第36話 見えないもの

「オムリィ! ここにミアが来てないか?」


 俺は息を切らせながら、オムリィの居室に駆け込んだ。


「来てないけど、何かあったの?」

「朝起きたら、ミアがいなくなってたんだ」


 ミアのことはいつも見ているわけではない。

 一人でトイレや食堂に行くことだってできる。

 だが、今回は嫌な予感に胸が騒めいていた。


「他に行きそうな心当たりは?」

「近場はだいたい探したんだけど……」

「警備室にも行ってみよう」


 オムリィは研究員の権限を使って、監視カメラの映像が記録されている警備室へ連れていってくれた。

 驚くほど至る所の映像が記録されている。

 この研究所ではプライバシーよりも機密が大事にされていることがよくわかる。


「あ、ここ!」


 数時間前の映像でミアの姿は簡単に見つかった。

 研究棟を離れ、中庭の辺りを歩いている。


「正門の方に向かっているのかしら」

「おい、ここ!」


 ミアの行方を見失わないように、目を皿のようにして見ていたが、突如、かき消すようにミアの姿が消えてしまった。


「な、なんで消えたんだ! エラーか?」

「慌てないで! これはきっと――」


 オムリィは映像を記録している装置をいじりながら、魔素に指示を出していく。

 カメラの映像は次第に形を変え、サーモグラフィのようなカラフルな映像に切り替わった。


「これは熱源を見ているのか?」

「そう。それと、こっちは空気の密度や種類、エネルギーの乱れがないかも確認してるの」


 熱源センサーによると、姿は見えないがそこにはミアと同じくらいの大きさの熱源があることを示している。

 他にも色々な映像を見せてくれたが、結論としてはミアの姿は見えないだけで、そこにいるらしいということだった。


「良かった。いなくなった訳じゃないのか」

「あれ? この人はまだ残っていたの?」


 オムリィが指した通常のカメラ映像には、あのヤーシンの秘書の女性が映っている。


「だんだん近づいて行くね」


 その女性はミアが消えた地点まで行くと、目には見えないはずのミアを抱き上げて、背中へと背負った。


「アイツ!」


 俺は声を荒げたが、その場面は過去の映像だ。

 女性はそのまま何事もなかったかのように正門から出ていった。


「なんで守衛は気が付かなかったんだ!」

「研究棟から出る時のセキュリティは厳しいんだけど、正門までは厳重じゃなくて。それに、まさか背中に見えない女の子を背負っているなんて……」

「くそっ」


 俺は悪態を残して、警備室を飛び出した。


「どこへ行くの!?」

「決まってる、カルセイワンだ!」


 犯人はわかってる。

 ヤーシンの仕業だ。

 直接乗り込んで、ミアを取り返さなければ。

 また、あんなことが起きてしまったら……

 俺は元の世界であったことを思い出して身震いした。


「ワタシも行くよ!」


 オムリィも俺の後に続いて駆けだした。


「いいのか? カルセイワンに喧嘩を売りに行くようなもんだぞ。オムリィの立場が――」

「いいの! 今までの戦いでは何にもできなかったし、ワタシもルイの役に立ちたいの!」


 その目には反論は許さないという強い意志が感じ取れた。

 オムリィは俺と違って、こちらの世界でしっかりとした地位のある研究者だ。

 それを台無しにしてしまうかもしれないことに、罪悪感はあった。

 しかし、それよりも今はミアの元に急ぎたかった。


「わかった! 俺も議論で時間は使いたくない! 頼りにするからな」

「うん!」


 俺たちは研究棟の外の飛行許可区域に入ると、すぐにカルセイワンを目指して飛び立った。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「このまま飛んで国境を超えることはできるのか?」


 俺たちはよく知った国境基地の辺りまで来ていた。

 すでにカルセイワン側の国境も目視で確認できる。


「それは辞めた方がいいかも。空域は一番監視が厳しいし、問答無用で敵勢力と見なされちゃうから」


 ミアを取り返すためなら戦闘だって辞さないが、争いごとは起こさない方がいいに決まっている。

 それに俺にはダメージがないかもしれないが、一緒にいるオムリィは空撃されたら一溜りもないだろう。


「よし、降りるぞ!」


 俺たちは国境基地を超えて、あの中立地帯へと足を下した。

 ここへはオダとの戦いで何度も来ているが、カルセイワンの領地に近付いたことは一度もなかった。


「あれが向こうの国境だよな」


 国境基地からでも確認できていたその壁は、近くで見るとなおさら高く感じた。


「正々堂々と正面から行ってみるか」


 何も悪いことをしたわけではない。

 むしろ義はこちらにあるのだ。

 下手にあくどいやり方をして、相手に付け入る隙を与えたくもない。


「だけど、もし拘束でもされたら面倒なことになるよなあ」


 こんなところで時間は使いたくない。

 できることなら、見えない風のように通り抜けてしまいたいものだ。

 見つかりたくないという思いを抱えたせいか、少し伏し目がちに足を進める。

 そんなことを考えていると、一陣の風が通り抜け視界が一瞬ぼやけたような気がした。

 ふと顔を上げると、もう守衛の目の前まで来てしまってした。

 しかし、至近距離まで来たにも関わらず、守衛はこちらの方を見ようともしない。


「あ、あの」


 俺が声をかけると、守衛はキョロキョロとあたりを見回した。

 何やら腕に付けたデバイスいじっているが、一向にこちらの相手をする気がない。

 その態度にイラつきを覚えたが、オムリィが無言で袖を引っ張り、一度距離を取るように合図してきた。


「なんだか態度のおかしな守衛だな」

「そうだね。何か変だと思うの」


 そう言ってオムリィはディスプレイが付いたデバイスを広げ、魔素へ指示を出し始めた。

 それはあの警備室で聞いたのと、同じような魔法だ。


「やっぱりおかしい」

「何がだ?」


 オムリィが持つディスプレイには何も映し出されていない。


「これを見てほしいんだけど」

「何も映ってないよな?」

「そうなの。ワタシたちの姿を映し出すように魔素にお願いしたんだけど、何も映らない」

「ミアが消えたみたいに透明になる魔法を使った?」

「使ってないよ。それに熱や空気、その他のエネルギーにも何も変化が見られないの」

「それって――」


 俺たちの存在が完全に消えている?

 でも、どうして。


「さっきの守衛の様子だと、声は聞こえたみたいだよね。でも、姿は見えなかった」

「それであんな変なリアクションになったのか」

「国境の警備だから、当然熱源センサーもある。だから、見えないだけじゃ感知されるはずなの。でも、それも無理そうだった」


 あのデバイスはエネルギーの変化を探っていたのか。


「でも、理由がわからないわ」

「まさか!」


 この現象には覚えがあった。

 オダが乗り込んできた時も誰にも気づかれていなかった。

 それと同じ現象が俺たちにも起きている。


「俺が異世界人なのが影響しているのか?」

「そう、なのかな」

「原理はわからないけど……」

「指示を出さなくても魔素が勝手に干渉しているのかな」

「……オダが暴走した時の現象にも通じるものがあるな」


 魔素に指示を出さなくても、オダは火球を生成していた。

 それがオダの望んだ現象だったのかまではわからない。

 しかし、魔素がこちらの意思を汲み取って動ける可能性を示している。

 それは、魔素自体にも意思があることの証明でもあった。


「魔素にも意思があるとか」

「信じられない……、いや、ワタシだからこそ信じないとね」


 魔素に意思があれば、話すことも可能かもしれない。

 それはオムリィの研究の骨子そのものだった。


「でも、声も発してないよね。そしたら感知しているものは……」

「ちょ、ちょっと待って! 研究モードに入るのは後にできないか?」

「あ、ごめんなさい。つい……」


 オムリィは少しだけ顔を赤らめた。

 自分が研究していたものの真理が見えるかもしれないんだ。

 夢中になってしまうのも無理はない。


「とにかく、守衛のリアクションの原因はわかったね。これならヤーシンのとこまですぐに行けそうだね」

「ああ、これなら飛んで行っても大丈夫かもな」


 俺たちは物音を立てないように守衛の横を抜けると、すぐに飛び立ってヤーシンの元を目指した。


「ヤーシンは議事堂にいるはず!」

「了解!」


 大臣職についているヤーシンは日中であれば会議に備えて議事堂にいる可能性が高かった。

 議事堂はカルセイワンの中心にあり、国境からは少し距離があったが、空中を移動できたため、数時間で着くことができた。

 俺たちは議事堂の外壁に身を下し、内部に侵入した。


「さすがに、この中のどこにいるかまではわからないね」

「人に聞いても簡単に教えてもらえるとは思えないしな」

「あ、あれ!」


 オムリィは吹き抜けから、下に見える広場を指さした。

 そこには兜を目深に被ったよく知る男がいた。


「ナオト!」


 悪い奴ではないが、今回は敵になるだろう。

 以前対峙したときに、手も足もでなかったので、出来れば見つからずにやり過ごしたい。


「ま、今の俺たちは見えないんだ。気にする必要もないか」

「ね、ねえ。こっちを見てない?」


 そう言われれば……

 次の瞬間、ナオトはこちらに向かって飛び上がってきた。


「呪われた血が役に立ったか」


 苦々しく言葉を吐き、俺たちの目の前に浮いているナオトと目が合った。

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