マリア

「ああ、なんだか、聞いたことがある気がする

「え、本当ですか」

 思わず声が出てしまう。ここ二日で知っている人に会ったのは初めてのことだった。

「詳しく聞かせていただけますか」

 初老の紳士は伸ばした髭をさすりながら、宙に視線を上げる。記憶を探っているようだ。

「確か、そうだな。あれだ、市場近くの、大きなレコードが目立つレコード屋だった。その店のとても美しい淑女から聞いたから覚えていたんだ」

 急いで口の中で復唱し、紳士の言葉を覚える。ロッカーが感謝の言葉を述べ、乾杯をする。

「世界に光を」

「世界に光を」

「えと、世界に光を」


 一度解散し、それぞれの家に帰ることにした。その家路にてシューマ君とアイネ君にあっって、少し立ち話をした。彼らは本当にすごい。なんせ、魔王を倒しに行くのだから、相当な勇気が必要だろう。さすが、勇者だ。

 煉瓦造りの古びた家の、扉を開ける。暖かい、というには少し寒い我が家が待っていた。晩御飯を食べるような気分でもなく、りんごを一つ剥いて食べた。

 その酸味をまだ残したまま、私はピアノの前に座る。作曲だ。もうすぐロッカーの誕生日が近い。好きなお音楽を聴いたのは、それに合わせた曲を作ろうと考えて、のことだ。全ては計算の上で成り立っているのだ。

 ロッカーが喜ぶ姿を想像し、一人で笑う。そのあとで、ひどく滑った自分を想像して、ピアノの演奏を間違えてしまう。

「喜んでくれるといいなあ」

 ようやくひらめきが降りてくる。勢いに任せて弾く。いくつもの夜の繰り返しと、たった一人の彼の存在に想いを馳せる。ある夜のことを思い出した。


「マリアは、何になりたいんだ?」

 まず最初に出てきたのがあなたの隣、その次に出てきたのがピアニストだった。そのどちらも、口に出すにはあまりにくすぐったかったため、急いで代案を考える。ふと、子供の頃のロッカーの映像が脳裏をよぎる。無垢な心の少年を応援する人。

「ジムノペディスト、なんてどう?」

「なんだよ、それ」

 思っていた答えが得られなかったからか、ロッカーは少し不服そうだったけど、それでも最終的には負けて、笑っていた。


 この曲の名前は、ジムノペディにしよう。ジムノペディスト、チャラにも多少は信頼がつくだろう。

 窓からはまた誰かの音楽が聞こえてくる。そうして私の夜は溶けるように過ぎていき、次の朝がやってくる。それでもまだ世界は薄暗いままで、私の大好きな彼は少しでも抵抗しようともがき続ける。今日も私はロッカーと、絶えない音楽に乗せて、死に希望を求めて旅をする。



第三話

『一つの小さい夜の音楽』

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