第35話 交渉

「いったいどういうことだ?」


 冗談ならば笑えない。

 しかし、オムリィの顔は真剣そのものだ。


「異世界からの交信です! あちらの世界から、『私は無事』というメッセージがありました」


 俺は喜び、飛び上がった。

 ヒナは死んだわけではなかった。

 いや、こちらの世界では確かに死んだのだろう。

 魔法で死ぬとこちらの世界に来れたように、向こうの物で死んだから、元の世界に戻ったのだろうか。


「なんにせよ、良かった」


 俺は胸を撫でおろした。

 が、すぐに騒めく不安が押し寄せてきた。


「ちょっと待て。じゃあ、もしかしてオダも……」


 あいつも元の世界に戻っているんじゃないだろうか。


「……その可能性は高いね。オダ君の死体は消えちゃったんだよね? 普通じゃないとは思ったけど、あっちに戻ったってことなのかも」

「すぐにヒナに知らせないと!」


 あちらの世界に戻ったなら、またオダを止めるすべがない。

 俺もナイフで自害して、向こうの世界に戻った方が早いか?

 いや、考えるよりまずはヒナに連絡だ。

 オダがあちらに戻ったと確定したわけではない。

 オムリィにあちらの世界との交信を頼み、俺は情報を集めるために、国境基地にいるガルザードに連絡を取った。


「ああ、君か。どうした?」


 通信機ごしだが、ガルザードが俺を心配してくれていることが伝わってきた。

 別れ際にも、ヒナが死んだことは自分にも責任があると言っていた。

 だから、この連絡は彼にとっても朗報だろう。


「君に言われて確認してみたが、確かにヒナ・コスタの死体はなくなっていた」


 やはりそうか。

 ヒナがあちらの世界に戻っているなら、死体もなくなっていていいはずだ。

 死んだ後はすぐに棺桶に入れられたので、わざわざ死体を確認する機会はなかった。

 文化の違いもあるだろうが、古い慣習に則った弔いをしていたら、もっと早くこの事実に気が付いていたかもしれない。


「それで、君はどうするんだ?」

「それは……まだわかりません」


 向こうの世界に戻りたい気持ちはある。

 しかし、また死ぬというのはやはり恐怖だ。

 まだ、死ねば向こうの世界に戻れると決まったわけでもない。

 それに一番の気がかりはミアだ。

 こちらに置いていくことはできないが、ナイフで殺すなど、少なくとも俺の手ではできない。


「そうか。私の方でも異世界関係の資料を当たってみよう。何かわかることがあるかもしれん」

「ありがとうございます」

「気にするな。ただの趣味だ」


 照れ隠しのようにそう言ったが、それも彼の優しさだ。

 こちらの世界での情報収集は俺がやるより、こちらの人に任せた方がいいだろう。

 次に俺はオムリィの交信の結果を聞きに実験室へと向かった。


「どうだった?」

「んー、連絡はないけど、いつも返信があるまで数時間はかかるからね。まだ届いてないだけかも」


 落ち着かないが、焦ったところで交信が早まることはない。

 俺が部屋の中でミアをあやしながら待っていると、職員が俺たちを呼びに来た。


「お二人に話があるとカルセイワンの方がいらっしゃってます」


 その国の名前を聞いて、場の緊張感が高まった。

 明確な敵国ではないが、あんなことがあった後だ。いいイメージはない。

 それに俺たちに用事とはいったいなんだろう。

 通された部屋にいた人物を見て、驚きの声を発した。


「お前は――」

「こう見えても、我はそれなりの立場の者だ。口の利き方には気を付けたまえ」

「こちらはヤーシン・キョウ・ダウ魔法技術大臣です」


 ヤーシンの隣に座っていた女性が紹介してくれた。

 大臣ということは相当偉い地位なのは本当だろう。

 ナオトが言うことを聞いていたことも、それを裏付けている。

 だが、そんな立場の人が俺に用がある?

 向こうの世界の話を聞きたいとかだろうか。


「その子供は?」

「ああ、申し訳ありません。この子は私の娘のミアです」

「ふむ、こちらの世界で産まれたわけではなさそうだが」

「不運にも、親子そろってこちらに来ることになってしまいました」

「君たちにとっては不運だったろうな」


 しまった。

 気を悪くさせてしまったか?

 こちらの世界が悪いという意味ではなく、一度死んでいることを不運と表現したのだが、そこまでの情報は得ていないか。


「こちらのお子さんは私が面倒をみておきましょう」

「ああ、そうしてくれ」


 その女性はヤーシンの秘書なのだろうか。

 会議には参加させられないとのことで、ミアを連れて退出しようとした。

 しかし、ミアを知らない人に任せるのには抵抗がある。


「同席させることはできないでしょうか?」

「同席といえば、もう一人、異形の者で成人した女性がいたはずだが、その者こそ同席してほしいものだ」


 何も知らないかのように、ヤーシンはそう言い放ったが、その声色からはヒナがもうこの世にいないだろうと予想していることは伝わってきた。

 ヒナがあちらの世界で無事であることまでは知らないだろうが、一度死んだという話をミアには聞かせたくなかった。

 その感情まで勘定にいれているのかは計り知れないが、俺は前言を撤回して、ミアを退室させることに同意した。


「それでは早速本題だ。こちらで拘束していた異形の者が脱走した。何か心当たりはあるか?」


 そのことか。

 やけに早く解放されたと思っていたが、脱走だったとは。

 そして、既に死んでいることまでは掴んでいないと。

 いや、もう知っているからこそ、ここにやってきたのか?

 俺がどう答えるべきか悩んでいると、オムリィが先に答えてくれた。


「その方はここには来ていません」


 なるほど、その言い回しに感心した。

 相手の思惑がわからないうちに、情報はあたえたくない。

 しかし、これも嘘ではない。

 オダが来たのは国境基地で、サイギョ・コーワの研究所ではないからだ。


「他に知ることもないと。そういう意味の回答と受け取ってよいのか?」


 だが、ヤーシンは曖昧な回答は許さなかった。

 しかも、修羅場を潜り抜け、高い地位にいるものだけが発することができる威圧感を存分に発揮している。


「オダは元の世界へと帰った可能性があります」


 代わりに俺は正直にそう答えた。

 オムリィは横目でこちらを見たが、この判断に異論はないようだった。


「世界間を行き来する方法が見つかったということか?」

「それは確かではありません。実証できるかもわかりません」

「仮説の実証。一番の肝が不十分か」


 これは少し嘘だ。

 『持ち込んだ武器で死ぬとあちらの世界に行く』という仮説は、ガイアの拍動を用いた交信技術によって確認することができる。

 しかし、原理的な理解まではできないので、実証できないと言えないこともない。

 おそらくヤーシンは世界間で交信できる技術のことは知らないだろう。

 そこまでの情報は与えたくはなかった。


「あの者があちらの世界に戻ったという証拠は?」

「ありません。あくまで私の推測です」


 俺自身もその確証がほしい。

 いや、ヒナのことを考えれば、オダはあちらの世界に戻っていない方がよい。

 だが、残念なことに、この推測は当たっている予感がある。


「お前はあちらの世界に戻るのか?」

「いえ、確実な方法ではありませんので、その予定はありません」


 ないと言い切ってしまったが、予定は未定だ。

 これも嘘とは言えないだろう。

 オダが向こうにいることが確認できたら、その後俺はどうするのが最善なのだろう。


「こちらの世界にいないことを証明させるのは、悪魔の証明で不可能か」


 意外なことに、ヤーシンからそれ以上の追及はなかった。

 地位の高さを利用すれば、俺たちをもっと劣勢に追い込むこともできただろうに、それをしないのは気心の高さなのだろうか。

 その理由が優しさなどという甘い幻想ではないことは確かであった。


「せっかくだ。この施設を見学したい。案内を頼めるか?」


 それから、あの戦いから今までの情報をお互いに整理し終えると、ヤーシンは見学を申し出た。

 魔法科学技術大臣なだけあって、他国の魔法技術への関心も高いようだった。

 国境基地ではなく、こちらに訪れたのも、初めから見学目的があったのかもしれない。

 俺は研究所内を自由に動ける身分ではないため、オムリィが案内する運びとなった。


「さて、ミアを引き取りに行くかな」


 ミアのことは気にかけているつもりだが、何かと人任せにしてしまう機会が多い。

 優先順位は最上位であるはずだが、どうも仕事が邪魔になってしまう。

 定職についていないこちらの世界で、ミアとの関係を改めて構築する良い機会になるかもしれない。

 研究棟うを出ると、ミアがサイギョ・コーワの中庭で秘書の女性と遊んでいるのを見つけた。

 女性はこちらに気付くと軽く会釈をし、ミアに迎えがきたことを伝えた。


「これもらったよー!」


 ミアは綺麗な宝石がついた首飾りを自慢げに見せてきた。

 人から物を貰ったら、ちゃんと報告ができる、とても良い子だ。

 些細なことだが、俺は改めてミアの良さに感動した。

 しかし、子供が付けるものにしては些か高価そうだ。


「こんな高そうなものはいただけませんよ」

「いえ、これは高いものではありませんよ」


 そうなのだろうか。

 こちらで買い物をしたことがないため、モノの価値がわからないが、この宝石のような石はありふれているものなのだろうか。


「この宝石などは、とても高価なものに見えるのですが」


 聞かぬは一生の恥だと思い、自分の無知を恥じることなく問いかけた。


「これは魔石です。こちらの世界ではモノに指示を出すためによく用いられています。例えば、あちらのカメラやドアも魔石によって動いています」


 そういえば聞いていた気もするな。

 こちらの世界で物を動かす仕組みは魔石と魔素だと。

 俺がいた世界でいうと、電池とプログラムの両方の役目を果たすものが魔石か。

 電池だと思えば、それほど高価なものでもないか。


「では、本当にいただいてしまってもよろしいのですか?」

「ええ、もちろんです」

「わーい! もうこれミアのだからね!」


 正式に俺の認証もおり、ミアは首飾りがもらえたことに喜んで、中庭を走り回った。

 体の全てを使って、喜びを表現する様は見ていて心地が良い。

 秘書の女性も微笑んでミアのことを見守ってくれている。


 しばらく中庭で時間を潰した後、俺たちが研究室に戻ると、ちょうどオムリィも見学の案内から戻ってきたところだった。


「どうだった?」

「案内できる実験室は少なかったから、楽しんではもらえなかったかも」

「突然のことだったからな。仕方ないさ」


 実験内容には機密事項が多い。

 しかも、他国の大臣が相手ともなれば、見せる情報も慎重に選ばなければならない。


「そういえば、交信の方はどうなってるかな」

「それなら帰り際に見てきたけど、まだ何もきてなかったよ」

「そうか……」


 もう最初に連絡を送ってから6時間は経っている。

 何かしらのリアクションがあってもいいはずだが。


「何かあったのか……」


 連絡を見る前にオダの邪魔が入ったのか。

 それとも実験操作に手間取っているだけなのか。

 単に見ていないという可能性もまだ捨てきれない。

 こちらからはメッセージを送ることしかできないというのが歯がゆい。


「待つしかないか」

「あ、そういえば、ルイの仕事の件だけど、ここで働かせてもらえそうだよ」

「本当か!?」


 それは嬉しい知らせだ。

 あちらの世界に戻る手段が確実でない今、こちらの世界で生きる手段は必要だ。


「研究員じゃなくて、ワタシの助手って形だけど……」

「充分だよ!」


 魔法に関して専門知識のない俺の仕事なんて、お茶くみかトイレ掃除くらいなもんだと思っていた。

 研究に携われるなら、どんな立場でも大歓迎だ。


「良い知らせが聞けて良かった……」

「ミアも今日は良いことあったよー!」


 ミアは満面の笑みで、自慢げに首飾りをオムリィに見せている。


「綺麗な首飾りだね。何の魔石だろ? 見てもいーい?」

「だめー! これはミアの!」

「おいおい、取られたりはしないぞ」

「いーの! ミアのなの!」

「ふふふ、よっぽどお気に入りなのね」


 ここまで物に執着するなんてミアにしては珍しいことだ。

 もし向こうの世界に戻ることになっても何とかして持って帰ってあげたいな。

 ミアは寝る時まで、その首飾りを離そうとしなかった。


 そして次の日

 目が覚めるとミアが姿を消していた。

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