第17話 決死の覚悟

「すぐに研究室に向かいます」


 俺はベッドから飛び起き、身支度を整えた。

 医者には退院はさせられないと止められたが、そこは教授が説得してくれた。

 大学教授の権威というのは、こういうところでも発揮されるんだな。

 俺たちはタクシーに飛び乗り、研究室へと急がせた。


「エリクセンさん」


 研究室にはいつものように秘書さんがいた。


「この度は誠に申し訳ありませんでした」


 秘書さんは俺に深々と頭を下げた。

 あれからもミアを探していてくれたのだろうか。

 目の下にはうっすらとクマが見える。


「いえ、まだ諦めるには早いです」

「何か手掛かりが見つかったんですか? いったいどこに?」

「異世界です」


 秘書さんは不思議そうな顔のまま固まったが、詳しい説明をしている時間が惜しい。

 俺は実験室に向かい、装置とパソコンの電源を立ち上げた。


「何か僕にも手伝えることはあるかな」


 教授も実験室へと入り、協力を申し出てくれた。


「それではオムリィからの連絡の解析をお願いします。僕はその間に向こうに連絡を送る準備を整えます」


 こちらの人間がそっちの世界に行っていないか?

 まずは、そう聞けばいいだろうか。

 しかし、向こうの世界はどれだけ広いのだろうか。

 転移される場所はどこになるのか。

 転移していても、それを確認するのは至難の業かもしれない。


「エリクセン君!」


 データの解析をしていた教授が、焦った声で俺を呼んだ。

 ちょうどオムリィから送られた波が文字に変換されたところだった。

 俺はその画面上に浮かんでいる言葉を見て、目を見開いた。


「オダ君がこっちの世界で暴れている」


 良いニュースと悪いニュースが同時に入ってきた。

 やはり魔法で死ぬと異世界へ転送されるようだ。

 きっとミアとヒナもいるはずだ。

 しかし、オダが向こうの世界でも暴れているのは放ってはおけない。


「すぐに俺もそちらに向かうと連絡します!」


 俺は送ろうとしていた文章を変更する作業に取り掛かった。

 しかし、焦る俺の手を教授が止めた。


「待ちなさい。まずは状況を確認するのが先だ」


 教授は俺に問いかけた。

 それは俺自身も疑問に思っていたことだった。

 転送されたとして異世界のどこへ行くのか。

 どうやってオダと出会うつもりなのか。


「それに、向こうの世界で『暴れている』というのはおかしいと思わないかい?」


 それはおかしいだろうか。

 こちらの世界でもオダは人を傷つけていた。

 向こうでも悪逆非道な行いをしていても何も不思議はない。


「こちらの世界ではオダ君だけが魔法を使えたからあれだけの行いができた。しかし、異世界ではみんな魔法が使えるんだよね? その世界でオダ君が暴れられるとは思えないのだが」


 教授の言ったことは的を射ていた。

 オダはまさに"研究者"といった生活をしており、あの貧弱そうな身体では運動ができるとはとても思えない。

 ましてや戦うことに向いているとは思えなかった。


 まずはオムリィにこちらであったことを伝え、向こうの状況も詳しく教えてもらうことにした。

 ミアとヒナがいないかについても聞いたが、2人がいることは確認されていないようだった。

 また、オダが暴れられている原因は未知の現象によるものだった。


「オダ君には魔法が効かないの」


 オムリィの世界の警察もオダを捕えようと試みたが、魔法は効かず、暴れるのを止められないとのことだった。


「魔法が効かない? そんなことがあるのか?」

「魔法のダメージを受けないように対策する服や盾はあるけど、そういったものを身に着けてる様子もないの」

「こちらの世界の人が行くとそうなるのかな」

「そうかもしれない」


 魔法が効かないとなると捕まえるのが難しくなるのも理解できる。

 オダ自身は魔法が使えるようで、こちらの世界と同じような優位性を保っているようだ。

 物理的に存在している拘束具や武器も効果を発揮していないらしい。

 もうどうしていいかわからないな。

 何か有効な手段がはあるのだろうか。


「1つ、試してみたいことがあるの」


 オムリィは魔法が効かないオダの体質に心当たりがあるようだ。

 それはあちらの世界で伝わる古い話を根拠としていた。


「魔法が効かない異形の者が生まれることがある。それは赤子として生まれるのではなく初めから成人していて、突如として世界に現れる。その異形の者を倒せるのはその者自身が持つ剣だけだ、という話があるの」

「こちらの世界でいう勇者と魔王のおとぎ話みたいだな」

「うん。その異形の者は魔王と呼ばれることも多いわ。単なるおとぎ話だと思ってたけど、今の状況に通じるものがあると思わない?」


 過去に魔王として語られた者は、こちらの世界から転移した人間だということか。

 そしてそれを倒すことができる唯一の武器というのが、魔王本人の持つ剣。


「オダは剣なんか持ってないよな」

「うん、持ってない。でも、この剣っていうのはそちらの世界の武器って意味じゃないかな」


 なるほど。魔王本人が持ち込んだ武器だけが倒せると。

 こちらの世界の人間は、こちらの世界のものでしか倒せないのかもしれないな。

 魔王オダを倒して世界を救うってか。

 少し話が大きくなりすぎて、いまいち現実感がない。


「今はただの御伽噺よ。でも、ルイ君がそちらの武器を持ってきてくれたら、実証実験をすることができるの」


 俺はオムリィのその表現に笑ってしまった。

 世界を救うとかそういう意識ではなく、あくまで実験をするのだと。

 どこまでも研究者として立場のぶれないオムリィに俺は感心した。


「そうだな。俺たちは研究者だ。わからないなら試さずにはいられないな」

「そういうこと。可能性があって、それを行えるのにやらない話はないわ」


 わからないことがあるなら解明したい。

 どの研究だってそうだ。

 目標はエネルギー問題の解決だったり、難病の治療だったりするかもしれないが、研究者を突き動かすのは、それだけじゃない。

 自身のうちから湧き出る探求心こそが俺たちの原動力だ。


「じゃあ、世界を救うための研究を始めますか」


 俺はあちらの世界に行くための準備を整えた。

 武器も入手した。

 といっても、俺が入手できたのは家庭で使う包丁よりも少し長くて太い程度のナイフだ。

 心もとないが、今から重火器を使用できるように許可や申請を取っていたら異世界に行けるのは何年も先になってしまう。

 それまでオダが暴れ続けるのを黙ってみているわけにもいかない。


 しかし、異世界に行くには、もう一つ問題があった。

 魔法で自分自身を殺すことはできなかった。

 魔法で自分を害することは、魔素の意思によって妨げられるという現象だ。

 俺は悩んだが、ミッシーマ教授がその役目を引き受けてくれた。


「向こうに行くと思っても、人を殺すのはあまり気分のいいものではありませんね」

「申し訳ありません。こんな役目を押し付けてしまって」

「いえ、オダ君がああなってしまったことは、僕にも責任があるだろうから」


 オダは長年、博士課程を卒業できず研究室でくすぶり続けていることを悩んでいたようだ。

 それが今回、事件を起こした原因なのではないかと、教授は気に病んでいた。

 何が原因だろうと、事件を起こし、今も向こうの世界で暴れ続けているのはオダ自身の罪だ。

 それに、アイツに魔法の存在を教えてしまった俺にこそ原因があるのかもしれない。


「でも、本当にいいの?」


 準備が整ったところで、オムリィが聞いてきた。


「何が?」

「こちらには魔法を介して来れるのかもしれない。でもそちらの世界には戻れないのかもしれないのよ」


 あちらの世界でこちらから人が来たという伝承は聞いたが、その逆は聞いていない。


 それは確かに世界間の移動は片道通行であることを意味しているのかもしれない。


 しかし、こちらの世界にはもうミアはいない。


 ヒナだっていない。


 それならば、二度と戻れなくても俺のやることは決まっていた。


「ああ、かまわないよ。その覚悟はできている」


 こちらからではオムリィの表情や機微の動きは察することができないが、何故だか悲しそうな顔をしている気がした。


「だけど、まだ1つ心配事があるんだ。そっちの世界に転移できたら、俺はどこに出現すると思う?」

「それに関しては、こちらで見つけ出せるように手をうっておくね」

「頼むよ。それとミアとヒナの居場所の捜査も頼む。きっとそっちの世界にいるはずなんだ」

「うん。任せて」



 準備は整った。




 あとは死ぬだけだ。




 教授の唱える指示に従い、目の前に光の球が現れる。


 死ぬことへの怯えはなかった。


 死の恐怖は未知への恐怖だと言われることがある。


 今回の俺は死のあとに待っているものを確信している。


 それが証明できるという高揚感が恐怖を上書きしているのだろう。


 全く、俺もどこまでも研究者だな。


 そう思いながら俺の意識は光に包まれた。

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