなければ、魔法は解けるんだよ。その通りなんだろうと桜莉も思う。
だから、このまえのフロミン達とのこと、あのときライランがどう思っていたかを書くのだ。フロミンはさみしい思いをしたけど、これからはそんなことはないはず。力になれたようで嬉しい。カエルのお父さんと話すことも考えたけど、自分の立場では、どんな言葉をかけても届く気がしなかった。
そして、ケロタニアンはいつも見守って、困ると助けてくれるから、感謝していること。今度、ケロタニアンの話も聞かせて欲しいということ――。
入力か手書きかを選べたので、手書きを選んだ。それでも間違えたときは簡単に消せるのだから、便利だ。
だいぶ長くなってしまったけれど、書き上げた便箋を折り、封筒に入れた。蝋を溶かして印璽を押しつける。先ほどの雑貨屋で、桜に似た模様のものを選んだ。
また次のクエストのときには、同じように手紙を書く。そうしたら、あとで読み返せる思い出になる。ライランの冒険譚だ。
これまでもずっとストーリーを進めてきたのに、今はじまったような気分だった。
郵便屋に頼みに行こうとして、ふと自分の部屋が気になった。
ゲームを始めたときのままのそっけない部屋。クエストの報酬でもらった小さなぬいぐるみが2つほど飾ってありはするが、それだけ。
もっと、ライランらしくしたい。
むくっと起こった気持ちに少しあせる。でも、そうだ、ケロタニアンがここに来ることだって、ないとは限らないのでは? 来客用の椅子も、ソファもない。
家具は確か、かなり高かったはず。だから自分には関係ないものと思っていたけど、せめてソファとセンターテーブルくらいは欲しい。色味がまったくないから、ライランらしい中華風のラグ、高いならマルチクロスくらいなら買えないだろうか?
「どうしよう、necolaちゃん」
これが、沼っていうことなのかもしれない。桜莉は頬を押さえた。
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