第32話 力技にほんの少し頭脳を加えて
「総員戦闘配置に付け!」
国境に戻ると既に作戦準備が始められていた。
俺の予感通りオダが攻めてきたようだ。
「どこへ行っていた! 君がいないと始まらないぞ」
「すみません。すぐに準備します」
既にオダは国境の外の中立地帯に姿を表している。
俺はすぐに外壁に行き、浮遊魔法を使ってオダの前へと向かった。
「そちらから近付いてくるとは予想外だ」
すぐ目の前に降り立った俺に向かって、オダが言った。
手には前回奪ったナイフをこれ見よがしに持っている。
「このナイフがあれば、君を殺すことだってできるだろう。それなのにわざわざ接近してくるなんて、いったいどういうつもりだい」
「こういうつもりさ」
俺は右手を振り上げて合図を送った。
今回の俺の役目は接近戦でオダを倒すことではない。
オダがナイフを持っていることを確認するのが俺の役目だ。
俺が囮になれば、倒すためにナイフを出すはずだと予想していた。
しかし、自分が優位に立っているという油断からか、オダはあっけなくナイフを持っていることをアピールしてくれた。
計画は次の段階に移る。
「総員放て!」
俺の合図を見た兵士たちは、外壁の上から魔法を発動する。
魔法によって実際に投擲されているのは、直径数メートルの球状の物体だ。
「なんだこれは」
オダは浮遊魔法を利用し、それらを回避する。
「させるか!」
もう一つの俺の仕事はオダの回避行動の阻害だ。
既に俺も浮遊魔法は使えるため、その原理については理解している。
それならば、相手の浮遊魔法を撃ち消すエネルギーを生成することも容易だ。
「くそ、邪魔をするな!」
オダは自分の身体を上手くコントロールすることができず、回避速度を落とす。
外壁から放たれた物質はオダを仕留めようと、その周囲をぐるぐる回って取り囲んでいる。
「今だ!」
オダが一際大きく体勢を崩したのを契機に、周囲の球体が一斉にオダに集結する。
「こんなもの!」
オダは球体に対して反発力を生じさせるが、球体を操っているのは数十人の兵士たちだ。
オダ一人の力では、その全てに対処することはできない。
あっという間に、オダの身体は球体に押しつぶされる。
潰されたオダには当然ダメージはない。
しかし、今回の場合、ダメージの有無は重要ではない。
その球体は柔らかい素材でできており、クッション性に優れているため、オダの身体を優しく包み込んだ。
「次のお前の行動は予想できるぜ。物理的に押し返せないなら、球体を分解して消し去ろうとするだろ」
「なんだ、これは? 有機物か?」
「だけど、お前にはこの物質の組成はわからない」
この柔らかい素材の正体はソンフレートだった。
こちらの世界では安全のために道路に敷き詰められているありふれた素材。
しかし、文化の違う俺たちの世界では、この物質は開発されていなかった。
何でできているかわからないものには、化学的な知識を活かすこともできないため、分解することはできない。
「さあ、最終段階だ」
ヒナやオムリィ、ガルザードたちが俺の元に集結する。
今や球体の集合は一軒家ほどの大きさになっている。
これほどの大きさであれば、いくらオダが物理的な力を行使しても、出てくることはできない。
「オダくんは動きを止めたわ」
「ああ、わかるよ」
ヒナがオダの場所を俺たちに伝えるのが、最終フェーズ開始の合図だ。
しかし、俺もそこに口を挟んだ。
「ルイも場所がわかるようになったの?」
「ああ、なんとなくだけどね」
しかも、現状はオダの場所だけを感じることができる。
それはなんとなく不快だったが、今は一番必要な能力なので目を瞑ることにしよう。
逆説的には、今一番必要だと俺が思っているから、わかるようになったのかもしれないけど。
「それでだ、俺も場所はわかるようになったから、約束通り役目は交代な」
役目というのは、最後にオダの手からナイフを奪う役目だ。
最もオダに近づくため、最も危険が大きい役目となる。
「でも、私がやっても問題ないでしょ?」
「いや、ある」
俺はピシャリと否定した。
「お前が傷つく可能性があるのは俺が嫌だからだ」
「ちょ、っと何よ、それ」
ヒナは俺の理論に納得できないようで食い下がってくる。
「それは私だって同じよ! 一方的な理屈を押し付けないで」
「あ? なんだその理に適ってない反論は」
「そっちもでしょ!」
「おい、今はそんなことを言い争っている場合ではないだろう」
俺たちが感情的に言い争い始めたのを、ガルザードが止めた。
どちらでもいいから早くしろと言いたげな目をしている。
「ええ、わかってます」
俺は自分の配置に付いた。
それを見て、他の人たちも配置につく。
球体の中に突入するのは、一人ではない。
オダもこちらの場所がわかるため、一度に数人で突入し、相手の意識を拡散させる必要があった。
つまり、いくら事前に話し合ったところで、結局ナイフを奪うのは早いもの勝ちだ。
ヒナより先に俺がナイフを奪ってしまえば、問題はない。
「よし、では分解を始めろ。窒息せぬように、ガスの排気を同時に行うのを忘れるなよ」
ガルザードの合図で、俺たちは球体に手をかける。
ソンフレートの組成は予め学んでおいた。
分解に必要な熱量や触媒、反応経路や副生成物もバッチリだ。
毒性のあるガスが出てしまうが、それはこの際仕方がない。
俺は念のため口を手で覆いながら、ソンフレートの分解を開始した。
ソンフレートは溶けるようになくなっていき、球体の内部へと入りこめる。
急げ、ヒナより先に辿りつかなくては。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「これは、こちらの世界の文明を侮っていたな」
オダは身動きが取れなくなった球体の中でそう自戒していた。
魔法がある分、科学技術の発展は元の世界の方が上だと認識していた。
いや、その認識自体はあっていただろう。
しかし、独自の路線での発展があることを失念していた。
この物質が何か検討がつかない。
可能性がありそうな有機物だと仮定して、いくつか分解を試みていた。
有機物であれば、炭素結合はあるはずだ。
水素も入っているだろう。
しかし、物質が変化する様子はなかった。
「しかし、向こうも打つ手はないはずだ」
ここに閉じ込めたところで、決定打はないはず。
このまま餓死させる作戦だろうか。
異世界人も餓死するのかどうかはオダ自身も知らなかった。
「それならその間に組成分析をするまでだ」
こちらの世界では、電気に頼らず測定ができる。
それならば、原理さえ理解していれば、どこでも組成分析は可能だ。
「まずは、蛍光X線かNMRか赤外吸収か。どこから手を付けるのがいいだろうか」
すぐに出ることは諦めて、この物質とじっくり向き合おうと決めた時だった。
オダは複数の人の気配が近付いてくるのを感じた。
「長期戦をするつもりはないということですか」
危険を冒してでも、短期決戦に持ち込みたいようだ。
これは、それだけオダの科学知識を危険視していることの表れでもあった。
「まずい、ですね」
今のオダは指一本動かすことができないほど、未知の物質によって押しつぶされている。
「そうか、ナイフの所持を確認するのが、アイツの目的だったのか」
のこのこと自分の前に現れた男の目的に気が付き、オダは歯ぎしりした。
考えてみれば当然のことで、このナイフなくしてオダを倒すことはできない。
それならば、ナイフの奪還が最優先事項だ。
一人、また一人と気配がオダに近づいてくる。
「一人だ。一人ならヤれる」
最終手段ではあるがこちらからナイフを手離せば、一人だけ倒すことはできるだろう。
ならば狙うのは――
「当然、アイツだな」
オダはルイ・エリクセンへと狙いを定めた。
他の人は魔法での攻撃が有効だ。
どうとでも対処できるはず。
「真っ直ぐここに近づいてくる。スピードからして、この気配がアイツか」
オダは自分の手の中にあるナイフに運動エネルギーを付与した。
ナイフはオダの手を離れ、柔らかい球体を突き破って一直線に進んでいく。
ナイフが通った道筋を伝って、赤い血が流れてきた。
オダは勝利を確信した。
そのとき、ナイフを掴んでいた右の手が急に束縛を解かれた。
その手の周りの物質が消えたようだ。
消したのは新たに近づいて来ていた別の気配。
その気配は、ナイフが刺さった人と共に球体の外部へと脱出した。
それはオダにとって好機だった。
物体を物理的に押しのけて、スペースを広げる。
右手に空間を作った人物が通った道筋を追い、球体の中から脱出を図る。
「油断したな! 外に出てしまえばこちらのものだ!」
そう言い放ったオダの目に飛び込んできたのは、血まみれのヒナを抱えるルイ・エリクセンの姿だった。
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