第18話 ある青年の苦悩
僕は天才ではない。
そんなことはわかっているけど、必死に研究に打ち込んできた。
研究が好きだったからなのか、自分にはできると過信していたのかはわからない。
ただもう僕は後戻りができないところまで来てしまった。
そんなある日、企業で研究しているという修士卒のやつが僕の研究室にきた。
修士卒で"研究者"を名乗るなんて笑えもしない。
研究がしたくて、研究が好きで、研究を頑張っている?
そう思うならなぜ博士課程に進まなかったのか。
論理性に欠ける行動をするやつは嫌いだ。
しかも、あの人と仲が良いらしい。
遊びに行っただのと、僕にそのことをアピールしてきた。
だが、薄っぺらい関係のようだ。
相手の趣味を理解しようという姿勢もない。
僕は相手に合わせて、訳のわからないネズミや犬が戦うゲームも嗜んだ。
それに遊びだなんて。
研究で力になれないでどうする。
これだから修士卒は嫌いだ。
しかし、研究が好きだというのは本当のようだった。
楽しそうに研究をする姿は僕の心を蝕んだ。
その意識の低さと責任感のなさが羨ましかった。
結果は出なくてもいいのだろう。
ただの趣味なら誰でも楽しめる。
でも僕はそうじゃない。
今まで学んだ知識や経験を活かして、社会に対してインパクトの大きい仕事がしたいんだ。
異世界や魔法についての研究は興味深いテーマだった。
僕自身そういったものへの造詣は深いし、憧れもあった。
そんな神にも等しい力の研究。
僕の全てをつぎ込むべき研究に出会えた気がした。
幸運なことに、修士卒の彼はその学歴に見合った程度の能力しか持っていない。
すぐにこのテーマでも僕がリードできるだろう。
手始めにこちらの世界でも魔法が使えるかどうかの実験を行った。
彼はエネルギーが送られてきているだけだと考えているようだが、それでは辻褄が合わない。
僕の予想では魔素と言われる物質も同様に送られてきているはずだ。
それが真ならば、こちらの世界でも魔法が使えてもおかしくない。
今日は水の魔素が送られるとのことなので、それに関する魔法を検討しよう。
「ウォーターアロー」
人気のない河原に立って、水の矢を意味する言葉をつぶやいてみたが、何かが起きる気配はない。
基礎魔法以外は具体的な指示が必要だと異世界人が言っていたな。
「水の矢よ。ここに生まれろ」
これでも何かが起きる様子はなかった。
具体性が足りないのだろうか。
そもそも、こちらの世界では魔法は使えないのか。
いや、水の魔素がまだ送られていない可能性もある。
諦めるのはまだ早い。
水の魔素と言っても何を司っているのか。
水、H2O、水分、雨、川、湿度、水蒸気、氷。
水の矢は水で構成された矢だが、その矢の形や大きさも、水の扱いもイメージできていない。
「水素と酸素原子より構成される水と呼ばれる分子を持って、縦横5 cm高さ3 cmの三角錐とその底面から垂直方向に延びる半径2 cm、長さ30 cmの棒を生成する」
これだけ具体性を持って指示を出したが、水の矢が現れることはなかった。
何が原因なのだろうか。
僕は目の前に流れる川をただ眺めた。
この川も水だな。
考えているうちにすっかり暗くなり、ぽつぽつと雨も降ってきた。
あちらの世界から水の魔素が送られてきた影響だろうか。
いや、こんなに目に見えてわかる変化が世界中で起きていたら、生態系は一瞬で崩壊してしまう。
しかし、この天からの恵みは僕のイメージを補う助けとなった。
「川に雨が降り水量が増える」
「水は塵を核として集まり球を作る」
「重みがあれば落ちるのは当然」
「局所的な大雨」
「海に日が当たり、蒸発する」
「雨雲が集まる」
「雲の水蒸気は集まって水滴となり地に落ちる」
イメージしたのは雨が降り、川となり、海へ流れて、雲を作り、また雨を降らせるという一連の流れ。
目の前の川や雨の助けと、自分が持っていた知識のおかげで詳細なイメージができた。
気が付けば川の水量は増し、僕の足元まで水が迫ってきていた。
「あ、危ないな」
僕は慌てて土手を駆け上がる。
これほど少量の雨で、ここまで水位が上昇するのはおかしい。
まさか魔法の力なのか?
いつの間に発動した?
僕はその力が怖くなり、その日は家に帰ってしまった。
僕は考えた。
あの力を使うことは正しいのだろうか。
何が正しくて何が間違っているのか。
正解かどうかは実験によって確かめられる。
正義かどうかはこの世の悪を懲らしめることで成し遂げられる。
その二つができるのは世の中の上澄みである僕しかいないのではなかろうか。
力を恐れるな。
しっかりと理解し、制御すれば恐るるに足らず。
無知が恐怖を生み出すんだ。
僕は決意した。
次の日は、火の魔素が送られることになった。
火は水よりも概念的で操るのは難しいかもしれない。
しかし、僕は決めたのだ。
今度は人気のない公園に行き、魔法に関する実験を始める。
「ファイヤーボール」
とりあえず、昨日と同じく技名だけを唱えてみるが何も起きることはない。
これは想定通りだ。
昨日の実験で学んだことは、かなり具体的に、しかも自分がイメージできる現象を思い浮かべないと魔法は発動されないということだ。
火とはなんだろうか。
熱源であり光源。
何かが燃える時に発せられる現象。
そうだ、何か燃えるものが必要だ。
目標は火球の生成。
人魂と見間違える現象に、地中から漏れ出たガスが燃えるというのがあったな。
だとすると、
「まずは燃焼物質の生成だな。ガスはメタン、エタン、プロパン辺りを想定するか」
炭素数の少ない炭化水素の生成を検討する。
しかし、それらはどこから生み出される?
無から有が生まれるイメージは僕にはできない。
「空気中の水素と二酸化炭素から生成できるか?」
そこに元素はある。
他に必要なのはエネルギーだ。
エネルギーは魔素から与えられる。
ならば合成できるイメージも湧くな。
「まず、それら分子の化学結合を切るために、エネルギーを使う。その後、できた原子を再利用して、炭化水素を生成」
しまったな。
無色無臭じゃ炭化水素の合成に成功したかどうか確認できないぞ。
すぐに燃やさなくては。
「炭化水素と酸素を反応させる。そこに魔素からのエネルギーを使う」
目の前で炎が上がった。
「お、おおお、おおおおお! で、できたぞ!」
昨日の水量の増加では魔法を使ったという実感は湧かなかった。
しかし、透明なガスが燃える様は、突然炎を出したように見えて、まさに魔法だった。
「今の炎をそのまま維持しよう」
「範囲を指定して、ガスと酸素とエネルギーの消費をコントロールして」
「ガスの生成と燃焼は一度言えばその後は理解してくれるのか」
「よし、できたぞ」
僕は自分の目の前で火球を生成してその形を維持することに成功した。
「ふ、ふひひっ」
思わず笑い声が漏れる。
火は分子ではないのでイメージしにくく、扱いに手こずるかと思っていた。
しかし、ここまで順調にできるとは想定外だ。
これが異世界人の言っていた相性というやつかもしれない。
「この火球に運動エネルギーも付随できるんじゃないか?」
僕がイメージする火球、ファイヤーボールは敵に向かって一直線に火の玉が飛ぶ呪文だ。
この火球に足りないのはあとは運動エネルギーだけだ。
「方向は前方、速度は120 km/h、行け!」
僕の指示通りに火球は飛び出した。
そのまま公園の外に立っている家に当たり、勢いよく燃え上がった。
「あ、あああ、あああああ! 魔法だ! 僕は魔法が使えるぞ!」
嬉しかった。
何にも増して嬉しかった。
初めて論文が載ったときでも、これほどの喜びは感じなかっただろう。
この力を正しく使う。
それが僕の使命だと感じた。
僕はすぐに行動に移した。
駅に戻り、素行の悪いやつを探す。
カメラやセンサーが町中にあるとはいえ、それらの映像で監視を行うことは法律に反する。
結局のところ、犯罪は起きてから映像を確認し、逮捕するという対症療法的な処置しかできない。
しかも、映像や音声などのデータは増え、複雑化しすぎて、犯人の特定もそう容易ではない。
いつか捕まるとしても、そんなことは罪を犯すような低能には理解できないようで、直情的に物事を行ってしまう。
どれだけ技術が進歩しても犯罪がなくなることはないんだ。
それならば僕が、正義の執行人となって、素行が悪いやつに注意喚起する。
この力で脅せば、犯罪を行う前に、心を入れ替えるだろう。
そう思い、巡回を続けているとゲームセンターの辺りでたむろしている若者たちを見つけた。
若いうちから、遊びにかまけて努力を怠る。
そんなやつらは社会の害だ。
僕はそいつらに声をかけた。
「き、君たち、学校はいいのかい?」
「あ、なんだよおっさん。こんな夜まで学校がやってるわけねーだろ」
「マジ笑える。うちらも学校はちゃんと行ってるしー」
「し、しかし、学校に行っているなら、夜も勉強などやることはあるだろう!」
「あー? そんなに勉強してどーすんだよ」
「ど、どうって、現象の謎を解明するとか、新しい原理を発見するとか」
「きも」
どうやら、聞く耳はもたないようだ。
初めからわかっていたことだ、だからこそ、この力が必要となる。
「こ、こっちに来てもらおうか」
「んでだよ、いかねーよ」
「い、いいから来なさい!」
「ちっ、うっせーな。やっちまうか」
若者たちは立ち上がり、僕を取り囲んだ。
いつもなら怯えてしまっただろうが、今日は違う。
毅然とした態度で、彼らを路地裏へと連れて行った。
「君たちは考えを改めるつもりはないんだな?」
「めんどくせーのに絡まれたな。一発殴ってそれで終わりな」
暴力で解決しようとは、やはり愚かなやつらだ。
自分の力が強いと過信している証拠だな。
世界の広さを知らないからこそ持てる考えだ。
今日は僕がより強大な力もあるんだということを教えてやらねばならない。
「空気中の水素、二酸化炭素から炭化水素合成、範囲10 cm3、熱エネルギー生成、酸化開始」
「お、おい、なにした!」
僕の目の前に火球が現れる。
それを見て驚きの声を上げる若者たち。
やはり無知とは罪だ。
目の前で起きていることが理解できないから、そうして恐怖し、叫ぶしかできない。
「燃焼促進、範囲拡大」
僕は火球のサイズを大きくした。
どのくらいの大きさならば、考えを改めてくれるだろうか。
もっとか? 彼らの罪はどれほど大きい?
「範囲拡大、方向前方、運動エネルギー生成、速度120 km/h」
僕は火球を前進させた。
これで彼らは悔い改めるだろう。
僕は自分の成し遂げた初の偉業に興奮していた。
いや、興奮しすぎて周りが見えていなかった。
彼らには何をしているのかわからなくても、僕が唱えていたのは、単なる科学の知識に基づいた指示だ。
わかる人にはわかる。
そのわかる人、僕が尊敬し、愛してやまない人が、火球と若者の間に立っていた。
彼女は優しいから、僕がすることを理解し、彼を守ろうとしたのだろう。
気づくのが遅すぎた。
火球は既に動き始め、僕が止める間もなく、彼女は火に包まれた。
その火球は彼女の罪に対しては大きすぎたようだ。
燃え尽きたあとには、塵1つ残っていなかった。
当たり前だ、彼女に罪なんてなかったんだから。
僕はもう後戻りはできない。
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